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「ゆいちゃん、偉央さんは本当優しいご主人ね」
走り去っていく偉央の車を見送りながら、美鳥が「ゆいちゃんがいい人と結婚できて本当によかった」と、しみじみつぶやいた。
確かに偉央さんはいい夫なんだと思う。
だけど、そうとばかりも言っていられないところも沢山あるんだよ?とも思ってしまった結葉だ。
それで、素直に母親の言葉に頷けなくて、取り繕うみたいに「お父さんだって優しくていい旦那さんじゃない」と言ってしまった。
自分が結婚してみるまで分からなかったけれど、今なら断言出来る。
結葉の父・茂雄の方が、偉央とは比べものにならないくらい良き夫であり、良き父親だと。
(だって……偉央さんは時々すっごく怖いし、それに――私との子供を望んではくれないもの)
少なくとも母との間に娘である自分を成し、その子を愛情たっぷりで何不自由なく育て上げてくれた父・茂雄は、結葉にとってまぶしいくらい尊敬に値する男性だ。
「そ〜お? お父さん、確かにすごく優しいけど……基本的には仕事人間よ? お母さん、ゆいちゃんがお腹にいる時にも何も問題ないなら、って妊婦健診にはいつもタクシーかバスで行かされてたし……偉央さんみたいにお昼休み返上してまで送り迎えしてくれるなんてこと、考えられなかったわ」
クスクス笑いながら言っているところをみると、母が、本心から恨み節を言っているわけでなないように思えた結葉だ。
「さぁ、寒いし中に入りましょ。愛され奥様の結葉さんっ」
そんな風に揶揄う美鳥に背中を押されながら、結葉は喉の奥、すぐそこまで出掛かった「でもね、お母さんっ」という言葉を寸でのところで飲み込んだ。
一人娘の結葉が、素敵な男性に見染められて幸せな結婚をしたと信じ込んでいる母を悲しませるようなことをしたくないと思ってしまったから。
そもそも偉央は、結葉がヘマさえしなければ、美鳥が言うように非の打ちどころのない素敵な旦那様なのだ。
いまの母の言葉で、少なくとも傍目には彼がそう見えているのだと強く再認識させられた結葉は、胸の奥で燻る火種にそっと砂を掛けて誤魔化した。
考えてみれば、偉央と結葉の出会いのきっかけを作ったのは、両親に他ならない。
もし下手なことを言って、二人に責任を感じさせるようなことになったら、それこそ結葉は悲しい気持ちになる。
そうなるのは本意ではなかったから。
(私さえ良い子にしていれば大丈夫だよね?)
結葉は、ここで本心を美鳥にぶちまけなかったことを、後々悔やむことになる。
***
「ゆいちゃん、お母さん、お友達からお紅茶の詰め合わせギフトを頂いたんだけど、今日はそれにしない?」
リビングに入ると、美鳥がそう問いかけてきた。
(お母さん、お誕生日でもないのにお友達からギフトを頂いただなんて、何かあったのかな?)
ふとそう思ってしまった結葉だったけれど、あえて聞くほどのことじゃないかな?とそこは詳しくは聞かずにスルーして、「わー、楽しみっ」と返した。
実は、紅茶の方がコーヒーより好きな結葉だったけれど、偉央が酸味強めのコーヒー豆で淹れた、ロースト深めの濃いブラックコーヒーを好むので、紅茶自体御庄家にはなかったから。純粋に紅茶が飲めることを嬉しいなと思ってしまった。
別に紅茶を買ったからといって偉央は文句なんて言わないだろうけれど、現状でも御庄家には――というより稼ぎ頭の偉央には――玄米茶しか必要ないのに、自分のためだけに麦茶を買わせてもらっているという引け目のある結葉は、紅茶にまでは手が出せなかったのだ。
「ゆいちゃんはどれにする?」
どうやら数種類の紅茶のティーバッグが詰め合わせになった缶入りの贈答品らしく、美鳥がキッチンカウンター上に数匹の猫がお茶会をしている可愛いらしいイラスト入りの四角い缶を置いた。
そのふたを開けて、結葉に手招きをする。
「アールグレイ、アッサム、ホワイトピーチティー、アップルティー、ミルクキャラメルティー、ヌワラエリヤ、野いちごのガールズティー」
缶の中からひとつひとつ、これまたウサギや猫や女の子やミツバチなどが描かれた可愛らしいパッケージのティーバッグを取り出して並べていくと、美鳥が結葉を見つめた。
「オーソドックスにアールグレイにしようかな」
こんなに沢山種類があるのだから飲んだことがないようなものを選ぶ方がいいのかも?とも思った結葉だったけれど、紅茶を飲むこと自体久々だったから、飲み慣れた味が飲みたいな?と思ってしまった。
「ど定番を選んだわね」
美鳥がそんな娘を見てクスクス笑って、
「じゃあお母さんは冒険してガールズティーにしてみようかな」
と、女の子の絵柄が描かれたパックを手に取った。
「沢山入ってるから全種類ふたつずつお裾分けするね。家に帰って偉央さんと飲んで?」
美鳥がヤカンをコンロに乗せながらそう言って、結葉は「……ありがとう」と微笑んだ。
(偉央さん、紅茶、一緒に飲んでくれるかな)
考えてみたら、結葉は紅茶自体を偉央に勧めてみたことがないことに気が付いた。
偉央がコーヒーを好むのを知っていたから、勝手にそればかり選んで淹れてしまっていたけれど、もしかしたら紅茶だって偉央は喜んで飲んでくれるかも知れない。
そもそも偉央は温かい玄米茶を好む男性なのだ。
ないとは言い切れなかったのに、思いつきもしなかった。
偉央に対して、自分の視野がものすごく狭まっていることをふとした時に痛感させられることがある結葉だ。
結葉は、案外問い掛ければ「頂こうかな」とか言ってくれるんじゃないかな?と淡い期待を抱いた。
キッチンの片隅にある、例の作業スペースに湯気の薫るティーカップを置いて、美鳥と横並びに腰掛けて。
「別のお友達からクッキーの詰め合わせも頂いたのよ」
言いながらそれを出してくれる美鳥に、結葉は先ほども感じた違和感が頭をもたげるのを感じた。
自分は何か大切なものを見落としている気がしてしまった結葉だ。