テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
月城 蓮桜音
4,944
ふわもちお餅
165
「多分って……」
自己紹介には、余り出て来ない単語では。
聞き返したが、冗談のつもりはないようだった。紫の瞳がうろうろしている。
「今、名前を言おうとしたら、あれ?ほんとに俺の名前だっけ?って混乱して……ごめん、後は何も思い出せないみたい。なんか、考えると逃げてく、って感じ」
彼は、その場にうずくまった。
「――じゃあ、とりあえずアトリって呼ぶ」
マコトは、アトリを支えながらゆっくり立たせて、ベッドに座るよう促した。
「アトリ、丸1日くらい周囲の刺激に無反応だったし、意識が戻ったら急に知らない場所にいるしで、混乱してるのかも」
肩を抱いて静かに言い聞かせる。
「頭、痛いところは?」
そのままアトリの後頭部まで撫で上げて、コブや見逃している傷がないか確認する。
――傷はない。外傷性のショックでの健忘では無さそうだ。
「吐き気とか、耳鳴りとかは?」
「ない」
自分の額と、アトリの額を合わせてみる。
「熱は、……外にいたから、表面温度がまだ低いみたいだな。後でちゃんと体温計で測ろう」
ひとまず、カルテ通りの怪我だけで間違いないようだ。宙を見上げて、マコトは三秒ほど考えた。
「アトリ……」
となると、今やれることは1つだ。
「腹、減ってないか?」
一瞬、唐突な話題の切り替えに戸惑ったようだった。アトリが目を大きく見開く。
「……言われてみれば、おなかすいた」
すぐに、ふにゃ、と微笑んだ。
「調理場の人に頼んで、朝ごはん用意して貰ってくる。普通に食事出来そうか?」
「多分」
急ぎ足で調理場のある方へ向かった。
まだ患者の朝食には早い時間だったが、もう数人調理場の人達が下ごしらえしていたので、すぐに二人分を用意して貰えた。
空いている配膳カートを借りて運びながら、シノブにすぐに意識回復を報告すべきか迷う。
(まあ、あんまり登場人物を急に増やしてアトリが混乱したらなぁ…)
とりあえず保留にする。
今朝のメニューは、パン粥、オムレツ、温野菜で、オマケでリンゴを1個くれた。
「食べられそうか?」
病室のテーブルに二人分を並べると、アトリが目を輝かせて頷いた。
「うん。俺のお腹が、こんな豪華な朝食は記憶にないって言ってる」
「……そこを冗談に出来るなら、平気そうだな」
いただきます、と二人同時に言って食べ始める。
最初の一匙を口に入れ、飲み込んだ瞬間。
「あ、なんか思い出した」
アトリは真剣な表情になって、こちらを見た。
「マコト、昨日俺に『あーん』てやって食べさせてくれたよね」
とても重要なことを思い出したのかと身構えたのだが……。
「そこじゃない。思い出した方がいいのはそこじゃない」
確かに、そうやって食べさせたけれども。
「……でも、まるっきり周りのことを解ってなかった訳じゃないんだな」
「どうなんだろ?よくわからん」
眉を下げて、何かしら頭の中から引っ張り出そうとしているようだった。
「無理はしなくていいよ。心因性の健忘だったら、またショックで同じ状態に逆戻り、ってなるかもしれないだろ」
まだ余り詳しく聞いていないが、死傷者が複数いる事件だか事故だかとシノブは言っていた。アトリは余程衝撃的なことに出くわしたのかも知れない。
自分の方の朝食を食べ終えたマコトは、リンゴを果物ナイフで薄く輪切りにした。
「なにその切り方」
「こう切ると、簡単で皮まで食べやすいだろ。あ、リンゴはウサギの形にしてほしい派だったか?」
「そんな派だった記憶は、今のところないね」
切ったリンゴをカードのように皿の上に並べて置くと、アトリは興味深そうに一枚手に取った。しゃり、と一口かじる。
「……面白いね」
ふふふ、とアトリが笑う。
「俺は今、マコトのことしか記憶してないんだ。まだ他に誰も知らない」
そんなに真っ直ぐに見詰められて言われると、何だか照れてしまう。話と視線を、同時に逸らした。
「リンゴ、後に取っておいた方がいいよ。食後に飲む化膿止めの薬、苦いから。口直しが必要かも」
「うえぇ……」
まだ飲んだ訳でもないのに、心底嫌そうに、アトリが苦い顔をした。
コメント
1件
第11話読了だよ〜!📖💕 マコトの「アトリ」って呼びかける優しさにキュンとした…! リンゴの切り方とか薬の後の口直しとか、細かい気遣いにじんわりきた🥺 “マコトのことしか記憶してない”って真っ直ぐ言われたら照れちゃうよね、そのシーンめちゃエモかった😭🌈 まだ記憶が戻らない中での二人だけのやりとり、すごくあたたかくて大好き。続きが楽しみすぎるよ! 瀬尾早水さん、素敵なお話ありがとうございます💜