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第9話:震える手と、無気力な体温
「……はぁ、はぁ……っ。……どうしよう、歌詞が……振付が、一瞬、真っ白に……」
ステージ袖の暗がり。
いつも完璧な王子様である多聞が、膝をついて激しく肩を上下させていました。
今日は新曲の初披露。
プレッシャーと、そして「シキ(ユズル)」という天才の隣に立つ恐怖に近い高揚感が、彼のキャパシティを越えようとしていたのです。
「おい、多聞! しっかりしろ、もうすぐ出番だぞ!」
桜利が焦って声をかけますが、多聞の震えは止まりません。
そこへ、のろのろと、重い足取りの影が近づいてきました。
「……多聞くん。……邪魔。……そこ、僕の立ち位置。……どいて」
ユズルです。
衣装の重さに文句を言いそうなほど、いつも通り眠そうな顔。
彼は多聞の前にしゃがみ込むと、迷うことなくその冷たくなった両手を、自分の手のひらで包み込みました。
「……っ、ユズルくん……?」
「……うるさい。……静かにして。……多聞くんの心臓、BPM180くらいある。……早すぎ。……曲と合わない」
ユズルは、多聞の指先を一本ずつ、ゆっくりと解きほぐしていきます。
その手のひらは、驚くほど温かくて、柔らかい。
「……大丈夫。……多聞くんが間違えても。……僕が、歌で上書きしてあげる。……多聞くんは、ただ、そこで笑ってればいい。……僕が、光の当て方、教えてあげるから」
ユズルの瞳に、いつもの無気力さとは違う、「相棒」としての静かな決意が宿りました。
多聞はその瞳に見つめられ、吸い込まれるように深い呼吸を繰り返します。
「……あはは。……ユズルくん、かっこよすぎるよ。……ずるいな」
多聞の瞳に光が戻り、唇にいつもの、けれど少しだけ「ジメ原さん」の素顔が混じった愛おしい笑みが浮かびました。
「……ん。……かっこいいのは、知ってる。……だから、早く立って。……姉さんが客席で、泡吹いて倒れそうだから。……早く終わらせて、助けに行かないと」
ステージの幕が上がる直前。
二人は一瞬だけ、強く手を握り合いました。
「……行こう。……僕たちの、夜を、始めよう」
一歩踏み出したユズルの背中は、もう「おまけの弟」ではなく、立派な一人の表現者。
そして、その隣には、最高の笑顔を取り戻した多聞。
爆発的な歓声の中、二人の歌声が重なり、会場全体を飲み込んでいく。
その光景を、最前列で白目を剥きながら連写するウタゲの姿を、二人はまだ知らない。