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うわ……めっちゃ刺さったわこれ。 「星の君」って呼び方、めちゃくちゃロマンチックで好き。 告白のシーン、緊張が手に取るように伝わってきて、こっちまで息止めて読んじゃった。 田中さんの返しも、冷たさじゃなくて「未来のために身を引く優しい拒絶」ってのが大人の誠実さで泣ける。 最後の教室で泣き崩れて、それでも一歩踏み出す主人公、めっちゃええ子や……。 この話、透明人間だった子が“伝えて傷つく”ことで自分を取り戻す物語やったんやな。最終回なのも納得の美しい締めくくりやった。 良い作品をありがとうございました。
その一週間は、まるで砂時計の砂が落ちるのをただ見つめているような、残酷で息苦しい時間だった。
教室での私は相変わらず透明人間のままだった。女子グループの輪からは完全に外れ、休み時間は自分の席で文庫本を読んだり、ノートに意味のない落書きをして過ごした。けれど、以前のような惨めさや焦燥感は不思議と薄れていた。私の心の中には、教室のヒエラルキーなんかよりもずっと大きくて、ずっと切実な問題が居座っていたからだ。
――来週の金曜日が最後です。
田中さんのその言葉が、頭の中で何度もリフレインしていた。
伝えたい。自分のこの、どうしようもない気持ちを。でも、伝えてどうなるというのだろう。相手は二十二歳も年上の大人で、ただの学校の清掃員で、私はただの一介の女子高生だ。漫画やドラマじゃないんだから、ここで劇的なハッピーエンドが訪れるわけがないことくらい、十六歳の私にもわかっていた。
それでも、言わずにいられなかった。このまま彼が別の街へ行き、私がただのよく泣く女子生徒として彼の記憶の片隅で埃をかぶっていくことだけは、どうしても耐えられなかった。
そして、運命の金曜日がやってきた。
六時間目の終わりのホームルームが長引き、私が西棟の三階に駆けつけた時には、時刻はすでに午後五時半を回っていた。
梅雨の合間の晴れ間。西日が強く差し込む廊下には、いつもの清掃カートが置かれていたが、田中さんの姿はなかった。
「……田中、さん?」
息を切らしながら周囲を見渡すと、一番奥の空き教室の扉が少しだけ開いているのが見えた。
そっと近づき、隙間から中を覗き込む。
夕日に赤く染まった教室の中で、彼は一人、黒板のチョークの粉を丁寧に水拭きしていた。青い作業着の背中はいつも通り少し丸まっていて、窓から差し込む光が、空気中を舞うチョークの粉を金色の砂のようにキラキラと光らせていた。
私は大きく深呼吸をしてから、引き戸に手をかけ、ガラリと音を立てて開けた。
「……あ」
手を止めて振り返った田中さんは、入り口に立つ私を見て、ほんの少しだけ目を丸くした。
「星の君。……今日は、もう帰ったのかと思っていました」
「っ……。最後だから。どうしても、お礼が言いたくて」
私は震える足を必死に前に進め、教室の中ほどまで歩み寄った。私と彼の距離は、およそ三メートル。教室に並んだ無人の机が、二人の間を隔てる障害物のように横たわっている。
田中さんは手元の雑巾をバケツの縁にかけ、私に向き直った。その静かで、凪いだ海のような瞳に見つめられると、用意していた言葉がすべて頭から吹き飛んでしまいそうだった。
「私……ずっと、学校が苦しかったです。透明人間みたいに息を潜めて、誰にも本音を言えなくて」
口から出たのは、用意していた綺麗な言葉ではなく、もっと泥臭くて、情けない本音だった。
「でも、田中さんが、モップをかけてるあの背中を見ると、すごく安心したんです。私の落とした星を拾ってくれて、『こころ』の話をしてくれて。大人の理屈で私を子供扱いしないで、一人の人間として話を聞いてくれた。それが、本当に、本当に嬉しくて……」
声が震え始める。視界が涙で滲んで、彼の顔がぼやけた。それでも私は、足を踏ん張り、両手をギュッと握りしめて言葉を紡いだ。
「私、田中さんのことが好きです。ただの憧れとかじゃないです。……本当に、男の人として、好きです」
言い切った。
静寂が、夕暮れの教室に降り積もった。
窓の外から、カラスの鳴き声と、遠くのグラウンドの砂埃が風に舞う音だけが聞こえる。私の心臓の音は、鼓膜を突き破りそうなほどうるさかった。
困らせてしまっただろうか。からかわれるだろうか。「からかわないでよ」と笑い飛ばされるのが、一番怖かった。
しかし、田中さんは笑わなかった。
彼は深く、静かな溜息を一つだけつくと、私の目から一切視線を逸らすことなく、ゆっくりと口を開いた。
「……ありがとうございます」
それは、大人が子供をあしらう時の声ではなかった。一人の人間が、もう一人の人間からの想いを、真正面から受け止める時の、重くて真摯な声だった。
「僕のような、ただ床を這いつくばって磨いているだけの冴えない人間に、そんな風にまっすぐな言葉を向けてくれる人がいるなんて、思ってもみませんでした。あなたのその気持ちは、とても綺麗で、尊いものだと思います」
田中さんはそこまで言うと、少しだけ眉を下げるようにして、ひどく優しい顔をした。
#シークレットベビー
夏目萌*優しい彼~コミカライズ
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「でもね。僕はもうすぐ四十になる、ただの疲れた大人です。君が思っているような、立派で、君を救えるような人間じゃない。君の世界はこれから先、もっともっと広がっていきます。大学に行ったり、社会に出たり、いろんな景色を見たりするでしょう。その中で、僕という存在は、ただの、“高校時代の放課後の風景の一部”にすぎない」
「そんなこと……!」
「あります。必ずそうなる」
私の反論を、彼は静かに、けれど強い力で遮った。
「君のその熱くてまっすぐな気持ちは、ここで立ち止まっている僕なんかのために使ってはいけない。これから先、もっと明るくて広い場所で、君と同じ歩幅で歩んでいける、君と同等に傷つき、悩める誰かのために、大切に持っていてください」
それは、これ以上ないほど明確な拒絶だった。
けれど、そこには一片の冷たさもなかった。私の感情を気の迷いだと切り捨てることなく、私の存在そのものを肯定し、その上で、私の未来のために身を引いてくれたのだ。
大人のずるさなんて微塵もない、あまりにも誠実で、優しすぎる拒絶。
その優しさが痛くて、私はついに顔を覆って泣き崩れた。
ボロボロと溢れる涙が、スカートに染みを作っていく。嗚咽が教室に響いても、田中さんは私に安易に触れようとはしなかった。ただ数メートル離れた場所で、私が泣き止むのを、静かな忍耐を持って待ち続けてくれていた。
「……っ、うう、ひぐっ……」
どれくらい泣いただろうか。やがて涙が枯れ果て、しゃくりあげる声だけが残った頃、田中さんはバケツを手に取り、静かに背を向けた。
「あの本」
「……え?」
「『こころ』。先生は最後に自ら命を絶つけれど、残された青年は、その痛みを知った上で、自分の人生を歩いていかなければならない。……君なら、きっと大丈夫です」
田中さんは振り返り、最後にもう一度だけ、ほんの少しだけ口角を上げた。
「さようなら。星を落とした君。……どうか、良い大人になってください」
それだけを言い残し、彼は教室を出て行った。
廊下を遠ざかっていく、シャッ、シャッというモップの音と、カートの車輪の音。その音が完全に聞こえなくなるまで、私は動くことができなかった。
夕日はすっかり沈み、教室は青灰色の薄闇に包まれ始めていた。
鼻の奥には、いつものツンとするワックスの匂いと、少しのチョークの匂いが残っている。
私はゆっくりと顔を上げ、窓の外を見た。
涙で赤く腫れた目で見る世界は、一時間前と同じはずなのに、なぜかひどく輪郭がくっきりとして見えた。心の中を占めていた重たい熱の塊は消え、代わりに、ぽっかりとした空洞と、透き通るような静けさがあった。
失恋した。間違いなく、私の初恋は終わった。
でも、もう透明人間じゃない。私は誰かに想いを伝え、そして真っ直ぐに受け止められ、傷つくことができたのだから。
私は小さく深呼吸を一つすると、制服のシワを伸ばし、誰もいない教室に向かって深くお辞儀をした。
そして、まだ少しだけ赤い目を擦りながら、前を向いて歩き出した。
放課後のオレンジ色のモップ掛けは、もう終わったのだ。
明日から、また新しい朝が来る。
清掃員のおじさん(38歳)に恋をしてしまった女子高生の話。
fin