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水族館を出たあと、気まずい沈黙が流れていた。隣を歩く彼女は楽しそうに話しているのに、俺はうまく相槌が打てない。
頭のどこかにいるのは、朝の幼馴染。
「ちゃんと好きになってからにしなよ」
その声が、離れない。
「岩泉くん?」
「……あ、悪い」
そのとき。
「岩ちゃん」
聞き慣れすぎた声。
振り向くと、少し離れたところに
及川徹 が立っていた。
私服。ポケットに手を突っ込んで、いつもの笑顔。
「偶然だね〜」
彼女がぱちぱちと瞬きをする。
「……お友達?」
「幼馴染」
岩泉が答えると、及川が一歩近づく。
距離が、近い。
「デート?」
にこ、と笑いながら。
彼女は少しムッとした顔になる。
「そうですけど?」
空気がぴりつく。
「ふーん。岩ちゃん、ちゃんとエスコートしてる?」
軽い声。でも目が笑っていない気がする。
俺の腕に、彼女がそっと触れる。
「大丈夫ですよ。ちゃんとしてくれてます」
その手が、やけに目につく。
次の瞬間。
及川の手が、岩泉のもう片方の腕を掴んだ。
「岩ちゃんはさ、」
笑ってる。
なのに、指先に力が入っている。
「俺のなんだよ」
空気が凍る。
「……は?」
彼女の声が上ずる。
心臓が跳ねる。
「ちょ、及川なに言って」
「幼馴染だよ?」
即座に訂正。笑顔。
でも離さない。
彼女も、腕を強く掴む。
「岩泉くんは、私の彼氏です」
ぴん、と張り詰める。
左右から引かれる腕。
痛い。それに付き合ってない。
でもそれより、胸が苦しい。
「やめろって……」
声が震える。
なんでこんなことになってる。
なんでお前が来るんだよ。
なんでそんな顔するんだよ。
「岩ちゃん、どっち?」
及川の声。
低い。
本気の目。
逃げ場がない。
彼女の視線も痛い。
選べって?
今ここで?
息が詰まる。
視界が滲む。
「……っ」
涙が、こぼれた。
自分でも驚くくらい、勝手に。
「岩ちゃん……?」
手が、ぴたりと止まる。
涙。
強くて、泣かない岩ちゃんが。
ぐしゃっと顔を歪める。
「……もうやめろよ……」
情けない声。
彼女も手を離す。
俺は、息を呑む。
胸が、ぎゅっと締めつけられる。
泣いてる。
俺のせいで。
なのに。
――可愛い。
そんな感情が、一瞬で胸を満たす。
自分のせいで崩れる岩ちゃん。
たまらない。
独占欲が、熱を持つ。
でも同時に。
最低だ。
泣かせておいて、こんなふうに思うなんて。
俺は、ゆっくり手を離す。
「ごめんね」
彼女に向けて、柔らかく笑う。
「ちょっと幼馴染の取り扱い間違えちゃった」
軽い声。
何事もなかったみたいに。
「岩ちゃん、送るよ」
当然みたいに言う。
彼女が戸惑う。
「でも……」
「今日はもう解散でいいでしょ」
有無を言わせない笑顔。
岩ちゃんは何も言えないまま、俺に連れられて歩き出す。
しばらく無言。
夕暮れ。
「……なんで来た」
掠れた声。
及川は少し笑う。
「心配だったから」
嘘半分、本音半分。
「嘘つけ」
「うん。嘘」
あっさり認める。
「取られるの嫌だった」
岩泉の足が止まる。
心臓が痛い。
「……なんでだよ」
その問いに、俺は答えられない。
言えない。
好きだから、なんて。
壊れる。
きっと壊れる。
だから代わりに笑う。
「だって岩ちゃん、俺のだもん」
冗談みたいに。
でも目だけが、本気。
岩泉の胸がぐちゃぐちゃになる。
「……意味わかんねぇよ」
泣いたせいで、声が弱い。
その弱さに、また胸が締まる。
触れたい。
抱きしめたい。
でも。
ここで一線越えたら終わる。
及川は一歩下がる。
距離を取る。
「ごめんね。さっきの忘れて」
軽く言う。
「彼女、ちゃんとフォローしなよ」
突き放すみたいに。
岩泉の胸が、ぎゅっと痛む。
さっきあんな顔したくせに。
なんで今、他人みたいなんだよ。
「……お前さ」
声が震える。
「なんでそんなことすんだよ」
及川は振り向かない。
「壊したくないから」
小さな声。
岩ちゃんには聞こえない。
代わりに届いたのは。
「岩ちゃんは幸せになってよ」
最後に振り絞った声。
それが一番、残酷だった。