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そんな風にしてクラリーチェの出立をナディエルとともに書斎の窓越しに見送ったリリアンナは、残された言葉――「復習を続けてくださいませ」――を胸に、律儀に席へ戻った。
けれど、いざ羽ペンを手にすると、思うように手が進まなかった。
インク壺にペン先を浸し、試しに一文字、二文字と書いてみる。けれど納得がいかず、書きつけたばかりの文字にさっと線を引いて脇へ置く。
インクの乾きを早めるために|砂《パウンス》を振りかけた紙が、すでに何枚も積み重なっていた。
砂を払えばすぐさま使えるわけでもなく、書き直すたびに紙だけが増えていく。
(こんなはずじゃ……)
クラリーチェの言いつけ通り、しっかり復習するつもりだったのに。
リリアンナはそっと羽ペンを置き、深く息を吐いた。
そんな彼女の様子を、刺繍をしながら静かに見守っていたナディエルだったけれど、ついに我慢出来なくなって口を開いた。
「リリアンナ様……少し休憩をして、リフレッシュなどされてはいかがでしょうか?」
その声にリリアンナがぴくりと肩を跳ねさせて、顔を上げる。
「休憩……?」
「ええ。……お茶でもお淹れしましょうか?」
ナディエルはいつも通り、柔らかな声音で提案した。
だが次の瞬間、リリアンナの瞳がぱっと輝くのをみて内心(しまった)と思う。
案の定、
「それなら――ちょっとだけ、馬を見に行ってもいい!?」
キラキラ輝く瞳でそう問い掛けられたナディエルは、お茶の用意をしようとティーセットへ伸ばし掛けていた手を止めた。
「……えっ?」
「少しだけでいいの。カイルがいないなら、残された馬たちが寂しがっているかもしれないし、もしかしたら……ブランシュや赤ちゃんもソワソワしているかもしれないもの!」
言うが早いか、リリアンナはナディエルの返事も聞かず、もう椅子を離れ、書斎の扉へと歩き出していた。
「ちょ、お待ちください。リリアンナお嬢様! 外は寒いので外套を羽織られてからでないとっ!」
(これは……お茶どころじゃなくなりましたわ……!)
そう思いながらも、ナディエルはリリアンナが風邪をひかないよう上着を着せ掛けることでいっぱいいっぱいになっていた。
ナディエルは慌てて立ち上がると、手にしていた刺繍枠を椅子に置いていそいそとリリアンナを追いかける。
「お待ちください、リリアンナ様っ。私も一緒に! ……って、急ぎすぎです!」
リリアンナはすでに扉の前まで来ており、嬉しそうにくるりと振り返る。
「大丈夫よ、ナディ。ちょっと見に行くだけだから!」
その笑顔を前にしては、もう止めることなどできない。
ナディエルは困ったように小さくため息をついた。
「……ですから! リリアンナ様、お願いですから上着を!」
そうしてふたりは、自室へ戻って上着を羽織るなりやわらかな陽射しの降り注ぐ庭を抜けて、厩舎へと向かっていった。
どこか浮き足立つリリアンナの足取りに、ナディエルは眉根を寄せずにはいられない。
先程クラリーチェから〝教えたことをしっかり復習するように〟と言われたばかりなのに、野ウサギのように雪の中をぴょんぴょんと飛び跳ねるように駆けるリリアンナからは、令嬢らしい振る舞いが抜け落ちているように思えた。
それに……。
何だか屋敷の中がいつもと様子が違うように感じられたのも気になっている。
(何かあったんじゃないかしら)
扉を開けて外を飛び出すリリアンナとナディエルに、いつもなら声を掛けてくるはずのセドリックがいなかったことも気になっていた――。
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