「…それにしても、遅いですね」
1時間くらいで帰ると言ってたから、憂さんの来訪は吉良に伝えていない。
それは香里奈さんとの話の邪魔になったらいけないと思ったからだったけど…。
おかしいな…その1時間はとうに過ぎてる…
「…モネちゃんは連絡しなくていいよ」
憂さんは落ち着いてコーヒーを飲む。
「そう…ですか?でもなんだか、お時間を無駄にしてしまってすみません…」
「全然…!モネちゃんとゆっくり話せて嬉しい。…ほら、いつも仏頂面で不機嫌な彼氏がそばに張り付いてるからさ!」
不機嫌な彼氏って…確かに、初めて会ったお正月も、吉良は2人の時間を邪魔されて不機嫌だった…!
思い出して頬を染めれば、憂さんがそんな私を見て柔らかく言った。
「もう少ししたら、俺からメッセージしてみるよ」
…それか、勘づかれてもう帰ってくるかだな…と、何だか意味ありげに呟く憂さん。
「…勘づかれるって?」
復唱してみれば、憂さんの横顔が意味深に傾いたように見える。
何か、私の知らないことが起きてる…?と思ったのは、ただの気のせいだろうか。
その時、ガチャガチャっと、ドアが開く音がした。
「…あ、吉良さん、帰ってきました」
ホッとして立ち上がろうとしたとき、床に直接座っていたせいか足がしびれて…うっかりその場で転んでしまう。
「なぁにやってんのモネちゃん!…遊んでるの?」
憂さんが笑って私に近づき、助け起こそうと腕を掴んだ瞬間…リビングのドアを開けた香里奈さんが「きゃあっ…!」と叫んだ。
「…2人で、なにやってるの?」
香里奈さんは私たちに回り込むように近づいてくる。
「…いえ、あの…」
これは2人で何かしたんじゃなくて、私1人でコケた瞬間なのですが?
まさか変な勘違いをされてるとは思わず、そのままの体勢で固まってしまえば、煽るように続ける香里奈さん。
「こんな遅くに2人っきりでそんなに密着して…ねぇ、吉良…」
リビングの入り口に立ってる吉良に、香里奈さんがもう一度近づいた。
「…何してる?」
ゆっくり近づいてくる吉良の険しい視線は、私のそばに座って腕をつかむ憂さんに注がれた。
…違う違う違う!なんか勘違いされてる気がする。
「あ、あの、大丈夫なので、離れてもらっていいですか?」
私はすぐ隣に座る憂さんに、失礼を承知で言った。
すると憂さん、そう言われるのがわかっていたように、余裕の笑顔を返してくる。
「なんだよぉ。せっかく助け起こそうとしてあげたのに…♪」
音符付きでしゃべらないでほしい…
吉良の丸出しの不機嫌を感じないわけじゃないだろうに…!
「憂…どけっ」
吉良がたまりかねたように、私と憂さんの間に入ってきた。そして私の腕を掴んだままの手をペシっと叩き、ヘラヘラする憂さんを完全にどかす。
やや乱暴に見えるあしらいに、憂さんが不服そうに頬を膨らませた。
「いたぁい…!後で泣いて感謝することになるんだから、吉良、俺を乱暴に扱うと後悔するぞ?」
「は?…だいたい、お前が来るなんて聞いてないが?」
叩かれた手の甲をスリスリと撫でながらも、憂さんは穏やかな表情で、決して怒っていないとわかる。
逆に、何だか落ち着かない雰囲気なのは香里奈さんだ。
それに気づいているのかいないのか、憂さんをどかしたスペースにしゃがみこみ、吉良が私に手を伸ばして助け起こしてくれた。
吉良はまだ少し不愉快そうで、表情が固いので、私も不安になる。
…怒ってるのかな。いくら友達でも、家に1人でいるときにあがってもらったのはまずかったかも…。
「ご、ごめんなさい。あの…私」
自分を見上げて謝る私を、吉良は無表情のまま抱き寄せた。
見ると憂さんは、余裕の表情で片方の眉をあげて半笑い…
こ、こんな時に笑わないでほしい…!
もしかしたら吉良がキレて喧嘩になったらどうしようとヒヤヒヤした。
「あーあ、こんなに早く帰るなんて、聞いてないぞ?…」
香里奈…と続けた憂さんの視線は、確実にその名前の主に向いている。
もしかしたら…憂さんが来ること、香里奈さんは知っていたの?吉良は知らなかったのに?
そこまで考えて気がついた。
そうか…香里奈さんにとっても憂さんは幼なじみなんだ。
子供時代、家に遊びに来ていたとしてもおかしくないし、だいたい中学まで学校も同じはず。
…見知った間柄だとしても不思議はない。
ということは、今回の急な訪問は、香里奈さんに会いに来たということ?
「私はなにも知らないから」
憂さんを睨み付けるようにして、香里奈さんが玄関を出て行こうとする。
「…あの、香里奈さん、どこへ?」
帰ってきたばかりでまた出ていくのかと、つい声をかけてしまえば、香里奈さんのイラついた怒声が返ってくる。
「うるさい…裏切り者!あんたなんか、吉良にふさわしくないんだから!」
「…え?」
裏切り者って…どういうことだろう?
どうしてそんなことを言われたのか、その理由がわかったのは、翌日のこと。
寝室を出ようして吉良にばったり出くわした。
「昨日香里奈に、リビングに入ってすぐ見つけたって、こんなものを渡された」
吉良の大きな手のひらに乗ったものを見て驚いた。
それは…身に覚えのない使用済みの避妊具だったから。