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「……セドリック様。実はレオナルドが――弟が……落馬で大怪我をしたそうなんです。なるべく早く王都へ戻ってくるよう父から要請がありました。旦那様は……ランディリック侯爵様はどちらにいらっしゃるかご存知ですか?」
掠れた声で、だが毅然と告げるクラリーチェに、セドリックは一瞬だけ驚きを見せたが、すぐに深く頷いた。
「――緊急事態だと判断いたします。すぐに準備をなさって、ご出立くださいませ」
落ち着いた声音には、長年仕えてきた者ならではの確かな重みがあった。
「ですが……本来ならランディリック様にお伺いを立ててからでなければ……」
クラリーチェの言葉を、セドリックが静かに遮る。
「旦那様は今、緊急会議の真っ最中でございます。ですので、旦那様へのご報告は、このセドリックが責任をもってお伝えいたします。――どうかご心配なく」
汽車は一日に何本も走っていない。きっと今から支度をして出れば、今日の最終便に飛び乗れるが、モタモタしていたら日をまたいでしまう。
それを鑑みてのことだろうセドリックの確言に、クラリーチェの胸の奥に重くのしかかっていたものが、少しだけ軽くなる。
「……感謝いたします、セドリック様。では、馬車の手配をお願いできますか?」
「畏まりました。すぐに準備いたしましょう」
「ありがとう……」
クラリーチェはほんの一瞬、胸に手を当てて小さく息をつくと、泰然とした表情を取り戻し、再び書斎へと戻っていった。
***
クラリーチェが書斎に入ると、机に向かっていたリリアンナが不安そうにクラリーチェを見つめてくる。
その瞳に余計な心配を抱かせまいと、クラリーチェは努めて穏やかな微笑を浮かべ、リリアンナのそばに歩み寄った。
「リリアンナ様……実は急で申し訳ないのですが、急ぎ、実家へ戻らねばならなくなりました」
「えっ……?」
リリアンナが驚きに目を瞬かせ、思わずペンを置く。
クラリーチェはそんなリリアンナの傍へそっと膝を折り、彼女と目の高さを合わせた。
「弟が怪我を負い、至急帰ってくるようにと知らせが届いたのです。ご迷惑をおかけしてしまい、本当に申し訳ありません」
リリアンナは小さな手を胸の前で握りしめ、声を震わせた。
「そんな……。弟君は……ご無事なのですか?」
「ええ。命に別状はないと記されておりました。ですが、人手が必要なのでしょう。父からの手紙には、出来る限り急いで帰って来て欲しいと書かれておりました」
そう言って、クラリーチェはリリアンナの手を優しく取る。
「なるべく早く戻ってまいります。わたくしが不在の間、これまでお教えしたことを思い出して、しっかり復習を続けてくださいませ。――よろしいですね?」
リリアンナは小さく唇を結び、こくんと頷いた。
「……はい。待っています」
「リリアンナ様は、本当にいい子ですね」
慈しむようにリリアンナの頭を撫でてから、クラリーチェは立ち上がった。
決然とした表情に戻しながらも、その瞳にはどこか不安気な色が滲んでいた。
***
クラリーチェが部屋を辞してからの書斎には、どこか心細い空気が漂っていた。
リリアンナは気もそぞろなまま窓際に寄り、庭の奥を見下ろす。
ほどなくして中庭に一台の馬車が引き出され、クラリーチェが取るものもとりあえずと言った様子で乗り込んでいく姿が見えた。
上からの角度では御者の顔までは見えなかったが、(あれはきっと、カイルだわ)とリリアンナは当然のように思った。
馬たちのことを熟知していて馬車の操縦も上手な彼なら、クラリーチェの送迎を任されるのは自然だろう――と。
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