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明太子に食われる鈴木
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にて日
僕は今日、初めて煙草を吸う。
この令和の時代、禁煙が推奨されている時代だというのはわかっている。が、なぜそこまで煙草がだめなのか、と。
……ちなみに、こういったあたかも立派そうな建前があるが理由はもう一つ。単に背伸びをしたいだけである。不純極まりないのはわかるが。
初めて買った煙草は紙煙草。買う際に50代半ば位の店員さんに「お兄さんほんとに20歳過ぎてる?」と言われたことを除けば満足の行く買い物だった。勿論ライターも忘れずに購入してある。
灰皿代わりとなる大きく欠けてしまって破棄しようと思っていた小皿にありがとうの念を込めて手を合わせて、煙草を取り出した。口に咥え、ライターで火を付ける。ジジ、と音がして着火した。煙草特有の独特な匂いがつんと鼻を突く。す、と煙を吸った瞬間──……
「っ、げほっ、げほっ……!!」
思い切り噎せた。当たり前だ。
生まれてこの方、ずっと煙草は吸ってこなかった。あのバブル期ですら吸わなかった。「煙草を吸う暇があったら働く!!」が座右の銘だった時代に嗜好品に手を出そうという考え自体が無かったのだ。
肺は健康そのもの。お陰様で煙草を吸おうと思っても肺は煙を受け付けない。Q.E.D.証明終了。
……いや、そんな茶番は今は良くて。
僕は一本の煙草を手に持ち、じっと見ていた。先程あんなに苦しかったものをもう一度吸う勇気は無い。だが、紙煙草の箱の中には、今吸っている物もあるが残り19本。こんなに吸える訳もない上に外で焼くのも匂いが気になる。家の中で燃やすわけにもいかない。
誰かにあげようか、と思っていたときの事だった。
「何をしている、日本」
「あ、日帝さん」
扉を開けて着流し姿の日帝さんが居間に入ってきた。そして僕の持っている煙草と灰皿代わりの欠けた皿、ライターと紙煙草が机の上に置かれている。更に僕の額に滲む冷や汗を見て全部察したらしかった。
「……なぜ煙草なんだ」
「なんで政府が喫煙対策するのかなって不思議に思ったので、身を持って喫煙の危険性を確かめようかと」
「アホか」
日帝さんは僕の頭をスコンと叩いた。痛い。そしてあっという間に僕の手から煙草を奪い去ってしまった。
「証明されていることをわざわざ自分の身で試そうとするな。お前、さっきの理論で行くと「なんで薬物って対策されてるのかな」って思って薬物にまで手を出しかねんだろう」
「なっ……!?さすがにそこまで行きませんよ!?」
「いいや行くな。俺は行く方に賭ける」
「人間の行動で賭博しないでください日帝さん」
僕が溜息をついたところで日帝さんは珍しくくすりと笑った。目元が細くなっている。久しぶりに笑った顔を見た気がした。常に仏頂面のお陰で、気を抜いていれば真顔以外の表情を忘れてしまいそうなのだ。流石に言い過ぎだが。
「それにしても煙草を吸うならもっと上手く吸え。まだ肺にすら入っていないだろう、ただふかしているだけだ」
「じゃあどうやって吸うんですか」
「……俺はもう煙草は辞めたんだがな」
日帝さんは煙草を片手に、すぅ、と吸った。僕のぎこちない吸い方よりも様になっていて、とてつもなく優雅だった。着流しの袖を抑えながら、煙管でも吸っているのかと錯覚するくらいに流麗な仕草だった。ふぅ、という呼吸音とともに吐き出される白煙もゆらりと空気中を揺蕩い、そして溶けて消えていった。思わず僕は口を半開きにしてそれを見ていたくらいだ。
日帝さんが軍人だった時代。丁度この人が全盛期だった頃のこと。彼は、よく煙草を吸っていた。陸の上で、船の上で、様々な人と語らいながら吸っていた。その背中は頼もしかった。ぴんと伸びていて、自信に溢れていて。
けれど、戦争に負けたあの日から、彼は煙草を手に取らなくなった。
「……何をそんなマジマジと見ている」
「いや……あの……綺麗だなと……」
「そんな感情で見るな気色悪い」
じっと見つめていたのがバレてしまった。当の日帝さんはというとあー、怖い怖い、とわざとらしく二の腕のあたりをさすっていた。が、すぐにふっと口元を緩めて紙煙草のパッケージをひょいとつまみ上げた。
「これは没収。俺が全部使う」
「えーっ!教えてくれないんですか、吸い方!」
「教えるわけ無いだろう、わざわざ肺を汚してまで吸う物でもないと思う人間だしな。それに──……」
日帝さんはそこで一度言葉を切って、僕の頭にぽんと手を置いた。わさわさと頭を撫でられる。慈愛に満ちた手つき。
「……無理をして吸う物じゃない。自分に合わないのなら無理してやらなくて良い。これは嗜好品だ。合わないなら合わないと素直に言ってすぐ辞めなさい」
日帝さんは、笑っていた。まるで、愛しい家族でも見るような目で。
「たっだいまー……て、え!?日帝さんって煙草吸ってたっけ!?」
令和を背負う時代の化身、にゃぽん。彼が帰ってくると同時、家の中に漂う煙草の匂いにびっくりしたように目を見開いた。猫耳がピンと立って、煙草を手に持って灰を落としている日帝さんに視線を向ける。どこか訝しげな表情も滲んでいた。
「おかえりにゃぽん……いいや、吸わない主義だ。昔は吸っていたがな」
「昔って言ってももう80年以上前でしょ日帝さん……でも、なんで今更?」
「あー……まぁ、話すのは面倒くさいんだが……」
日帝さんは僕を見て、口角を吊り上げた。あの笑顔は何度も見たことがある。
「日本が俺に吸えと勧めてきた。「僕も吸うので日帝さんもどうですか」って」
「ちょっ……お兄ちゃん!?日帝さん煙草辞めてたでしょ!?なんで今更勧めるのさ〜!!」
「ちょっ、それは、違いますってにゃぽん……!あと日帝さんサラッと嘘つかないでください!!」
「どこが嘘なの!?日帝さん、現に吸ってるじゃんか!バカ!アホ!!」
ぽこぽこと背中を叩かれながらにゃぽんに叱られる僕の姿というのは中々滑稽だったと思う。でも、まぁ良いだろう。日帝さんは確信犯で笑っているし、煙草の処理に困っていた自分の問題も解決してくれた。それも結局最後は嘘を付かれ、にゃぽんにぽこぽこ叩かれる始末となってしまったわけだが、まぁ悪くはないだろう。
そんなとき、日帝さんがぽつりと零した。
「……懐かしい気持ちを思い出させてくれたのだ。日本に非は無いさ」
日帝さんはそう言って、また一口吸った。すぅ、と白煙が空気に溶けていく。にゃぽんはいつの間にか腕をおろしていて、僕も日帝さんの方を向いて固まってしまっていた。懐かしい気持ち。そうか。
「俺の弟も兄も吸っていた。……あの二人が死んでからというもの、俺は煙草を辞めた」
目を閉じて、ゆっくりと紡がれる言葉。日帝さんのお兄さん。弟さん。あの二人は、80年前に──……
「……なんか、すみません」
「何、謝るな。俺が吸うと言った事だ、お前に非は無い」
僕が申し訳なさから謝ると、日帝さんはくすくすと笑った。
その柔らかい笑顔の裏にある物を、僕らは知っている。
「悲しい事もある。苦しいこともある。あいつらの最期は未だに夢に出てきて、ふとした瞬間に思い出してしまう」
「それでも、……あいつらが遺した物は、苦しい思い出だけじゃない。こうして煙草を吸って語らった時も、俺にとって大切な思い出だからな。だから、苦しくはない」
だからお前は悪くない、と言われている気がした。
丁度、机の上の時計がぱちんと軽い音を立てた。普段使っている目覚まし時計は今はその役目を果たさず、正午を告げる鳩時計代わり。日帝さんはそれを合図に煙草を灰皿に押しつけて火を消した。その瞬間、一気に日常が戻ってくる感覚。
普段の、明るい光景だ。
「さて、そろそろ昼時だな。今日は俺が作る。何が良い、言ってみろ」
「じゃあチャーハンが良いなー!日帝さんのチャーハン食べたいー!」
「なら冷や飯の用意が要るな。にゃぽん、手伝ってくれるか」
「あいあいさー!」
二人がせかせかと台所へと向かっていく。きっともうじき、日帝さんが作る香ばしいチャーハンの匂いが漂ってくるのだろう。
けれど、僕は煙草の匂いに包まれたまま。
昔の日帝さんの姿が瞼裏に鮮明に写って、離れなかった。
Fin.
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