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さぁて。
友人たちの今日の反応に満足をする。――みんな、変わっていないね、と次々と賞賛の言葉を口にしたが、ベストドレッサー賞はまぎれもなくわたしのものだ。
妊娠で十五キロ増えたからだを三年でほぼベスト体重に戻し。毎日自炊をし、夜はヨガをし、風呂上がりにはダイソンのドライヤー。美顔器でのお手入れも欠かせない。
現在四十三歳のわたしではあるが、自慢ではないが、三十代に間違えられることもしばし。
昨年転職した会社ではペーペーの扱いではございますが、いろんな部署のヘルプへと入り、その多才ぶりを発揮している見事な才媛。ガッツガツショートカットキーも使いこなし、迅速で的確な仕事をするのがモットー。
……というのが、お恥ずかしい限りではございますが、自己評価です。えっへん。
ただいまぁー、と言って帰宅しても、夫はリビングで堂々とサッカーを見ていて息子の詠史《えいし》といえば、自室にて自分のパソコンでマイクラをやっていた。……息子は十歳なので一応は、まぁ、最悪、夕飯は買ってもらうかすれば乗り切れるけれど。ここまで来るには長かった……。
「ママおかえり」ノックをしてから入ると淡々と息子は告げる。顔だけでも振り返ってくれるのが地味に嬉しい。「飲み会、楽しかった?」
「飲み会じゃないよ」とわたしは笑った。「……大学時代の友達と女子会してきただけ。お酒は飲んでいないよ」
「あっそ」詠史は大してママの話には興味がないらしい。つまらなさそうに顔を前に戻したのでわたしはおとなしく扉を閉めた。――リビングを独占して堂々とサッカー観戦中の夫に至っては、妻にかける言葉もないのか。……わたしがお友達とお茶をしてくる機会なんて滅多にないのに……。
嫉妬深い彼と交際したがゆえに、男友達含めて友人関係はすべてCOした。そのつけを今頃になって感じても、遅いってばよ。
洗面所にて手洗いうがいを済ませ、ついでにちゃちゃっとメイクも落としちゃって何気なく後ろの洗濯物入れを見たら、……あふれ出ている。
まったく。
たまにしかない、ママの休日。楽しませてくれたっ てよかったじゃないか。
ため息を吐きつつ、あぁシンデレラの時間には限りがあるんだな、と思いながら重たい汗くさい洗濯物をどんどんドラム式の洗濯機に放り込んでいく。重さなんかこの際無視だ。一度で済ませちまおう。ピ、とスイッチを入れたときに自分のなかで完全に主婦のスイッチが入ってしまった。ジョングクがおかえり、あったかいご飯出来てるよ、ってトッポキ作って待っててくれる世界観てどこかにないかなぁ。
女子会では洗濯物の話も出た。あるある、うちなんか二回回すよ。……真由佳のところなんて四回は回すって。――わたしは覚えている。
その昔。『お見合い結婚』という、松たか子主演のドラマで、川原亜矢子演じる主婦が言っていたことを。――帰ってくると。
リビングにかたつむりがあるのね。それがなにかっていうと、夫が脱いだ靴下が丸まったもの。
疲れて帰ってくるとあのかたつむりがあるのを見るだけでげんなりするし、あのかたつむりを片付けるのはこの世で自分しかいないと思うともうね、絶望しかないわ。
当時わたしは大学生か社会人をやっていたかと思うが、その主婦の台詞はわたしのこころに見事にぶっ刺さった。一生忘れられない。川原亜矢子演じる主婦は当時キャピキャピイケメン枠だった窪塚洋介と恋仲になる展開だったはずだがその後の展開は覚えていない。
松たか子が内田有紀と同じくTENKAを取った時代で、相手役がおいおい、ユースケ・サンタマリアでいいのかよ、と内心で突っ込みを入れたが、なかなかどうして。当時はイケメン枠じゃなかったはずのに、こないだネトフリで『火の粉』を見たらおいおい、なかなかいい男になっていたじゃないかユースケよ。草彅剛とキャッキャウフフしてるだけがきみの青春じゃなかったのかよユースケよ。『眠れる森』で共演したキムタクに、ドーランが濃すぎるって突っ込まれた黒歴史どこ行った。肌の質感は確かに五十代だが、妙な色気があるじゃないか……なんだその憂い気な前髪は。パーマ似合いすぎだろ!! その後気になってWikiで調べてみたらてっきり彼は芸人かと勘違いこいてたら元々はミュージシャンだったらしい。ついでに田中れいな時代のモー娘。も推しだというから、同担として誇りに思う。わたしも『One, two, three.』大好きだよ。
なんの話だっけ。
『火の粉』は雫井《しずくい》脩介《しゅうすけ》の小説が原作で、ドラマはドラマ版のアレンジが利いていてうまい演出だと思った。原作も読んでみたが、男性作家の割には見事に、育児や介護に疲弊する女性の内面を描いている。……あっぱれな快作である。
真由佳は大学時代からモテモテで完全に勝ち組だったはずなのに疲れた主婦の顔をしていたし。……メイクはかろうじてしています、といった雰囲気。パサついた髪を首の後ろで結わいている辺りがいかにもな寂しげな四十代というか。別に服も安物でもいいから、もうちょっとぱりっとした服を着ればいいのに……ま……介護に育児に疲弊した状況では無理か……十代二十代のきらきらが完全に失われており、寂しい気持ちになった。
水萌は、ひと昔前の歌手を思わせる、顎くらいの長さの髪をきつくウェーブをかけている辺りが香ばしいし、着ている服装も、バブルですか? な印象で。アイラインの太さやメイク全般が昭和だな。令和の若者が彼女に従って行けるのかなぁと……疑問に思ったくらいだ。管理職云々も本当の話かどうか、分かったものではない。彼女、昔っから見栄っ張りだし。
朝枝は、なにも言わずにいきなり写真を撮りだすし、そういうところが変に若い、というか。インスタに狂うと人間ああなるのか。……声くらいかけなよって話でその調子に合わせている水萌もイタい。……ま。
こうして、せっかく旧友との仲をあたためているのにこうしてディスってるわたしが一番イタいんですけどね。分かっていますよ。
けども。四十代ってどうしても、手を抜くか否かで明暗がくっきりと分かれる。わたしだって毎日メンテナンスは欠かせないし、一時期は家族にゴリラだの飛べない豚はただの豚だの言われたけれど奮起して頑張っているのよ。
頑張っているのはみんなおなじだ。問題は、そのベクトルをどこに向けるか、という話。
風呂を追い炊きしつつ、汗まみれのトップスを脱いで、スカートも脱いで下着姿になり、ふと――洗面台のでかい三面鏡に映された自分の姿を見つめる。
悪くはない。
バストはほどよくハリを保っているし、エリクシールの広告には出られるくらいのつや玉を維持出来ている。ウェストはきゅっ、と絞られていて、丸みのあるボディがセクシー。
実際に、用を足したのか、廊下を通りがかった夫が一瞬わたしを見たときに完全にその目に欲情の火が燃えていた。上下セットのボルドー色の薔薇柄のブラジャーとパンティ。パンティ、というか実際はタンガにした。桃尻のシルエットを活かすべく。
別に下着も高い物は着ていないが、ごく……と夫が生唾を飲み込む。うちは、長年、レスである。
一時は豚だの叩いていた女房が知らない間に美人さんになっていた。――ということに、我慢出来るのかな?
見せつけるように、ブラを根元から支え、反対の髪で髪をかるくくくりあげて、うなじ――肉感的なヒップを見せつけてやる。いや実際見せつけている。鏡のなかを挑発的に見て敢えて言った。「……なぁに?」
すると夫は途端に顔をしかめ、「……四十過ぎのババアがなにそんな派手な下着つけてんだ。んな金があんのなら詠史の金に回せ」
はいはーい。下着は自分が楽しむものです。詠史の養育費は自分できっちり稼いでますよーだ。
「そうですね」夫の苦言も笑顔でかわし、わたしは夫に近づくと胸の谷間を覗き込む彼の熱っぽい視線を感じながらもぴしゃりとドアを閉め、「……あなたも疲れているでしょうから、ゆっくりなさってください」
可哀そうに。行き所のない熱はどこに向かうのだろう。――浮気相手? オナニー??
「あの中で浮気するとしたら誰かなぁ……真由佳辺りなら面白いかしら?」ぽいぽい、と下着を脱ぎ捨て、風呂場に入り、熱いシャワーを浴びる。やっぱり。十五年ぶりに集まったのは正解だった。自分の立ち位置を確認出来た。――わたし。
ちゃんとやれてる。
* * *
「あ。おはようございます。……広岡《ひろおか》さん」
うちの会社は、基本は、役職のあるかたであっても、さんづけだ。しかし、相手は課長である。
九時ぎりぎりになんとかドアの前に到着し、セキュリティカードをかざし、滑り込むのもうちの会社の風物詩である。課長であられる広岡さんも多忙であるしそこは同じらしく、ロッカーに立ち寄ってから自席につくのが大体九時五分。
なおうちの会社ではセキュリティカードはひとり一枚支給されており、例えばわたしが一日の最初に全ドアの横に配置されている、セキュリティカード読み取り機にカードをかざせば、勝手にシステムが入退室の時間を記録する。そのひとの一日の最初にカードをかざした時刻が出社時間、会社のフロアを出るときに最後にかざした時間が退出時間として記録され、ウェブの勤務表にも自動で入力され、ズルは出来ない。……という点を利用して、九時の出勤時刻に間に合わせんと、たまにエレベーターから走り出すひともいるくらい。中に入るときは必ずカードをかざさなきゃだから、ひとが多いと焦る。わたしも慣れるまで苦労した。
「ああおはよう鷹取《たかとり》さん」すると広岡課長はにっこりと笑顔で言った。わたしは彼のためにドアを開いたままにしてやる。ピ、とセキュリティカードをかざす小気味よい音が鳴り、「後で話があるから。呼びます」
「えっと……悪い話じゃないですよね?」ちょっとビビリながら答えれば、広岡さんは鷹揚に、それは後のお楽しみ、ということで。と茶目っ気たっぷりに返してくる。
広岡さんは、わたしとは二歳違いで、ばりっばりの管理職。年齢を聞いたときには心底驚いたし、彼、ぴっかぴかの韓国アイドルみたいなんだもの。課長みたいなかたがいると士気があがる……。
会社なんて、誰もわたしのことなんて見てないんじゃ? なんて思うこともあるけれど。広岡さんに至っては、髪を切ったらすぐに気づいてくれる。
わたし、一ヶ月に一回はカットに行くから、気づかれないことがほとんどなのに……。
「ありがとね。お先」と言って広岡さんはロッカーのほうへと行き、わたしはフロアの自席へと向かう。――勿体ぶるということは、悪い話ではない、ということだ。わたしは、ブランクがあるので契約社員というかたちで入社したが、正直、最初は、自分がどう見られているのかが不安で怖かった。――でも。
広岡さんは、ちゃんと、わたしのことを見てくれている。
そのことを、六分後に思い知ることとなる。
*