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「素性を明かさないためですよね?フェレンさんだって、素性を詮索するなって言ったじゃないですか」
ネクトのお兄さんからも、明かされた事実だ。けれど、フェレンさんは僕に頷かなかった。
「いや…忘れてしまうんだよ。素性さえも忘れてしまう。だからそれは、無から有を生んだ考えだ」
フェレンさんの言葉が本当なら、ネクトのお兄さんは、素性を忘れていた事になる。素性は明かしてはいけないものだと、彼はたしかにそう言っていたから。
「でも…」
いや、ネクトのお兄さんだって本当のはずだ。そこに嘘をついても意味が無いはずだから。
無から有を生むとか嘘をついているわけじゃないとか。そんな事にまで船の目的と、他人の素性は関わっているのか。でもさっき、フェレンさんは僕の素性を、いとも容易く言い放った。忘れてしまうというのは、嘘なのではないか。僕は、フェレンさんに、真実を探すように見つめた。
「忘れてしまった事実は嘘になる。嘘は今を生きないんだよ」
フェレンさんは、寂しげに笑った。それは、嘘には見えなかった。
「詮索するなと言ったのは、嘘を増やさないためだ。船の目的に執着すれば大事なことも忘れてしまう」
言葉の節々から悲しみは滲み出ていた。まるで自分の経験談を話しているようだった。
「なら、どうして素性は言ってはいけないと言いきったのです。さも知っているように…」
忘れているとしたら、あんなに強く言えないはずだった。
「知っていると思いたかったんだよ」
僕は予想外の答えに、固まってしまった。あの口調は、彼女の思い込み一筋のものだったのか?僕は、疑うべきか受け止めるべきか悩んだ。
忘れていく記憶を、意図的に忘れるものと考えたということなのだろうか。本当はただ忘れていくものを、自分達が意識的に隠したのか。そんな事は本当にあるのか。
「なら素性を、明かしてはいけないと言うのもその人が考えた自論だったのですか?」
フェレンさんは、感情もなく黙って頷いた。ネクトさんのお兄さんの顔が思い浮かんだ。あんなに自分の仕事や弟に思いのある人が、自分や他人を忘れてしまう?ましてや、忘れる事を言い訳にしないために自論を立てた?僕は、理解できなかった。
「なぜそんなことを …」
「本当のことは、何一つないよ」
あまりにも落ち着いた声色で、フェレンさんは言った。
「船の目的を考えようとすればするほど、己が持っていた目的を忘れてしまう。船内で己の存在を意識するほど、本当の存在が分からなくなってしまうのだよ」
僕は、言葉を紡げなかった。だって、よく分からないから。忘却と言ったって、自分の名前や血縁関係をそんなにすぐ、無くしてしまうものなのか。僕は、話に置いていかれていた。けれど、フェレンさんの言葉は僕を煽るように、押し付けるように止まることはなかった。
「ネイだって同じだよ」
彼女は言った。