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#心霊
#地下アイドル
#ブラックコメディー
#探偵
新宿の雑居ビルが立ち並ぶ路地裏。
地下へ続く狭い階段には、湿った空気と煙草の匂いが染みついていた。
壁には剥がれかけたライブの告知チラシが何枚も重なって貼られ、そのどれもが色褪せている。
コンクリートの壁を伝う水滴の音が、ひっそりと響いていた。
「みずきちゃん、そろそろだよ」
店長の声に、美月は小さな姿見の前で背筋を伸ばした。
鏡に映るのは、パステルピンクのフリルドレスにツインテールの「地底アイドル・みずき」。
昼間、都内の専門商社で伝票の束と格闘している二十四歳のOL・美月の面影は、厚いメイクとカラーコンタクトの奥にすっかり隠れている。
地下アイドルの中でも、さらに客の入らない環境で活動する者を「地底アイドル」と呼ぶ。
事務所もなく、衣装もメイクもすべて自分でまかなう完全セルフプロデュース。
美月が立っているこのライブハウス『Sound Cavern』も、その最果てのひとつだった。 ギャラどころか、出演料はいつも自腹だ。
それでも辞めないのには、美月なりの理由があった。
同じステージに立つ他のアイドルたちも、事情は似たようなものだった。
学生、フリーター、正社員。それぞれ本業を抱えながら、週末の夜だけ別の名前を名乗り、小さなステージに立つ。
誰に強制されたわけでもないのに、なぜかみんな辞められずにいる。
それはきっと、ここだけが「自分で選んだ自分」でいられる場所だからだ。
今日も一日、専門商社の事務フロアで伝票の数字とにらめっこをしていた。
上司に言われた通りに動き、誰かに強く意見をぶつけることもなく、目立たないように一日を終える。
そういう生活の中で、美月にとってこの薄暗い地下室だけが、自分の意志で立てる唯一の場所だった。
「はい、お願いします」
高めの声を作り、美月はベニヤ板で仕切られた楽屋からステージへ出た。
暗転したステージにチープなSEが流れ、照明がつくと同時に美月は笑顔で駆け出した。
「みなさん、こんばんはー! みずきです!」
フロアにいたのは、たった一人だった。
パイプ椅子が並ぶ三十畳ほどの客席、その最前列中央で、グレーのパーカーを着た痩せ型の青年――翼が、両手のサイリウムを振っていた。
「みずきちゃぁん! 今日も可愛いよー!」
誰もいないコンクリートの壁に、翼の声だけが響く。
美月は一生懸命に歌い、振り付けの一つひとつを大きく丁寧になぞりながら踊った。
カラオケ音源に合わせた持ち歌二曲。
客は翼一人なのに、彼は汗だくで十人分の声を張り上げて名前を呼び続けた。
狭いフロアなのに、その声だけで満員のライブハウスにいるような錯覚を覚える瞬間がある。
美月はそのたびに、地底アイドルを続けていて良かったと思うのだった。
十五分のステージが終わり、特典会になった。
翼はチェキ券を数枚買い、照れくさそうに美月の前に立った。
「翼さん、今日もありがとう。すごく声出てたね」
「当たり前ですよ、みずきちゃんのライブですから。……あの、みずきちゃん」
翼はパイプ椅子に腰かけたまま、いつになく落ち着かない様子で視線を泳がせた。
ツーショットを撮り終えたあと、彼はポケットから折りたたんだ紙を取り出した。
「俺、来月から地元の福岡に戻って就職するんです。だから、みずきちゃんのライブに来られるの、今日が最後で……」
「え……」
美月の手が止まる。
翼は、美月がみずきとして活動を始めてからの半年間、客が少ない日も天候の悪い日も欠かさず最前列にいてくれた唯一の固定ファンだった。
「そう……なんだ。寂しくなるな」
「すみません、最後まで応援できなくて。でも」
翼は拳を握り、まっすぐに美月を見た。
「俺がいなくなっても、ずっと応援してます。みずきちゃんの歌に何度も救われました。だから自信持って歌い続けてください」
「うん。ありがとう。福岡でも頑張ってね」
チェキの余白に「ずっと大好きだよ!」と書いて渡す。
翼はそれを胸ポケットに大事にしまい、何度も頭を下げながら階段を上っていった。
その背中が完全に見えなくなるまで、美月は見送った。
姿が見えなくなった瞬間、美月はパイプ椅子に座り込んだ。唯一のファンが、卒業した。
チェキ機の余熱が残るテーブルの上には、翼が残していった空のペットボトルが一本。
それを片付けながら、美月は自分でも驚くほど強い喪失感に襲われた。
客が一人しかいなくても、その一人がいてくれたから、ここまで続けてこられたのだと、いなくなって初めて思い知らされた。