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翌日。理人が出社すると、瀬名はすでにデスクで淡々とパソコンに向かっていた。
いつもならスルーして自席へ向かうところだが、理人はコホンと一つ咳払いをし、瀬名の傍らで足を止めた。
「おはようございます、部長」
「あ、あぁ。おはよう……。昨夜はその、すまなかった。全然気づかなくて……」
言いにくそうに謝罪を口にすると、瀬名は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに柔和な笑みを浮かべて首を横に振った。 椅子を回転させ、身体ごと理人に向き直る。逃げ場を塞ぐような、真っ直ぐな視線。
「何かと思えば……。あの人は『安全』だとわかったから退席したんです。少しでも下心がある奴がいたら、攫っていくつもりだったんですけど」
「な……っ」
絶句する。そんな物騒なことを考えていたのか、この男は。
「言ったでしょう? 僕は貴方が好きだって。心配なんですよ……また酔っ払って、見境なく誘ってるんじゃないかと思うと……むぐっ!」
「……てめぇ、こんな所でする話じゃねえだろ!」
咄嗟に瀬名の口を掌で塞ぎ、周囲を見渡す。幸い、近くに他の社員の姿はなく、理人はホッと胸を撫で下ろした。いくら朝のオフィスとはいえ、社内で堂々とする話題ではない。
「話を振ってきたの、部長ですよ?」
「……俺はただ、昨日の非を認めただけだ!」
手を離すと、瀬名は不満げに唇を尖らせたが、理人は無視を決め込む。これ以上は墓穴を掘るだけだ。そのまま踵を返そうとした、その時。
ぐい、と腕を掴まれ、身体を引き戻される。
「もしかして理人さん……」
振り向いたタイミングで、瀬名の顔が至近距離まで迫った。
「僕が先に帰ったから、寂しかったんですか?」
耳元で、蕩けるような甘い声が囁かれる。カッと顔が熱くなるのを自覚した。
「ち、ちが……っ! 断じてそんなことはない! 勘違いするな!」
必死に否定したが、声が上擦ってしまった。 これでは、図星だと言っているようなものだ。
認められるわけがない。認めたら最後、この男に完敗する気がして。 理人はキッと瀬名を睨みつけると、力任せにその手を振りほどき、足早に自分のデスクへと戻った。
背後から、くすくすと低く楽しげな笑い声が聞こえてくる。 無視して引き出しから書類を引っ張り出すと、乱暴な仕草で机に広げた。
悔しいことに、瀬名と過ごす時間が増えるたび、以前よりも簡単に感情を揺さぶられるようになっている。それが不快で、何より落ち着かない。
(くそ……調子が狂う……)
行き場のない感情を冷やすため、理人は一旦パソコンを閉じ、喫煙ルームへと向かった。
喫煙ルームは各フロアに設置されており、五、六人も入ればいっぱいになる広さだ。昨今の禁煙ブームや増税の影響で喫煙者は減少傾向にあるが、社長自らがヘビースモーカーということもあり、この場所がなくなる気配は今のところない。
理人はポケットからシガレットケースを取り出すと、慣れた手つきで一本を咥え、愛用のジッポで火を点けた。
「ふぅ……」
紫煙を吐き出しながら、ガラス張りの壁に寄り掛かって外の景色を眺める。 十二月上旬の朝。外を吹く風は冷たく、眼下の人々は皆、身を縮こまらせてコートの襟を立て、足早にビルへと吸い込まれていく。
視線を遠くに向ければ、乾燥した冬空の向こうに、雪化粧を施した富士山がビルの隙間から美しくそびえ立っていた。 都内でも比較的高所に位置するこのオフィスでは、冬になるとこうして見事な絶景を拝むことができる。
その美しさを横目に、理人は再び肺に溜めた熱い煙をゆっくりと吐き出した。
室内には理人一人。静かだった。 ちょうど一本吸い終わりそうになった頃、背後で自動ドアが開く音がした。誰かが入ってきたのかと思い視線を向けると――そこには瀬名の姿があった。
理人の姿を認めると、瀬名は迷わずこちらへと近づいてくる。 なんとなくバツが悪くなった理人は、慌てて口元の煙草を灰皿に押し付けた。
「……お前はストーカーか何かなのか?」
「酷いな。僕はただ、休憩しに来ただけですよ」
瀬名は苦笑しながらポケットから煙草を取り出すと、理人の隣に並ぶようにして壁際に立った。
(仕事の時は、相変わらずその髪型なんだな……)
どうでもいいことを考えながら、つい隣の様子を観察してしまう。 瀬名の顔立ちは、改めて見ると恐ろしく整っている。女性受けしそうな甘いマスクに、すっと伸びた鼻筋、薄く形の良い唇。 前髪で隠してはいるが、黙っていればモデルか何かだと言われても納得するほどの美形だ。
女除けのためにわざと野暮ったい「擬態」をしているのだとしたら、その効果は十分すぎるほど出ている。だが、その中身を――熱い肌も、低く甘い声も、自分だけが知っているのだと思うと、妙なざわめきが胸に走った。
ぼんやりとその横顔を見つめていると、瀬名が不思議そうに首を傾げ、こちらを振り返った。