「勇信。すまないが、東京へは一緒に行けない」
京都――。
兄の吾妻勇太が、広がる青空を見ながら言った。
――兄さん、俺と一緒に東京にきてくれ。行って今の副会長を殺そう。
そう言った暗殺者の提案を、勇太は断ったのだ。
「財閥にうんざりしてるからか? それとも怖いのか?」
「怖いのとはまた違う。単純な話さ。俺に吾妻グループを経営する能力なんてない」
「やってもみないでどうしてわかる?」
「わかるさ。俺は財閥が嫌いだからな。それって吾妻グループの仕事を遠ざけたいのを同じ意味だろ。母体から離れ新しい勇太になってからは、グループの経営も何もかもに興味を失ってしまったたんだ」
「なら何に興味があるんだ」
「静寂……」
勇太は小さな声で話した。
「なんだ?」
「ただ静かに暮らしたいと願っている」
「忌々しい属性だな……」
暗殺者は吐き捨てた。
「兄さん、今グループは混乱に陥っている。東京にいる副会長が打ち出した変革によって、社員たちは苦難のの真っ最中にいるんだ。それを兄さんと俺で……。チッ、なんで俺がこんな話までしなくちゃならない」
暗殺者はやむを得ず、ここ最近の会社の状況を伝えた。
パッショニズムという名のもとに断行された、成功報酬型の評価方式について。多くの社員が裏で「恐怖政治」と呼び、これまで影となって黙々と働いてきた社員たちが続々と苦難を訴えている。退社を決断した社員も多くいるらしい。
「そんなことになってたんだな……」
「やっぱり知らなかったのか。まあ、最後まで母体だった身なら、長い間会社にも行ってないし、ずっとどこかに閉じこもって生活しただろうからな」
「この地に定着するためにそれなりにがんばった時間だった」
「今会社は徹底して不正を排除する方向で動いていてな。その見せしめとして、ひとりの社員を公開処刑のような形で追放したんだ」
「追放? 誰を?」
「堀口ミノル課長を知ってるか?」
「堀口ミノル?」
「覚えてないか。副会長が全体会議の場で、堀口課長の不正を暴いて会社から追放したんだ」
「不正を働いたのなら、仕方ないんじゃないのか」
「会社の方針について話したいわけじゃない。重要なのはその堀口という人物、過去に俺たちをしそね町の秘密基地に案内したあの中学生だったんだ」
「秘密基地……?」
勇太はそうつぶやいたあと、しばらく考え込んだ。
「廃墟のような遊園地。塗装の剥がれたメリーゴーランド。地下防空壕と、テント――」
暗殺者がいくつかのキーワードを並べると、勇太はゆっくりと目を見開いた。
「ああ、思い出したぞ。暗くて大きな地下通路だ……。たしかにテントがあったな。あとは鉄の扉も。やけに薄気味悪い場所だったのを覚えている」
「……そう。その施設の名は、ビスタ」。
「ビスタ!」
勇太は思わず声をあげた。
周りの視線が一瞬集まったため、ふたりは桜の木の下を離れブルーシートに戻った。
「しそね町に建設中のビスタと同じ名前だ。そして解雇された堀口課長はビスタ企画部の課長だった。これらは単なる偶然の一致だろうか。何かがこじれてる気がしてならない」
「たしかにそうかもしれんな」
「で、これだけ色々と絡まっている状況なのに、なんで兄さんは何も知らないんだ?」
「いや、本当に何も……」
「少なくとも副会長と業務内容くらいは共有してただろ? 母体だったからって家で毎日映画ざんまいだったわけでもあるまいし」
「業務共有はしてたさ。でも堀口課長の件は、まったくの初耳だ」
「じゃ副会長の独断だったのか? 重大な秘密があってそれを守るために、他の兄さんを殺した。なんてのもありえるんじゃないのか……」
「だから東京に行ってその秘密を明らかにし、会社も元通りにする。それがおまえの望むストーリーってわけだな」
「会社をこのままにしておくわけにはいかないだろ? 兄さんは具体的な状況を知らないから呑気でいられるが、グループは混乱の中にある。まるで市場経済が生まれた当時の生存競争に放り出されたみたいにな。
一部の中間管理層が、スポコン漫画並みに部下たちを追い込んでいるようだ。具体的な努力が形として見えなければ、本人たちの立場が危うくなるからな」
「むちゃくちゃだな。近い内に、社会主義的の虚偽報告体制が整うんじゃないのか」
「ありえない話ではない」
「その情報は、魚井玲奈からあがってきたものか?」
「ああ」
「相変わらず有能だな、玲奈は」
「雑多な情報の中で、俺にとって必要なものをしっかりとピックアップしてくれるからな。おかげでいつも助かってる」
暗殺者は魚井玲奈の屈託のない笑顔を思い出した。
魚井玲奈と会えなくなってどれくらい経つだろうか。
沈思熟考が常務として出社してはいるが、ずっとキャプテンだった暗殺者は増殖してからというもの一度も会っていない。
彼女の存在が妙に懐かしく思えた。
「それで? 具体的におまえがたどり着きたい目的地はどこだ? まさか俺を副会長に復帰させて、ここ最近の方針転換はすべて冗談でした、とでも言わせたいのか?」
「まさにそれさ」
「……おい、おふざけが過ぎるな。真面目に話してくれ。俺が東京に行くには、もっと納得できる理由がいる。吾妻グループにはうんざりしていて、もはや恐怖ですらあるからな」
「別に難しいことはないさ」
暗殺者は桜を見上げ、手にした焼酎をゆっくりと飲み干した。
「副会長職からの退任を宣言して、弟の勇信にその地位を譲る。そう発表すればいいだけだ」
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