テラーノベル
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ランディーニが飛んでいったのを見送ってから、背後を振り返る。
切羽詰まった顔をしているセシリアとネルが映り込んだ。
特にセシリアの表情は暗い。
姉妹仲は良好だったようだから無理もないだろう。
百合の佇まいに着くまでに少し、溜まっている毒を吐き出させておくべきだ。
「……クレアがずっと、貴女を疎んでいたとしても、貴女は同じ表情をしますか?」
「……え? ……あ?」
「ノワールさん?」
歩く速さを調節してセシリアの隣で低く囁いた。
いきなりの言葉にネルは訝しげな色を浮かべたが、セシリアには納得の色が宿った。
「大切にもしていたのでしょう。貴女がそれだけ衝撃を受けているのですから、それは一点の曇りもなき慈しみの情だったのでしょう。けれど。それと同時に思っていたのでしょうね。貴女さえいなければ、私はもっと男に依存できたのにと……」
ぶわりとセシリアの瞳から涙が溢れ出た。
肩に乗るネルが急いでハンカチを目元に当てている。
視界を塞がない当て方は見事だった。
体より大きなハンカチは扱いも大変だろうに、ネルは丁寧に涙を拭っている。
「クレアが楽な道へと堕落したのは、彼女の生まれ持った性質の問題です。そこに貴女の責任はありません」
「ですが……」
「嘆く必要はないのですよ? 貴女を枷と思い込み疎んでいた姉を、貴女は自分から解放したのですから。貴女の姉への依存度は低い。ですがクレアの妹への依存度は高かった。貴女を免罪符としても使っていましたからね? クレアはしばらくしてから、気づくかもしれませんよ。貴女が枷である以上に、自分を確立させるのに必要不可欠な存在だったと。男に依存するよりも、貴女と苦労を分かち合った方が、最終的には幸せになっただろうにと」
妹のためを思い身代わりとなって男にその身を投げ出す献身は、己の爛れた欲望をただ自分勝手に正当化したものにすぎない。
クレアは男性に依存して生きていくのに向いた性質なのだろう。
だが依存しなければ生きていけない、というほどに根の深い病ではなかった。
だからこそいつかは破綻したに違いない、この姉妹の関係は。
クレアに愛する男性ができてしまったならば恐らく、双方陰惨な末路を辿ったはずだ。
ノワールとしては、善の資質を持つセシリアが壊れなくて良かったと、しみじみ思っている。
「……主様に買われた時点で、姉との離別は決まっていたのだと思います。それで良かったのだと、思ってもいます。娼婦としてならば姉はきっと……長く生きられずとも、自由で幸せに生きられると……そう、思いますから……」
御方が許さないのは当然として、主様自身も男性と接するのを好まないようだ。
ゆえに。
今回ダンジョン内で問題を起こさなくても、クレアは近いうちに男性絡みの問題を起こしただろう。
そうなったら、主様に直接迷惑がかかった可能性も高いのだ。
想像するだけでも悍ましい。
「……もしかしてネラが、クレアさんに引き摺られてしまったと、そんなふうに考えていらっしゃるのではないでしょうか?」
「っ!」
「やはり……そうだったのですね」
溢れた涙を丁寧に拭っていたネルがハンカチを握り締めて俯く。
なるほど。
セシリアの落ち込みには、姉への思慕だけでなく、ネルたち姉妹への申し訳なさも多分に含まれていたのだ。
「ですが、セシリアさん。それは違います。私も気がつきませんでしたが、ネラにはもともとそうした素養があったのです。ネマやネイは薄々感じ取っていたようですし……男性依存というよりは、強すぎた承認欲求が暴かれた感じだと思っています」
「そのようですね。クレアさんの手管を見て、新たな承認欲求手段を得たと思い込んでしまったのでしょう」
自己顕示欲が強いネラにとって、今後の生活でこの一件が吉と出るか凶と出るかは本人次第だろう。
ただ、どれだけ自分がネリ以外の姉妹に助けられていたのかと、思い知る嵌めにはなるはずだ。
物足りなかったとはいえ、自分を肯定し続けていた姉妹たちを失ったのだと、姉妹たち以上に自分を肯定してくれる者など、そうそういないのだと理解できたときには、もう完全に手遅れなのだと。
「……愚かな妹たちです。自分がどれほど恵まれた環境にあったのだと、せめて気がついてくれるといいのですが。ネリには難しいかもしれません。ネラも……よもや自分が見下していたネリと同じように堕落してしまったとは、認めたくないと思いますけれども」
ネルの口元が皮肉っぽく吊り上がる。
ネラやネリだけでなく、自分にも向けているのかもしれない。
己を戒めねば妹たちと同じ轍を踏む可能性もあるのだと。
「ここまで来てしまった以上、あとは僅かでも主様の懐を潤せるように、高値で買い取っていただかないといけませんね」
「随分と矜持の高い店主でしたから、どうでしょう?」
「店の存続も危ぶまれていると聞き及んでおりますから、さすがに丁寧な対応を取るのではないかと思いますが……」
ここはセシリアの心配が現実になりそうだ。
元自分の店の売り物であった奴隷二人と、家事妖精のノワール。
店主は自分こそが絶対者だと勘違いするだろう。
まぁ、そこが狙い目でもあるのだが。
「……門番がおりませんね」
「女性の門番が二人いたはずなのですけれど……」
二人が首を傾げている。
百合の佇まいは、女性が入りやすい奴隷館として名が知れていた。
特に門番は女性客に不快感を与えないように厳選していたと聞き及んでいる。
彼女らは店の威信を保つために奴隷でもなかったはずだ。
給与がもらえなくなったので辞めたのだろう。
顔にも腕にも自信がある彼女らには、沈みかけの船に乗り続ける意味など見いだせる余地もなかったということか。
奴隷の門番すらいないのだから、店の品揃えが最低限どころではないのも簡単に察せられた。
「失礼いたします」
メイドの嗜みとして丁寧に断りを入れてからドアノブに手をかける。
ぎいっと重い音を立ててドアが開かれた。
三流の奴隷館から漂ってくる独特の腐臭に顔を顰める。
セシリアとネルも驚いたように中を見回していた。
「……売却でございますか?」
挨拶もなく用件を問うてくる無礼に、揃って不愉快な表情を作る。
どことなく薄汚れた雰囲気の責任者フィッツシモンズは、ノワールたちの表情を見てこれもまた、不愉快そうな色を浮かべた。
一流奴隷館の責任者とは、到底名乗れない愚かしい態度だ。
「私どもが去ってから、さして時間をおいてはおりませんのに……随分な落ちぶれようですね?」
セシリアの肩に座ったネルが笑顔で毒を吐く。
「……全くよね。店内は臭いし、掃除も行き届いてないし。店主は挨拶すら満足にできない屑だし」
ネルに続いたセシリアが大げさに鼻を摘まんで、臭い臭いと手を振ってみせる。
「売却予定の奴隷は三名。我が主様が満足いく価格で購入していただきましょう」
ノワールは埃の積もったカーペットの上へ清潔な布を置き、テーブルと椅子を自前の倉庫から出して、セシリアとネルも一緒に座らせた。
臭さが少しでも払拭できるように、香り豊かな紅茶が入ったティーポットを取り出すと、恐縮する二人と自分の分を注いだ。
自分が売った奴隷の、優遇された扱いに何やら勘違いしたらしいフィッツシモンズはいやらしい微笑を浮かべる。
「売却奴隷はどこに?」
「ここに」
ノワールは必要最低限の服を身に纏った三人を倉庫から出して、カーペットに転がした。
舞い上がった埃に刺激されたのか三人が覚醒する。
手首足首を縛り、口にも布を噛ませておいたのだが、三人揃ってうなりながら床を這い始めるのだから驚きだ。
ここにきてまだ逃げられると思っているらしい。
「ちっ!」
フィッツシモンズは客であるノワールたちの前にも拘わらず、舌打ちをして懐から奴隷の首輪を取り出す。
中古品な上に粗悪な奴隷の首輪なのだと、素人が見てもわかる代物だった。
そんな粗悪な首輪を握り締めたフィッツシモンズは、実に手際も悪く三人を店の奴隷へと変えていった。
ネリに頭突きをされて鼻血を噴き出しながらも、首輪を嵌める。
クレアに足払いをされるも馬乗りになりながら、首輪を嵌める。
床を引き摺るフィッツシモンズの、スカートの中へ隠れたネラは、引きずり出されて腰に首輪を嵌められた。
首に嵌めるよりはましだが、腰でもまだ緩い奴隷の証は、それでもきちんとネラの行動を阻害できているらしい。
体に合わせて大きさの変わる自動伸縮機能がついていないのにもかかわらず、行動制限がしっかりしている辺りに悪質さが表れていた。
「……まだ売買契約も完了していない奴隷に、随分と酷い真似をしでかしてくださるのですねぇ?」
「ふおっほ! 愚か者のすることじゃ、目くじらを立てるだけ無駄じゃぞ、ノワール」
「おや? 今までどちらにおいでてしたのやら!」
先行したランディーニの姿がないと思っていたら、店の中を家捜ししていたようだ。
「なっ!」
妖精ブラックオウルは知性高き者として有名だ。
フィッツシモンズは己の不利をここにきて悟ったらしい。
理解が遅すぎる。
唇をぎりっと噛み締め、鼻血を袖で拭いながらも立ち上がって腰を折った。
「……知恵者ブラックオウル。当店に何をお望みでしょうか」
「我が羽を与えた者の無償譲渡。奴隷売却一人につき一銀貨の支払い。全ての台帳を無償譲渡じゃな!」
「それは!」
「無理とは言わさぬぞ? うぬがしでかしたことは、正しく裁かれるべきであるからのぅ。奥方様もそれをお望みじゃろうて」
売買について事細かに記した台帳は、奴隷館における生命線。
これを譲渡するということはすなわち、奴隷館の営業終了を意味する。
「三人と残った者を正規の手配で売却すれば、うぬの命ばかりは長らえようぞ!」
「……以前は良質な奴隷館だったようだけど、そんなに問題が?」
「うむ。面倒ではあるが奥方様は、断罪を望まれるであろうからのぅ」
ランディーニが言うのだ、随分と後ろ暗い営業をしていたらしい。
今まで表沙汰にならなかったのに驚くが、そうした隠匿に長けた館長だったのだろう。
ランディーニがフィッツシモンズの前にひらひらと一枚の紙を落とす。
フィッツシモンズは書かれた内容を読み込んだあと、くしゃりと紙を握り締め、絶望する三人に勝るとも劣らぬうめき声を上げて床に這いつくばった。
「ノワールよ。奥に眠らせた奴隷がおるでな。倉庫へ収納してほしいのじゃ」
「わかりました……二人とも、最後の別れをすませておきなさい」
「はい」
「ありがとうございます」
ランディーニの目に叶ったのだろう奴隷を回収しに行く背後で。
「さようなら、クレア姉さん。これからは私のことは忘れて、どうか自由に生きてください」
「さようなら、身の程を知らぬ妹たち。私は貴女を二度と助けないわ、ネリ。そしてネラ。貴女はこれ以降、ネリと同じ愚物に成り下がったと知りなさい」
二人は静かな声音で、言葉は違えど永遠の別離を紡いでいた。
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