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|新藤《しんどう》|鈴々《りり》先生 著
二人の甘い夜は続かない――
「あの夜は俺の勘違いだった」
俺はお前を傷つけるとわかっていても、そう言うしかなかったんだ。
俺達の関係が社内に広まりかけ、その噂を消すため、俺はモブ子と付き合った。
モブ子は俺を一途に愛してくれる。
だが、俺は|葵葉《あおば》を愛している!
「|貴瀬《きせ》部長……っ!」
「俺を追うな」
――Delete。
おいおいおいおいっ?
Deleteキーを叩かれそうになって、たくましい腕をがしっとつかんだ。
このままでは、私の大事な『俺を激しく愛してくれよ!』が消されてしまうっ!
私の名作がぁー!
「や、やめてください! まだ書いている途中なんですよ!? 鬼ですか? 鬼でしょう(確定)!」
「鬼はお前だ! なんだ、これは!? あきらかに俺と晴葵だろ?」
「気のせいです」
すいっーと目を逸らした。
「新織。俺の目を見て答えろ」
甘い声で『鈴子』予備をすっかり忘れている一野瀬部長。
マジで怒ってる!
大きな手で、アゴではなく、頭をガシッとつかまれた。
「ひ、ひえっ!?」
トマトみたいに潰されたらどうしよう。
そんな不安から、一野瀬部長の目を見た。
「おい、このモブ子ってなんだ? まさか自分のことか?」
「まあ。そうです。名前はまだない」
「なにが名前はまだない、だ!」
一野瀬部長は私の部屋にいた。
そして、私は正座させられてる。
なぜ、こんなことに?
――過去を振り返ってみよう。
私は仕事が終わり、いつものように我が根城へ帰ってきた。
夕飯を食べてから、『俺を激しく愛してくれよ!』の続きを書いて、本日の投稿をしようと目論んだ。
なぜなら、一野瀬部長は私になにも言ってこなかった。
だから、まだバレてないと安心していた。
気づいていたら、『すぐに消せ』と言うはずだからね。
意気揚々と『続きを書こう! 超エロいやつ!』――そう思ったワケですよ。
そして、パソコンのスイッチをオンにした。
夕飯も手早く済ませることができるよう肉屋で買ったコロッケととんかつ。
健康を考えてのキャベツ千切り(市販品)。
そこまでは平和だった。
突然、部屋に鳴り響くインターホン。
それは、まるでホラー映画のようで、激怒した一野瀬部長が、有無を言わさず乱入してきた。
その時、私の平和は終わったのだ。
――で、正座させられ、現在に至る。
「今日、社長と食事じゃなかったんですか!?」
「キャンセルだ」
「昇進はどうしましたか?」
「そんなものクソくらえだ。給料さえ下がらなければ、別に俺はどうでもいい。むしろ、ゲームの時間ができてラッキーなくらいだ」
社長の椅子を狙っているというのはただの噂……
この人の本質はただのゲームオタク。
ゲームの時間(目的のためには)を確保するためには戦争だってやらかすタイプと見た。
もしや、本社に戻ってきた時の大改革は、自分の趣味の時間を確保するため、無能な重役たちを追い払ったとか?
あながち、その可能性を否定できなかった。
朝だって、遅い出勤のほうが、ゴールデンタイムを心置きなく楽しめるし。
ああ……一番タチの悪いタイプのオタクだよ……
「さて、一方的に責める気はない。言い訳を聞こうか」
私が愛用するデスクチェアに、王様のようにふんぞり返る一野瀬部長。
そんな部長に一言。
「毎日、ごちそうさまです」
「なにが、ごちそうさまだ! お前のごちそうになった覚えはない!」
「本人たちにごちそうの自覚は必要ありません。必要なのは私たちの腐り切った眼力なんですよ!」
「堂々と言うことか!」
本気でにらんできた。
や、やばい。
明日のニュースに『腐女子、BLネタにした上司から恨まれ殺害される!』なんて報道されたら、死んでも死にきれない。
そんな死に方だけはしたくない!
親が泣くし、親戚から他人のフリをされてしまう!
こっちが犯罪者じゃないのにね!?
「ま、待ってください! 怒らないでくださいよ? ちょっと冷静になりましょうか」
思わず、身を守るためにフライパンと鍋ぶたを手に武装してしまった。
ここは私のホーム!
負けてなるものか。
武器のありかは私がすべて把握している。
くるならこい!
「怒ってないから、フライパンを置けよ」
「騙されませんよ。すっごく目が凶悪ですからね? どこのマフィアですか? 南米? メキシコ?」
「誰が南米マフィアだ!」
「どんな私でも受け止めてくれるって言ったくせにっ!」
「別に趣味についてとやかく言うつもりはない」
あれ?
フライパンを下げた。
どうやら、向こうに敵意はないようだとわかった。
ツキノワグマと素手で戦わなくちゃいけないのかと思うくらいの緊張感だったよ。
「まさか、この小説を書くために俺を利用したのか?」
そっちですか!?
普通、小説のネタにされたことに怒ると思うんだけど。
オタクだけに趣味には寛容なようだ。
「違います」
「本当だな?」
「例えネタにしても、男性として好きじゃない相手と付き合ったりしません!」
「それならいい」
よかった。
とりあえず、落ち着いてくれたようだった。
気分はサーカスの猛獣使いだ。
ここはひとつ、定番のアレだ。
「お茶でも飲みます?」
「ああ」
お茶にはリラックス効果がある。
一野瀬部長の荒れた心を落ち着かせなくては(誰のせいだよ)。
お湯を沸かしている間、一野瀬部長の様子をうかがうと、死んだ魚のような目をしていた。
ま、まあ、ひと部屋ぶんはあるBL小説とマンガ。
ちょっと引くわよね。
それでも、否定せずに受け入れてくれるようだった。
「よくもまあ、こんなに集めたもんだな」
「読みたいのがあれば、貸しますよ?」
「いや、いい……」
さすがに読むまでには至らなかったようだ。
身を守るため、手にしていたフライパンでお湯を沸かして、ポットに入れる。
「ポットはどうした!?」
「ありますよ。でも、フライパンって熱伝導が早いので、すぐにお湯が沸くんですよね」
「そうか……」
額に手をあてていた。
気のせいでなければ、さっきから一野瀬部長の中にある『新織鈴子』のイメージをぶち壊しているようだった。
「あの……。私のこと、嫌いになりました?」
緑茶を出すと一野瀬部長は笑った。
「驚いたが、嫌いにはならない」
「一野瀬部長……」
なんて素敵な人だろう。
きっと私の人生で、ここまで私の趣味を受け入れてくれるような人は今後現れない。
「価値観を共有できる女は、なかなかいないからな」
あっ……そっち?
どうやら、私と同じことを考えていたようだ。
「そうですね。趣味がなくなると死んでしまいます」
「まったくだ」
価値観の完全なる一致。
ここにジャンルは違えど、オタク同士の同盟は成立した。
お互いの目を見てうなずいた。
「けど、俺と晴葵の話は消せよ」
「えー! 名作なのにー!」
「なにが名作だ!」
「わかりました……」
消す気はサラサラないけど、しおらしく返事だけしておいた。
とりあえず、私の作品から気をそらさねばならない。
「私の作品よりも、常務と遠又課長どうするんですか? 一野瀬部長を左遷させようとしていますよ?」
社長令嬢との結婚を断ると、社長の椅子は消える。
いち社員としては、常務が社長になって昔の体制に戻るのはごめんだ。
「仕事のことは心配しなくていい。むしろ、俺は人事異動によって、ログイン時間が減るんじゃないかと、それだけが気がかりだ」
「え? 人事異動?」
「今、常務と遠又を生かさず殺さず、どう扱うか考えている」
なにこの人、もしかして一番の悪人じゃないですか?
「そ、そうですか。自信満タンですね」
「俺が負けるわけないだろ?」
本性見たり――!
なんなの。
この不遜な態度に俺様仕様。
「力でねじふせてやる」
力ってなんの力?
ゲーマーの力……?
今、あきらかに不利なのは自分のほうなのに、その目はキラキラしていた。
一野瀬部長は私が思っているより、とてつもなく厄介な男なのかもしれない――