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凪は顔を歪めて、その降り注ぐキスに耐える。しかし、そこで初めて自分が千紘の名前を呼んだことがないと気付く。
初めて客として会った時には、何度か呼んだが、あれはまだ相手が女性だと認識していた時。
成田千紘としてではなく、ちひろとして扱っていた頃の話だ。普通に美容師と客として出会っていたら、自分は恐らく成田さんと呼んでいたはず。
こんな出会いなどせず、もっと普通に。今となっては、敵から始まった成田千紘。そんな人間をお前呼ばわりするのにもすっかり慣れた。
そこへ来て名前を呼んでなんて、図々しい話だ。
「ちょ、なんなんだよ……名前って、んっ……」
凪が喋っている内にキスで唇を塞がれた。直ぐに湿った舌が入り込んで、唾液を絡ませる。どうやら本当に名前を呼ぶまで止める気はないらしい。
けれどきっと、本気で抵抗してやめろと怒ったら、またしょんぼりと眉を下げて「ごめんね、凪」なんて謝ってくるんだろう。凪はそんなふうに考えながら、すぐ近くに熱すぎる体温を感じていた。
たまに舌先を吸われて、歯列をなぞられる。呼吸をする度、千紘の呼気も感じて、甘い香りが鼻を掠める。
頭がぼーっとして、ジンジンとした痺れから心地良さに変わる。
……流されてどうする、俺。でもずっとこのままってわけにも……。でも名前呼ぶとか、今更……。
色んな葛藤をしながら、千紘の肩を掌で押し返した。唇を離した千紘は、「キス気持ちいい? 名前呼ばないってことは、もっとって意味?」と低い声で尋ねた。
ピクンと反応した凪はぱっと顔を上げた。妖艶な瞳がぶつかり、ニヤリと笑う。
「ち、違っ! そんなわけないだろ!」
かあっと顔を真っ赤にさせた凪は、手の甲で自分の唇を押さえて否定する。呼ばなきゃ呼ばないでこんな言い方をする。なんだか翻弄されっぱなしで、思い通りにいかない状況に凪は動揺した。
千紘はゆっくり顔を近付けて、「あれ? 動揺してる? ってことは図星なんだ」と言って歯を出して笑った。
無邪気なその笑顔は、普段の妖艶な大人っぽい笑みとは違った。時折見せる子供っぽさは、いつも突然やってくるものだから凪には表情がコロコロ変わって見えた。
「違うって言ってるだろ!」
「いっぱいしようよー。勝手にしていいって言ったじゃん」
「いっ……たけど! こんなにっ」
「気持ちいいでしょ?」
「よくない!」
「じゃあ、やめる?」
「やめるっ……」
「んー、だけど意地でも名前呼ばないなら俺も意地でも止められないなぁ」
千紘は軽く目を閉じて、凪の唇を塞いでいる手を筋張った自分の手ですくった。しかし、必死に抵抗しようとする凪は、手に力を込めてそこから離そうとしなかった。
千紘は柔らかく微笑むと、凪の手を握ったまままた耳への刺激を与えた。
「っぁ……」
不意を突かれた凪は、無意識の内に少し高い声を上げた。自分で驚いて顔を紅潮させる。
「ほんと好きだね、ここ。名前呼ばなくていいよ。やめないから」
千紘が囁くと、吐息が耳内まで入り込んで全身を激しく快感が駆け巡った。
「ふっ……ん……」
小刻みに反応する凪は、なんとかやめさせようと、空いている手で千紘の後ろ髪を掴んだ。セットしている髪は、整髪料によって軽く固まっていた。見た目はあんなにも柔らかいのに、なんて思考がよそ見した瞬間、下半身に違和感を覚える。千紘が凪の手を離し、いつの間にかそちらに手を伸ばしていたのだ。
凪の体が自然と反応する。先程の刺激を覚えているのだ。耳に触れる吐息も、下半身を包み込んだ熱い刺激も。
あっという間に果てた十数分前のことも頭を過ぎる。その波はまた直ぐにやってきそうで、さすがにこんなに早くは困る……なんて焦る。
「ま、待った! まだっ」
「さっきイッたばっかりだもんね。でも大丈夫、また直ぐイけるよ」
千紘の柔らかい言葉に、それじゃ困るんだってばっ! と狼狽した凪は、堪らず「待てって! まっ、おいっ! ち、ひろ!」と叫んだ。
ピタッと動きを停めた千紘。凪の毛先を左頬に感じながら、大きく目を見開いた。途端に初めてちゃんと凪と対面した時のことを思い出した。
自分のことを女性だと思いながら笑顔で名前を呼んでくれたこと。優しい声色で話しかけてくれたこと。丁寧にゆっくりと緊張を解すかのように流れを説明してくれたこと。
仕事だとわかっていても嬉しかった。その幸福にタイムリミットがあるとわかっていても胸を高鳴らせずにはいられなかった。
好きだという気持ちが溢れて、全て言葉にしてしまいたかった。
そんな懐かしい記憶が蘇る。きっと凪は、あの時と同じように優しく微笑んではくれないし、甘く名前を呼んでもくれない。けれど、切羽詰まった声で、確かに自分の名前を呼んだのだ。
千紘は大きく瞳を揺らし、軽く目を閉じた。その幸せを噛み締めるかのように。それからゆっくりと体を起こすと、次の瞬間にはとぼけた顔をして「なに? 聞こえなかった」と言った。
「は!? う、嘘だっ」
凪は真っ赤な顔をして、思わず名前を呼んでしまったことを恥じらう。名前なんて呼ぶつもりはなかったのに。そうは思っても、やめて欲しい一心で飛び出した千紘の名前。
約束通り、一旦動きは止まったが、千紘の顔はどうやらやめてくれそうにはなかった。
「もっとって言った?」
「言ってねぇ!」
「そ。刺激が足りないのかと思った」
あっさりとそう言ってのけた千紘は、手を上下に動かして、凪の下半身への刺激を続けた。軽く体を仰け反らした凪は、「うぁ……」と苦しそうな声を上げた。
「苦しいの? イキたい?」
「違っ……まっ、まだ、やだって」
「んー、やだ? 聞こえないなぁ」
千紘は穏やかに微笑みながら、少しずつスピードを上げた。驚くほどの速さで駆け巡る快感に、凪は目をギュッと閉じた。
「やだって! 千紘! ちひ……ろ、やだ」
千紘の名前を呼びながら強く目を瞑る凪の姿に、千紘は頬を緩めた。愛しくて、可愛くて仕方なかった。