テラーノベル
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南の島の完全プライベートヴィラで過ごす、ハネムーン最後の夜。
極上のヘアケアと全身の保湿メンテナンスで髪の毛一本に至るまで磨き上げられた私は、水上のダイニングテラスに用意されたキャンドルライトのテーブルに着いていた。
穏やかな夜の海面には無数のキャンドルの灯火が揺れ、潮風がプルメリアの甘い香りを運んでくる。
「さあ、ハネムーン最後の晩餐だ、琴音。明日の長時間フライトに備えて、今夜は君の胃粘膜と自律神経を完璧に保護するための特別フルコースを仕込んでおいた」
蒼さんが白いクロスのかかったテーブルに並べたのは、南国の新鮮な伊勢海老と白身魚からコラーゲンたっぷりの出汁を取った黄金色のブイヤベース、消化に優しい彩り温野菜のテリーヌ、そして柔らかくローストされた和牛フィレ肉のステーキだった。
もちろん、最後の夜も私が自分でナイフとフォークを持つことは許されない。
私のすぐ隣に椅子を引き寄せた蒼さんが、温めたスプーンでブイヤベースをすくい、私の唇へと運んでくれる。
「まずはスープからだ。魚介のゼラチン質とサフランが、胃の粘膜を優しくコーティングしてくれる。……ほら、あーん」
「……んっ。美味しい……っ! お魚と海老のお出汁がすごく濃厚なのに、喉を通るとすうっと優しくて、お腹の底から温まります」
「いい飲みっぷりだ。この一週間で、君の栄養吸収効率も基礎体温も、出会った頃とは比べものにならないほど理想的な数値に仕上がったからな」
一口ごとに私の頬や唇を愛おしそうに撫でながら、メインのフィレ肉から食後の特製マンゴームースまで丁寧に食べさせてくれた蒼さんは、食事を終えると、私の手を取ってヴィラの桟橋の先へとエスコートしてくれた。
◆
夜の桟橋の先端に立つと、そこには言葉を失うほど幻想的な光景が広がっていた。
打ち寄せる波頭に沿って、無数の夜光虫――発光プランクトンが淡いネオンブルーの光を放ち、まるで天の川の星屑がそのまま海へと溶け出したかのように、夜の浜辺を青く照らし出していたのだ。
「すごい……っ、海が青く光ってます……! まるで星の上を歩いているみたい……」
感動で瞳を輝かせる私を、蒼さんが背後からすっぽりと抱きしめた。
彼の顎が私の肩に乗せられ、私の左手首に巻かれた黒いスマートウォッチのすぐ横に、蒼さん自身の左手首に巻かれたお揃いの黒いスマートウォッチが重ねられる。
二つの文字盤には、ぴったりと同じリズムで脈打つ二つの心拍波形と、『心拍シンクロ率:九十九パーセント』の文字が静かに浮かび上がっていた。
「……覚えているか、琴音。数ヶ月前、本社ビルの廊下で高熱を隠して倒れかけた君を俺が抱き留め、半ば強引にこの時計を着けさせた夜のことを」
「はい、忘れるはずがありません。あの時の私は、点滴の跡をコンシーラーで隠して、マスカット味のゼリー飲料だけで命を繋いで……弱みを見せたら誰にも必要とされなくなるって、ずっと一人で震えていました」
私は自分の手首のスマートウォッチと、薬指に輝く結婚指輪をそっと撫でた。
「でも、蒼さんが私のポンコツな裏の顔を見破って、温かい参鶏湯のお雑炊を食べさせてくれました。夜中にポテチを食べてお仕置きされた夜も、時計を外して逃げようとした私を追いかけて抱きしめてくれた日も、そして蒼さんが高熱で倒れた時に私のおじやを食べてくれた夜も……その全部が、私の凍りついていた心を溶かしてくれたんです」
私は彼の腕の中で振り返り、夜光虫の青い光に照らされた彼の琥珀色の瞳を真っ直ぐに見上げた。
「蒼さん。私を見つけて、捕まえてくれてありがとうございます。あなたのこの甘い鎖に繋がれて、二十四時間管理される毎日が、私にとって世界で一番の幸せです」
私の言葉を聞いた蒼さんは、深く息を呑み、やがてこれまで見たこともないほど優しく、蕩けるような笑顔を浮かべた。
「……礼を言うのは俺の方だ、琴音。俺の重すぎる執着と過保護をすべて受け止め、俺の命の鼓動を隣で支えてくれるのは、世界中を探しても君しかいない」
蒼さんは私の左手首のスマートウォッチに恭しく口づけを落とすと、私の腰を強く抱き寄せて宣誓するように囁いた。
「東京へ戻っても、この甘い檻からは一生逃がさないぞ。十年後も、五十年後も、君の頭脳と美しさと、その可愛い胃袋のすべてを、俺の手料理と愛で二十四時間満たし続けると誓う」
星の海と夜光虫の光に包まれながら、私たちは長い、長い誓いのキスを交わした。
◆
――そして、ハネムーンから帰国した翌週の月曜日。
東京・丸の内の神崎ホールディングス本社最上階にある社長室には、再び凛としたビジネスの空気が流れていた。
「――以上をもちまして、仏リュミエール社および欧州新物流網との包括資本提携の最終承認が完了いたしました。本日の午後二時より、合同記者会見へと移ります」
「完璧な手際だ、神崎秘書室長。各部門への通達も一分の隙もないな」
巨大なマホガニーの執務机の真横に据えられた私の特設デスク。
ネイビーのスーツに身を包んだ私は『氷の敏腕秘書』としてテキパキとタブレットを操作し、隣の玉座に座る蒼さんは『冷徹無比なカリスマ社長』として、居並ぶ役員たちに的確な決裁を下していく。
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社内の誰もが、私たちを「一切の私情を挟まない、日本経済界最強のビジネスパートナー」として畏敬の眼差しで見つめていた。
――しかし。
柱時計の針が正午十二時を指し、役員たちが全員退室して社長室の扉に『カチャリ』と電子ロックがかかった、まさにその瞬間。
「……よし、午前の業務は終了だ。お疲れ様、琴音。今すぐこっちへ来い」
冷徹な魔王の仮面を秒速で脱ぎ捨てた蒼さんが、自分の膝の上をぽんぽんと叩いて手招きする。
「もう、蒼さん……! ハネムーンから帰ってきたばかりなのに、今日もお膝の上でお弁当なんですか?」
「当たり前だ。帰国後の時差と気圧変化で、君の胃腸が少しでも疲れていないか直接見極める必要がある。……ほら、今日の愛妻三段重は、君の大好きな鰆の西京焼きと、金目鯛の炊き込みご飯、それに疲労回復用の生姜と湯葉の吸い物だぞ」
観念して彼の膝の上へと腰を下ろすと、黒漆塗りの三段重から立ち昇る極上の一番出汁の香りに、私の口元が自然とほころぶ。
「……すごくいい匂いです。蒼さんの作るご飯は、やっぱり世界一ですね」
「いい子だ。もしまた夜中に隠れてプリンやスナック菓子に手を出したら、いつでもお仕置きしてやるから覚悟しておけよ。……さあ、口を開けろ。あーん」
「んっ……美味しいです、蒼さん……!」
一口食べて幸せそうに目を細める私の唇の端を、蒼さんが親指でそっと拭い、そのまま甘く深い口づけを落としてくる。
ふと視線を下げると、私の左手首のスマートウォッチと、私の腰を抱く彼の左手首のスマートウォッチが、重なり合うように『ブブッ!』と幸福な心拍数の上昇を知らせていた。
かつて孤独な部屋で一人震えていた氷の秘書は、もうどこにもいない。
冷徹社長の過剰な健康管理は、今日も、そしてこれからも一生涯――甘すぎるほどに私を、胃袋と心の奥底から愛で満たし続けていくのだった。
(『冷徹社長の過剰な健康管理が甘すぎます!~有能秘書は24時間、胃袋から愛を注がれる~』 完結)
コメント
1件
最後まで一気に読ませていただきました🌷 ハネムーン最終夜、夜光虫がきらめく桟橋での誓いのシーン、本当に美しかったです。蒼さんが「十年後も五十年後も」って言うところ、胸がぎゅっとなりました。お互いを見つけて捕まえたって言い合える関係、素敵すぎます。 そして帰国後も変わらずお膝の上であーん復活、もう完全に二人の日常になってるのが愛おしいです。凍っていた琴音さんがこんなに幸せそうで、読んでいてこちらまで温かくなりました。完結、お疲れさまでした🍀