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ゆうき あきや
1,642
厚揚げ衣
20
なんたろ
1
いちご@ホロオタ×ぴちりす
295
第65話:ピチピチのモカピ(全身タイツ)〜港区のど真ん中で、黒いソーセージになる四十歳〜
「……嘘だろ。冗談だと言ってくれ、神崎さん」
港区の超高層ビル、その三十五階にあるVIP控室。
俺は、若手スタッフが恭しく差し出してきたハンガーを前に、完全に言葉を失っていた。
そこにかかっているのは、光沢のある真っ黒な伸縮素材で作られた、不気味なワンピース型の衣服。
表面には、白いピンポン玉のような丸いセンサーが、まるで奇病のイボのようにびっしりと縫い付けられている。
「ご冗談を、ルシフェル様! これが本日のあなたのお召し物……『モーションキャプチャースーツ』、通称モカピです!」
神崎プロデューサーは、白い歯をキラリと光らせてサムズアップした。
「これを着てスタジオのカメラ群の前に立つことで、あなたの動きがミリ単位で3Dのイケメンアバターに反映されるんですよ! さあ、本番まで時間がありません。フィッティングをお願いします!」
「ふ、フィッティングって……」
俺は震える手で、その黒い布の塊を受け取った。
ずっしりと重い。
そして、どう見てもサイズが小さい。細い。
「あの……神崎さん。これ、サイズ間違ってませんか? なんか、陸上選手とか体操選手が着るような細さなんですけど……」
「伸縮性抜群の特注素材ですから大丈夫ですよ! センサーの位置がズレないように、体に『完全に密着』させる必要があるんです。隙間があると、アバターの関節が逆方向に曲がったりする放送事故になりますからね!」
関節が逆方向に曲がる。
そんなホラー映画みたいな事故は絶対に避けたい。
だが、それを避けるための代償が、この『完全密着』である。
「……わかりました。着替えてきます」
俺は死刑台に向かう罪人のような足取りで、控室に併設された着替え用のパーテーションの裏へと回った。
ヨレヨレのパーカーとジーンズを脱ぎ、下着姿になる。
そして、覚悟を決めて、黒いタイツの足首部分に足を通した。
「き、キツい……ッ!」
なんだこの異常な締め付けは。
まるで大蛇に丸呑みされているような圧迫感だ。
足から太もも、そして腰へとスーツを引き上げていく。
「ぐっ……! 腹の、腹の肉が……ッ!」
三万円のゲーミングチェアに座り続け、限界みそラーメンと半額弁当で形成された、四十歳のたるんだ下腹部。
その無慈悲な『老いと怠惰の結晶』が、容赦ないタイツの圧力によって、ギュウウウッと一点に押し集められていく。
「ふんぬぅぅぅッ!!」
息を止め、腹を極限まで凹ませながら、背中のジッパーを気合で引き上げる。
『ジジジジッ……!』
悲鳴を上げるジッパーをなんとか首元まで上げきり、俺は荒い息を吐きながら、備え付けの姿見の前に立った。
「…………」
鏡の中にいたのは。
全身を黒い布でピチピチに締め上げられ、ぽっこりと出た下腹部を無残に晒し出した、巨大な黒いソーセージのような男だった。
「終わった……」
俺は、両手で顔を覆った。
これが、二百五十万もの自己負担金と引き換えに、インボイスという最強の魔王と契約してまで手に入れたかった『3D化』の現実なのか。
「港区の……一等地のキラキラしたビルの中で……俺は一体、何をしてるんだ……?」
あまりの情けなさに、目から熱いものが込み上げてくる。
だが、感傷に浸っている暇はない。
「ルシフェル様ー! お着替え、済みましたか? スタジオのカメラ調整が入りますので、お急ぎください!」
パーテーションの向こうから、神崎の陽気な声が飛んでくる。
「……はい、今、出ます……」
俺は腹の肉を少しでも誤魔化そうと、必死に息を吸い込んだまま、パーテーションからノロノロと這い出した。
「おおっ! 素晴らしい!」
俺の黒いソーセージ姿を見るなり、神崎はパチパチと拍手喝采を浴びせてきた。
「ピッタリじゃないですか! いやぁ、さすがルシフェル様、モカピを着こなしていらっしゃる! センサーの配置も完璧です!」
「……神崎さん、あんた、絶対に目が笑ってないですよ」
俺が恨みがましい目を向けると、周囲にいた若手スタッフたちが、必死に口元を押さえて肩を震わせているのが見えた。
笑っている。
完全に、港区のキラキラ社員たちに、田舎から出てきた四十歳の醜態を笑われている。
「くっ……! 笑いたきゃ笑え! 俺はインフルエンサーだ! 恥を金に換えて生きてんだよ!!」
俺はヤケクソになり、胸を張って(腹を引っ込めながら)スタジオへと続く廊下を闊歩した。
案内された『第1モーションキャプチャースタジオ』は、体育館のように広大だった。
壁という壁、天井という天井に、数十台もの赤外線カメラが設置されており、中央の空間を囲んでいる。
「すげえ……。これ、全部カメラかよ……」
「はい! このカメラ群が、ルシフェル様のスーツについている白いセンサーを空間座標として認識し、リアルタイムでアバターの骨格に流し込むんです。総額数億円のシステムですよ!」
神崎のドヤ顔に、俺は再び胃が痛くなった。
数億円。
そんな途方もない金額のシステムの中央に、黒いピチピチタイツのおっさんが一人でポツンと立たされるのだ。
「では、ルシフェル様! 空間のキャリブレーション(調整)を行いますので、スタジオの中央に立って、『Tの字』になってください!」
「Tの字?」
「はい! 両腕を水平に広げて、足を少し開くポーズです! モデリングの基本姿勢になります!」
俺は言われるがままに、スタジオの中央に引かれたバミリ(立ち位置の印)に立ち、両手を真横に広げた。
「そう! そのまま! 動かないでくださいね!」
オペレーターの指示が飛ぶ。
広大なスタジオの中央で、ぽっこりお腹の黒タイツ男が、十字架に磔にされたように両手を広げて静止している。
これ以上の羞恥プレイが、この世に存在するだろうか。
『ピーッ!』
「はい、オッケーです! 次は各関節の可動域をチェックします! ラジオ体操のように、腕を回したり、屈伸したりしてみてください!」
「く、屈伸……っ」
俺は、先日帯広のアパートで響かせた『パキィッ!』という嫌な音を思い出しながら、おそるおそる膝を曲げた。
「いいですよ! 次はジャンプ! その場で軽く跳ねてください!」
「は、はいっ!」
ドスッ! ドスッ!
四十歳の重たい体が、港区のスタジオの床を揺らす。
全身タイツのせいで、ジャンプするたびに腹の肉がタプン、タプンと揺れるのが自分でもわかる。
死にたい。
今すぐ帯広の四畳半に帰って、布団を被って泣きたい。
「……俺は、何のために……。そうだ、アリスちゃんだ。アリスちゃんと一緒に、3Dのステージで……」
俺が必死に自分を正当化し、心を保とうとしていた、その時だった。
「あーっ! 本当にルシフェル和尚が黒タイツ着てジャンプしてるーっ!」
スタジオの入り口の重厚な防音扉が開き。
そこから、この世の全てを明るく照らすような、透き通った少女の声が響き渡った。
「…………え?」
俺がピタリとジャンプを止め、扉の方に振り向く。
そこに立っていたのは。
ダボッとしたオーバーサイズのパーカーに、ショートパンツ。
頭には深々とキャップを被り、顔の半分は大きな黒マスクで隠しているものの。
その瞳の輝きと、隠しきれない圧倒的な『華』は、間違いなく彼女のものであった。
「アリス、ちゃん……?」
「お疲れ様です、和尚!」
彼女はマスクを少しだけズラし、俺のチャンネルで見慣れた、あの小悪魔のような……いや、文字通り『トップアイドル』の笑顔をニカッと浮かべた。
「ふふっ……あははははっ! やばい、実物の和尚の黒タイツ姿、想像以上に破壊力高すぎ! お腹出てるし! あははははっ!!」
星乃宮アリス(の中の人)が、腹を抱えて大爆笑している。
俺の人生最大の羞恥プレイは、まだカメラの回っていないリハーサルの段階で、俺が一番格好をつけたかった相手に、最悪の形(物理)で晒されてしまったのである。
「……神崎さん。俺、やっぱり帰っていいですか?」
「ダメに決まってるでしょう! さあ、コラボ本番まであと二時間ですよ!!」
俺の情けない懇願は、港区の冷徹なプロデューサーの笑顔によって、無残にも切り捨てられるのであった。
コメント
1件
第65話、めちゃくちゃ笑いました😂 黒タイツでぽっこりお腹を晒すルシフェルさんの姿が目に浮かんで、電車の中で吹き出しそうになりました。でも一番グッときたのは、そんな最高に情けない姿をアリスちゃん(の中の人)に見られちゃうところ…! 一番格好つけたい相手に一番ダサい姿を見せる、この切なさと笑いのバランスが絶妙です。インボイス魔王と契約してまで手に入れた3Dの現実…帯広に帰って布団にくるまりたくなりますね。次話も楽しみにしてます!