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「でっ、でもっ。このマンションは――」
「顔認証の件でしたら、ゲストの形で春凪にも一時的にこのマンションに出入りできる権限を今からお渡しします。――スマホ、出してもらっていいですか?」
宗親さんがご自身のスマートフォンを操作なさるのを見ながら、促されるままに自分のものを鞄から取り出したら、彼から〝ワンタイム登録〟というメッセージを受信した旨の通知が出る。
「リンク先からアプリをダウンロードしていただいて、アプリの言うように顔を登録してください」
言ってから、「おっとその前に……。春凪のスマホ、少しお借りしていいですか?」と手を差し出される。
条件反射のように宗親さんにスマートフォンを手渡したら、
「うちのWi-Fi、拾えるようにしますね。えっと、ロックを解除していただいても?」
真っ暗な画面のスマートフォンを返されて、請われるままにスマホのロックを解除すると、宗親さんが手慣れた様子でWi-Fiの設定を開くのが見えた。
そうしてあっという間にこの部屋に飛んでいるWi-Fi波を受信できるようにしてくださる。
「もし繋がらなくなったら……ここにパスワードが書いてありますので、これ、入れてくださいね」
黒い機械に貼られたシールの、数字や記号を指差して、宗親さんが言って。
「あ、はい」
アパートでも一応Wi-Fiは使っているので、何となく彼の言わんとしていることが分かった私は、差し出されたスマホを受け取りながら首肯する。
画面には、Wi-Fiに繋がっている旨を表すマークが増えていた。
「で、さっきの続きなんですが……リンク先からアプリ、拾ってもらっていいですか?」
再度促されて、先程のメッセージ内に書かれたURLから、アプリをスマホに取り込む。
新しく追加されたそのアプリを開いて、指示されるままに顔認証登録を済ませると、宗親さんが、「それで僕が権限を与えた期間、春凪の顔でもあちこちのロックが解除されるようになりました」とニッコリ微笑んだ。
「正式にここへ移り住むことになったら、ちゃんと正規の住民登録をしましょうね」
言われて、宗親さんが本気で私をここへ迎え入れようてしてくださっているんだと実感した私は、今更ながらにソワソワする。
「私で……宗親さんの妻役がちゃんと務まりますかね?」
不安になって眉根を寄せたら、「春凪以外には無理だと思います」と何故か自信満々に返された。
「何でそんな風に言い切れるんですか?」
余りにも当然と言った様相で返された私は、逆に唇がとんがってしまう。
葉月さんにだって認められていないのに、そんな簡単に太鼓判を押さないで欲しい。
「先程も言ったでしょう? 僕が春凪以外にこの役を任せたくないからです」
宗親さんは私の何をそんなに気に入ってくださったんだろう。
まさか容姿が、ということはないと思うので……恐らくは中身――御しやすいところなんか――を見染められたのかな?
「私のこと、従順で飼い慣らしやすい人間だと思っていらっしゃるんだとしたら、大間違いですよ? 私、割と言いたいことはハッキリ言っちゃうタイプです」
――それ、分かっておられます?
そう思って拗ね顔のまま宗親さんを睨みつけたら、クスッと笑われて。「僕は寧ろ春凪のそういうところが気に入っていますと再三お話したつもりだったんですが……」とウインクされた。
もぉ、やめてくださいっ!
カッコ良すぎてニヤけそうになるので!
――ここで笑ったら負けだっ。
そう思って唇に力を入れる私に、
「っていうか――」
心底楽しそうに声を出して笑いながら、「春凪、ひょっとして自分が従順だと思っているんですか?」って失礼じゃないですか?
「わ、私っ、素直過ぎて……宗親さんには結構好き勝手扱われてきたと思うんですけど!?」
ムッとして宗親さんを睨むように見上げたら、「キミが僕の言うことに従うのは、納得がいった時限定でしょう?」と頭をふんわり撫でられる。
「ちょっ、やめてください」
慌てて一歩後ずさって彼の手を避けたら「ほら、理不尽だと感じたときは、そうやって遠慮なく抵抗する」って瞳を細めていらして。
「さっきも春凪、僕の金銭感覚がおかしいって叱ってくれましたよね?」
さっき、というと結局受け取ってもらえず終いのギフトカードの事を話したときだよね?
そう思って小さくうなずいたら、宗親さんが珍しくちょっぴり困ったような顔をなさって。
「自分で言うのも何なんですけど……僕はどうも世間様とはズレた所が散見されるようなんです。特に金銭感覚――」
と大きく溜め息を吐きながら私を見つめるの。
「だからね、春凪には僕が変なことをした際、軌道修正をしていただきたいのです。僕に臆することなくバシバシ物が言える女の子なんて、正直初めて出会いました。だから、――僕にはキミが必要なんです」
真剣に、「キミが必要だ」と言われてチョロ子の私がグラつかないはずがない。
ましてや宗親さんは、私にとって好みのお顔のど真ん中。
物凄く照れ臭いんですがっ。
***
お風呂上がり。
脱いだ下着をしっかりと2枚重ねにしたビニール袋に包んで密封してから、鞄の底の方へ仕舞い込んだ。
本当はすぐにでも洗いたいけれど、現実問題濡らしてしまったら「どこに干すの?問題」が浮上してくるので今日は我慢。
明日帰ったらすぐに洗うから許してねって下着たちにご免なさいをして鞄を閉じる。
そうして、先ほどコンビニで買ってきたばかりのカップ付きキャミソールとショーツを身につけてから、宗親さんが貸してくださった白の半そでシャツを着る。
身長差が20センチ以上あるお陰で、太ももの半ばまで丈があるけれど、ミニスカートですか!?みたいな危うい印象はどうしても拭えない。
ふっふっふ。でもね、大丈夫。
さっき金銭感覚云々で褒められたばかりなことを考えると、大顰蹙を買ってしまうかもしれないけれど、必要経費だと思って許して欲しい。
――そもそも、あのプリペイドカードの残高がありすぎるからいけないのよ!
などと手前勝手な理由を頭の中で並べ立ててから、私はショーツの上にチェック柄の黒っぽい男性用下着を重ねた。
股のところが前開きになっているのが少し気になるけれど、そこはもう目をつぶろうと思う。
さっきまで短かすぎてショーツが見えそうだった格好が、短パンがわりに重ねたトランクスのお陰でかなり安心できる見栄えになった。
ドラマや漫画などでは〝彼シャツ〟の破壊力がよく描かれているけれど、お生憎様。
私と宗親さんは別に本当の恋人同士ではないのだし、こっちの方がいいに決まってる。
「お風呂、有難うございました」
少し悩んだけれど、普段からそんなに化粧を塗りたくっているわけではないし、眠るだけだからいいよねって思って、化粧水などで肌を整えただけのスッピンノーメイクでリビングに入った。
一応の配慮にマスクをして顔半分を覆ったけれど、暗くなったら息苦しいから外してしまおうとか目論んでいたりします。
宗親さんは、今日私がうたた寝してしまった例のキングサイズベッドで一緒に寝ましょう、みたいなことをおっしゃっていたけれど、あれはきっと私の覚悟を試すための冗談だよね?
リビングに置かれていたソファーが、フラットになってベッドみたいになる仕様だというのはチェック済みだもの。
私、今夜はそちらで眠らせていただこうと思ってます。
リビングに入ると、キッチンカウンターでノートパソコンを広げていた宗親さんが、こちらを振り向かないままに「書類を保存しちゃいますんで、ちょっと待ってくださいね」と声を掛けて来て。
先にお風呂を済ませていた宗親さんは、ネイビーの、麻素材と思しき和モダンな甚平っぽく見えるシンプルな半袖パジャマに着替えていらした。
胸元がヘンリーネックになっていて、上2つだけ木目調のボタンで留める仕様みたい。
膝より少し長いぐらいのセットもののズボンが、日頃長袖長ズボンの作業服しか着用していらっしゃらない〝織田課長〟のイメージとはかけ離れていて、それがそこはかとなく〝お家感〟を醸してるのが何だか色っぽくて目のやり場に困る。
私は所在なく廊下を入ってすぐの入り口付近で立ちんぼを決め込んだ。
だってさすがにこの格好のまま、明るいリビングで、あんなお色気ムンムンの?宗親さんに近付きたくない。
「よし、出来た。――じゃあ寝ましょうか」
お風呂を出たときに歯磨きなんかもすませてあるから、その言葉に異存はないのだけれど、 当然のようにこちらに歩いてこられたら、思わず後ずさってしまう。
「ねぇ春凪。何でマスク?」
私の顔を見るなりクスッと笑って、
「春凪は元々化粧っ気がそんなにある方じゃないでしょう? 寧ろ僕としてはノーメイクの方が好もしく思えるくらいなんですけど」
言われて、スッとマスクを取り払われた私は、慌ててそれを取り戻そうと手を伸ばした。
なのに意地悪く高らかと宗親さんの頭上に掲げられて、全然届かないの。
「やっ、ダメですっ!」
いくらスッピンの方がいいと言われても、信じられっこない。
宗親さんの前でマスク目掛けてピョンピョン飛び跳ねたら、もう一方の手が伸びて来て腕の中に閉じ込められてしまう。
「ひゃっ!」
私が悲鳴をあげるのなんて御構い無し。
「さぁ、寝ますよ」
そのままクルリと身体の向きを変えられて、電車ごっこさながらに後ろから肩をぐいぐい押されて寝室に押し込まれた私は、にわかに慌てて宗親さんを振り返った。
「わ、私っ、リビングでっ」
半べそになりながら言ったら、「先程もお話ししたでしょう? 今夜は僕、春凪が一緒でも眠れるか試してみないといけないので」とにこやかに却下された。