テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「俺と、一緒においで」
その綺麗な大人の男の人はふわり柔らかな笑みを浮かべながら、ひとりぼっちのシンにそう言ってくれた。
それはシンが尾久旅のラボを勢いのままに飛び出し、都会の片隅で非行少年的な毎日を送っている日々の中でのことであった。
大人の男の人、とはいっても彼は実際には十代後半くらいの年頃であったが、シンには、彼が大人そのものに見えた。
男の人はシンに向かい、そっと、ぬらりと罪に濡れた掌を差し出してもくれた。頬やシャツに大量の返り血を浴びているというのに、噎せ返る死の匂いの中に立っているというのに、彼の足元にはドス黒い水溜まりがあるというのに、彼はまるでクラシック音楽を奏でるヴァイオリンのように、とても優雅であった。
けれどもシンは男の人の汚れた手をサッと一瞥したのみで、軽率に手を伸ばし返しはしない。だってシンは、この男の人と出逢ったばかりであるので、この男の人を信じて良いのかが、まるで分からない。
――倫理的にとても間違っている方法で、今、この人が俺を助けてくれたとしても。
そんなシンの態度にも、男の人に気分を害した様子などは無い。
「ああやっぱり、君は馬鹿じゃあ無いね。君のように注意深く、軽率に他人を信じない子は、俺は非常に好ましいと感じるよ」
此処はビルとビルとの隙間に形成され、薄ぼやけた、無機質な谷間のような昏がりであった。頭上にはピンク色に焼けた、狭い夜空があった。星は見えない。そしてシンと男の人の傍には、もうピクリとも動かぬ男が倒れていた、
「君は凄いね。この男は、これでも末端の殺し屋だったんだよ……ああ、さっきの君の動きを俺は見ていたんだけれど、もしかして君は他人の心が読めるのかい?」
男の人はにっこりと、シンに優しく微笑みかけてくれる。……でも優しいのに、どこか冷たい。
けれど、その冷たさとはシンに向けられている温度では決して無く、この人の、密かに生まれ持った燃え盛る炎のような内面の激しさや、魂の壮絶さを必死に押し隠す為にこそ、この人が生まれた時から長い年月をかけ身に付けた処世術であるのだと……この男の人の心を読んだシンは、その事実を正しく理解した。
……だから、この人が厭じゃあないと思った。
だって、この人は偽善者じゃあ無い。
この男の人曰く、横の血溜まりで呆気なく息絶えている男は、”コロシヤ”の風上にも置けぬクダラナイ人間であり、こいつはサツレンという組織からライセンスというものを与えられているというのに、こいつの飼い主であるサツレンの定めた規約に反し、殺しの技術を自らの利益の為に悪用したクソヤロウであるらしい。
と、男の人は優しい口調のまま、地面に尻を付いたまま男の人をジッと見上げるシンに、丁寧に教えてくれた。クソヤロウという、とても汚い言葉を、男の人は、例えば”トライアングル”や”黄金螺旋”、”月食”、”オリオン座”などという綺麗でロマンティックな単語を口にするかのように。クソヤロウ。それ自体が美しい言葉であると錯覚するほどに、当たり前のように。
当たり前の自然さで彼は口にしたから。思考上にも、さざなみ一つ立てずに。だからシンも当たり前のことのように、それを聞いた。
ただ、サツレン、という不思議な単語を口にする際だけ、男の人のすべりすべりと上質のベルベットみたいな柔らかな声音に、ぞわり、微かな憎悪のようなものが滲んでいた。
それも、シンは厭じゃあ無かった。
それはこの男の人の思考や心に微かに垣間見える、彼の本質であったから。むしろ、いとおしさに似たものすらシンは感じたのだ。まあ、この頃のシンはいとおしさなどというタッタ五文字の言葉も、意味も、まるで知らなかったけれど。
(……後に、この時の感情を二十一になったシンが、白いシーツの上で男の人にたっぷりと甘やかされながらも、ふと、懐かしげに明かした時、『――その言葉を知らないのならば、その感覚も、感情も、実は無いのと同じはずなんだ。ほら、言葉が世界を作るのだと聖書も説いているだろう?ならば、その言葉を知らなければ、その感覚すら、人は自分自身の中で真に噛み砕き、理解することすら出来ぬはずであるんだ』と、この妙に理屈っぽい男の人はふうっと呆れたように、シンの前髪を、美しい指先で掻き上げてやりながら言った。)
(だがシンには、彼の好む哲学的な思考はよく分からないから、『ああもう、ボスは相ッ変わらずアタマが固いよなあ。いいか?言葉なんて知らなくってもよ、その感覚は確かに俺ン中にあったし、今、この瞬間にもあるもん。つまり、俺が生き証人だぜ?』と生意気に言ってみせ、お腹の中に収まっている男の人の硬く熱い杭を、きゅんっ、と悪戯っ子のように締め付けてもやる。)
(するとキョトンと目を丸くさせた男の人は、『……これは驚いた……シンはいつも、俺の常識や既成概念を覆してくれるね……ああ……こういうの、凄く堪らないなあ……』と呟き。嬉しそうに、いいや、それはまさに――とてもいとおしげに――彼はシンをじいっと見つめ、更には、彼にしては珍しくも、ふはっと無防備に微笑い。彼はシンの瞼やこめかみ、唇へと、飽きるほどに大量のキスの雨を降らせてくれた。)
(その弾みに、結合部分は更にグッと奥へと押し込まれ。)
(『あっあっ、ボス……』シンが彼を締め付けたままイッてしまうほどに、深く、深く、男の人はゆっくりと腰を突き入れさせる。シンは男の人の腰に脚を絡めさせ、より、俺の深淵へ入ってと彼を誘う。)
(俺のすべては、貴方のものだからと。)
先ほど、この、息絶えたクソヤロウのコロシヤは身寄りの無いシンを捕まえ、人買いに売りつけようとしていた。
なんせシンのような見目が良い少年というのは需要があり、良い値段になるらしいのだ。シンを売った金でコロシヤが女を買おうだとか、夜のお店で豪遊しようだなどと考えていることまでも、エスパーであるシンにはまるっと筒抜けであった。
だからシンは、自分を攫おうとするコロシヤに必死に抵抗した。がぶり、凶暴な仔犬のようにコロシヤの手に噛みつき、コロシヤが痛みに怯んだ隙に、その太い腕から抜け出した。コロシヤは激しく罵りながらシンに腕を伸ばしたけれど、シンはコロシヤの心を読みながら、的確に、避け、コロシヤの手からスルリと逃れる。しかしコロシヤの動きはシンよりもずっと素早く(それが腐っても殺し屋であるから故の技術というなら、それも頷ける)、シンは再びコロシヤの腕に捕らえられる。
ここでオカしちまえば大人しくなるよなア、と下卑た笑みを浮かべるコロシヤに全身でグッとのしかかられ、シンは余りに強い怒りで目の前がカアッと真っ赤になり、ばたばたと藻搔いた華奢な指先が触れたのは汚れた地面に転がっていた長い釘であった。シンは咄嗟にそれを掴んで、コロシヤの首筋に思いっきりに突き立てようとする……が、それはコロシヤの皮膚をガリッと掠めただけであった。
ぱっと、血が飛び散る。
……いくら不良少年であるといえ、シンは自身のエスパー能力を活かした自己流の喧嘩の技術しか持たず、力もさほど無く、殺し屋を殺すほどの腕などまだ無かったのだ。
こンのクソガキめッ、死にてえのか、ブッ■す!カッとなったコロシヤがシンの首を絞める。くるしい。クソ、もう数秒早く釘を振り翳していれば、おれでもこいつをころせたのに、そう思うシンの視界がぼおうっと、ぼやけてゆく、
『――駄目だ。君は、此処で死ぬべき人間じゃあ無い』
次の瞬間、首への圧迫感がすうっと消えた。
突然、音も気配すらも無く現れた、綺麗な顔の男の人が、シンにのしかかっていたコロシヤに、『……が、……ァ……』何かをしたらしい。シンは、げほっごほっと息を吐き、必死に吸い込みながらも、コロシヤの体の下からズッと飛び退るようにして、咄嗟に這い出る。
ずちゃんと、コロシヤの体がアスファルトの上に落ちた。ずる、と重力に負けたコロシヤの体から、引き抜かれた男の人の手がぬらぬらと濡れている。コロシヤの背中には穴のようなものが空いていた。
男の人は、シンを助けてくれたらしい。
シンの死ぬ時は今では無いと、彼は思ったものらしい。
「俺と一緒においで」
男の人は、もう一度言う。
エスパーのシンには、分かった。もし、シンがこの手を拒絶すれば、この男の人はシンにも同じことをするのであろうと。
なんせ男の人には人生を懸けてでもやるべきことというのがあり、今、彼はその準備期間として、自らと志を共にする仲間を求めている。自らに、心も命も魂も捧げてくれる同志を。コロシヤやらサツレンやらを知らぬ、無垢なシンは直ぐに男の人の思想に染まるであろう。さながら、刷り込みの成された鳥の雛のように。
男の人にとってエスパーは、何よりも重要な駒となるであろう。
けれども、シンが彼の駒とならぬのであれば、この場で消すのが最も効率の良い手段だ。だってエスパーがサツレン側の人間の手に渡れば、将来、男の人の計画に綻びが生じる可能性がある。
男の人も、今、この瞬間、シンに心を読まれているなど承知であろう。むしろ、ワザと読ませている。これは一種の脅迫だ、
――だからシンは、笑った。
――それは無邪気で、年相応に子供っぽく、とても可愛らしい笑みであった。男の人が微かに、目を見開かせる。彼の心の表層部分に、まあるい水紋のような小さな動揺が生まれる。
「俺、あんたと一緒に行く。そんで死ぬまで、あんたと一緒に居る」
まるで遊園地に連れて行ってあげると言われた子供みたいな喜びの滲んだ声で、シンは嬉しそうに言った。
シンは命が惜しくて、そう言った訳では無かった。
男の望む、心も命も魂も捧げるというのが自分に出来るかなどは分からなかった。そういうのは、シンにはよく分からなかった。ただ、シンは、この一見おとなしやかで穏やかな雰囲気の男の人が、必死に心の奥底へと押し隠す怒りを、激情を、心の奥底で、今、この瞬間もメラメラ燃え続けているであろう苛烈な魂を、美しいと感じてしまったから。
いつか、その炎に触れたい。あんたの、ありのままの苛烈さで俺を強く抱き締めて欲しい。そう思ってしまったから――それは、もしかしたら恋。
その、生まれたての恋情が男の人にも伝わったのであろうか。男の人は、すっと猫のように目を細めさせた。そう、彼はとても満足げに、
「ありがとう」
いとおしい生き物を見る眼差しで、シンを見つめている。べっとりと血に濡れた彼の罪深き手を、シンは小さな掌でシッカリと掴み返した。
◇
都内で、まさかの殺し屋殺しが発生した。
その被害に遭ったのは、とある小さな殺し屋会社であった。
従業員数はタッタの十数名であったが、殺連直属の依頼も請け負うような手練れの殺し屋も数名ほど所属している、Aランク評価の会社でもあった。
現場を訪れた私服姿の南雲は、ある死体を前に、「…………」グッと、微かに眉根を寄せる。
その頭部は、まるで、桃や蜜柑のように柔らかな丸い果実を拳で思いっきりに殴りつけたかのように、ぐしゃりと押し潰れていた。
……多分、これは武器を使用したものでは無いな……例えば、物凄く強烈なパンチを一発、顔の真正面、、、からドカンと喰らったかのような……ああそうだ、これはまさに拳そのものの痕だ……だが、ここまでの威力を伴うパンチなど、例え犯人が殺し屋であったとしても人間だろ?ああそうだ、これでも人間によるものであるはずなんだ。けれど、これほどの苛烈な攻撃が、単なる人間の拳や力によって可能であるのか……?……いや、身体能力を最大限に引き出させるような仕組みを持つ道具があれば、あり得るだろう。単純に考えればグローブ辺りだろうか、を犯人が嵌めていたとするなら……とりあえず、関東近辺の殺し屋専門の武器製造業者や職人を片っ端から当たってみるしかないか、だが、これだけのことをする犯人が正規の業者を利用する訳も無いだろうが……
南雲は羽織っているロングコートのポケットからスマホを取り出しつつも、冷静に思考する。
死体の服に残されていた財布、そこに収められていた殺し屋免許証に記されている番号を、南雲はスマホに打ち込んだ。その画面に映し出されているのは、殺連所属の殺し屋のデータが管理されているページであり、これは殺連上層部により管理されているものであって、ORDERのメンバーというのは任務の都合上、ページへのアクセスが許されてもいた。
それによれば、この被害者は、非常に優れた殺し屋であったという。
そのように優秀な殺し屋が、恐らく回避も抵抗も一切無しに顔面からのストレートな攻撃を受けた。しかも、彼はこの一発で呆気なく即死したものとも推測される。
南雲は、また別の死体へと目を遣る。
そちらは今さっきの潰れた果実のようなそれとは傷口の形状自体が違っており、それどころか損傷部位すらもが違っていた。こちらは胴と下半身が、強烈な力により切り離されていた。いや、それは刃物による切断では無く、ある程度の大きさのある硬い物体に掛かった強大な力により押し潰され、その圧迫により、瞬間的にぶちんと引き攣るようにして千切れたという方が正しい。
傷口には微かな焦げ跡と、鋭利な何かで抉られたような痕も残っていた、「……ああそうか。武器自体に、突起のようなものが付いていたのかな……」南雲は思わず、そう呟いた。こちらの死体にも抵抗の様子は一切無く、むしろ死体の表情から察するに、被害者は自分に一体何が起きたのかすら全く理解して居らぬ風にも見えた。
拳を使ったであろう、それと。変わった武器を用いたであろう、それと。
両方とも、脳筋的な単純ささえも感じさせるほどに技巧も何も関係ナシの力任せな攻撃であると――複数の刃物が連なり、六種類のそれぞれ別の用途が備わる特殊な武器を(しかも気分でそれを使い分けることの可能な武器を)愛用する南雲は、つい思う――それでいて、どちらも圧倒的実力。そこには優れた戦闘センスをも感じさせる。
何もかもを度外視したような、本能的、一見すれば荒削りに見えるが、これは洗練され切っている。桁外れ、化け物じみた、などという言葉がとても似合う――けれども、これはJCCのような殺しの技術を学ぶ専門の機関で得られる強さでは無いであろうとも、南雲は思った。
これは明らかに、ほぼ、、独学で磨かれたスキルとセンスであった。
この犯人たちの遣り方には、殺しの教科書に載っている既存のスタイル、その気配が一切感じられない。恐らく、これはJCCなどの育成機関で教師たちから学んだ殺しの技術やセンスでは無い。
そういう人間とは、”この世界”に於いては非常に恐ろしいものだ。何故なら、そういう人間とは発想自体が何処までも自由である。これはダメ、あれもダメという誰かにツクられた先入観が無い。そう、殺しのセオリー自体が存在しない。
自らが、自らをありきたりの型に嵌めない。
故に、強さの限界というものが無い。いつまでも成長し続ける。
「……あ〜……これは思いの外に厄介な案件かもしれないな……。……きっと、始まりにしか過ぎない」
どろりと広がる血溜まりの中――真顔で立ち尽くす南雲は自らの真正面へと、静かに目を向けた。そこには妙に歪な《×》という記号が、白い壁に、でかでかと描かれていた。
……これはローマ字のエックス……それともバツ記号か……?
ワザとなのか、それともこれを描いた人物の視覚上のズレのせいであるのか、或いは、その人物には絵心自体が元から欠けているのか……その何れであるかは不明であるが、ざらりと掠れた短い直線とベットリと濃く長い直線とが、それぞれの線の中途半端な位置でクロスしている。しかも、ベットリした方の直線には何度も何度も線を上から重ね直し、無理矢理に修正しようとしたかのような痕跡までも残っていた。
これを描いた人物は、案外とこだわりが強いのかもしれないと南雲は思う。ああそうだ、このような印を現場にワザワザ残す時点で、犯人は強いこだわりと独自の美学を持ち、更には肥大した自己顕示欲の塊だ……ああやはり、これは殺連への宣戦布告か。
それは被害者の血で描かれていた。
*
裸体のシンは、裸体の楽とベッドの上で汗だくに絡み合っていた。
二人とも、肩や胸、腕、腹、脚と、全身に均等な筋肉が美しく付いている。ただ、シンよりも楽の方が多少ガタイが良い、それは根本的な骨格や体質の問題である。
「あ、あ、あ、あ……そこ、すげえ、イイ……」
半開きの唇で、シンが甘く歌うように喘ぐ。彼らは正常位で交わり合っており、シンは楽の固く、太い首筋に、死にかけの蜘蛛の脚のように、きゅうっと、腕を絡ませている。
ギシ、ギシとマットレスは嬌声のように深く軋んでいる。
楽がゆっくりと、だが的確にシンの内側のぽこりと小さく膨らんだ場所を先端で抉りゆき、奥へ奥へと進んでゆく、「すげ、……ァ、あ、おまえの、きもちい……」「…………」楽は無言のまま、無表情のまま、ただジッとシンの顔を見つめていた。彼の瞳にはどこか殺気にも似た鋭さが宿っていたが、それは決して殺意では無かった。
執着だ。
それは激し過ぎる、シンへの執着であった。
……その執着とイコールで繋がり、楽の行うセックスは案外とねちっこい。
「あ……あっ、あっ」
「…………」
「ァ、あ、ィあっ、あ、あ――……ッ」
気持ちが良いのであろう。
シンが、うっとりと目を瞑りながら首筋をガッと仰け反らせる。腰が楽の腰へと、ぐっぐっと無我夢中に押し付けられる。ハッ……。楽が微かに微笑った、《淫乱》《お前サァ……そんなに、俺のが好きか?》それは楽が思考上で行う、シンへの問い掛け。
だからシンは、「すき……すき……はあんっ」夢見心地のまま、楽の腰へと脚までもくねりと絡ませながら。その弾みで、結合は更に深くなり、「ァ、ッ、あ――ッ」《自業自得だろ……ああクソ、お前、やっぱ馬鹿で可愛いな》「俺、ばかじゃあ、ね、……あっあっあっあっ」《馬鹿だろ……ッ、ハア、こんなに煽りやがって、よ!》ず、ず、ジゅくんっと楽のものが結腸に食い込んだのを合図に、楽は腰の突き入れを不意に激しいものへと変えた。静と動のメリハリというのは、堪らない。
「ッあ、あ――、ッ、ああ~ッ……」
余りに強烈な快感に、シンは楽の首筋からつい手を離してしまう。
白いシーツの海、「あっ、あ~っ」小さな子がいやいやをするように、或いは芋虫のように、ぐねぐねと捩れながら絶頂するシンの上体を楽がバキバキの筋肉の付いた肉体でグッと押し潰すようにし、強く抱き締めてきた。
そのせいで硬く昂った楽のそれが、余計に奥へと入る。
「あがっ、ハ――ッ、はっ、ああ――……ッあっ、あ――……」
皮膚と皮膚とのあいだには、じっとりと汗が滲み、ハアッと熱く息を吐いた楽のこめかみを雫が伝い、ぽたり、それはびくんびくんと瞼を痙攣させつつも半ばひくりと白目を剥いたシンの目尻へ、落ち、故に快楽の果ての美しき涙となる。
ぐぽっ、ぐぽっと潤滑油が摩擦し、脳をひいひいとシビれさせるくらいに卑猥な音を立てる。
「あ――ッ、あっ、あっあっ、あ~ッ」
「…………」
「はあっ、ァ、ああ――……」
シッカリと密着したままに奥の奥へと何度も突き立てられ、更には楽の腕に拘束されながら、ピクッ、ピクッと瞼の上ッ側へと向け、虫の羽ばたきみたいに小刻みに揺れる黒目。とても、いやらしい。
そんな中でもシンは、汗で濡れる楽の額へと自らの額を必死にくっ付ける。
楽は何も言わない。
――二人の会話は、時に、このように、全くの無音のままに行われた。シンは勿論楽の心を読む。楽にはシンの思考は読めぬがシンは仕草と健気な肉の締め付けによって、その感情を余すことなく楽へと伝えてくれる。
(ああ、可愛い。)
(こいつ、すげえ可愛い。)
(……こいつは、俺のモンだし。)
(楽はそう思った。)
シンが、あん、ああんっと息を吐きながら、楽の額やこめかみにすりすりと頬擦りをした。二人はもう十年以上も、ずっと、ずっと、一緒に過ごしてきたのだ。互いのことなら何でも、ワカル。
思いっ切りに暴れた夜は二人っして、朝までセックスがシたくなる。
シンの初めての男は、楽であった。自分を拾ってくれた、あの男の人――本来は有月と言う名の……しかし、シンも楽も彼を当然のように”ボス”と呼ぶし、有月自身も自らにスラーという名を付けた――に抱かれるよりも先に、シンは楽に何もかもを暴かれた。
確か、あれはシンが十四歳くらいの時。
一方で楽の年齢はシンも楽自身も、それどころか、彼らのボスであるスラーさえも実は知らない。楽は生まれも育ちも少々複雑であった。でもまあ、多分シンと楽の歳は同じくらいであろうとシンも楽もどうでも良いことのように、そう思っている。もしくは楽の方が一つ、二つほど歳上で……いいや、もしかしたらこう見えて楽は、シンよりもいくつか歳下であるのかもしれない。
けれど生まれてから今まで一体何年経ったかだなんて、そんなもの、どうでも良かった。
いつも、いつまでも一緒に居られるのであるなら何でも良かった。
始めの頃は覚えたてのセックスが余りにも気持ち良すぎて、シンも楽も欲をぶつけ合う、ガツガツと貪るような獣のセックスをしたものであるけれど。楽は無理矢理にシンの中へと熱を捩じ込んだものであるし、シンも、痛えよ、馬鹿、とびいびい泣き喚きながら、ばたばた暴れたものであるけれど。しかし七年間もずっと交わり合い続けていると、彼らにとってのセックスとはありのままに細胞を擦り合わせ合い、何もかも一つになる甘美で、至上の行為となった。
肉体と肉体を介すからこそ、伝わる言葉というのがあるのだ。
思考とは無意識のうちに言語化されている。エスパーであるのはシンの方のみであるのに、楽にもシンが今、何を思い、何を感じているのかがハッキリと判るのであるから。
そんな二人は戦闘面に於いても、酷く相性が良かった。
そして彼らには、一般的な倫理や、大多数の人間たちが無意識に共有し合う”当たり前”というものが、欠けていた。だからこそ彼らは凄まじいほどに、狂気じみたほどに強かった。
この狂ったバケモノ二匹を育てあげたのは、ほかの誰でもないスラーである。当のスラーは二人を満足げに見つめ、ふっと微笑み――『ああ、シンはヤンチャで我が儘な猫ちゃんで、楽は、猫ちゃんなシンの傍でシンを守る狂犬みたいだね』なあんて、まるで他人事のように言うのであるけれど。
*
ふああと欠伸をしながら、シンが階下へ降りてくる。
その時、有月はリビングの窓辺に置かれた二人掛けのゴブラン織のソファにゆったりと腰掛け、静かに本を読んでいた。彼は上品なデザインのタートルネックセーターを着ており、これは上質なウール100%であるというのをシンも知っている、『ボスって、そういう綺麗めのファッションが似合って、如何にも大人ってカンジでカッコイイよなあ』と、シンは憧れの眼差しで、有月を見つめてくれる。有月と楽と、そして世話焼きの鹿島や、そのほかの仲間たちとで甘やかしたせいか、シンは年齢の割には少々子供っぽいところがある。
直ぐ傍のサイドテーブルにはほわほわと湯気のたつ、飲み掛けのコーヒーカップが乗っている。
此処は関東某所に存在する、有月の隠れ家の一つであった。時代の流れにより、寂れ、忘れ去られた別荘地の片隅にある二階建ての、こじんまりとした洋風建築の家であった。
シンの気配に気付いた有月は顔を上げ、「ああシン、おはよう」シンに微笑みかける。とはいえ、時刻は既に午前十時を過ぎているけれど。
そしてシンは裸体に、有月の、さらりと肌触りの良いボタンシャツを羽織っているのみという扇情的な姿であり、下着すら付けていない。でもまあ、これはいつものことである。
シンは幼い頃から眠る時に、有月の服を着たがった。『だってボスのシャツはボスの匂いがするから、俺、安心してよく眠れんの……ふふっ』と上目遣いで甘えたように有月を見上げるシンは、まさに淋しがりの猫のようで、もう、無性に可愛らしくて堪らない。
シンは「おはよう」と無邪気に笑いながら、有月の横にとすんっと腰掛ける。弾みでギシィッと、柔らかにスプリングが軋んだ。
シンは有月の肩へと形の良い頭をこてんと凭れ掛けさせ、「ねえボス、何読んでんの?」彼の手元へと視線を遣る。さらり、太陽の光のようにきらきらと美しいシンの髪が揺れる。
有月が読んでいるのは小説では無かった。ページに記されている文章は一つ一つの文字が大きいし、挿絵まで付いている、
「……これさ」
コンマ数秒の逡巡の後に、有月がシンへと見せた表紙には【きれいな幾何学図形の描き方】と書かれていた。
……キカガク、ズケー……その単語を復唱してみせたシンは、「あ」と何かに気付いたらしい、「もしかしてボス、昨日壊した、、、殺し屋会社の壁に描いたバツ。あのバツが下手くそだったのを、やっぱ気にしてんの?」シンは遠慮も無しに、そう口にする。
だから有月は、「……下手くそ、か……」ハハッ。思わずの苦笑い。
昨日はシンと楽、そして有月の三人で例の殺し屋会社を訪れた。
思いっ切りに暴れるのはシンと楽の役目であり、有月は×印を描くのにちょうど良い壁を探し、ずちゃ、どしゃ、という彼らの奏でる音をBGMに建物内を悠々と散策したものだ。シンと楽は、タッタ数分で呆気なく建物を制圧し、『なあ、ボスまだ?俺、待つの飽きちゃった』『バツなんてサ、ちゃっちゃっと適当に描いちまえばいいのになァ』『こら。シンも楽も……これは何よりも重要な作業なんだよ』二人にぶうぶうと文句を言われながらも、有月は掌に付けた血で×の記号を壁に描いてみた。
しかしキャンバスが大きければ大きいほど、絵のバランスとは取りにくくなるものであるらしい。
ふむ、人間とは無意識に視野の狭くなる生き物らしいな、などと有月は壁の前でジッと考え込んだ。なんせ壁から数メートルほど離れた位置から、まじまじと描いた記号を眺めてみたら、それは有月の予想以上に歪なものであったので。
『ううん、おかしいな……』とはいえ描いてしまったものは仕方がないので、せめてもう少し綺麗に見えるようにと更に血を重ね、何とか修正を試みたものであるが、塗り重ねれば重ねるほどに×印はより歪な形になっていった。
なので有月は思わず、『……そうか。これが藪蛇というやつなのかな』などと、しみじみ呟いた。
彼を待つのにスッカリ飽きてきたらしい楽は、『もう行こうぜ~、ボス。もうサ、パッと見でバツに見えりゃあ、何だって良いじゃん』と欠伸を噛み殺しながら言い、一方のシンは、『なあボス。俺はボスの下手ウマな絵ェ、好きだよ』と有月に向かいニカッと、邪気の一切無い笑顔を向けた。それは絵心のまるで無い有月への嫌味混じりのフォローなどでは無く、ただ単純に、シンは本心をそのまんま口にしただけというのが有月にも分かった。
彼は、この作業に三十分ほど掛けた。
「そういやさ、あのセバっつうアルバイトの作ったグローブ、マジで面白かった!」
「そうか、それは良かった」
シンは有月の肩にすりすりと頬を擦り付けながら、言う。
「でも、もうちょっと威力が強え方が良いなあ」
「じゃあ更なる改良をセバくんに頼もうか」
「うん!」
有月は、シンの首筋へと手を伸ばす。なんせ猫とは、顎を撫でられると喜ぶものであるからと。すると案の定シンは、「ふ、は……ボス、擽ってえよお……。あ、ん……っ」気持ち良さげに目を細めさせ、甘い鳴き声を上げる。ああ、とても可愛らしい。
◇
男の背後の闇の中からは長身のシルエットが、ズ……と浮かび上がった、が、薄暗い路地に立ち、手にしたスマホに目を向けている男は、それに気付いていない。
処分対象、、、、である男の背後へスッと立ち、音も気配も無いままに、男の頭をそっと挟むようにして両掌が添えられる。
その掌は、芸術家の手にも似ていた。指の第二関節の下に2、Φ、I、%と奇妙な記号のタトゥーが並んでもいた。
手の持ち主――南雲、は動作や表情に一瞬の躊躇いも混ぜずに、男の頭部をグリィッと捻り上げる。南雲の口元はにこやかな弧を描いている。ペットボトルのキャップを回すような気軽さで。「ぎ」男は悲鳴を上げる間も無しに、絶命した。
男の頭から南雲が手を離してみせれば、どさりと音を立て、男は薄汚れたアスファルトの上へ呆気なく墜落する。
「…………」
任務を終えた南雲は無言のまま、一秒、二秒。さっきっから視線を感じている。だが一般人では無いであろう、気配に隙が無い。だが、凄腕のORDERである南雲には、それもバレバレである。
それどころか視線の主は、完全に気配を隠すつもりも無いらしい。だって、微かに煙草の匂いがしている。殺気は一切感じられない。何というか……その視線に宿っているのは子供のように単純で、純粋な、南雲への【興味】である。
……実際に、この視線の主は子供なのかもしれないとも南雲は思う。
だから。
次の瞬間に、南雲のコートの裾がパッと翻る。
これはコンマ数秒のあいだの出来事である、南雲は物陰で気怠く煙草をふかしていた人物の首を、背後から片腕で軽く締め上げ、もう片方の手で、コートのポケットから取り出したナイフを頸動脈にグッと突き立てた。
南雲の視界でしゃらりと、美しい金色が揺れた。
一方の、ナイフを突き立てられた人物は紫煙を吐き出しながら、ハハッと笑い、
「なあ、これ、刃先が引っ込むやつ?」
それは十代後半かハタチくらいの見た目の青年であった。玩具のナイフを突き立てた南雲に向かい、青年は無抵抗のまま、そう言ってみせた。なので南雲も、
「なあんだ。やっぱりバレてたのか~」
ニッコリと笑みを浮かべ、軽い調子でそう返した。
なんせ南雲の方も、殺気なんぞはこれっぽっちも出していなかった。押し当てたナイフをすっと引っ込めさせ、けれども青年の首に掛けた腕は解かずに彼を優しく拘束したまま、
「君……覗き見だなんて、とっても悪い子だね」
南雲は、彼の耳元でそっと囁いてやる、
「一体、何が目的だい?」と。
腕の中の青年は首を微かに捩らせ、猫のような上目遣いでジッと南雲を見上げてみせながら、
「おにーさんが男前だから」
と答える。
(それは半分は嘘で、半分は本当の言葉であった。)
(勿論、この青年はシンである。)
(南雲がこの路地へと入る数分ほど前に、シンはたまたま南雲を見掛けた。南雲の容姿が余りにも整っていたが為に、シンは何気なく彼へと視線を向けたのであるが、それと同時に彼の思考が自分には全く読めぬことにもシンは気付き、つい、好奇心を抑え切れずに彼を尾行したのである。)
(だって心の読めぬ人間など、シンにとっちゃあ、この男が初めてであるのだ。)
「ふうん?」
「あ、嘘だと思ってる?」
「まあね~」
「あれ?おにーさんにとっちゃあ、俺、たいして魅力無え?俺、これでもモテるんだけど」
「な~に、これってナンパ?」
「ん、そう。俺、今おにーさんをナンパしてんの。だって、おにーさんみてえな良い男って滅多に出会えねえし」
そう言い、青年は微笑った。それは妙に蠱惑的で、南雲を誘うような表情でもあった。
……それは異性よりも同性の欲望や本能にこそビリビリと作用するような性的魅力、とでもいえば適切であろうか。そして青年本人も、自分が男にウケることをそれなりに知っているのであろう。ただ、この溢れ出るような奇妙な魅力に関しては青年も無意識であるかもしれない。
思わず南雲は、長い前髪の下でそっと眉根を寄せた。この子はある意味で……僕にとって、という意味で……かなり厄介な子かもしれないと彼は思ったので。
それは【予感】であった。
……この青年が殺しに関しかなりの腕前の人物であろうということも、南雲は持ち前の殺し屋としての勘により察したのだ。そして南雲の方が強いであろうことも。まあ青年の方もそれは分かっているであろう、ならば、これは青年なりの命乞いであろうか?或いは、青年は自らの正体が悟られることを恐れている?……これほどに強い子だ、同業者であるならば僕もこの子を知っているはずだ……けれども、僕はこんな子を今まで見たことが無い……なら、この子はライセンス持ちの殺し屋では無いのかもしれない……南雲は頭を高速回転で動かせる。
それとも彼は本当に、南雲を誘いかけているのであろうか?
……まるでハニートラップに掛かりかけているような変な気分だな、……や、この子は男だけどさ。南雲はふと、そんな風にも思った。
「おにーさん、見た目は優男っぽく見えっけど。意外と筋肉質で、男らしいんだね……俺、そういうの好き」
くにゃん、と。
まさかの。不意に青年は無防備に、全身の力をすうっと抜いてみせる。彼は南雲の布越しのブ厚い胸板に、身も心も預けるようにして……。
だから南雲は青年を、背後からぎゅっと抱き締めているかのような状態となる。
「……君、なにを考えてるの?」
……南雲には、やっぱり意味が分からない。例えば、ここで南雲の気がクルッと変われば、青年は一瞬にして首を南雲にガッと締め上げられるか、もしくは二人の足元に落ちている男のように南雲に首を折られるかしてしまうというのに。
彼は南雲の腕から逃げ出す隙を測っている様子すら、無い。
「俺、何も考えてねえよ……おにーさんみてえな良い男に征服されてみてえ、ってこと以外には、別に何も考えてねえ……なあ俺、嘘ついてないよ」
青年は、「は、ア……」と甘い溜め息すら吐いてみせた。
南雲に”抱きしめられたまま”の青年は、両腕を上げる。その手は南雲の頭へと伸びてゆく。南雲の神経はキインと張り詰め、研ぎ澄まされる、青年の首に回している腕には瞬時に力を籠めることが可能である。
けれども青年はそれも判っているであろうに手を止めず、その指先は艶やかな南雲の黒髪へと、到達し、くしゃり、彼の髪を優しく掻き乱す。
……っ。南雲は無意識に、息を詰めた。頭の中が酸欠でクラクラする。
この触れ合いは、もはやセックスとも等しいほどの濃度を孕んでいたので。
青年の指が南雲の柔らかな髪に絡み、青年は、『ほら、お前、俺の首を絞めちまえよ』とでも言うかのように、うっとりと喉を仰け反らせてさえみせる。
青年は、ぽうっと夢見心地の瞳で南雲を見つめている。
だから南雲は、自らの気がクルイ切る前にと、
「……駄目だよ」
と囁いた。
すると青年の瞳に宿っていた熱の色が一瞬にして、すうっと醒めた。青年は南雲の髪から、手を離す、
「何だ。こんなのツマンねえ。ッチ……お前、マジでツマンねえ奴だな」
「へえ?つまらない奴だって言われたの、僕、初めてかも」
「あっそ」
「自分の思い通りにいかなかったからって拗ねるのは、ガキそのものだよ……」
「……お前、くっそウゼエ」
青年が鼻の横の筋肉をひくりと痙攣させながらも、ぺっと南雲へ悪態を吐く。南雲が腕の力を抜いてやれば、青年はやっぱり気まぐれな猫のように、するりと抜け出した。
だが青年は去り様に南雲をパッと振り向き、こう言った、
「ツマンねえ選択をするお前の頭ン中は、やっぱツマンねえ中身してんの?それとも今、お前は、お前自身に、、、、、嘘ついた、、、、?」
本当は俺を抱きてえと思った?と、青年は口の端を歪ませる。
「…………」
「じゃあ、お前の頭をグレープフルーツみてえにパカッと切り割ったら、お前の本心も分かんのかな?……けど、んん、それやっちまったら俺がツマンねえから……」
「……君が僕に、それを出来ると思う?」
「ン、無理だろうな」
「だろうねえ」
「……なあ。もしも……今度また会えたら、さ。お前の考えてること全部、俺に教えろよ」
「はあ?君、何言ってるの」
「だって、知りてえ。お前の考えてること、俺は知りてえ――知りてえとか理解し尽くしてえって気持ちは、【支配】してえって願望と根本的には同じなんだって、俺の大切な人が言ってた」
「…………」
傲慢に。
金色の毛を持つ、気高い猫のように。
青年は上から目線でそう言った。そして彼は路地の横の塀の上へとタッと俊敏に飛び乗り、そのまま何処かへ消えた。
状況を飲み込めぬ南雲はしばしその場に立ち尽くした後、シンのせいで軽く乱れたままの髪、その長い前髪を掌でざっと掻き上げながら、あっは!とその場で自嘲する。
「……僕は、嘘は昔っから得意さ……」
『ある対象、、、、について無性に知りたいと感じる時。人はそれ、、が一体何であるのか自体が分からないからこそ、それ、、を知りたい、理解したいと思うんだ』
あれは、いつのことだっけ?数週間前?数ヶ月前?それとも数年前?
陽溜まりのソファに優雅に腰掛ける有月は、その膝に形の良い頭を乗せ、だらりと仰向けに寝そべるシンの、さらりとした金色の髪を長い指で優しく梳きながら言う、
『理解。それは支配欲と一体何が違うといえる?何故なら、それはそれ、、の全ての情報を、自らの脳髄内へと理路整然と収めておきたいという願望に他ならないだろう?ああ支配とは、管理とも言い換えられるね』
ボスはたまに、よく分からないことを言う。
けれども大きな瞳で有月を見上げながら、シンは思った――じゃあ俺のエスパー能力は、支配や管理そのものと表裏一体ヒョーリイッタイってやつで、それってボスは永遠に、俺に魂を支配され、管理されてくれるってことじゃんか、と。
(リクツ的な意味は分かんねえけど、ともシンは思いつつも。)
(ただ、感覚的にそう思った。)
だってシンは有月の心を読むことが、つまりは知ることが出来るのであるから。有月もシンに、それを赦しているのであるから。
(……シンにとっての知りたい、、、、人間のカテゴリに、今、南雲という男が新たに加えられた。)
(心が読めないからこそ、俺はあいつを支配してみてえと。管理してみてえと。)
(彼の首筋に彫り込まれていた奇妙で幾何学的な模様のタトゥー、その名称をシンは全く知らないけれど、その美しい長方形はシンの網膜にくっきりと焼き付いた。)
◇
シンは目の前の男の顔をジッと見つめながら、こいつの名前何だっけ……などと考える。えっと……セバ、そうだセバだ。下の名前はナツキ?ナツオ?ナ、ナツ……ナツ……えっと確か、そんな感じの。
セバは試作品のグローブをシンの利き手に嵌めてやりながらも、チラリ、一瞬だけシンの顔へと目を遣り、《あ、視線ウゼ……》心の中で、そう呟いている。だからシンはちょっぴりイラッときたけれど、エスパーであることは自分からは、、、、、明かさぬようにとスラーから言い含められているので、敢えて何も言わない。
シンの能力を知っている者は一味の中でも幹部クラスの、更には、幹部の中でも上位にあたる者たちのみであった。つまりは楽に鹿島、殺連へ潜入中の宇田、そしてキャロライナ・リーパーにクラブ・ジャムという、シンや楽とは別方向にさくっとイカレた二人。
そンでドMのクラブ・ジャムはシンに心を読まれることにゾクゾクと仄昏い快感を感じているらしく、しょっちゅう、『ああん!僕の思考を読んでよ!』とシンは絡まれ、で、言われた通りに読んでやれば、彼はハアハアと恍惚感に喘ぎ、……これはこれで斬新な奴だなあともシンは思っている。
新入りのカナグリはORDERの”裏切り者”でもあり、しかも楽やシン以上の実力者でもあるが、彼がスラーの完全な味方では無いこととカナグリの目的をもシンはエスパー能力によって既に知っているので(有月もシンの報告により、当然それを知っている)、能力についてカナグリに明かすつもりは一切無い。
――シンが何も言わずとも、セバは自身の思考がシンへと全て筒抜けであることに、既に気付いているようであった。
今、セバの脳内では、いくつもの言語化された思考が浮かんでいる。
セバがこの場所……此処は一味のアジトの一つである、山奥にある廃工場であった。この、セバが逃げられぬようにと厳重に鍵の掛けられた部屋は【工房】であり、此処に連れて来られてからセバが得たであろう数少ないスラー一味に関する手掛かりは、今、ぷわ、ぷわ、意識の表層を熱帯魚のように泳いでゆき、でも彼は浮かんだイメージを端から必死に押し隠そうとしている……とはいえ、思考を意図的に消せる人間など、ほとんど存在しない。なのでシンには全て筒抜け。
幼い頃から、スラーや楽、鹿島たちと共にエスパー能力を研ぎ澄まさせる訓練を行ってきたシンには、一人の人間の脳内で同時並行的に行われる思考すら余さず読み取ることが出来るし、コンマ数秒の運動準備電位を探ることも可能。
それどころか、例え周囲に百人以上の人間が居ようが、それぞれの心の声を判別してみせることだって出来た。
(十代の頃には、楽と一緒に渋谷や新宿に繰り出しては、スクランブル交差点や駅前で見ず知らずの人間の心を読んだものだ。)
(その頃は、脳がオーバーヒートを起こし、不意にブッ倒れることも度々あった。)
ちなみにセバが知っているスラー一味の人間は、今此処に居る三名のみ。それはセバを此処へ連れて来た実行犯でもあり、今は入り口の重い鉄製の扉の横に立ち、そこからセバをじっと監視している鹿島と。自身がスラーであることを隠したまま、セバの武器製造技術を、「へえ、素晴らしいね……君のような人間を天才と呼ぶのだろうね」感心したように見つめるスラー本人と。そしてシンである。
スラーはセバの弟・マフユを人質にしている。そうして彼はセバに、シン専用の武器を作らせているのだ。
……脳のリミッターを外し、爆発的な威力を生じさせるグローブ……作った当初はセバ自身、失敗作に分類していたらしいもの。だが、発動までには数秒のタイムラグがあり、《これを使いこなすには、未来でも視えるンじゃあなきゃ不可能だ》。
《じゃあお前、もしかしてエスパー?》
無表情のままセバが思い浮かべたそれ、、は、明らかにシンへの問い掛けであった。シンは彼の問いを無視する。シンが今嵌めているのは改良版のグローブであり、このあいだ”第一の殺し屋殺し”の際に使用したものよりも、更に威力が増している。
《俺としては……弟の安全が保証される限りは、お前らに協力してやる……》セバが思考越しに、そう伝えてくる。シンは、ちら、とスラーに視線を向ける。それに気付いたスラーも、『分かっているよ』と頷くかのように、シンへと目を遣る。
セバは、《…………》「……これでオッケーだろ」シンへ嵌めさせたグローブの、電気系統の確認を終える。
「よっしゃ、じゃあ早速試してみる!」
「え?」
「シン、まさか此処で試すつもりですか!?」
「おいおい嘘だろ……」
スラーや鹿島、セバが止める暇も無しにシンはその場でタッと軽い助走を付け、グローブを嵌めた拳で、ぶうんっ、工房の壁を思いっきりに殴った、
「あ」
「あ」
「あ。このバカ、……え?お前って、もしかして俺の味方なの?」
スラーと鹿島、セバが思わずと言った風に揃って声を上げる。セバが、ぐしゃっと癖っ毛の頭を片手で抱えつつも、《俺をこの部屋に閉じ込めてるっつうのによ、この部屋が壊れちまっても良いわけ?いやいや良くねえだろ》呆れたように、そのようなことも考えている。
――だって、ズドォォォンという物凄い音が響き渡り、工房の壁がめちゃくちゃに壊れたのだ。
シンのパンチは工房の壁どころか、工房の半分ほどをも吹っ飛ばし、つまりは凄まじい破壊力であった。これは恐らく、建物自体もかなり揺れたのでは無いであろうか。セバは内心にて、《……う、わ。パンチ一発でコレかよ。こいつ、マジで考えナシの馬鹿なの……?……》ウッと、シンに引いている。
そしてスラーがぐちゃぐちゃの壁と室内と、そしてシンとを見比べながら、「シンはヤンチャだなあ」ふはっと可笑しげに吹き出した。
「シン!あなたって人は……!グローブの能力と、あなたの馬鹿力とが合わさったらどうなるかを、殴る前にちゃんと想像しなさい!捕虜を閉じ込めている部屋の壁を殴る馬鹿が居ますか!ああ此処に居ますね!ほら、部屋が壊れちゃったでしょうが!これでもセバさんに逃げられないようにと、壁も扉も頑丈に作り変えたというのに!」
「あ~鹿島さん、悪ィ悪ィ」
「んもう!悪いなんて全く思ってないんでしょう!?」
「あ、バレた?」
「その表情と態度でバレバレですよ!」
「でも、こんな場所で、俺にこれを嵌めさせたボスと鹿島さんが悪いと思うぜ?」
「こら!スラー様のせいにするんじゃありません!んもうう~……工房が壊れちゃったじゃあないですか~……!……ハア。別の部屋を、新しく工房として造り直すしかありませんね……」
あわあわと慌て切った鹿島が鹿の頭部を揺らしながらシンを叱るが、シンはどこ吹く風。しかもシンは、サイコーに面白い玩具を手に入れた子供のような表情で、「でも、これマジ凄えわ。セバ、サンキューな!」ニカッと、親しげにセバに笑いかけてすらみせる。
するとセバが、シンからすいっと目を逸らせた。
――なんせ今、彼は懸念しているのだ――いくらほかの選択肢が無かったからとはいえ、弟を守る為であったとはいえ……自分は、このトンデモない”クソエスパー”にトンデモないアイテムを与えてしまったのでは無いかと、彼は今更ながらに気付いたからだ――彼の想像以上に、これは恐ろしいほどに、この武器とクソエスパーとは相性がピッタリであると――彼の胸の奥底からぞわぞわと迫り上がってくるのは、意味の分からぬほどに激しい不安感――それは何かを根本から大きく間違えてしまったかのような、根源的な恐怖だ――そのようなセバの心の動きをもシンは容易く読み、故に、シンはセバを見つめたまま、きょとんと不思議そうに首を傾げさせた。
こいつ、一体何ワケわかんねえこと考えてんだろう、と。こないだ壊した殺し屋会社で、俺や楽を目の前にした雑魚たちみてえな感情浮かべてンだろう、と。お前、俺やボスにすら真似出来ねえ武器ヅクリの凄え腕を持ってるっつうのに、何で俺に怯えてんだろ。
……ああいや、こいつはボスがやろうとしていることに怯えてんのかな?
シンは、例えばウーパールーパーのような物珍しくも可愛い生き物を見るような目でセバを見つめながら、そう思った。
《ああクソ……こいつ、マジでクソエスパー……》シンの真っ直ぐな視線に根負けしたらしきセバが、嫌悪と……だが反面の、シンへの抗い難いほどの深い興味と関心とが綯い交ぜとなった複雑な眼差しで、シンを見つめ返す。
(未完)