テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
「信じられないな。あの頃から既に、母上も私も胡氏に騙されていたというのか」
「皇后陛下と暁明兄上からの信頼を勝ち取り、その懐の奥深くに入り込む。確実に志勇皇子を玉座に座らせる為に」
「そのようにして勝ち取ったものに、一体どんな価値があるというのか……。全く理解できんな」
「今のお言葉を聞き、やはり皇太子に相応しいのは暁明兄上と確信致しました」
「いいや、まだまだ私は未熟者だよ。人を見極める目は煜峰、そなたの方が秀でているようだ」
「暁明兄上は皇后陛下に似て優しすぎるのです。だからこそ兄上を心から慕う者が多いこともまた、忘れてはなりません。そうですよね、義姉上」
「ええ、煜峰皇子の言う通りです。わたくし達がお支えします」
「良い妻と弟に恵まれて、私も心強いよ。ひとまずこの呪符の件は私の方で預かっておこう。何か策を考えなければ。煜峰も雲嵐に気取られぬように頼む」
「分かりました」
目の前に座る兄を見て、母が幾度となく煜峰に言い聞かせてきた言葉を思い出した。
『私たちはただ幸運に恵まれただけ。この御恩に報いるため、命を賭してでも皇后様とお子様達にお仕えするのよ』
幼い頃は母の言葉の意味をよく理解出来ないまま頷き返していたが、年を追うごとに分かってきた。
侍女ですらなくただの下女だった煜峰の母を救った皇后が、大変な仁徳者だっただけで、嫉妬と憎悪が渦巻く宮中で生き抜くことがどれほど難しいことなのか、今では嫌という程身に染みている。
普通ならば今頃、母と煜峰は酷い暮らしを強いられていたか、命すら危うかったかもしれない。
必ず暁明兄上を皇帝にすえてみせる。その為なら自らの手を汚すことも厭わない。
それが自分に出来る最大の恩返しだから――。
拳を固く握りしめた煜峰の指先が、手のひらに深くくい込んでいた。
***
なんだかすっごく気分が落ち込むわ……。
皇太子妃の宮から画院へと戻ってきた麗霞は、ため池の畔にある亭で一人項垂れた。画院の周りは画人達の創作意欲を掻き立て、また落ち着いて作品の制作に取り組めるように、風情のある場所が多くある。
気持ちが沈みモヤモヤとしたままで仕事に戻りたく無かった麗霞は、少しだけ景色でも見てから戻ろうと、この亭で足を止めている。
急ぎの用事もないし、ちょっとくらいはいいわよね。こんな気持ちで仕事したってミスしちゃいそうだし。
『あなたの絵を見ている間は、心にポッカリと空いた穴が埋められた気分になるの』
そう言った皇太子妃の顔を思い出すと、胸の辺りがギュッと締め付けられる。
麗霞はただ見る人が日常をほんの少しだけ忘れ、『むふふ』とニヤつきながら鑑賞してくれているものだと思っていたのに。まさかあんな切ない気持ちで恋恋の春画を見ている人がいただなんて。
結婚とは家と家との結び付き。その多くが本人の気持ちなど関係なく親に相手を決められてしまうので、想い合う者同士が結ばれるとは限らない。丁度、麗霞の両親のように。
でも皇太子と皇太子妃は互いに思いやっているように見えた。
皇太子が妻を見る目は温かかったし、皇太子妃も夫の事を真実思っているからこそ、他の妃からでもいいから男児が産まれたらいいのになどと言えるのだろう。
そうでなければ、自分の立場が危うくなるような事を願えるはずがない。
皇太子妃は『我が子を心底可愛いと思えない』『母親失格』だなんて言っていたが、そうじゃないと麗霞は思う。
本当に可愛いと思っていないなら、あんな辛そうな顔はしないはずだから。
娘に対して嫌悪感を抱くのなら母親失格というのも頷けるが、皇太后妃は自分自身に嫌悪感を感じている。
男児を産めというプレッシャーは、世間一般のそれよりも遥かに重いだろう。
それ故に、愛する人との房事が辛く味気ないものになり、せっかく愛する人との間に生まれた子供なのに、思いっきり愛してやれない。
それは一体どんな感情なのか。麗霞には想像もつかない。
「妃殿下のところからまだ戻ってこないと思ったら、こんな所で道草を食っていたのか」
欄干に肘をつき景色を眺めながら皇太子妃のことを考えていたら、煜峰が隣りに現れた。
コメント
1件
第20話、読みました。煜峰の過去や胸の内が描かれて、彼の皇后と暁明への忠誠の重さがひしひしと伝わってきました。あの固く握った拳の描写がすごく印象的で……。一方で麗霞が皇太子妃の「ポッカリ空いた穴」という言葉に胸を締め付けられる場面、すごく切なかったです。愛する人との間にいても孤独を抱える人の心の描写が繊細で、すごく刺さりました。次も気になります!
#異世界転移
花月夜れん
2,559
設楽理沙
880
耀聖(ようせい)
269
耀聖(ようせい)
855