テラーノベル
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あの日以来、瀬名とはズルズルと関係が続いている。 身体に残る痕が薄くなるたび、ためらいなく上書きされる程度には頻繁に。
本来なら、一度限りで終わらせるのが理人のルールだった。 連絡先は教えない。二度目はない。関係が長引けば、それだけ職場の誰かに勘付かれるリスクは高くなる。 頭ではわかっているのに、なぜか瀬名からの誘いだけは拒めなかった。
「鬼塚部長……?」
不意に声をかけられ、ハッとして顔を上げる。
朝倉係長が怪訝そうにこちらを覗き込んでいた。考え事に没頭するあまり、何度も呼ばれていたらしい。
「あ、あぁ。すまない、何か?」
「お疲れのようですが、大丈夫ですか? これ、以前言われていた報告書です」
「問題ない。そこに置いといてくれ」
係長を見送り、小さく溜息をつく。間髪入れず、別の若手社員が緊張した面持ちで書類を持ってきた。
「あ、あの部長……先日指示された企画書です。確認をお願いします」
受け取って中身をざっと確認するが、理人の眉間に深く皺が寄った。
「……無難すぎる。もっとテーマを絞って深く掘り下げろ。数値の設定も曖昧だ。はっきり言ってレベルが低い。作り直せ」
「え、あ……でも、これ以上は……」
「できないのか?」
軽く睨んだつもりが、部下は小さく悲鳴を上げるように肩を竦めた。
「す、すみません! すぐやり直します!」
企画書を突き返すと、部下は逃げるように席へ戻っていく。
着眼点は悪くない。だが、考察が甘い。 先日提出された瀬名の企画書の方が、よほど面白く、「やってみたい」と思わせる熱量があった。
そう比較してしまった、その瞬間――。
「理人さん、ちょっと厳しすぎるんじゃないですか?」
背後から耳に届いた名前に、肩がピクリと揺れる。 慌てて振り返れば、そこにはいつの間にか瀬名が立っていた。
「……おい! ここではその名前で呼ぶなと言ってるだろ」
仕事中は前髪を下ろし、伊達眼鏡をかけた野暮ったい姿。 だが、その奥にある切れ長の瞳と、剥き出しの素顔を知っているせいで、今の「偽装」さえ理人の目を引いてしまう。
瀬名は困ったような笑みを浮かべ、理人のデスクに両手をついて身を乗り出してきた。
「すみません、つい癖で。……それより、部下のやる気を削ぐような言い方はやめた方がいいですよ。彼らなりに成長してるんですから」
「中途半端なものを世に出すつもりはない。利益を上げねば会社にいる意味がないんだ」
「ハハッ、ほんっと仕事モードの時のギャップが凄いな……」
「うるさい! 用がないなら席に戻れ」
「用ならありますよ。今夜――」
「すまないが、今夜は無理だ。先約がある」
デスクに置かれていた瀬名の指先が、ぴくりと跳ねた。
「……わかりました。じゃあ、また別の日に」
瀬名はゆっくりと身を起こし、理人の横顔をじっと見下ろした。 その視線には、隠しきれない独占欲が滲んでいる。
「……なんだ、そのツラは。随分不満そうじゃねぇか」
唇の端をわずかに上げ、声を一段と落とす。
「僕以外にも、こういう時間を過ごしたい相手がいるんですか?」
「……そな質問に、答える必要性を感じねぇな。お前には関係ないことだろうが」
「それは、そうですけど……」
あからさまに不満げな表情を浮かべ、瀬名は唇を尖らせる。だが、無理に我儘を押し通すような男ではない。
それに、恋人でも何でもない自分が理人の交友関係に口を出すのは間違っているとわかっているのだろう。
「……わかりました。お楽しみは次に取っておくことにします」
その声は冷たくもあり、同時に熱を孕んでいるようにも聞こえた。
低く甘い声音に、理人の指先が無意識に震える。
反射的に睨み返そうとしたが、瀬名は軽く机を叩き、すでに自席へと歩き出していた。
去り際。ふと振り返った瀬名が、理人の耳元にだけ届く呪いのような声で囁いた。
「……変なやつに、触らせないでくださいね?」
残された熱が、耳から胸の奥へとゆっくり沈んでいく。 理人は無意識に耳朶を指先でなぞり、深く溜息をついてから、再び無機質な資料へと視線を戻した。
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