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神殿上空。黒が、ゆっくりと渦を巻く。それは暴走ではない。制御され、選ばれた方向へ圧をかける“意思ある穢れ”だった。
上空で渦を巻く黒のせいで石畳が軋み、空気がゆっくりと沈む。地下で観測していた神官たちが、次々に膝をついた。
「王子の圧力、さらに増幅!」
「結界、限界です!」
老神官は、一瞬も迷わずに告げた。
「聖騎士を出せ」
地下の扉が開く。現れたのは、レオンハルト・ヴァイス・グランディア。 無表情で静かな瞳がそこにあった。神殿で管理された彼の心は、常に安定している。当然、波形は正常値を維持した。
「任務内容を」
平坦な声で問いかける聖騎士に、老神官は命令する。
「王子の威圧を中和せよ」
「了解」
それだけで、十分だった。
レオンは振り返らず、塔へ向かう。階段を上る足音が、規則正しく反響する。その足取りに乱れはない。
最上階の私室、アシュレイは部屋の中央に立っている。背後で黒が揺れる。内側には熱を孕んだ怒りがあるのに、表面は氷のように冷たかった。開け放ったままにしてる扉から、こちらに向かってくる足音が聞こえて振り向く。
「……レオン」
その名を呼ぶ声だけが、柔らかい。レオンは形式通りに片膝をついた。
「王子殿下」
聞き慣れないその呼称でアシュレイの瞳が細くなり、表情が険しくなる。
「来ると思った」
レオンは、何も言わずに立ち上がる。そして、音もなく剣を抜いた。迷いがないこと自体が異様だった。
「威圧を確認。中和を開始します」
足元に加護陣が展開する。部屋の中に白い光が広がり、黒と白がぶつかる。その衝撃で空気が裂けた。ほんの僅かに、アシュレイの圧が削られる。
「……本気で、私を止めるのか」
「任務です」
レオンが即答したその瞬間、黒が大きくうねる。
「私は、お前から奪われた」
アシュレイは一歩、レオンに踏み込む。
「お前の感情を――」
「記録にありません」
無機質な声を聞くだけで、アシュレイの胸の奥が軋む音がした。
「では聞く」
声が低く沈む。
「今、私を見て、お前は何も感じないのか」
小さく開いた窓から、風が吹き込む。それでも黒と白は交わらない。ただ、ぶつかり続けるのみ。
レオンの瞳が、わずかに揺れた。一瞬、胸に鋭い痛みが走る。理由は分からない。
「……対象、確認」
声が、ほんの僅かに掠れる。
「異常なし」
だが、足が動かない。剣を振り下ろせない。加護陣が、微かに歪む。
「聖騎士側、波形乱調!」
アシュレイは、確信する。完全に壊れていない――まだ、残っている。
「レオン」
加護陣の隙間から、黒が彼を包む。攻撃ではない、そっと触れるだけ。心の中の空洞に、静かに沈むように。それだけでレオンの呼吸が乱れた。
頭の奥で、何かが軋む――夜の回廊・触れた温度。
《離したくない》
断片的な映像が、脳裏の奥で流れ始める。
「……っ」
加護陣を作っていた剣が落ち、石畳に重たい音が響いた。アシュレイがゆっくりとした足どりで、目の前に立つ。
「レオンに命じる」
低い声は震えているが、ハッキリと告げる。
「思い出せ!」
レオンの瞳が揺れる。感情はない――はずなのにジリジリと胸が焼ける。心の空洞が悲鳴をあげた瞬間、神殿の結界が軋む。
「後退させろ!」
地下で観測を続けていた老神官が叫んで距離をとらせようと試みたのに、レオンは動かない。アシュレイから視線が逸れない。彼の手が、レオンの胸に触れる。
鼓動が速い。あり得ないほど――。
「私は、お前を求めている」
静かに、心を込めてアシュレイは口を開いた。
「今もだ。永遠に変わらない」
その言葉が――レオンの封印に亀裂を入れる。地下にある水盤の術式が歪む。水盤の中の水が大きく揺れる。
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「干渉強度を上げろ!」
だが削れても消えない。レオンの唇が震え、声にならない声が何かを告げる。それは痛みか――それとも。
黒と白が、塔の上で渦を巻く。これは戦闘ではない。奪われた心と、取り戻す意志の衝突。
神殿は、ようやく理解する。この二人は、同時には制御できないことを。
塔の最上階でアシュレイとレオンが見つめ合う中、黒と白がせめぎ合っていた。レオンの剣は手から落ち、加護陣は不安定に揺らいでいる。その均衡を崩すように、アシュレイの左手が彼の胸に触れた。
「思い出せ!」
悲痛に滲む声が封印の奥に亀裂を走らせると、レオンの瞳が揺れた。
「……離したく、ない」
かすれた本音。その一言で、水盤が激しく波打つ。
「聖騎士の情動反応、再燃! 術式崩壊寸前!」
老神官が即座に決断する。
「強制遮断、開始せよ」
一瞬の静寂の後に、塔を貫く白光がレオンの身体を撃ち抜いた。
「ぐ……うッ!」
倒れかけたレオンを支えようとアシュレイが上半身に触れた瞬間、光が近づかせないように反発し、弾き飛ばされるようにふたりが引き離される。地下から伸びた光鎖が、レオンの四肢を拘束した。
「神経系再固定。情動野、凍結」
冷酷な宣告と共に、レオンの瞳から揺らぎが消えていく。さっきまで確かにあった“痛み”が、音もなく削ぎ落とされた。
「レオン!!」
アシュレイの叫びに呼応し、穢れが大きく爆ぜた。塔の壁が崩れ、結界が軋む。だが術は止まらない。記憶だけじゃなく、感情を断つ。それが神殿のやり方だった。
やがて、レオンの視線が結ばれる。そこにあるのは――無機質な聖騎士。
「任務、継続不能」
温度のない声に、アシュレイはショックで息を呑むしかなかった。光鎖が彼を引きずるように連れ去ろうとするそのとき、レオンの指先がほんのわずかに動いた。アシュレイへ触れようとするように。
でも次の瞬間、完全停止して光が弾けながら動きは消えた。
最上階に静寂が訪れる。残されたのは黒く渦巻く穢れと、膝をつく王子のみ。
(……今、確かに戻りかけた)
消えていない、消せない。ならば、やることはひとつ――。
「……武器にしてやる」
穢れを形を変えるためにアシュレイは呼吸を整え、頭の中でイメージする。
「神殿が奪うなら――」
黒が凝縮して、刃の形へと変化した。
「私は奪い返す」
その瞳に涙はない。あるのは覚悟だけだった。
地下神殿。隅にある台座に横たえられたレオン。情動反応はゼロ。水盤の端に微細な波形が、一瞬だけ揺れる。“A”の形に似た振動は、誰も気づかないほど微かだった。
塔の上空で黒が収束し、アシュレイの穢れが次々と形を成す。手には刃、背中には翼。身体を纏うのは黒の鎧。制御された威圧で、完全武装が完了した。
「レオンを返せ」
低く静かな声を発しても、神殿から返答はない。反応があったのは、棟を守る結界のみで、守りがさらに強化される。
それでもアシュレイは、一歩踏み出す。迷うことなく黒の刃が、結界に向かって振り下ろされた――第一層が崩壊して、三重の結界が薄くなった。その隙間見極め、黒の翼で地下神殿まで真っ逆さまに飛んでいく。
薄暗がりの中で目に映ったのは、慌てふためく神官たちと白い光に包まれたレオンだった。
「王子殿下」
感情のない声を聞いて、アシュレイの眉間が歪む。
「これ以上の侵攻は、反逆と見なします」
神官たちの盾となったレオンが、再び剣を振り下ろす。黒と白がぶつかる衝撃に、地下が大きく揺れた。
「レオン!」
アシュレイは迷わない。レオンの感情を取り戻すために、黒い刃を握る。
「今度は奪われない」
白の聖騎士と黒の王子が、神殿の中枢で再び対峙する。だがレオンの指先が、ほんのわずかに震えた。穢れの圧が、彼の奥に触れている。そのせいで、消えたはずの熱が、否応なしに疼く。
神官たちが水盤を見ながら叫ぶ。
「聖騎士の情動反応、再発!」
「遮断術式が不安定です!」
アシュレイは、さらに一歩踏み込む。
「選べ」
地下で声が静かに落ちる。
「神殿か、私か」
白の剣が音もなく振り上げられる。黒の刃が交差する刹那、火花が散った。 そして、レオンの瞳が揺れた。ほんの、ほんの一瞬だけ。
レオンの剣は正確だった。なのにアシュレイに全て先を読まれ、止められる。
(――なぜだ)
剣が交差するたび、レオンの中に違和感が積もっていった。
(なぜ、この距離が懐かしいと思える――?)
「レオン、私から目を逸らすな」
至近距離でかけられたアシュレイの声を聞くだけで、レオンの呼吸が乱れる。
何度も黒が白を削る。刃を交わした五撃目で、白が黒を裂いた瞬間、アシュレイの頬に血が滲む。
その赤を見ただけで、レオンの心拍が大きく跳ねた。
「……損傷確、認」
なぜか声が掠れる。
「私を傷つけて、お前は平然でいられるのか」
アシュレイが大きく踏み込み、黒の刃が横薙ぎに走る。レオンはそれを受けたが、完全に防げない。鎧が砕け、肩から血が散る。
温かくて赤い血が目に映った瞬間、視界が揺らぐ。 夜の回廊、触れた指先。そして、熱いくちづけが走馬灯のように頭の中に流れた。
「離したくない」
自分の声でレオンの剣が、ピタリと止まる。
「早く思い出せ!」
アシュレイがレオンに踏み込みながら叫ぶ。
「お前は、私の騎士だろ!」
その言葉が、レオンの核心を撃ち抜いた。
守る者、誰を――アシュレイ。
「やめろ……!」
神殿の水盤が激震する。
「情動再活性化!」
「遮断術式、維持不能!」
老神官が叫ぶ。
「戦闘継続を命じろ!」
命令が脳へ流れ込む。レオンの精神に干渉しようとする神殿の光が、彼を締め上げる。強制遮断が再起動を試みた。
だが、剣を握るレオンの手が震える。自分で、王子を斬らないように。その隙をついて、アシュレイが刃を払う。レオンの剣が弾かれ、石床に突き刺さった。
レオンは膝をつき、両手で頭を押さえる。白の加護が乱れ、その場で砕け散った。
「……アシュ、レイ……」
はっきりと名前を告げたレオン。
「遮断不能!」
「情動波形、暴走!」
神殿が悲鳴を上げる中、レオンが顔を上げる。瞳にいつもの熱が戻っているのが、アシュレイの目に映った。
「……俺は……」
息を荒げながらも、心を込めて告げる。
「お前を、守る……騎士だ……」
完全ではない。まだ術は絡みついているが、もう神殿のいいなりにはならない。アシュレイがゆっくり近づく。黒は攻撃ではなく、包むように揺れる。
ふたりのぶつかり合いにより神殿の結界が軋み、棟の崩壊は時間の問題だった。