「氷の王太子」───
隣国の第一王子、イグニスを表す言葉は、それしかなかった。
冷徹、無慈悲、感情の欠落。
そんな彼と、同じく「冷徹な公爵令嬢」と呼ばれ
社交界では一輪の氷の花のように可愛げがないと揶揄されていた私
アデレードとの政略結婚が決まったとき
周囲が向けたのは、祝福ではなく凍死を待つ生贄を見るような同情の視線ばかりだった。
父の策略によって無理やり結ばされた、愛のない、氷のように冷え切った白い結婚。
感情を殺して生きてきた私なら、彼に拒絶されても傷つかずに済む。
そう自分に言い聞かせ、私は重いドレスに身を包んでその日を迎えた。
けれど、一年前の初夜。
豪奢な寝室の重い扉が閉まった直後、予期せぬ事態が起きた。
彼は私を抱きしめるどころか、その場に崩れ落ちるようにして膝をついたのだ。
「……あ、アデレード……」
震える声で見上げられ、私は心臓が止まるかと思った。
そこにあったのは、戦場を支配する冷徹な瞳などではない。
熱に浮かされ、今にも泣き出しそうなほどに潤んだ、あまりにも無防備な情愛の眼差し。
「まさか君と夫婦になれるなんて……。何年も、何年も前から、この日だけを夢見ていたんだ……っ」
彼は私の震える足先を、まるでガラス細工を扱うような手つきでそっと掬い上げた。
そして、その白い甲に、一本一本の指先に、熱く、切実な口づけを落としていく。
公爵邸の庭で見かける子犬のような、あるいは神に救いを求める狂信者のような……
そのあまりにも執着に満ちた熱量に、私の「冷徹」な日常は一瞬で音を立てて崩れ去った。
それから、一年。
季節が巡り、共に過ごす時間が積み重なっても、彼の「バグりきった距離感」は一向に治る気配がない。
どころか、日に日に重さを増している。
「おはよう、アデレード。今日も君は、朝露に濡れた薔薇より美しいな。……ああ、離したくない。このまま一生、誰の目も届かない場所に君を閉じ込めておけたらいいのに」
毎朝、目が覚めた瞬間に耳元をくすぐる、甘く低いバリトンボイス。
洗顔のときですら背後から抱きしめられ
朝食の席では当然のように隣に座らされ、絶えず指先を絡められる。
執務室へ向かうはずの彼が、玄関先で「充電が必要だ」と言い訳して私の髪の香りを吸い込み
手の甲から手首まで、吸い付くような深いキスを落とすのが日課だ。
……イグニス
世間ではあなたのことを、血も涙もない「氷の王太子」と呼んでいるのよ?






