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第三章 氷晶と炎音
第七話 雪解けの足音
フィルディアを出発する日が近づいていた。
スカーレット・キャラバンの面々は、朝から慌ただしく動いていた。
荷物の確認。
馬の世話。
商談の締め。
買い忘れた物の補充。
旅立ち前はいつも忙しい。
シュンタも市場へ来ていた。
「干し肉良し」
「保存食良し」
「薬草良し」
指を折りながら確認する。
雪国の保存食は意外と美味い。
ついつい買い過ぎてしまう。
「あと何やったっけなぁ……」
首を捻りながら歩いていると、
ふと見覚えのある姿が視界へ入った。
「あ」
思わず声が漏れる。
向こうもこちらに気付いたらしい。
銀の瞳が僅かに細められる。
白銀の髪。
長身。
白い外套。
周囲の人々が自然と道を空けている。
ジュウタロウだった。
「……何してる」
開口一番それだった。
シュンタは吹き出す。
「普通そこは久しぶりとかやない?」
「そんなに久しぶりでもない」
「確かに」
思わず納得する。
ジュウタロウは小さくため息を吐いた。
「買い物か」
「せや」
荷物を見せる。
「もうすぐ出発なんよ」
その言葉に、ジュウタロウの視線が一瞬だけ動いた気がした。
本当に一瞬だけ。
けれどシュンタは見逃さなかった。
「……そうか」
短い返事。
相変わらず愛想がない。
けれど酒場で初めて会った時より、
どこか柔らかい。
そんな気がした。
「ジュウタロウは?」
「結界石の確認だ」
「一人で?」
「城下周辺だけだからな」
なるほど。
王子なのに護衛も付けず、
平然と街を歩いている。
それだけ強いということなのだろう。
しばらく沈黙。
人々が行き交う。
市場の喧騒が響く。
やがてシュンタは、ぱっと顔を上げた。
「なぁ」
「何だ」
「せっかくやし案内してや」
「断る」
即答だった。
シュンタが笑う。
「まだ最後まで言うてへんやん」
「聞かなくても分かる」
「ケチやなぁ」
ジュウタロウは無言で歩き出した。
シュンタは慌てて後を追う。
「ええやん!
もうすぐ出るんやで?」
「だから何だ」
「最後にフィルディア満喫したいやん!」
「市場にいるだろう」
「王子しか知らん場所とかあるやろ!」
「ない」
「絶対ある!」
「ない」
「ある!」
子どもか。
そんな言葉が聞こえてきそうな顔で、ジュウタロウが立ち止まる。
銀の瞳が向けられる。
「……お前はいつもそうなのか」
「何が?」
「距離が近い」
シュンタはきょとんとした。
考えたこともなかった。
「そうか?」
「そうだ」
「皆そんな感じやで」
「皆ではない」
真顔で返される。
思わず笑ってしまった。
本当に面白い人や。
しばらく歩いていたジュウタロウが、ふと空を見上げる。
白い吐息が流れる。
「……少しだけなら付き合う」
シュンタが目を丸くした。
「ほんまに!?」
「少しだけだ」
「やった!」
途端に嬉しそうな声。
周囲の人々が驚いた顔で振り返る。
氷晶の王子が、誰かと並んで歩いている。
しかも相手は異国の旅芸人。
珍しい光景だった。
そしてジュウタロウ自身もわからなかった。
城の外で、仕事でも討伐でもなく、
誰かと並んで歩くのが、いつ以来なのかを。
市場を抜ける。
石畳の道を歩く。
白い息が空へ溶けていく。
王都は今日も雪景色だった。
屋根も。
街路樹も。
遠くの山々も。
全部白い。
「毎日こんなんなん?」
「ほぼ年中雪が降るからな」
「飽きへん?」
「いや、別に」
「俺なら三日で飽きる」
「そうか」
会話が続かない。
けれど不思議と気まずくはない。
シュンタは辺りを見回しながら歩く。
すると、目の前に巨大な湖が現れた。
いや、正確には湖だったもの。
全面が凍りついている。
「うわ……」
思わず足を止める。
太陽の光を受けた氷が、宝石みたいに輝いていた。
青く。
白く。
どこまでも透き通っている。
「すご……」
自然と声が漏れる。
ジュウタロウはその反応を見ていた。
「ここは王都で一番大きい湖だ」
「湖ってこんなんなるんやな……」
シュンタは感心しながら氷へ近付く。
そっと手を置く。
冷たい。
けれど美しい。
まるで、隣を歩く王子みたいだと思った。
「何だ」
「いや」
「?」
「ジュウタロウっぽいな思て」
「意味が分からない」
即答だった。
-–
湖を後にし、今度は高台へ向かう。
石階段を登る。
登る。
登る。
「まだなん?」
「もう少しだ」
「足痛い」
「鍛錬不足だな」
「旅芸人にそれ言う?」
文句を言いながら登り切る。
そして
シュンタは息を呑んだ。
王都が見渡せた。
白い街並み。
雪原。
遠くの山脈。
そして王城。
世界そのものが白銀に染まっている。
風が吹く。
赤い髪が揺れる。
「……綺麗やな」
ぽつりと呟く。
ジュウタロウは答えない。
ただ同じ景色を見ていた。
「俺さ」
シュンタが空を見上げる。
「色んな国行ったんよ」
「そうか」
「砂漠もあった。
南の海もあった。
空飛ぶみたいな崖の街もあった」
ジュウタロウは静かに聞いている。
「でもな」
シュンタは笑った。
「こんな景色初めて見た」
その言葉に、ジュウタロウは僅かに目を細める。
誰もが寒いと言う。
閉ざされていると言う。
不便だと言う。
そんな国を、初めて綺麗だと言われた気がした。
-–
高台を降りる頃には、太陽が少し傾き始めていた。
「もう終わりかぁ」
シュンタが残念そうに言う。
「十分だろう」
「まだ案内足りん気がする」
「気のせいだ」
「絶対気のせいやない」
そんなやり取りをしながら歩く。
すると、ジュウタロウの足が不意に止まった。
「ん?」
視線の先。
雪に覆われた小さな丘。
そこだけ空気が違った。
静かだった。
風の音だけが聞こえる。
「……どうした?」
シュンタが尋ねる。
ジュウタロウは少しだけ黙る。
それから
「昔」
ぽつりと呟いた。
「大切な友達とよく来た場所だ」
シュンタは何も言わない。
ジュウタロウが自分から話すのを待った。
「雪原を走るのが好きなやつだった」
銀の瞳が遠くを見る。
「俺より速くて」
「俺より自由だった」
どこか懐かしそうな声。
そして、寂しそうな声。
シュンタは静かに隣へ立った。
「……そっか」
それだけ言う。
無理に聞かない。
無理に慰めない。
風が吹く。
雪が舞う。
しばらく二人でその景色を見つめていた。
やがて、ジュウタロウが歩き出す。
「戻るぞ」
「うん」
並んで歩く。
夕陽が雪原を薄く染めていた。
最初は氷みたいな人やと思った。
近寄ったら切れそうな人やと思った。
でも違う。
この人の中には、まだ消えていない熱がある。
ただ、ずっと雪の下に埋もれているだけだ。
その熱を、いつかもう一度見てみたい。
そんなことを考えながら、
シュンタは隣を歩く王子をちらりと見た。
気付いたジュウタロウが眉をひそめる。
「何だ」
「いや」
「何だ」
「別に」
「気になる」
「珍しいな」
「何がだ」
「ジュウタロウが気になるとか言うん」
一瞬。
沈黙。
そして
「……くだらん」
少しだけ早足になった銀髪の王子を見て、シュンタは声を上げて笑った。
すっかり傾いた陽が、二人の姿を照らす。
二つの影は、
重なることも、離れることもなく。
白い雪の上に長く伸びていた。
コメント
1件
わああ第26話……っ!!もう出発の日が近づいてて切ないなか、ジュウタロウが「少しだけなら付き合う」って言ってくれたシーン、胸熱すぎた😭💕 氷みたいな王子の奥にまだ消えてない熱があるって気づくシュンタの視点、エモすぎて何度も読み返したよ…!最後の「二つの影は、重なることも離れることもなく」って表現がもう完璧で、ずっとこの二人を見ていたくなる……!次回も楽しみにしてるね、comiさん!🌸