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#心霊
#地下アイドル
#ブラックコメディー
#探偵
一週間後の金曜日。美月は再びステージ裏にいた。
「みなさん、こんばんはー! みずきです!」
――静寂。
フロアには誰もいなかった。当たり前だ。翼はもう福岡にいる。
マイクを握る手が震える。
誰もいない空間に歌う虚しさに、歌い出しの言葉が喉に引っかかった。
スポットライトだけが、無情に自分を照らしている。
諦めかけたとき、翼の言葉が耳の奥で鳴った。
「自信持って歌い続けてください」
美月は思い出していた。
なぜ会社に内緒でこんなことを始めたのか。
きっかけは、二年前の冬だった。
同期が次々と昇進したり結婚したりしていく中で、自分だけが取り残されているような焦りを感じていた頃。
会社では、間違えてはいけない書類を淡々とさばき、誰からも名前を呼ばれない毎日を過ごしていた。
存在しているのに、存在していないような感覚。
ふと入った地下ライブハウスのオーディションに、勢いだけで応募したのが始まりだった。
「私はここにいる」と叫びたかった。
誰かに認めてほしかったんじゃない。
自分の人生の主役でいたかったのだ。
(誰も応援してくれないなら、私が私を応援すればいい)
美月は大きく息を吸い、パフォーマンスを始めた。
「みんなー! 今日も盛り上がっていくよー!」
声の限りに歌いながら、心の中でもう一人の自分の声を聞いていた。
『みずきー! 超絶カワイイぞー!』
ファンがゼロなんじゃない。
私という、世界で一番諦めの悪いファンがここにいる。
自分で自分を推す。
奇妙で少しだけ誇らしいライブが幕を開けた。
その日以来、美月はステージに立つたびに、心の中のもう一人の自分に声をかけるようになった。
客席に誰もいなくても、それは寂しさの証拠ではなく、自分自身と向き合うための時間なのだと思うことにした。
負け惜しみだと分かっていても、そう思わなければ、次のステージに立つ気力が湧いてこなかった。
そして、この「自分を推す」という感覚が、いつしか美月の中で確かな誇りへと変わっていった。
月曜の朝、美月はいつも通り地味な装いでオフィスへ向かった。
昨夜まで濃いメイクとツインテールで舞台に立っていたことなど嘘のように、伸ばした黒髪を一つに束ね、化粧も控えめに整える。
電車の窓に映る自分の顔を見ながら、美月はいつも不思議な気持ちになる。
同じ人間なのに、こんなにも別人になれるのだと。
「おはよう、美月さん」
頭上から降ってきた声に、美月はびくりと肩を揺らした。
直属の上司・佐伯課長だ。
三十代半ばで仕事もでき、部下からの信頼も厚く、社内でも人気がある。
美月にとっても密かに憧れの存在だった。
「お、おはようございます」
「週末、休めた? 最近月曜は少し疲れて見えるから……あ、余計なお世話か」
佐伯は照れくさそうに頭をかいた。
仕事のできる人という印象が強い佐伯だが、こうして時折、年相応の親しみやすい一面を見せることがある。
それが美月にとっては密かな楽しみでもあった。
その日の昼休み、フロアに二人きりになったとき、缶コーヒーを持った佐伯が話しかけてきた。
「美月さん、実は週末に甥っ子から『推し活の遠征費を貸してくれ』って頼まれてさ。今の子の『推し』って感覚、正直よく分からなくて。美月さんは何か熱中してるものある?」
「えっ」
おにぎりを喉に詰まらせそうになる美月。
「あ、ごめん、変なこと聞いたね」
佐伯が慌てて話を切り上げようとする。
その様子に、美月の中で何かが揺れた。
いつもなら「特にないです」とかわして終わるところだ。
けれど、翼が卒業したばかりの心の隙間に、正直な言葉がするりと滑り込んできた。
「い、いえ……実は、います。地底アイドルなんです」
「ちてい……?」
ポカンとする佐伯に、美月のスイッチが入ってしまった。
「地下アイドルよりもっと小さくて、頑張ってるアイドルなんです。ファンが一人しかいない日だってあります。それでも、たった一人でも応援してくれる人がいれば全力になれる。そういう生き方が、すごく好きで……見てるだけで元気をもらえるんです」
普段はぼそぼそとしか喋らない美月が、身振り手振りまで交えて話し続ける。
熱く語ったあと、美月はハッと我に返った。
「す、すみません、熱くなっちゃって……」
「ううん」
佐伯は目を見開いたあと、ふっと笑った。
「引くわけないよ。おとなしい美月さんがそんなに目を輝かせて話すから驚いただけ。……実は俺も昔バンドやっててさ」
「え、課長がですか?」
「学生時代の話だけどね。ボーカルだったんだけど、客が三人しかいないライブとかザラでさ。それでも毎回全力でやってた。今思えば、あれはあれで楽しかったな」
佐伯は懐かしそうに目を細めた。
「売れなくてすぐ辞めたけどね。だから頑張る気持ちは少し分かる気がする。……興味湧いてきたな。その地底アイドル、一度見てみたいかも」
「え……」
「今度、連れて行ってよ。美月さんの推しのライブに」
「え、あ、はい……いつか、そのうち……」
言葉を濁す美月をよそに、佐伯はすっかりその気になっている様子だった。
「今度の土曜、空いてるんだよね。予定入れちゃっていい?」
「ど、土曜ですか!?」
「うん。楽しみにしてるよ」
そう言って佐伯は爽やかに笑い、自分の席へ戻っていった。
デスクに一人残された美月は、頭を抱えて机に突っ伏した。
自分のライブに憧れの上司を連れて行く。
そんな展開になるとは、昼休みが始まる前には想像もしていなかった。