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階段で唇を切ったまま、涼ちゃんはゆっくり立ち上がった。胸の奥がずっとざわざわして、痛い方の口元を押さえながら楽屋へ向かう。
扉を閉めると、誰もいない静けさが急に落ちてきて、
涼ちゃんは無言で自分の荷物をまとめ始めた。
楽譜、ペン、イヤホン。
全部、慣れた手つきでバッグに放り込んでいく。
鏡を見ると、唇の端に薄く血がついたまま。
拭いても少しにじむだけで止まらない。
「……帰ろ。」
ぽつりと呟いて立ち上がろうとした時――
楽屋の扉が開いた。
「涼ちゃん?」
若井が顔をのぞかせて、すぐに眉を寄せた。
「ちょっと待って、口から血でてるよ?」
涼ちゃんは一瞬だけ目を合わせたが、すぐそらした。
「大丈夫。」
その声には温度がなくて、
いつもの涼ちゃんらしい柔らかさがどこにもなかった。
若井はさらに近づこうとする。
「いや大丈夫じゃないだろ…何があった?」
しかし――
「ほんとに大丈夫だから。」
涼ちゃんはそのままバッグを肩にかけ、若井の横を通り抜けた。
呼び止める声も聞こえなかったみたいに、ただ静かにスタジオを出ていった。
若井は呆然とその背中を見送るしかできなかった。