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下野国 益子城 益子勝高
「これは、どういうことだ……」
小山家からもたらされた情報に儂は冷や汗と指の震えが止まらない。しかし加藤上総介は沈痛な表情を浮かべながらも動揺は一切していなかった。
「やはりこうなりますか。殿、現実を見てください。弦次郎様は那須に通じて殿の命と益子の家督を狙っております。幸いにも小山家が情報を提供してくださいました。向こうに気づかれる前に弦次郎様を討つべきです」
「いや、まさか……これは本当なのだろうか。小山が益子を陥れるために撒いた虚報ではないのか。我らを仲違いさせるための策なのでは」
「この期に及んで何をおっしゃられるのです!小山が弦次郎様を嵌める理由がどこにあるのですか。疑心暗鬼に陥っている場合ではありません。このままでは手遅れになってしまいますぞ」
上総介の気迫に若干気圧されるが、彼の主張は尤もでもあったので弦次郎を討つ覚悟が固まってきた。もし小山家の情報が正しいのなら儂の命も危うい。最近の弦次郎の態度は度が過ぎているとは思っていたが、家督簒奪を企むほどだったのか。やはり小山との同盟が不満なのだろうか。
弟を手にかけるのは気が引けるが儂の命がかかっているのなら仕方ない。儂は弦次郎に話があると言って呼び出そうとしたが、弦次郎は急病になってしまって行くことができないと返事がきた。ここ最近は元気そうだったが。
「これは警戒されているかもしれませんぞ。やはりすぐに動くべきです」
上総介は弦次郎を討つべしと強く主張するが、次第に儂には上総介が弦次郎のことを邪魔に思っているからそう言っているのではないのかと見えてしまう。上総介は弦次郎を少々危険視し過ぎているような気がする。小山の情報を真に受けているからだろうか。
そうだ。思えば同盟を結んでいるとはいえ、小山が益子の内情を知っていることがおかしいではないか。やはり小山の策略か、話を盛ったか?彼らの話は疑ってみるべきだろう。となると弦次郎の事もあまり心配することではないかもしれん。
「落ち着け、それは考え過ぎだ。弦次郎も本当に病なのかもしれないだろう」
「何を悠長なことを。時間を与えたら逃げられるかもしれません」
「そう慌てるな。急げば事を仕損じるだけだ。朝になったら動けばよい」
なおも上総介は食い下がるが儂の意思が固いと見るや説得を諦めて引き下がった。何か言いたげな表情だったが儂はそれを無視して部屋に戻る。
やれやれ上総介も小山の情報に踊らされすぎだ。たしかに弦次郎は益子にとって悩みの種だが、下手に動けば家臣に糾弾されるのは儂の方だ。弦次郎を慕う者は少なくない。弦次郎を処して求心力を落としたくはないのだ。
一応朝には動くとは言ったが、どうするべきか。そうだな、もし弦次郎を殺したことによる反発が強ければ上総介の独断として処分するか。そうなれば儂に火の粉は降らなくなる。うむ、これは良い考えだ。
「申し上げます。屋敷はもぬけの殻でございます」
翌朝、弦次郎の暗殺を命じた家臣の報告で儂の頭は真っ白になる。暗殺は失敗した。おそらく奴は危険を察知して夜のうちに逃げたのだ。昨日、上総介が言っていたとおりになってしまった。
まずいまずいまずい。弦次郎は儂に命を狙われたと思っているに違いない。いや、狙ったのは事実だがそれを周囲に知らされれば儂の立場が一気に悪くなってしまう。
だが事態は儂の懸念すら吹き飛ばすほどに発展してしまっていた。
「一大事です!弦次郎様が殿の討伐を掲げて西明寺城にて挙兵。兵も続々と集まっております」
駆けこんできた兵士の報告に儂は腰の力が抜けてしまい立ち上がることができない。
「ば、馬鹿な……弦次郎の家督簒奪の話は本当だったのか」
「だからあれほど申したのではありませんか。ああ、小山家の情報を信じてすぐに弦次郎様を討てていれば……」
上総介は頭を抱えて大きな溜息をつく。ああ、儂の判断が甘かった。上総介の言うとおり、小山の情報を素直に信じてすぐに弦次郎を討つべきだった。小山を侮り、上総介の意見に耳を傾けなかった儂の失態だ。
「上総介、これからどうすればいい?」
「すぐに弦次郎様討伐の兵を集めましょう。それと、小山家にも土地の割譲を条件に頭を下げて援軍を乞うべきかと……」
「土地の割譲は避けられぬのか?」
「同盟を結んでいるとはいえ、情報提供を受けたにもかかわらず謀反を許したのは我々の失態です。その尻拭いを無条件でやらせるのは都合が良すぎます。ある程度の喪失は覚悟なさってください」
領地を削られるのは痛いが背に腹は代えられぬ。儂は上総介に支えられながらもなんとか立ち上がり、弦次郎討伐と小山への救援要請を呼びかける。西明寺城は堅牢な山城だが大規模ゆえ弦次郎が集めた兵程度では満足に守備することはできないだろう。那須の動きも気になるがすぐに兵を集めて西明寺城を落とせば問題は解決するはず。そう思っていた。
「集まったのはこれだけだと?」
儂は招集に応じた兵の数に愕然とする。益子城に集まった兵は雑兵を含めて三〇〇程度しかいなかった。本来ならば最大でこの十倍近くはいるはず。なのに今いる兵が五〇〇すら満たないとは想像すらしていなかった。
「どうやら家中の多くが弦次郎様側についたとのこと。その数、およそ九〇〇」
伝令の報告に上総介すら言葉を失う。まさか弦次郎側に我らの三倍の兵力が揃うとは。
「九〇〇だと……」
「殿、これでは西明寺城を攻めるどころではございません。ここは西明寺城を攻めるのではなく、小山家の援軍が到着するまで益子城を死守すべきです」
上総介はそう進言するが悪夢はまだ終わらない。別の伝令が儂らのもとに駆けてくるとこう告げた。
「申し上げます。弦次郎様率いる軍勢が益子城を目指して進軍中。また石並城主佐藤備中守様が弦次郎様側に寝返りました」
「備中守が寝返っただと!?石並城は益子城防衛の要ではないか!?」
益子城の南に位置する石並城はかつて旧益子城の出城的役割を果たしていた城で益子城が今の場所に移ったあとも益子城の南を守る重要拠点だった。その石並城が弦次郎についたとなれば奴の軍勢は何の妨害もなく益子城に到達してしまう。石並城の兵が加わるとなると三倍以上の戦力差になる。益子城は丘城ではあるが三〇〇の兵では到底守れる気がしない。
「上総介、やはり防衛は無理だ」
「いえ、援軍がくるまで耐えるのです。ここで逃げ出せば敵の勢いは止まりません。そうなれば援軍を得ても形勢をひっくり返すのが難しくなります」
「だがここより祖母井城や八木岡城の方が安全ではないか?」
「たしかに祖母井城の七郎様ならお味方になってくれるでしょう。しかし距離が離れているだけでなく、道中の赤埴城や矢嶋城が我々の味方であるのか不明な状態で祖母井城に移動するのは危険です。それに八木岡城は芳賀家に近いですがあまりにも後方過ぎます。得策ではありません」
「そうか。ならば妻子だけでも八木岡城に逃がすことにしよう」
ここまで逃げ道を塞がれれば嫌でも腹を括る覚悟ができた。上総介の言葉に耳を傾けずに小山家の勢力下に逃げ出すこともできたかもしれないが、それは身分を捨てて三郎太に泣きつくのも同義だった。それだけは儂の意地として断じてできないことだ。
妻子を城から逃がしてからしばらくすると弦次郎の軍勢が城下に迫ってくる。伝令の報告どおり九〇〇は下らないだろう。それに比べて儂に従うのは上総介をはじめとする三〇〇あまり。ただ僅かに減っている。逃げたか。有力な家臣のほとんどは敵についてしまった。小山の援軍もすぐには到着しないはず。下手すれば落城するかもしれないほどの兵力差につい笑ってしまいそうだ。
城を包囲した弦次郎の軍勢から使者が訪れる。素直に投降すれば命だけは助けてやるという。城兵のことを考えれば降伏するのがある意味賢い選択なのだろう。だがこちらにも意地があるのだ。
「帰って弦次郎に伝えよ。那須の犬どもが二度と益子の名を名乗るな、とな」
顔を赤く染めた使いが城から出ていけば城兵から喝采が飛び交う。儂は城兵たちの前に姿を見せると太刀を抜き、天に掲げて叫ぶ。
「者ども、武器を構えろ!あの傲慢な簒奪者どもを返り討ちしてやろうではないか!」