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『政務に戻らないよ。だって、今からノアのダンスレッスンの先生になるんだから』
アシェルの理解不能な発言を聞いたノアは、手にしていたキノコ型のクッキーをポロリと床に落とした。
しかし、そうさせたアシェルは、きょとんと首をかしげるだけ。
「あれ? グレイアスと私とじゃ身長差がありすぎるから、今から私がノアの先生役になるって話してたんだけど……ノア、聞いてなかったのかな?」
ここで”うん”と言える人間は、ハニスフレグ国で一番の正直者だ。
ノアはそんな度胸はないので「ははは……」と笑いながら、床に落ちたクッキーを拾う。
もったいないのでそのまま食べようとしたけれど、すかさずフレシアに没収されてしまった。
この一連のやりとりを盲目王子は見ることはできない。
しかし、ノアが取り乱しているのが気配で伝わったようで、ノアの頭を優しく撫でる。
「休憩時間だったんだから気にしないでいいよ、それに聞いてなかったノアが悪いんじゃなくて、ちゃんと説明をしなかった私が悪いんだよ」
「でも……ごめんなさい」
寛大な言葉をかけてもらえても、ノアは深々と頭を下げる。
「ノア、謝らないでいいよ。それよりも……さ、踊ろう。ね?」
俯くノアの顎をそっと持ち上げ、アシェルはにこりと微笑む。
そして、有無を言わせないエスコートでホールの中央まで歩を進めると、ノアの腰に手を回した。
「……殿下、ほんとに踊るんですか?」
「当たり前じゃないか」
「……でも私、下手ですし……殿下の足を踏んじゃいます。そりゃあ、踏まないように努力はしますが……その……」
「ははっ、そんなの気にしなくていいよ。ノアに踏まれてどうにかなる足じゃないから。こう見えて私の足は丈夫なんだよ」
「でも……やっぱり」
「ノア、踊るよ」
往生際悪くノアがもじもじとしていれば、急にアシェルの声音が変わった。
「ノアが私を心配してくれているのはわかる。でもね、盲目の私だって君をリードするくらいはできる」
僅かに苛立ちを滲ませてそう言ったアシェルは、これまでで一番不機嫌な顔をしていた。
(えぇー……怒らせたかったわけじゃないのに)
ノアは、アシェルが何にもできない人だなんて思っていない。
日頃のちょっとした所作ですら綺麗な彼なら、ダンスだって完璧に踊れることだってわかる。
だからアシェルの心配なんかしていない。そうじゃない、そういうことじゃないのだ。
ノアはカッコ悪い自分の姿を、アシェルに見せるのが嫌なだけなのだ。
これまでグレイアス先生の指導のもと、どれだけへなちょこステップを踏んでもノアは別段恥ずかしいなんて思ったことはなかった。
ついでに言うとダンス中にグレイアス先生の足を踏んでも、「だって仕方ないじゃん」と開き直る部分があったし、危険を察知して避けてくれればいいのにと人任せにしたい気持ちだってあった。
そんなふてぶてしい気持ちは夜会が終わるまで変わらないと思っていたし、ぶっちゃけダンスなんて覚えたくもなかった。
なのに、いざアシェルと共に踊るとなると、こうも緊張してしまうのはどうしてだろう。ダンス以外でも、人の目なんてこれまで一度も気にしたことなんてないのに。
(あー……こんなことなら、ダンスのレッスンをもっと真面目に受けておけば良かった)
などと、酷く後悔する自分にノアは驚いてしまう。
しかし、そんなことを悶々と考えるノアは、端から見ればどうしたってダンスを踊りたくないと駄々をこねているようにしか取れない。
「よし、じゃあこうしよう。今から踊る曲でノアが一回も私の足を踏まなければ、午後は全部の授業をお休みにしよう。どうだい?ノア。ご褒美付きなら、私と踊ってくれるかな?」
「やらせていただきます!」
悩む間もなく、ノアは声をあげた。
しかし可能性としては、無いに等しい。ノーミスで踊るなど、猫に”お手”を覚えさせるようなものだ。
諦めきっているノアとは対照的に、アシェルは自信満々に、ポカンとする宮廷魔術師に声をかける。
「グレイアス、それでいいね?」
「……か、かしこまりました」
突拍子もない発言にグレイアスは、慇懃に頭を下げた。
しかし顔を上げたグレイアスは「やれるもんなら、やってみろ」と、好戦的な表情を浮かべている。
絶対に踊れっこないと決めつけられていることに悔しさを覚えるが、ノアもグレイアスと同意見だ。
「……殿下、足を踏む回数を2回までとかにした方が良いのでは?」
盲目王子に逆らえない宮廷魔術師なら、きっとこの要求を飲んでくれるだろう。そしてノアは、降って湧いたこのチャンスを無駄にしたくない。
サボることは働き者のノアの美学に反するけれど、如何せん足の裏の皮が限界なのだ。明日から心を入れ換えてレッスンを受ける為にも、是非とも午後は休みたい。
そんな気持ちから、こそっとノアはアシェルにハードルを下げるようお願いする。
しかしアシェルはくすりと笑ってノアの提案を一蹴してしまった。
「大丈夫、ノア心配要らないよ。私が君に魔法をかけてあげるから」
盲目ゆえに王位継承権を剥奪されたことをすっかり忘れてしまったアシェルの発言に、ノアはがっくりと肩を落とす。
午後のお休みが、軽やかなステップを踏みながら遠ざかる光景がしっかりばっちり見えてしまった。