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ノアの唇から名残惜しそうに唇を離したアシェルは、ほっとしたように笑った。
「嫌がらないんだね」
「っ……!」
心を見透かされたようなアシェルの言葉に、ノアはモジモジとスカートの裾をいじりだす。
そんなノアを優しく抱き寄せながら、アシェルは小さな耳にそっと囁いた。
「聞いて、ノア。あのね精霊王は全部知っている。ニヒ殿が泣いていることも、ノアが反発して城を出ようとしたことも。そして悔いている。ただ長い長い間、怒りに身を任せていたせいでどうしていいのかわからないだけなんだ」
「……そう……そうだったんですか」
「ああ。それと実はね、初代の国王陛下の魂は、ずっとニヒ殿の傍にいるんだよ」
「ええっ!?」
思わぬ説明に、ノアは状況も忘れてぎょっとした。
すぐにアシェルと目が合った。彼は「やっとこっちを見てくれた」と嬉しそうに顔をほころばせた。
再びノアは、俯いてしまう。その拍子に頬に流れたノアの横髪を、アシェルは耳にかけてあげながら言葉を続ける。
「初代陛下は、自分の子孫と生まれ変わったニヒ殿が結婚することに、本当は反対だったんだ。陛下ご自身が、またニヒ殿と巡り合いたかったんだよ。自分以外の誰かと結ばれるなんて反吐が出るほど嫌だったようだね。ねぇ、意外に初代の陛下って束縛男だと思わない?」
同意を求められたって、好きな人のご先祖様を悪く言いたくない。
むむっと渋面になるノアを無視して、アシェルは「そんなわけで」と、話をまとめ始めた。
「初代の陛下は待っているんだ。同じ時代に愛する人と巡り合えるのを。だからニヒ殿の傍にずっといる。同じタイミングで転生できるように。といっても、ニヒ殿は初代の陛下の存在に気付いてなくて、泣いてばかりだけれど。まぁ、そろそろ精霊王と仲直りして、初代の陛下とも感動の再会をしてると思うよ」
アシェルはにこっと笑って締めくくったが、ノアはでっかい疑問がわいてしまう。
「じゃあ……私は?私は……なんなのですか?」
アシェルの説明だと、精霊姫の魂はまだどこか遠くにあるのだ。
なら自分の胸にある雪花の紋章は、イカサマなのだろうか。これまで精霊姫の生まれ変わりとして過ごしてきた日々は、なんだったのだろうか。
精霊姫の生まれ変わりじゃない自分は、アシェルに必要とされないのではないか。
そんな寂しい気持ちが暴れて、ノアの瞳から涙がじわりと滲む。
「ノアは間違いなく精霊姫の生まれ変わりだよ。でも、まるっと生まれ変わったわけじゃない。ニヒ殿は黄泉の狭間に魂の欠片を残したんだ。そのせいでノアは、ちょっと支障があるだろ?精霊が見れないとか」
「あ」
「でもね、私はノアが精霊姫の生まれ変わりじゃなくても、君を好きになっていた」
「……はい!?」
涙を拭ってくれながら語るアシェルに、ノアはそうかそうかと頷いていたが、最後の言葉に耳を疑った。
すぐにアシェルは「そんなに驚かなくても」と、拗ね顔になる。
「ノアが私のことを高賃金をくれる雇い主で、守るべき相手だと思っていることはわかっている。ねえノア、君にそう思われている間、どんなに私が焦れた思いを抱えていたか知ってる?」
顎を掴まれ、また口付けをしそうな雰囲気をかもしだしながらアシェルは問うてくる。
少し怒っている彼の口調を、”怖い”じゃなくて”嬉しい”と思ってしまう自分は、とても失礼な人間だ。
「ま、知らないだろうね。実際、私も最初は君を利用しようとしていたし、まぁ、利用しちゃったし。あと勢いに任せて好きだなんて言ったら逃げられそうだから必死に気持ちを隠していたし。でも、もう隠さない。だって君は泣いてくれたから。口付けを受け入れてくれたから」
一気に言い切ったアシェルは、ノアの手をぎゅっと握った。
「私は君のことが好きだ。君じゃなきゃダメだ。君がいると私は世界に優しいものがあると信じることができる。ノア……今すぐ気持ちを受け止めてもらおうとは思っていない。でも、どうか離れていかないで。もう少しだけ、私と一緒にいる時間をくれないか?」
きっと今、彼の言葉を一言で表わすなら”希う”。
それほど切実で熱く、心の芯を震わすものだった。初めて生まれる感情に、ノアは熱に浮かされたように、身体が熱くなる。強い眩暈を覚えて、視界がぐらりと揺れる。
でもノアは、しっかりアシェルと目を合わせて微笑んだが──すぐ呆れ笑いになった。
「まったくもう!殿下は、鈍感です。私、殿下といるときドキドキしてたんですよ。……気付いてなかったんですね」
「え!?……あ」
狼狽えるアシェルを、ノアはもう手が届かない人だとは思わなかった。
「ねえ、殿下。私、どうしてもあなたにお願いしたいことがあるんです。叶えてくれますか?」
「君が望むなら、なんでも」
食い気味に頷いたアシェルに、ノアは彼にしか叶えられない願いを口にした。
「私、殿下の名前を呼びたいんです」
「……っ」
高価な品を強請られると思ったのだろうか。アシェルは意外過ぎると言いたげに目を丸くするが、すぐに破顔した。
「なら君は私の妻にならないとな。だって私の名を呼べるのは妃だけだから」
思わず策士と呼びたくなるような眼差しを受けて、ノアは苦笑しながら頷いた。
対して満足のいく返事を貰えたアシェルは、握っていたノアの手に口付けを落とすと、なぜか無言で馬車の扉を開けた。
「……ん?で、殿下??」
「足元に気を付けて」
先に馬車を降りたアシェルは、スマートにノアに向かって手を差し伸べた。つまり一緒に降りろということ。
「あのう……どうされたんですか?」
「ん?せっかく正装にしたんだから、当初の予定通りにしたほうが良いかなって思って」
「はい?」
答えになってない返答をいただき、ノアはこてんと首を倒す。でも手はしっかりアシェルに握られているから、足を止めることはできない。
ノアはアシェルに手を引かれて、街道から少し離れた空き地まで、てくてく歩く。
王城の衛兵たちは、ノア達を見るとシャンと姿勢を正し、最上の礼を執る。良く見れば、薄情にもノアを残して馬車を降りたロキも、まだちゃんといてくれる。
そんな中、衛兵たちの中に混ざっていたアシェルの側近であるイーサンが、金ぴかの箱を持ってこちらに歩いてくる。普段とは別人のような、厳かな表情で。
「さて、と。じゃあ、始めよっかな」
イーサンから箱を受け取ったアシェルは、気持ちを切り替えるようにコホンと小さく咳ばらいをする。
その光景を、ぼぉーっと見ていたノアは何が始まるんだかと思いきや、アシェルは豪奢な衣装に土がつくのも構わず膝を付いた。
「ノア、私の愛しい人。どうか私の生涯唯一人の妻になってください」
「……そういうことでしたか」
「そう、そういうこと。王族は第三者の前で求婚するのが決まりなんだ。さて、ノア。返事を聞かせてくれるかい?」
まっすぐな視線を向けるアシェルを見て、ノアはようやっと気づくことができた。
この人は、守ってあげなきゃダメな人なんかじゃないと。
アシェルの見た目の美しさと、善人キャラに騙されてはいけない。この男は、相当な策士で、自分にぞっこん惚れてくれている人だったのだ。
それをちゃんと受け止めたノアは笑った。彼の隣に立つのに相応しい存在になりたいと伝えるために。
「はい。私、あなたのお嫁さんになります」
ノアが、芯のある声で宣言したと同時に、衛兵たちが歓声をあげる。夜明けを告げる鳥の鳴き声も加わり、ここだけはまるでお祭りのようだ。
しかも花など一つも咲いてなかったはずなのに花びらが舞う。驚いたノアが天を仰ぎ、降って来た花びらを手のひらで受け止めれば、花弁はキノコの形をしていた。素晴らしい。
「ロキ殿の粋な計らいだね。感謝しなければ」
アシェルは髪や肩に花びらを受けながら、視線をロキに移して目礼した。
それから手にしていた箱の蓋を開ける。出てきたものは銀細工でできた花冠だった。
「初代国王陛下は、ニヒ殿に求愛するときに花冠を贈ったそうなんだ。それから私たち一族は妻になる女性に花冠を贈るのが習わしなんだ。受け取ってくれるかい?」
立ち上がりながらそう言ってくれたアシェルに、ノアは満面の笑みで応えた。