テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
文化祭が終わって、一週間ほどが過ぎたある朝。教室はすっかり日常を取り戻していたけれど、ホワイトボードの上に残された文化祭の準備をしている様子の写真と、本番で笑顔を見せるクラスメイトの写真が、あの特別な時間を静かに思い出させてくれる。
いつものように席に着いて、ペンケースを開けたとき。見慣れた筆跡の小さな付箋が目に留まった。
【葉月、ドジするなよ。今日もファイトだ。ずっと応援してる 氷室】
それを読んだ瞬間、胸の奥がじんわりとあたたかくなる。たったひと言なのに、それだけで少し背中が軽くなった気がした。
昼休み、今日も俺のクラスで氷室と並んで弁当を食べていたら、林田がニヤニヤしながら近づいてきた。
「奏、最近さ、なんか雰囲気が変わったよな」
「えっ、なんで?」
「顔、ちょっと照れてるっていうか……なんかしあわせそうっていうかさ」
その言葉にドキッとしてしまい、ごまかそうとしてお茶を飲んだのに、タイミング悪くむせてしまう。林田は笑いながら、背中を軽く叩いてきた。
「おいおい、大丈夫か?」
「だ、大丈夫……。でも、しあわせそうっていうのは、あながち間違ってないかも」
口元を拭きながら、氷室に視線を送る。彼は驚いたように目を見開き、それから慌てて横を向いた。その耳が赤く染まっているのがちらりと見えて、思わず笑みがこぼれた。
放課後。生徒会の会議がある氷室を待ちながら、校庭のベンチでスマホをいじっていた。空がだんだん金色に染まって、街路樹のイチョウが夕陽に透けて揺れている。秋が深まるたびに、俺たちの時間も新しく色づいていく気がした。
「氷室、まだかな……」
小さくぼやいた瞬間、隣にすっと誰かが座る気配がした。
「うわっ、びっくりした!」
「待たせたな。遅くなってすまない」
「い、いや、全然大丈夫……」
不意に距離が近づいたことに、心臓が跳ね上がる。顔が熱くなるのを感じて、慌てて俯いた。
「葉月、あのさ……映画、見に行かないか?」
「え、映画?」
「来週の日曜。もし予定が空いてたら、一緒にどうかと思って」
その声はどこか緊張をはらんでいたけれど、でも優しかった。秋風がふたりの間をくすぐるように、ふんわりと吹き抜ける。
「映画か……いいね。それってつまり、“ふたりだけの約束”ってやつ?」
小さく笑って言うと、氷室も少し照れながら頷いた。
「ああ。約束だ」
沈黙のまま並んで座る。その静けささえも心地よかった。夕焼けに包まれているふたりの時間が、世界でいちばん優しいもののように思えた。
——そして翌朝。スクールバッグのポケットに手を入れると、昨日のとは別の付箋が入っていた。
「まったく……氷室ってば、いつの間に仕込んでくるんだか」
ニヤけながら広げてみると、そこにはまた氷室らしい一言が書かれていた。
【葉月、来週の日曜 9時半 駅前集合。楽しみにしてる 氷室】
その筆跡からも、氷室の静かな期待が伝わってくる。まるで綺麗な紅葉の葉を一枚ずつ拾い集めるように、彼との約束が少しずつ積み重なっていくみたいに感じて、胸の奥がじわっとあたたかくなった。
どこにもない“ふたりだけの景色”が、少しずつ日常の中に紡がれていく。その輝きのひとつひとつを、大切に拾い集めていきたい。この想いの先に、きっと——“明日”が待っているから。