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『どうした、蓮。
渋い顔して♪』
仕事中、帰ってきている渚からメールが来ていた。
……社長室に居るのにな、と思いながら、
『なんでもないですよ。
仕事中に、メールやめてください、はーと』
と送り返す。
帰ってきた途端、お前のメールには、愛がない、と言われてしまったので、ハートのひとつも入れてみた。
『お前、記号入れる位置、おかしいぞ★』
『貴方こそ、使い方、おかしいです、はーと』
立ち上がる音がして、社長室の扉が開いた。
「ちょっと来い、蓮」
だから、最初から口頭で伝えろというのに、と思う。
ちょうど脇田も葉子も誰も居なかった。
中に入ると、すぐに、
「どうかしたのか? 渋い顔をして」
と言われ、
「いえ、なんでもないんですけど……」
と答える。
渚に話すべきなのだろうか。
でも、まだなにも言いたくない。
そのとき、電話がかかって、渚は話しながらメモを取っていた。
出て行くべきかな、と思ったのだが、内線電話だったようだし、黙って、その様子を見ていた。
電話を切って顔を上げた瞬間、渚に言った。
「渚さん、好きです」
ポロっと渚がペンを落とす。
「ど、どうした?」
と渚が言い終わるのを待たずに出て行った。
また電話が鳴ったようで、渚は、追っては出られないようだった。
扉越しに渚が話している声を聞きながら、そういえば、声も好きだな、と新しい発見をする。
こうして聞いていても好きだけど。
耳許で囁かれると、ぞくりとする。
……なんだ。
私、結構、渚さんのこと、好きなんだな、と実感した。
蓮は考え事をしながら出来る作業に専念した。
名簿にスタンプを押す。
心を飛ばしていてもできる仕事だからだ。
そのうち、無心にスタンプを押していた。
「蓮、おい、蓮」
呼ばれて、ようやく顔を上げる。
「これ、あとで、脇田に渡してくれ」
とメモを渡してくる。
「あ、はい」
と受け取ると、
「どうかしたのか?」
と訊いてくる。
「ああ、いえ。
なんでもないです。
渚さん、今日は……」
なんでもないです、と繰り返したが、渚は、
「今日も行くぞ。
拒否はなしだ」
とよく考えればひどいことを言ってくる。
だが、今はそれが嫌ではなかった。
「はい、待ってます」
と言うと、渚は少し驚いた顔をした。
待ってます、というか。
待っていたくはないような。
そうでもないような。
うーん、と思っているうちに、渚は去り、脇田が帰ってきた。
「脇田さん、社長からです」
とメモを忘れずに渡す。
脇田は内容を確認し、
「ありがとう」
と手帳に貼り付けていた。
「どうかしたの? 秋津さん」
「いえ、なんでもないです」
と言って席に戻った。
脇田がまだこちらを見ている気がした。
今日、暇? とか軽く訊けなかったな。
そんなことを思いながら、脇田は一人、夕食を買いに、あのコンビニに来ていた。
食事に誘うくらいよかったのでは。
蓮は気晴らしに付き合ってくれると言っていたし。
いやでも、渚がすぐに来るよな。
今は専務と話してて、引き止められてるみたいだけど、などと考えていた脇田は、向かいの通りのビルの下に蓮が居るのに気がついた。
かなり離れているのに、すぐにわかってしまった自分をちょっと恥じる。
あれ、隣の男。
石井奏汰だ。
仕事ではあまり接点はないが、目立つので、よく覚えている。
どうも蓮と食事をして、出てきたところのようだった。
僕も誘えなかったのに、と思いながら、待てよ、他の人も一緒かも、と思って見ていたが、他には誰も出ては来なかった。
蓮は奏汰と別れ、マンションに向かい歩いていく。
なんとなくこっそりあとをついていきながら、なんだかストーカーみたいだぞ、と自分で思っていた。
蓮はマンションに入ろうとしている。
これ以上ついて行ったら、完全にヤバい人だ、と思い、
「秋津さん」
と声をかけた。
少し距離があったのだが、耳ざとい蓮は、すぐに足を止め、振り返った。
「ああ、脇田さん。
おうち、こっちでしたっけ?」
と間抜けなことを言う。
「……違うよ。
今、石井奏汰と一緒だった?」
と訊くと、一瞬詰まり、渋い顔をする。
「そうなんですよ」
「なに? なんかまずい話?」
「いや、別にまずくはなかったんですけどね。
ところで、さっきから、脇田さん、私の後ろに居ました?」
どきりとしながら、
「え、居たけど」
と言うと、
「そうですか」
とちょっと考えている風な顔をする。
「あの、ちょうど、そこで姿が見えてさ」
と言い訳をしようとしたとき、蓮が言った。
「会社出たところからずっと居ました?」
「いいや」
と言うと、
「やっぱりそうですか」
と表情を曇らせる。
「秋津さん、もしかして、誰かにつけられてる?」
「わからないです。
そんな気配がしただけです。
ちょっと過敏になってるのかも」
なんで過敏になる必要があるんだろうと不安になる。
「渚さんじゃないなと思ったんですよ。
ほら、あの人って、何処に居ても、俺を見ろって感じの気配が飛んでくるじゃないですか。
気配って言うか。
最早、粒子?」
と言うので、笑ってしまった。
しかし、彼氏もストーカー扱いか、と思う。
「でも、今の、渚が見たら怒るよ。
ただ食事に行っただけかもしれないけど。
あいつ、ああ見えて嫉妬深いから。
って、ああ見えてじゃないよね。
見たまんまか」
と言うと、今度は蓮が笑った。
「そうですね。
気をつけます」
じゃあ、と蓮は手を挙げ、行きかけて、
「そういえば、なにか用事でしたか?」
と戻ってくる。
「ああいや、姿見えたから声かけただけ」
そこで迷ったが、さっき、奏汰と居た蓮を思い出し、今、此処で言わないと、奏汰にさえ負けた気になるな、と思って言った。
「今度、憂さ晴らしに付き合ってくれるって言ったじゃない」
「ああ、そうですね。
いつが……」
と言いかけ、蓮は一瞬、笑顔を止めかけた。
だが、すぐに微笑み、
「いつがいいですか?」
と訊いてきた。
「いつでもいいけど。
早く終わる日なら」
「渚さんにも言っておきましょうか」
と言い出すので、
「渚はやめて」
と言った。
「渚も、気を使って、他の女の子誘うのもやめて。
僕、静かに呑みたいし。
渚には、仕事で弱ってるところは見せたくないから」
上手い言い訳な気もしたし、それが本心のような気もしていた。
「了解です」
と蓮は言う。
「渚さんが来ないときは、私は暇ですよ」
「それ、空いてる日、ないってことだよね……?」
と言うと、そんなことないですよ、と笑っていた。