仁海をずっと悩ませていた問題が、今この一瞬で解決してしまった。
「す……すごい」
ようやく出た仁海の声は弱々しかったが、心からの本音だった。
「もしかして、ずっと変な気配を感じていたから……顔色が悪かったんですか?」
少女の言葉は質問だったが、すでに答えがわかっているように納得した顔をしている。
仁海は素直に頷いた。
「ここしばらくの間、あの女の顔にずっと付きまとわれてて……」
「つ、付きまとわれてて……あのクソ最悪な気配を出してたヤツにですか?」
「そう……遠くからだったり近くからだったり色々で……家までついてきてて」
「家まで!」
「……それは、災難だったな」
ですます調な割に言葉のチョイスが豪快な少女と、冷たい顔つきにしては労いの言葉を発する少年。
仁海が言っていることを理解し、その上で同情してくれているのがわかった。仁海の状況を正しく想像できなければ、できない同情だ。
(うっ……ちょっと、泣きそう)
悲しみや情けなさではなく、嬉しさからくる気持ちだった。
「だとしたら……君が彼を強引に連れ出そうとしたのは、正しかったようだな」
「お?」
少年の素直な言葉に、少女が驚きで目を見開く。
「余計なことを言って悪かった」
「意外です。きちんと謝れる方なんですね」
「君が強引に絡んでいるように見えたのは事実だがな」
「確かに、私もよく人から強引だと言われますので。気をつけますね」
「君も意外と素直だな」
「気をつけるだけで、絶対に直すとは明言していませんので」
少女のにっこりとした満面の笑みを見て、少年は「いい性格してるな」とため息をつく。
(最初はどうなることかと思ったけど……意外とこの二人、気が合うのでは)
二人を見守りつつ、よろよろと立ち上がろうとする仁海に、すかさず二人とも手を差し出してきた。
「べつに真似したわけじゃないぞ」
「わかってますよ」
「あ、ありがとう……」
どちらかにだけ手を借りるのも申し訳なく思った仁海は、気恥ずかしさを押し殺して二人の手を取り、立ち上がる。
「ところで、どうしてさっきのアレ、消すことができたんですか?」
「君は消した経験はないのか?」
「ぶん殴って追い返したことしかありません」
(それでもすごいんだけどなぁ)
何となく二人の会話に割り込む気になれず、内心で相槌を打つ仁海。
「追い返しても、翌日には他の場所にいることもありますしね。だから消せるってすごいと思いますよ」
「言うほどすごくはない。弱っている相手じゃないと存在を知ることもできない」
「……つまり、弱ってないアレは消せないってことですか」
「そういうことだ。ダメージを与えることもできない」
「ほー、なるほどですね」
少女は顎に指をあてると、興味深そうに「ふんふん」と相槌を打つ。仁海も少女と同じように、「なるほど」と頷いていた。
(普段はわからないけど、弱っている幽霊の存在はわかるし消せるなんてすごいや。少なくとも、あいつらに悩まされることはなさそうだし、何よりすごい強そう)
最終的には残念な語彙になる仁海を尻目に、少年は彼女に向けて目を細めた。
「君はどうなんだ。君はヤツに、ダメージを与えられるようだったが」
「そうですね。ぶん殴って追い返したことはあるので」
「それはさっき聞いた。あと君の見た目と声で『ぶん殴る』って言葉は結構パンチが効いて聞こえるな」
「ありがとうございます」
(あ、この子にとっては褒め言葉なんだ)
満面の笑みで返す少女に、仁海も思わず内心でツッコミを入れる。
「私も普段は、まったくわかりません。でも『悪意』を持って近づいてくるアレの存在だけはわかるんです。姿形そのものは見えないんですけど、『ああ、ここにいるな』というのはわかります」
「悪意があるとわかるのか」
「そうなんです。だから怖いし腹が立ったのでぶん殴ったら、ぶん殴れちゃったーというわけです」
「……怖いのによくぶん殴るという行動に出られたな」
「やられたらやり返す、可能なら、やられる前にやる、がモットーなので」
「……君の性質が、この短時間でだいぶわかった気がするよ」
(こんなにふわっとして可愛い感じの子なのに……暴力の権化みたいな人だな)
セミロングの茶髪に、大きな目。柔らかな声に「ですます」調。ただし言葉のチョイスは雑かつ実力行使主義という少女──助けてもらったという補正のせいか、仁海はむしろ頼りになる人のように思えていた。
「──ところで」
ずっと少年と話していた少女の視線が、仁海に向く。
「さっき確か、『女の顔』って言ってましたよね」
「う、うん」
「ということは……ただ『気配』に付きまとわれていただけじゃなくて、アレの姿が見える、ってことですか」
確認するような言葉に、仁海はただ頷く。同時に、少し情けなくなる。
「……二人と違って、何もできないようなものだよ。『見える』だけだから」
ふと、仁海は気づかない振りをして幽霊に触れようとしたことを思い出した。それこそ、「見えるのだから、何か特別な力があるかもしれない」と思ったからだ。
だが結局、相手の存在に気づいていると悟られそうになり断念。避け続けることを選んだのだった。
「見えてることがバレると何をされるかわからないから、気づかないフリを徹底してきたんだ」
言いながら、仁海は自分への情けなさが加速していくのを感じた。
そんな仁海の心情など知る由もない少女は、妙に真剣な顔で仁海の話を聞いている。
「見えるって、あなたにはどういう風に見えているんですか?」
「……それを語らせるのは、かなり酷なことだと思うんだが」
少女の表情は真剣そのものであり、少年の冷たく響く言葉は仁海にとっては優しい言葉だった。
この二人になら、話してもいい──いや、聞いてもらいたい。仁海は無意識にそんな気持ちに突き動かされた。
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