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私の首筋に顔を埋めて、蕩けたような
甘い悦びに浸った顔をしているこの男が、同一人物だなんて誰が信じてくれるだろうか。
「好きだ、アデレード。妻になって欲しい。いや、もう妻なのか」
「もうっ、それ聞き飽きたわ!」
私の困惑と羞恥を置き去りにして。
旦那様の溺愛という名の狂気は、今日も今日とて天井知らずに加速し続けている。
結婚して一年経つのだ。
普通、新婚の熱というものは落ち着くものだと聞いていた。
けれど、私の夫──イグニスに限っては、その一般論は全く通用しなかった。
「……イグニス、もう朝食の時間は終わったわ。いい加減に離してくれない…?」
執務室へと向かうための馬車が玄関に到着しているというのに
彼は私の腰を抱いたまま、離れようとしない。
それどころか、私の肩に顎を乗せて、すり寄るように鼻先を押し当ててくる。
「あと五分……いや、あと十分だけこうさせてくれ。アデレード、君はなぜこんなにいい香りがするんだろう。このまま馬車に乗せて連れていきたい。会議の間も俺の膝に乗っていてくれたら、どれほど仕事が捗るか……」
「……っ、そんな破廉恥なこと、許されるはずがないでしょ!」
顔が火を噴くように熱くなる。
彼が口にする「距離感のバグった」提案は、冗談に聞こえないから恐ろしい。
氷の王太子と恐れられる彼は、人前では確かに冷徹そのものだ。
だが、私の視界に入るときだけ
その氷はドロドロに溶けて、信じられないほどに甘い蜜へと変わる。
食事の時だってそうだ。
向かい合って座るのがマナーだというのに
彼は「遠すぎる」と言って隣の席に椅子を引き寄せ
私の手を取っては食事の合間に指先にキスを落とす。
そして呼吸をするように紡がれる愛の言葉。
隙あらば抱き寄せられ、髪を撫でられ、毎晩蕩けるような熱を注がれる。
彼に愛されることは、確かに女としてこの上ない幸せなのだと思う。
けれど、私には心配なことがあった。
(イグニス……。侍従たちが、あんなに遠くで目を逸らして震えているのが見えないのかしら…)
王太子としての彼の威厳が、私の前でだけは跡形もなく消え去ってしまう。
部下たちに指示を出す時の冷酷なまでの鋭さはどこへ行ったのか。
私の前では、ただの「愛に飢えた大型犬」のようになってしまう夫を見て
私は今日も嬉しい反面、彼の社会的地位が心配でたまらなくなるのだった。