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仕事が終わり、いつものようにナオミの店に足を向けると、目的の人物は既にカウンターでグラスを傾けていた。
「透。すまない、待たせたか?」
「いや。オレも今来たところだから大丈夫……。それより、あっちの方は?」
透が視線を投げた先、店内の少し離れたテーブル席には、不機嫌を絵に描いたような顔でこちらを凝視している瀬名がいた。
「……あぁ、気にするな。単なる暇人だ」
眉間に皺を寄せたまま小さく息を吐き、理人は透の隣に腰を下ろした。 あの後、よほど気になるのか瀬名が一日中ソワソワとこちらを伺ってくるせいで、仕事に集中できたもんじゃなかった。
終業後もあからさまに付いてきそうな気配をさせていたので、鬱陶しくなって「一緒に来るか?」と声をかけたところ、嬉々として付いてきてしまったのだ。
『ただし、同席はさせない』という条件付きで。
もし妙な動きを見せたら即座につまみ出すつもりだが、背中に突き刺さる瀬名の視線が、物理的な熱を持って痛い。
「ふぅん? オレは別に、一緒に飲んでも構わないんだけどな」
「冗談言うな。それじゃ俺の心が休まらねぇ。せっかく久々の従兄弟同士の時間を、邪魔されたくないんだ」
「ハハッ、理人は忙しすぎて親戚の集まりにも全然顔を出せないもんな」
「……まぁな。とにかく、あいつのことは気にするな」
もし透の口から昔話なんて始まれば、居心地が悪いことこの上ない。黒歴史を暴露されるのは御免だし、何よりナオミが面白がって話をややこしくするのが目に見えている。
「とかなんとか言っちゃってぇ。あの子、今一番のお気に入りのクセに」
「……おい。余計なことを言うな」
ビールジョッキを片手に現れたナオミを睨みつける。理人はむすっとした顔のまま、煙草に火をつけた。
「やぁねぇ、怖い顔して! 美形が台無しよ」
「うるせぇ……。たく、店を変えた方が良かったか」
「え? ここでいいよ。酒もナオミさんの料理も美味いし」
「あら、嬉しいこと言ってくれるじゃない、透ちゃん。お姉さん、サービスしちゃう!」
「てめぇはお姉さんじゃなくてオカマのオッサンだろ」
「だまらっしゃい! もー、理人は女心がわかってないんだから!」
野太いキンキン声を上げてカウンターの奥へ消えていくナオミ。二人は苦笑を交わし、ささやかな乾杯を済ませた。
「……そういえば、インハイ予選、残念だったな」
「あぁ、うん……。生徒たちはみんな頑張ったんだけどな。やっぱり全国は甘くなかったよ」
ビールを煽る姿は、理人のよく知る「親戚の弟分」ではなく、立派な教師の顔をしていた。 透が教師になりたいと言い出した時は驚いたが、昔から面倒見のいい性格だったから、向いているのだろうとは思っていた。
「まぁ、これから先いくらでもチャンスはあるだろ。来年また頑張ればいいじゃないか」
「ハハッ、簡単に言ってくれるなぁ」
透は苦笑しながら、ジョッキを空にした。
「……今年はちょっと、色々ありすぎたからな……」
「……そうか」
何かあったことは察していたが、敢えて深くは踏み込まない。誰にでも話したくないことはある。無理に聞き出すのは理人の流儀ではなかった。
「あれ? 増田センセーじゃん。久しぶり~!」
ビールを飲み干し、二杯目を頼もうとしたタイミングで、凛とした声が響いた。 振り返ると、この店の従業員である湊(みなと)が立っていた。派手なナオミとは対照的な、清潔感のあるバーテンダースタイルがよく似合っている。
「湊か……。久しぶりだな。元気にしてたか?」
そう言って目を細める透は、完全に「教師」の顔をしていた。
「そりゃもちろん! 仕事は楽しいし、お客さんはいい人ばっかり。俺、毎日超元気だよ」
湊は生ハムの盛り合わせを置くと、親しげに透の隣へ腰を下ろした。
「そっか。良かった。……湊が笑顔でいられる場所が見つかって、安心したよ」
「ほんと、増田センセーには感謝してる。センセーがいなかったら、俺、今頃どうなってたか……」
二人は半年前まで、教師と生徒の間柄だった。ジェンダーレスである湊は学校に馴染めず、不登校気味だったと聞いている。 どうしても放っておけない生徒がいると透から相談を受け、この店を紹介したのは理人だった。
「もちろん、理人さんにも感謝してるよ!」
急に名前を呼ばれ、理人は危うく野菜スティックを落としそうになった。
「……別に俺は何もしてない。最終的にここに落ち着いたのはお前の意思だ」
素っ気なく答える理人の様子を見て、湊はクスリと笑う。 「じゃ、また後で」と空いたグラスを下げていく湊を見送りながら、透が感慨深げに呟いた。
「あいつ、あんなふうに笑うようになったんだな……」
「そうだな」
初めて会った時は、殻に閉じこもって誰にも心を開かなかった湊。彼をここまで変えたのは、間違いなく透の献身的な支えがあったからだ。
それからしばらく、二人で他愛もない話に花を咲かせた。 ふと、背中に突き刺さっていたはずの「視線」が消えていることに気が付く。
辺りを見渡すが、瀬名の姿はどこにもない。
「あら、あの子ならさっき帰ったわよ」
ナオミの言葉に、理人は思わず溜息を漏らした。
「……そうか」
透との会話に夢中になり、瀬名の存在を完全に忘れていた。
(悪いことをした。……今度、埋め合わせを――)
そこまで考えて、理人はハッと我に返った。 そもそも、瀬名が勝手についてきただけだ。なぜ自分が気後れしなければならないのか。
理人は自分への苛立ちを誤魔化すように、新しく届いたビールを一気に飲み干した。