テラーノベル
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第三作目です
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室温24度に設定されたオフィスの空気は、どこか埃っぽく、そしてひどく乾燥していた。 午後八時十五分。都内の片隅にある中堅商社の営業部フロアでは、天井の蛍光灯が何本か間引きされ、薄暗い影が床に長く伸びている。すでに他の社員は退勤し、残っているのは木村拓海(きむら たくみ・32歳)ただ一人だった。「……これで、今月分の売上報告書は終わり、か」 カタ、と最後のキーボードの音を響かせ、拓海はノートパソコンの画面から目を離した。ひどく眼球が痛む。目頭を指で強く揉みほぐしながら、大きく背伸びをした。 大学を卒業して十年間、この会社で身を粉にして働いてきた。特別に優秀なわけでもなく、かといって大きな失敗をするわけでもない。上司の顔色を窺い、取引先からの理不尽な要求にペコペコと頭を下げ、終電間際の電車に揺られてワンルームのマンションに帰る。それが拓海の「現在」だった。自分の人生がどこで狂ったのか、あるいは最初からこんなものだったのか、考える気力すら今の彼には残っていなかった。 そのとき、デスクの脇に置かれたスマートフォンの画面が、短く震えた。 画面に表示されたのは、緑色のメッセージアプリの通知。しかし、そのアイコンに見覚えはなかった。いや、正確には「もう二度と動くことはない」と脳の隅に追いやっていたグループチャットだった。 グループ名は『緑ヶ丘中3年2組仲良し会』。 最後に発言があったのは、ちょうど十四年前、成人式の日に「おめでとう」というスタンプが数個交わされたときだ。それ以来、誰も触れず、通知の底に沈んでいたはずの場所に、新しいメッセージが灯っていた。『【重要】みんな久しぶり!突然なんだけど、近々集まらないかな?』 送り主の名前は「美奈」。 その二文字が網膜に飛び込んできた瞬間、拓海の指先が硬直した。心臓の奥が、冷たい氷の針で深く突かれたような感覚に襲われる。 美奈。二十年前、四方を山に囲まれたあの田舎町の中学校で、誰もが一度は目を奪われたクラスのマドンナ。そして、拓海たちが結成していた五人の幼馴染グループの、絶対的な中心にいた少女だ。 通知は拓海の困惑を置き去りにして、次々と画面を押し上げていく。『お、美奈じゃん! 生きてたのかよ。てかお前、今どこにいるんだ?』(蓮)『懐かしい! 私、ちょうど来週の週末に実家の方に帰る予定だったんだよねー。集まるなら合わせるよ!』(沙織)『僕もその時期なら調整がつく。みんなで顔を合わせるの、中学の卒業式以来になるのかな』(聡) 画面の中で、かつての旧友たちが次々と発言していく。 蓮(れん)――当時は粗暴で、クラスのいじめっ子気質だった男。今は地元の建設会社でそれなりの役職に就いていると風の噂で聞いた。 沙織(さおり)――当時は地味で目立たない大人しい女子だったが、今は東京でアパレルブランドを経営しているらしい。SNSで見かける彼女は、別人のように華やかだ。 聡(さとし)――グループの頭脳であり、常に冷静だった男。現在は絵に描いたようなエリート官僚として、中央省庁で働いている。 文字の並びを見ているだけで、拓海の脳裏に、二十年前のあのうだるように暑かった夏の記憶が、鮮明な色彩を伴って蘇ってきた。 ただ、その色彩は決して美しいものではなかった。 じっとりと肌にまとわりつく汗の不快感。狂ったように鳴く蝉の声。そして、遮断機のない崖の上から見下ろした、濁った赤茶色の地面。 二十年前のあの夏、グループのもう一人のメンバーだった「健太」が、その崖から転落して命を落とした。 警察は、足を踏み外したことによる「不慮の事故」として片付けた。健太の葬儀で、拓海たちは声を上げて泣いた。けれど、本当の真実は違った。あの日、あの崖の上にいたのは、健太一人ではなかったのだ。拓海も、美奈も、蓮も、沙織も、聡も――全員があの場所にいた。 彼らは健太を救わなかったのではない。自分たちの保身のために、ある「重大な秘密」を共有し、それをあの崖の底に埋めたのだ。 それ以来、五人の絆には目に見えない決定的な亀裂が入り、中学の卒業と同時に、互いから逃げるように連絡を絶った。 忘れたい。誰もがそう願って生きてきたはずだった。現に、拓海はこの二十年間、あの故郷の町に一度も足を踏み入れていない。 それなのに、なぜ今になって美奈は、僕たちを呼び出そうとするのか。「……何を考えてるんだ、美奈」 拓海はキーボードから手を離し、自分の両手を見つめた。薄暗いオフィスの中で、液晶の光に照らされた自分の顔は、ひどく疲れ果て、生気がなかった。過去の罪悪感から目を背け、ただ生きるためだけに浪費してきた二十年。 このまま無視することもできた。しかし、もしここで逃げ出せば、あの夏の幽霊が一生自分を追いかけてくるような、そんな得体の知れない恐怖が勝った。 引き寄せられるように、拓海はスマートフォンを手に取り、震える指で文字を打ち込んだ。『僕も、その日程なら参加できるよ』 送信ボタンを押すと、画面の向こうで一瞬の沈黙があった。まるで、全員が拓海の登場を待っていたかのように、すぐに美奈からの返信が届いた。 だが、その内容を目にした瞬間、拓海の背筋を、オフィスを包む冷気とは明らかに違う、禍々しい戦慄が駆け抜けた。『みんな、返信ありがとう! 嬉しいな。 それでね、集まる場所なんだけど、普通の居酒屋とかじゃなくて、あの場所にしない? ほら、卒業式の日の夕方、みんなで校庭に埋めた【タイムカプセル】。 実はね、来月、あの旧校舎が老朽化で完全に取り壊されて、更地になっちゃうんだって。だから、その前にみんなで掘り起こそうよ。 集合は、今週末の土曜日、夜の九時。旧校舎の校庭、カプセルを埋めた百葉箱の裏で待ってるね』 旧校舎の校庭。 そこは、二十年前に死んだ健太の追悼式が行われた場所であり、彼らが二度と開けてはならない「過去の蓋」を、タイムカプセルという名目で地中深くへと封印した場所だった。 取り壊される校舎。真夜中の学校。そして、血の記憶を孕んだタイムカプセル。 スマートフォンの画面が消え、オフィスに再び静寂が戻る。しかし、拓海の耳の奥では、二十年前のあの夏の蝉の声が、再びうるさいほどに鳴り響き始めていた。
コメント
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拓海の「何も起こらない日常」の描き方が丁寧だからこそ、あのグループチャットの通知が来たときの胸の冷え方がすごくリアルでした。二十年前の秘密が「タイムカプセル」という温かい仕掛けで掘り返される構造、巧いなあと。最後の蝉の声が蘇る描写、ゾッとしました。続き、気になりますね。
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⚔️♠️⚜️哀雷⚜️🗡️🥀
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