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① 引き続き,記憶の追憶です。苦手な方は回れ右をしていただけると幸いです。

② 「」が現実(?)のエマ達のセリフで,()が同じく現実(?)のエマ達の思考です。

③ []が記憶の中のエマ達のセリフで,〚〛が同じく記憶の中のエマ達の思考です。

④ アニメと漫画両方を加えていますが,アニメの方は,記憶が曖昧なので,おかしな部分もあるとは思いますが,ご了承下さい。

⑤ 原作にもアニメにもないセリフを,私が一部,入れています。



それでは,本編へどうぞ!!



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・























──11月2日。木曜日。脱獄決行まであと6日。

キャッキャッと,子供達がハウスの庭で遊ぶ中,その様子を,レイは昨夜イザベラから貰った報酬のカメラでパシャッと撮った。

そして,カメラから顔を離して,今度は肉眼で皆の姿を目に映すと,寂しそうな,悲しそうな表情をほんの少しだけ浮かべた。

すると,そのレイの後ろに,ノーマン,エマ,ギルダ,ドンが近づいて来る。

レイはその4人に気づくと,4人がバケツを取りに行っている間にカメラを一旦部屋に仕舞いに行ってから,井戸の前に移動して,[確認するぞ。]と口を開いた。


[昼飯の後,自由時間に入ったら俺がママを引きつける。ノーマンとエマは塀に上って『下見』。ドンとギルダは屋外──ハウス2階の南窓が見える位置にいろ。]

[[…?]]


コクリと頷いたノーマン,エマと,意図がいまいち読み取れないドン,ギルダ。その二人を指差して,レイは再び口を開いた。


[万一俺がママを引きつけられなかったら合図する。エマ達に伝えて,ソッコーで下見中止させろ。]

[[…!]]

[多分ママは疑っている。バレてるって感じではなかったけど,楽観はできない。土壇場でこっちの誘いに乗らない可能性もある。]


レイの報告に,ドンは驚いて瞠目した。


[そうなったら……諦めるのか?下見を。]

[ああ。場合によって一旦はな。いいか?『制御できない』と思われたら終わりだ。ママの目的は俺達の満期出荷。特に,フルスコア3匹。


そう言いながら,レイは6年探って判っているイザベラをやり口を伝えていく。


[ここまで育てて中途で出すなんざ,意地でもしたくない。制御できる内は絶対制御したい。自分にならできる。それがイザベラって飼育者だ。]


レイの言葉に,ドンとギルダは,ズン…と若干引いたような空気を出した。

レイはそれには構わず,エマが置いたバケツに水を汲みながら話を続けた。


[疑われようと,怪しまれようと,騒がず,『制御できる』と思わせればいい。幸い,来月の定例出荷はない。決行日までは6日だが,究極,次1月──俺の満期出荷まで2ヶ月半の時間がある。何かあれば下見は即中止。あくまで水面下,制御可能を装うんだ。いいな?


レイの言葉に,4人は頷き合った。

そして,エマとノーマンが顔を見合わせてレイに近づく。


[レイ。ちょっといい?]

[…?]


眉を下げている二人を見て,逆にレイは眉を寄せつつも,二人について行った。
















[ハァ!?『発信器が壊せる』をシスターに掴まれた!?]

[利益もあったが,しくじった。決行日を早めたい。発信器はいつ壊せる?]


ハウス内のレイの部屋に集まって昨夜のことを報告すると,レイの声が部屋中に響き渡った。

ノーマンの言葉に,レイは若干渋るような表情を見せたが,ふと,引き出しから黒い箱に入ったカメラを取り出すと,二人に向けて構えた。

キョトンとしつつも,二人がカメラ越しにレイを見つめていると,パシャッとシャッターが切られ,眩しさから,二人は反射で目を瞑る。それに加え,エマは手で塞ぐようにしながら顔を避けた。

ノーマンはそれを微笑みながら見て,レイはカメラから,出てきた写真を取り,カメラを二人に渡すように差し出した。


[昨日,お前らがシスターの部屋へ行っている間,ママから貰った。お前らを売った報酬だ。]

[!…インスタントカメラ?]


レイからカメラを受け取ったノーマンが,そのカメラを見て呟いた。

レイは[そいつを待ってた。]と,ニッと口角を上げて笑い,指を一本立てる。


[それで最後のパーツが揃ったんだよ。もういつでも発信器は壊せる。]

[[…!]]


レイの言葉に,エマとノーマンは心底嬉しそうに目を輝かせた。

レイは続ける。


[**下見次第で決行日を早めよう。**隠したかった手の内が奴に読まれたのは厄介だ。]

〚ああ。厄介だ。──なぜなら,レイが持つ発信器の無効化手段こそ,家畜(ぼくら)の反逆を示す,決定的“証拠”!!


ノーマンはそう頭で思いながら,薄く冷や汗を浮かべた。


[証拠だけは,絶対に掴まれてはいけない。]

[掴まれる前に,早いとこ,下見して逃げよう。]

[ああ。でも,ママへの対処は変わらんぞ。]

[わかってる。]


ノーマン,エマが言うと,レイも続き,エマが頷いたところで,レイは,格子窓越しに庭を振り返った。


[シスターはシスターで手を打とう。]


レイがそう言うと,ノーマンとエマはコクリと頷いた。

それを横目で見たレイは,ふと,先程撮った写真を見る。そして,ふっと微笑んだ。


[[…?]]


レイのその様子に,ノーマンとエマは顔を見合わせると,ベッドを回ってレイの手にある写真を覗き見た。

それを待っていたかのように,レイが口を開く。


[変な顔。]


と。まぁ確かに,ノーマンとエマはキョトンとした顔で写っているので,『変な顔』と言われれば変な顔なのだろう。

ノーマンは苦笑し,エマは唇を尖らせ,[ひっどーい!]と言ったが,レイはしてやったりといった表情でニヤニヤと笑うだけだった。























一方その頃。クローネは自身の部屋でボロボロの人形を抱きながら,昨日のことを喋っていた。


[ねぇどうして標的(やつら)は嘘をついてきたのかしら?発信器を壊せるのに聞く必要のないことを聞いて………いや,そもそもどうやって壊すの?何かそれ専用の道具を使うの?……まさか,そういうの作ったの?なら,それが確たる“証拠”になったりする?だから恐れて嘘をついたの?]


そこまで言うと,(明らかに人形に話しかけていたが……。)クローネは,ニヤリと笑って目を光らせた。


[だとしたら,ガサ入れね♡]


そう言ったクローネは,昼食の準備をしている標的(こどもたち)に気づかれないよう,静かに証拠探しに出た。

























[フーン♪フフーン♫]


どこか上機嫌の様子のフィルは,足取り軽くハウスの廊下を歩いていた。

そして,子供部屋の一つで,最年長3人の内,レイが任されている部屋の前を少し通り過ぎる。

だが,ふと,開いている扉の隙間からちらりと見えたものに,フィルはピタリと足を止め,通り過ぎた道を引き返す。

ヒョコッと扉の隙間から顔を出したフィルは,


[何してるの?]


と,中にいる人物に純粋に問いかけた。

その人物──クローネは,フィルの声にビクリと動きを止めたが,すぐにニコッと笑った。


[ちょっと探し物♡]

[ふーん。]


クローネの言葉に,興味を無くしたように,フィルはその場を去って行った。

だが,ふと,違和感を持つ。


〚レイのベッドとか引き出しとかあさってたけど…一体何の探し物なんだろう…?〛


だが,フィルは今度は引き返す程の興味はなくなっていたため,そのまま鼻歌を歌いながら廊下を歩いて行った。



フィルが去った後,クローネは先程までよりも少々荒くレイの私物を弄っていた。


〚**ない…。全然ない!どこにもない…!**発信器が壊せる物を作ったのなら,イザベラの内通者であるレイの可能性が高いと思ったのに……!私の思い違いか,奴らが隠したのか……。〛


クローネがあーだこーだという風に色々引っ掻き回している丁度その時。



レイは昼食の準備をしながら内心ほくそ笑んでいた。


〚気づかれても見つからなきゃいいんだ。証拠も,証拠(それ)に繋がるものも!!〛


そう思うと,レイはエマ達とシスターの対処について話した時のことを思い出した。


〘えっ…レイ,持っとくの?発信器を壊す装置。〙

〘ああ。〙


レイが言ったことを復唱したエマに,レイが頷くと,ノーマンも同感するように口を開いた。


〘まぁ,確かに。どこかに隠して見つかるよりも,レイ自身が持ってた方が見つかる確率は低いとは思う……けど…〙

〘でもシスター,もしレイ自身が持ってるって判ったら,どんな手使って来るかわからないよ?危険だよ!〙


ノーマンが言いかけた言葉に,エマが続くと,二人共心配そうにレイを見つめる。

レイはまさか心配してくれるとは思っていなかったのか一瞬,驚いたように目を見開いたが,すぐにいつも通りの表情に戻ると,口角を上げた。


〘大丈夫,手は打ってある。別の餌を与えるんだ。〙


ニヤリと笑ってそう言ったレイに,二人共,小さく首を傾げた。



昼食の準備をしているエマは,同じく,近くで準備中のノーマンにコソッと耳打ちした。


[『餌』って…レイ,一体何を……。]

[さぁ…。]


『餌』が何なのかはエマもノーマンも,どれだけ聞いてもレイは一切教えてくれなかった。

ただ一言,


〘必ず足止めできる。〙


と,確信したように言うのみで,それ以外は全く聞き出せなかったのだ。



エマとノーマンがそんな会話をしている最中,クローネはレイのサイドチェストをずらしていた。そして,そこに落ちている,綺麗に折り畳まれた一枚の紙に目を留めた。

手を伸ばしてその紙を取ると,四つ折りにされているそれを広げ,そこに書かれている文章を読む。───そして,驚きに目を見開いた。


〚これ,なんてこと……なんで今まで気づかなかったのかしら。もし本当なら,イザベラは───〛


何度もメモを読み返しながら,クローネは心臓が高鳴っているのを感じた。


〚このメモを見せて,大母様(グランマ)辺りに直訴できれば……**イザベラの信用をガタ落ちさせられるわ!!**もし本当なら…本当なら…。──いや,確かめる術はある!!


そう思うが早いか,クローネは全力で部屋へと戻って行った。



レイは,準備がほとんど終わった食堂で,フィルの頭を撫でてあげながら,(下見次第ではあるが,)勝利を確信していた。


〚これでしばらくは目を逸らせる。ついでに,ママの注意も分散できる。奴ら,決行日が近いことは知らない。そうこうしてる間に,こっちは塀の外だ!!


イザベラとクローネの姿を思い浮かべ,レイは目を細めた。



一方クローネは,ハウス(ここ)へ来た時に私物を入れて来ていたトランクを開け,乱雑に広げていたが,それには構わず,机に広げた資料を見つめて歓喜に打ち震えていた。


[本当だ。これは本当に事実なんだ。]


そう思うと,クローネはベッドに置いている人形に話しかけるようにベッドに飛び込んだ。


[アハッ♪思いがけず手に入れちゃった!**頂点イザベラの2つ目の弱味!!**どう料理してやろう。]


ニヤニヤとほくそ笑みながら,クローネは自身の勝利を確信した。


〚上手く行けば,先にイザベラ堕としてママの座をゲット!反逆者(ガキども)を無条件で出荷できるわ!しかも今回はこのメモという物証つき!!〛


そこまで考えて,ふと,クローネは手に持ったメモを見つめた。


〚でもなぜ…レイはなぜこれを知っているの?──イザベラが教えたの?……いや違う。イザベラだって本来知らないはず。なぜ……〛


と,その時。コンコンッと,扉をノックする音が響いた。


クローネは慌ててポケットにメモを隠し,トランクの蓋を閉じてから,扉を開けた。

そこにいたのは,クローネが予想していた通り,イザベラが立っていた。

ふと,クローネが目線を下げると,イザベラは右手にペーパーナイフを持っていることに気がついた。

クローネが思わず体を強張らせた時,イザベラはくるっとナイフを手の中で回して,持ち手の方をクローネに向けると,左手に持っていた手紙を差し出した。


[本部からよ。開けてごらんなさい。]


言われた通り,クローネは,イザベラからペーパーナイフと手紙を受け取り,封を開けると,中に入っていた手紙を読み上げた。

そして,目を見開く。


[え…。“No.18684 シスター・クローネ。貴殿を第4プラントの飼育監(ママ)に任命する。”]


読み上げたクローネは,驚きのあまり,身を乗り出してイザベラを見た。


[えっ…!私をママに!?]

[ええ。お別れは残念だけど,そういうことね。]


そう言って,イザベラはニコリと微笑む。


[第4ププラントの飼育監に急な空きが出たのよ。それで,予てから推薦していたあなたに声が。]


クローネは目を見張った。


[私を……推薦?]

[大母様(グランマ)が門へ迎えに来ている。今すぐ荷物をまとめて本部へ戻りなさい。]

[今……すぐ?]


イザベラの言葉を復唱するしかなくなっているクローネに,イザベラは綺麗な笑みでニコリと微笑んだ。


[さようなら。新たな飼育場(プラント)でも頑張ってね。]

[………]


目を細めて微笑むイザベラを見て,クローネは**〚まずい…。〛**と冷や汗を流した。


〚**これは罠だ。**急な空き?今すぐ交代?話ができすぎている。予てから推薦ってのも変。私を第3プラント(ここ)から出すのも,私に褒美(エサ)与えるのも,ミスの隠蔽・奴らの出荷,全て片づいてからでしょう?〛


〚これは罠……。〛と,クローネはイザベラを軽く睨むように見た。


〚邪魔になったか,何か気づいたか……。**この女は,私を始末する気なんだわ!!**──問題は……〛


と,クローネは自身が持つ手紙にもう一度目をやった。


〚まず,この手紙がイザベラの勝手な偽造ではないということ。何を吹き込んだかわからないけれど,イザベラが何かの口実をつけて,本部に書かせた書状だということ。つまり,私は逆らえない。中身は嘘でも,手紙自体が本物であれば,私は今すぐ門へ赴かねばならない!!〛


クローネは,もう一度,ニコリと微笑んで目を細めるイザベラに視線を戻した。


〚加えて,密告の不利!私が密告(チク)る前に,イザベラに先に密告(チク)られてしまった。そして本部…。グランマもそれを信じている。今,私が訴えても信じてもらえるかどうか……。せっかく手に入れたのに…!〛

[どうしたの?]


ポケットに入ったメモに気を取られていたクローネに,イザベラは不思議そうに微笑んで声をかけた。


[嬉しくないの?]

[いえ,光栄です。すぐ仕度します。]


クローネのその返事を聞いたイザベラは,満足そうに微笑むと,その場を立ち去った。だが,その後ろ姿を,クローネは唇を噛み締めて睨んでいた。


〚**このアマ!**諦めるものか!イチかバチか,直訴する!〛


そう決めたクローネは,扉を閉めて一度部屋の中に入った。

そして,トランクの中からあるものを取り出す。


〚お前の思い通りにさせてたまるか,イザベラ!!〛


心の内でそう叫んだクローネは,取り出したあるものを持って,一つの子供部屋に駆け込んだ。
























[ママー!シスター!ごはん用意できたよー!]


階段を降りて行ったイザベラは,カランカランッという鐘の音と共に聞こえてきたフィルの声に,頬を緩めた。そのフィルの後ろには,マーニャもついてきている。

イザベラの前まで来た2人は,[あれ?]と周りを見回した。


[シスターは?一緒じゃないの?]

[お部屋?]


2人のその問いに,イザベラは,目線に合わせてしゃがみ込むと,頭を撫でながら**[いいえ。]**と否定した。


[**ちょっとお仕事。**先にいただいてしまいましょう。]


イザベラのその言葉に,大きく頷いた2人は,イザベラと共に食堂に戻っていった。



イザベラが食堂に行くと,ほとんどの子供達が皆,席に着いて談笑していたが,ふと,まだ席についていない子供の内の一人であるレイが,クローネの席を目を細めて見つめているのに気づいた。

クローネが来ていないことに不信感を抱いているのだろう。その証拠に,先程席に着いたフィルが,他の子に[シスターは?]と聞かれて,[お仕事だって!]と答えたのを盗み聞いたにも関わらず,全く信じていない様子である。

イザベラがそう考えていると,レイと視線がかち合った。

レイが目で[本当?]とイザベラに聞いてきているのはすぐに判ったため,イザベラは,その目線にニコッと微笑むことで返事をすると,レイは眉間に皺を寄せながらも席に着いていった。



丁度その頃。クローネは森の中を,門を目指して歩いていた。

門扉の鉄格子が錆びついた音を立てて開き,その下をクローネがくぐると,門が再び錆びついた音を立てて閉まった。

昼間なのに,明かりがないせいか,門の奥は暗かったが,その暗い場所に人が一人,立っていることはクローネにも判ったので,クローネは,**[グランマ……。]**とその人物の愛称を呟くと,ポケットからメモを取り出して見せた。

グランマはそのメモを素直に受け取り,黙読すると,顎に手を当てて,クローネの話をまとめた。


[……つまり,こういうことですか?このメモの事実に加え,他のフルスコアも秘密を知って,逃げようとしている。]

[続く上物2匹もです!]


グランマの言葉に,クローネは付け加えて叫ぶように言った。


[脱走(そちら)の件には物証はありませんが,でも信じて下さい!このままでは危険です!このままでは……]

[でも,制御はできているのでしょう?]

[え……。]


クローネの言葉を遮り,口元を歪めて言ったグランマに,クローネは呆然と目を見開いた。

グランマは,そんなクローネの様子に構わず続ける。


[制御できているのなら問題ありません。──かつての,私(わたくし)のように。]


驚きのあまり,動けないでいるクローネに,グランマは靴音を鳴らして近づいていった。


[困るのですよ,シスター・クローネ。イザベラ(あのこ)の邪魔をすることは。特別なのです。イザベラ(あのこ)も,イザベラ(あのこ)の飼育場(プラント)も。]


そう言いながら,グランマは,クローネの真横で足を止めた。


[**儀祭(ティファリ)に,最上の一皿を。農園に,最大の利益を。**イザベラは私(わたくし)に必要な駒なのです。あなたでは代わりは務まらない。]


スッと,グランマはクローネの耳元で囁く。


私(わたくし)が困るのです。]


と。

そう言って,グランマはクローネに背を向けて暗闇の向こうに消えていったが,クローネは肩を震わせていた。


[ああ,そう。完全にグルだったの。負けた。いや,負けていた。最初から私に,勝ち目など……


空笑いしながら,クローネがそう呟いていると,背後から,大きな手が伸びてきていた。

それを認識した瞬間,クローネは走馬灯を見た。























夜の森を,門を目指して歩いていくクローネは,手を繋いだママを見上げた。

その瞳は,キラキラと輝いていた。


[ねぇ,ママ。新しいお母さん,どんな人かな?お父さん,優しいかな?]


ワクワクとしたクローネの様子に,ママは,ニコリと微笑んだ。


[すぐに会えるわ。]


[お楽しみは後♪]と言っているようなママの言葉に,クローネは更に瞳を輝かせて,目の前に見える門を見上げた。

普段は近づくことが禁止されている門の鉄格子は,今は,クローネを新しい世界へ導くために上げられている。

門を潜ったクローネは,その暗闇の中に見えた影に凍りついた。


[ひっ…!]


と,小さな悲鳴を上げて立ち止まったクローネの視線の先に居たのは,クローネを里子に迎えようとしていた人間ではなく,クローネよりも遥かに大きな怪物だった。

後ろに下がろうとしたクローネを,ママがその肩を掴んで阻む。

クローネは,恐る恐るママを見上げると,ママは,うっそりと微笑んでいた。


[クローネ。あなたは優秀な子だから選ばせてあげる。このまま死ぬか,あるいは,私と同じ,飼育監(ママ)を目指すか。


悪い夢だと思いたかった。だが,どれだけ念じても,意識も身体もハウスのベッドに戻ることはなく,これは現実のことなのだとクローネは認めざるを得なかった。

そう思うと,クローネの口は,小さく,言葉を紡いでいた。


[死に…たくない……。]


と。クローネのその言葉を聞いたママは,嬉しそうに微笑むと,トンッと優しくクローネの背を押した。


[じゃあクローネ。新しいお家でも頑張るのよ。]


まるで本当に新しい里親の元へと送り出すような,優しい励ましの言葉を聞きながら,クローネは暗闇の奥へと招き入れられた。











「ちょっと待て。これ,シスターの記憶──過去まで見れんのか。」


レイの声に,全員が映像から目を離してレイに注目する。

このレイの問いは,とても有り難かった。なぜなら,コナン達は“脅し”をかけられていたため,聞くに聞けなかったからだ。

レイのその問いに,ニコリとノーマンが微笑んで頷いた。


「うん。この薬,出てくる人の記憶なら誰であっても見れるから。」

「何でも有りだな,オイ。何でも有りかよ。」

「ふふっ…アンナとザックとヴィンセントが作ってくれたんだもの。」


ニコニコと嬉しそうに笑ったノーマンは,ツッコむレイの後ろに立つイザベラに向き直った。


「何なら,ママの記憶──過去だって見れるよ。」

「「待って。それだけはやめて / やめろ!」」


ノーマン言葉に,イザベラとレイが間髪入れずに同時に声を上げた。

「「あ……。」」と声を上げた2人は,お互いにすぐに目線を外して気まずそうにしていたが,ノーマンとエマ,ユウゴは面白くなさそうに半目になると,「「「却下!」」」と声を揃えた。

それに2人共,渋るような,なんとも言えぬ表情になると,続けて反論を試みた。


「私の過去なんて見ても良いことなんてないわ!」

「そうだよ!あのママだぞ!?んなもん見るよか,先に進めたほうが…」

「ちょっとレイ?それはさすがに怒るわよ?」

「いやだって……!見せたら余計なとこまで…」

「はいはい。そこまでだよ,二人共。まぁ,『見せる』っていうので既に3対2だからね。異論は認めないよ。」

「認めなさい !!」「認めろ!!」


再び揃った声を無視し,ノーマンは再生された映像に向き直った。











[No.72684。]

[はい。]


クローネがこの本部に連れてこられてから,二日が経っているらしい。(クローネが心中でそう言っていた。いくらノーマン達でもわかりっこないので。)

クローネは,横から聞こえてくる無機質な返事を聞きながら,ふと,懐かしい金髪を目にした。

誰かに似ている気がしたのだ。

その時,クローネは,ハウスを恋しく思ってしまった。


〚ここにはもう,信じられる人は誰もいない……。〛


そう思ったクローネは,俯いて眉を顰めた。

この本部に来た時,ママ以外の大人も,12歳より年上の少女とも,ハウス以外の建物も,何もかもが初めてだった。

だが,その新しい姉達は,ハウスにいるような優しい風貌など無く,いつでも冷ややかな目でクローネを見るばかりだった。

その視線に,無機質な部屋に,クローネは途轍もない不安に駆られる。


〚こんなところでやっていけるの……。〛

[No.18684!]


ボーッとしていたクローネは,呼ばれたことに反応が遅れ,ビクリと肩を跳ねさせ,[は,はいッ!]と慌てて顔を上げて返事をした。

それに,教育係の大人は,眉を顰め,手元の名簿にチェックし隣に歩いていく。

クローネは冷や汗を流した。



これを見たイザベラ曰く,ここでは自分達の行動は逐一審査され,大母様(グランマ)の元へと報告されるらしい。どんなに小さなミスも許されず,厳しく審査されるのだという。



そうイザベラが説明し終わるとほぼ同時に,点呼が終わったらしく,教育係の大人が,指示を出した。


[──以上,二十一名。移動しなさい。]


クローネを含め,全員がそれに従って食堂へと進んでいく。

食堂に着くと,食事係が用意した朝食を受け取り,ぼんやりとその質素な食事を見つめた。

その瞬間,ガシャンッ!!!と,食器の落ちる音がした。

クローネは驚いてその方向に顔を向ける。

するとそこには,椅子を倒して立ち,頭を抱えている少女がいた。


[もう嫌ぁ……ッ!私にはこんなことできない……っ!子供達を見殺しにする立場を目指すなんて,あなた達,まともじゃないわ!みんなに会いたい!みんなを返してよぉッ!]


肩を震わせ,泣きながら床に崩れ落ちた少女を,クローネは棒立ちになって見つめる。

これがハウスだったら,当たり前のように駆け寄って慰めてやるのだが,クローネはその異様な光景に気圧されて固まってしまっていた。

周りを見てみると,素知らぬ顔をしているか,もしくはひっそりと侮蔑の笑みを浮かべているだけで,誰も少女を気にかけることもない。

そしてその瞬間,大母様(グランマ)が現れ,クローネ達に緊張が走った。


[何の騒ぎですか!]


大母様(グランマ)と一緒に現れた教育係が,その少女の腕を掴んで無理矢理立たせる。

大母様(グランマ)に駆け寄った教育係のシスターが,コソッと耳打ちすると,大母様(グランマ)は[そうですか。]と呟いた。

そして,冷たい眼差しで少女を見ると,冷ややかに,そして無慈悲に口を開いた。


[彼女はもういいわ。]


大母様(グランマ)その言葉で,少女は自分がしたことが取り返しのつかないことだと気づき,引きづられながら悲痛な声を上げる。


[あ……ああっ,嫌!ごめんなさい!!許して!死にたくない……ッ!]


その叫びは無論,聞き入られることもなく,その少女は教育係のシスター達によって廊下を引きづられていった。



コナン達も,クローネも絶句してそれを見送った。



だが,周りの人達は既に,何事もなかったかのように食事を再開している。

クローネはそれを見て,ようやく席に着くと,無理矢理スープを腹に入れた。

そして,自分自身に言い聞かせる。


〚ここは,こういう場所なのよ。優しい人間は,ここでは生きていけない……。〛


全く食欲はなかったが,それでも食事を口に運びながら,この二日で判ったことを頭の中で整理した。


〚ここにいる少女達は全員,ハウスにいる間,一定以上の成績を残し,ママによって飼育監としての道を推薦され,この養成学校に来ている。そして,まずは補佐役(シスター)となるための訓練を受け,そのシスターの中で業績を評価され,更に,出産を経た者だけが飼育監となれる。……その数はかなり限られてるけど…。そして,その頂点には,大母様(グランマ)が……。〛


クローネはそこまで思い出すと,目眩がして崩れ落ちそうになった。

クローネは慌ててそれを無理矢理抑え込み,椅子に座り直した。

そして,気づかれないよう,そっと心臓の上を,服の上から擦った。


〚飼育監(ママ)のルートから外れても,教育係とか,食事係とか,あるいは医師,看護師にもなれる。……でも,医師や看護師は,出産時や,心臓にチップを埋めることも,しなければならない……。もうこれで,死なずに済んだと思ったのに……。〛


込み上げる吐き気を抑え込み,クローネは食事を進めていく。


〚結局私は,あの門での選択を続けていくしなかいんだ…。〛


ギュッと拳を握りしめ,クローネは無理矢理飲み物を胃に運んだ。










食事を終えたクローネ達は,すぐに一日の授業と訓練が始まる。

その教室は,ハウスでいうテストルームを思わせる空間だった。

番号の順番に席に着いたクローネは,支給されていた裁縫箱を取り出す。



これもまたイザベラ曰く,この養成学校での授業というものは,頭脳テストのような勉強が中心というわけではなく,飼育監となった時に必要なスキル全てを身につけるためにあるのだという。

例えば洋裁や刺繍,家事など,ママとして必要な技術から,医療や育児についての知識,また,万が一,子供達の反乱があった際,その子供達を抑えるための武術の訓練があるという。

ここでは勿論,クローネが言っていたように,心臓にチップを埋められているため,反乱を起こせば電気を流されて即死だ。



そのイザベラ説明を受け,コナンは,もしやイザベラも,この養成学校にいた頃は,今のこのクローネのように不安と恐怖に駆られていたのではないかと思った。

同時に,


これは洗脳だ。


と,コナンも,警察官達も即座に思った。

映像では,教育係が扉から入ってきて,時間通り全員揃っていることを確認すると,


[まず,前回の刺繍の課題を提出しなさい。]


と,指示を出した。

左側の列から順に席を立った少女達が課題を箱に入れていく。

クローネも,それを見て立ち上がり,刺繍を取り出そうと袋に手を突っ込んだ。──が,その瞬間,その場に凍りついた。


〚あれ………?〛


昨夜仕上げた刺繍の課題が袋の中に入っていなかったのだ。

クローネは絶句して袋の中を探る。


[え……うそ…。確かにここに………]


クローネがそう小さく呟いた瞬間,クスッと笑う声が後ろから聞こえてきた。

反射的に振り返りそうになり,クローネは慌てて自制する。


〚しまった……。一瞬目を離した隙に,盗まれたんだ……。〛

[No.18684。何しているの。]


教育係が立ったまま固まっているクローネに提出を促す。

クローネの後ろの少女達も課題を提出し,出せていないのはクローネただ一人だけとなった。

クローネは袋を握り締め,唾を飲み込んで声を絞り出した。


[あ……ありません。]

[ありません?それは刺繍を一晩かかっても完成させられなかったということでいいのかしら?]


クローネの答えに眉を顰め教育係の冷たい双眸がクローネに突き刺さる。

自分の背後で無数の少女がほくそ笑んでいる子が嫌でもわかり,クローネは屈辱に唇を噛み締めた。


[返事をしなさい。]


答えられないでいたクローネに,鋭い声がかかり,クローネはもう一度,消え入りそうな声で口を開いた。


[……いえ。入れていたのですが,なくなりました。]


クローネのその言葉に,教育係は眉を顰めた。



ふと,コナンが横を見てみると,イザベラも眉を寄せているのがわかる。

そして,イザベラは小さく呟いた。


「馬鹿……!」


その呟きが聞こえたのか,佐藤はイザベラを見てその目を細めた。


「どうして『馬鹿』なのですか?」

「そうだ!本当のことを言ったのに…!」


佐藤の問いに,小五郎も乗っかり,イザベラを問い詰めるように見ると,イザベラは不快そうに二人を見て,眉間に皺を刻んだ。


「残念だけど,あなた達がここにいたら,生きてはいけなさそうね……。どうしてって言われても,あれじゃあ,課題が間に合わなかった言い訳にしか聞こえないからよ。……嘘でも,嫌でも,頷いていれば……『教育係に反抗した』と思われて,出荷にならずに,ただ減点されるだけで済んだかもしれないのに……。」


イザベラの呟くような声に,コナン達はハッとして,映像のクローネを見つめた。



だが,クローネ自身も,そのことを言った後で自覚したのか,冷や汗を大量に流していた。

教育係の低い声が響く。


[……そう。わかりました。残念よ。No.18684。]


ドクンッとクローネの心臓が嫌な音を立てて大きく跳ね上がった。

クローネが死を覚悟してギュッと目を瞑ったその時。後ろから声がかかった。


[先生。これじゃないですか?]

[…!]


平坦な声が響き渡り,つかつかとクローネの横を通り過ぎ,手に持っていた刺繍を教育係に差し出す。

さらりと,長い金髪が肩に落ちた。


[そこに落ちていました。]


刺繍を受け取った教育係は,それを一瞥すると,驚きのあまり固まってその少女を見つめているクローネに視線を移した。


[これですか?]

[あ……はい。]


クローネは半ば呆然としたまま頷いた。


[入れていたのに,なくなりました……ね。]


教育係は,独り言のようにそう呟くと,身構えているクローネに厳しく言いつけた。


[課題を落とすなんて不注意は,今後は許されませんから,そのつもりでいなさい。]

[はいッ!]


クローネは姿勢を正して返事をすると,課題を“拾って”くれた少女を見た。

明るい金髪に,灰色の制服からでもわかるほど,ほっそりとした体つきの少女は,クローネの視線に気づいていないのか,さっさと通り過ぎて席に着いてしまった。

クローネも慌てて席に着き,授業に戻ったが,裁縫の手を動かしながらも,その思考はさっきの少女のことでいっぱいだった。


〚どうして……。〛


裁縫の授業が終わり,次の授業に移動する際,クローネは不審がられないように注意しながらその少女に近寄り,その少女にだけ聞こえるような小さな声で話しかけた。


[ねぇ……。もしかして──セシル?


クローネの声に振り返ったその少女は,クローネのよく知る青い瞳でニコッと笑った。


[やっと気づいたの?クローネ。]


その少女は,クローネと同じハウスで育った,懐かしい姉だった。











クローネの思考曰く,セシルという少女がハウスを去ったのは2年前──クローネが当時10歳だった頃らしい。

最年長だったセシルも里子に出されるのだと自覚した当時のクローネは,心から寂しがったみたいだったが,二日前に真実を知ったクローネは,自分以外の兄弟は皆,出荷されて殺されたのだと思っていた。

だが,クローネの目の前には今,生きている姉がいた。

クローネは心の底からホッとする。


〚セシルが……生きてた。〛


夕食になり,クローネは一番端のテーブルにセシルの姿を見つけると,何気なくその向かい側にトレーを置いて椅子に座った。

セシルは,クローネが来ることがわかっていたのか,対して驚く様子もなく,僅かに視線だけを持ち上げた。

ニ年ぶりに再開した喜びから,クローネはバレないように食事を口に運ぶ合間に小さな声で呟くように話しかけた。


[ここにセシルがいるなんて,全然気づかなかった。なんか…すごく……]

[ふふっ…痩せてたから?]


クローネの呟きに,セシルは小さく笑って呟き返した。



これまたクローネの思考によると,セシルはハウスにいた頃,もっと頬の輪郭がふっくらとした,ふくよかな顔つきの少女だったらしい。

まっすぐな金髪に,青い目,黙っていたら可愛らしい人形のような顔立ちの少女だったらしい。だが,その丸みのある体型のせいで,兄弟からからかわれることもあったらしいが,セシルは勝ち気で頭もよく,そんな風に笑った兄弟達を必ず完膚なきまでに負かしていたらしい。



だが,今,クローネの目の前にいるセシルは,昔と同じ(らしい)勝ち気な笑みを浮かべているが,顎はとがり,手足も細すぎるくらいに引き締まっていた。そのため,クローネは三日も行動を共にしていたのに,全くもって気が付かなかったのだ。


[クローネは変わらないね。]


そう言って微笑んだセシルは,クローネを懐かしい想いにさせた。

そして,セシルは声を落として囁くように言った。


[いい?クローネ。ここで生き残りたかったら,刺繍取られて隠されるなんて油断(ヘマ),しちゃだめよ。シスター見習いの中からシスターになれるのは,ほんの一握り。ママになれるのなんて,更に少ない。そして,毎日の訓練の中で,私達は点数をつけられていく。少しでも他の見習いより高く評価されるため,みんな,どんな手を使ってでもその点数を稼ごうとするんだから。


そう言ったセシルは,目元を鋭くさせたまま,笑みを浮かべた。


[誰もが周りを蹴落として,自分が生き残ろうとしている。いい?だから隙を見せちゃだめよ。]

[セシル。]


影の差した青い瞳に,クローネは声をかけた。

セシルの顔を真っ直ぐに見つめて,クローネは涙を精一杯我慢しながら,小さく微笑んだ。


[また会えて良かった……。]


抱き着きたい衝動を堪えて,クローネは鼻をすすり,口をへの字に曲げた。

すると,それを見たセシルは,小さく肩を揺らす。


[クローネ。顔がブサイクよ。]

[ちょっと!]


その一瞬で,クローネの心に一筋の光が差し込んだ気がした。











授業終わりでそれぞれの部屋へと向かっていたシスター見習い達は列を作っていた。

教育係から


[全員,整列して待機。これから,大母様(グランマ)から大事なお話があります。]


と,指示があったからだ。

ほどなくして,大母様(グランマ)が来ると,全員,緊張したように背筋を伸ばした。

静寂の中に靴音を響かせ,大母様(グランマ)が口を開く。


[現在シスター見習いであるあなた達に知らせることがあります。今このクラスにいるメンバー内で,シスター推すのは── 一人だけとします。


大母様(グランマ)のその言葉に,全員の顔に驚愕の表情が浮かんだ。

クローネも眉を持ち上げ,セシルの方を見そうになるのを堪えながら,正面を見据えた。


〚シスターに推すのは一人だけ?………まさか,他は全員**──出荷?**〛


大母様(グランマ)は手を前で組み合わせながら,続けた。


[現在,どのプラントの方でも,上物の実りがよくありません。出荷に必要な数を確保するため,そして,より優秀な者だけをシスターとして残すため,一定以下の成績となった者から“落第”とします。]


それを聞いたクローネは,その意味を理解し,震え上がりそうになるのを拳を握りしめて堪える。



コナン達にも,その言葉の意味がわかった。

“落第”──それはすなわち,“出荷”であり,“死”を意味するのだ。

つまり,クローネとセシルは,二人で生き残るということはできず,必ずどちらかが他のメンバーと共に朽ちてしまうことになるのだ。もっとも,二人共朽ちてしまうという可能性もあるだろうが,クローネがシスターとしてイザベラのプラントに来たことを考えると,結果だけ言うのならば,クローネだけが生き残って,セシルを含めた他のメンバーは“落第”してしまったのだろう。



コナンがそう考えていると,**[競え。]**という大母様(グランマ)の無機質な声が響いた。


[それが,あなた達が生き残る道です。]


恫喝するような声音で言い放った大母様(グランマ)は,ゆっくりとその場を後にした。

大母様(グランマ)が立ち去っても,まるでまだそこにいるかのように,張り詰めた空気が立ち込めており,全員が押し黙っていた。


[行きなさい。]


と,教育係に促されて,クローネ達はようやく動き出した。

クローネは,冷や汗をダラダラと流していた。


〚どうしたらいいの……?私と,セシルと,両方が生き残る道はなくなってしまった……。また,選択肢だ。〛

[クローネ。]


クローネがぐるぐると考えていると,横から微かな声がかかり,クローネはハッと顔を上げた。

セシルはクローネの横に並んで,聞こえるか聞こえないかギリギリの声で言葉を続ける。


[──ここを,脱獄するわよ。]


そう言ったセシルの瞳は,青く底光りしていて,ひたと前を見据えていた。










その日の夕刻。食堂へやってきたクローネは,セシルの向かいにトレーを置いて座ると,声を潜めて呟いた。


[ねぇセシル。アレ……本気で言ってるの?]

[もちろんよ。]

[でも,どうやって?]


クローネの半信半疑な表情に頷いたセシルは,続いたクローネの質問に食事を続けながら囁くように言った。


[ここじゃ話せない。後で私の部屋に来て。]


セシルはそう言うと黙ってしまったため,クローネは不安になりながらも小さく頷いた。



因みに,(何度目かわからなくなってきたが,)イザベラによると,他の見習いの部屋に行くことは禁止されているらしい。尤も,この環境下で部屋を行き来するほど親しくなることは無いらしいが…。だが,部屋を外から施錠されているわけではなく,監視の目を盗むことさえできれば行けるらしい。



消灯後,セシルの部屋に向かったクローネは,周囲を確かめてから部屋の中に滑り込むように入ると,早速,ベッドに座っているセシルに質問をぶつけた。


[ねぇセシル。ここを脱獄って……本気なの?]

[だからそう言ってるじゃない。]


わざとおどけてみせたセシルを見たクローネは,自身の胸に手を当てて俯いた。


[だって無理でしょ。これが……]

[止められるわ。]

[え?]


サラッと言ってのけたセシルに,クローネは素っ頓狂な声を上げた。

そんなクローネに,セシルは尋ねた。


[大母様(グランマ)の持ってる懐中時計,見たことある?]

[あるわ。大母様(グランマ)がいつもポケットに入れている,金の懐中時計でしょ?確か,ママのは銀だったけど,同じだったはず……。]

[あれ,心臓のチップを止める機械になってるのよ。]


セシルの言葉に,クローネは驚いて顔を上げた。



次いで,現実の方からは低い声が聞こえる。


「は?」


という声が。

その低い声にコナンはギッギッギッ…という音がしそうなほど,ゆっくりと,そしてぎこちなく顔を右斜上に向けると,イザベラが「馬鹿かこいつら…。」という目でセシルとクローネを見ていた。

だがまぁ,確かに,プラントそれぞれの飼育監が持っている懐中時計と色違いのものなのであれば,あれは心臓のチップを止める機械ではないだろう。何故なら,あれは発信器を追跡するものであるし,そもそもプラントにいる子供達は心臓にチップを埋められていない。

そのことがあって,イザベラは「馬鹿かこいつら…。」という目でセシルと,その話をあっさりと信じたクローネを見ているのだろう。

ふと,イザベラはあることに気がつく。


(!…まさか……このセシルって子──ああ,成程。そういうことね。)


イザベラはセシルの策(て)が読めてしまい,思わず眉を顰めた。



映像では,セシルが話を続けていた。


[このチップさえ無効化できれば,脱獄の勝機はある。]


クローネは驚いて目を見開いたまま,呆然と呟くように言った。


[セシル,どうして……そのこと,知ってるの?懐中時計の仕組みなんて,私達は知り得ないことじゃない。まして,探ろうにも探れないわ。どうして……。]


クローネの疑問は既に想定済だったのか,セシルは引き出しから丸い枠にはめられた布を取り出した。


[刺繍?]


授業で使うものと同じ,木枠に張った刺繍を受け取ったクローネは,それを隅々まで眺めて見る。

何色もの糸を使って,綺麗な蝶の絵が刺繍されていた。だが,セシルがやったようには思えない。何故なら,糸は所々がひどく古いものが混ざっていて,色褪せていたからだ。


[それ,ひっくり返してみて。]


セシルの指示通り,クローネは刺繍裏返して裏側を見るが,当然ながら無秩序に糸が重なり合っていて見苦しいだけだった。


[これが何?]

[それ,青い糸だけ見て。

[青い糸だけ?]


クローネは刺繍の青い糸だけに注目をしながら遠ざけたり近づけたりして目を凝らした。

すると,セシルの言わんとしていることに気がつく。


[あ。これ……まさか,本部の見取り図……?

[そう。]


刺繍から顔を上げ,驚いたようにセシルを見たクローネに,セシルはコクリと頷く。



確かに一見すると,色んな色の糸が裏側でごちゃ混ぜになっているだけに見えるが,青い糸にだけ注目すると,複雑な見取り図らしきものが浮かび上がってきて,それがわかると,あとは本部の見取り図だと予想するのにコナン達もそう時間はかからなかった。



セシルはクローネから刺繍を受け取ると,その青い糸をそっと指でなぞった。


[私達の持ち物は,定期的に大人達に**“ガサ入れ”**される。内容を暗号にしたところで,不審なメモ一つ出てくれば**即アウト。**だから,養成学校(ここ)で情報を残すことや,伝達することはとても難しいのよ。]


セシルの言葉に,クローネはキョトン首を傾げた。


[“ガサ入れ”……?]

[部屋の持ち物に,不審なものがないか勝手に検査されてるのよ。大抵,自分達が訓練や食事で部屋を出ている間にね。]

[そんな……。]


思わず憤慨してしまったクローネに,セシルは肩をすくめてみせた。


[だから刺繍に隠して,いつか脱獄できる日のために,こうして地図を作ってきたの。私はこれを,同じように脱獄を考えていたシスター見習いからもらったのよ。]


刺繍を見つめ,懐かしむように,セシルは目を細めた。


[その人も,他の見習いからもらったって言っていたわ。きっと,その人も誰かから受け継いで,その人も,その前の人も,そうしてきたんだと思う。少しずつ,少しずつ,本部の中でわかった部分を刺繍にして残していったの。きっと,最初は自分が脱獄するために集めた情報だったんだと思うけど,叶わなくて,ここに残された,同じ見習い達へと託した。託された人も,同じように情報を集め,ここに残して,そしてまた次の誰かへ残したのよ。そうやって,一人だけでは集めきれなかった本部の情報が,ここには縫い取られているの。]


呆然としながらも,クローネは刺繍の裏側を見つめた。

胸にチップを埋められて監視下に置かれている脱獄なんて夢のまた夢としか思えないこの状況でも,希望を捨てず,あの怪物達と──支配者側と戦ってきた人達がいたのだ。

ずっとずっと受け継がれてきた意志に,クローネは大きく息を吐き出した。

それを見たセシルは,静かに話し出した。


[大母様(グランマ)の持つ懐中時計の情報も,この刺繍を託してくれた人から聞いたの。でも,彼女は懐中時計を盗むことはできなくて,そのままここを去ったわ。]


後悔と寂しさが映るセシルの瞳に,クローネは何も言えずに黙り込んでしまった。

二人で生き残るための道はたった一つ。


[……やろう,セシル。]


クローネはセシルの両手を包み込んで,宣言するように言った。


[**このクソったれな世界から,脱獄しよう!**私達なら,ここから外へ出ることもできるはずよ!]


クローネのその言葉に,セシルは大きく頷き,クローネは脱獄の決意を胸の内に繰り返した。


〚そうよ。私達は,生きてやる……!





















翌日──。誰もが文字通り,命懸けでシスターを目指して,養成学校の空気はいつも以上にただならぬ雰囲気となっていた。


[No.72684。]

[はい。]


広いトレーニングルームに響き渡った教育係の声に返事をして前へ出たセシルの後ろ姿を,クローネは見つめていた。



これもまたイザベラ曰く,これは格闘訓練らしい。

今までのクローネの記憶を見るに,実践は恐らく初めてで,今までやっていたのは講義──いわば座学である。

武器を持たない状態で,如何に相手を制圧するか。座学では判断できないそれがこの訓練では試されるのだという。

因みに,コナンが純粋な子供を演じてイザベラに聞いてみると,イザベラは一度も負けたことがないのだという。

コナン達は驚いて瞠目したが,エマとユウゴは納得したように頷き,ノーマンは思わずといった風に苦笑していた。ただ一人,レイだけは表情を変えずにイザベラを一瞥していたが…。



ついでに,この時のクローネの思考によれば,セシルはこの中でも抜きん出て強かったらしい。



コナン達がそんなことを考えていると,セシルの向かい側に,15歳くらいの,肩で切り揃えた髪に,つり上がった鋭い目尻をしている少女が立ちはだかった。



クローネの思考曰く,その少女は,古株に入っていて,どの科目でも成績が良く,シスター候補として一番有力だったらしい。



[始めッ!]


教育係がそう言っても,二人共,最初は動かなかった。だが,重苦しい雰囲気を断ち切るように,セシルが先に仕掛けた。

素早く一歩を踏み込み,相手の襟を取ろうと先制する。だが,相手も簡単に掴ませはしなかった。距離を詰めてきたセシルを,左へ一歩飛び退いて躱す。そこへセシルが即座に反応して蹴りを入れる。少女は,その足を掴んで倒そうとした。だが,それを躱したセシルが間髪入れずに打ち込む。



ふと,コナンはあることに気がついた。

セシルは右側にしか攻撃を入れていないのだ。

それでセシルのやろうとしていることが読めた。セシルは待っているのだ。相手が油断して判断をミスするまで。



コナンがそう思っていると,丁度相手が次に仕掛けてくるのも右だと思い,左の守りが弱くなったのを即座に見破って,その一瞬をつき,セシルが相手の左腕を掴んでいた。

それを一気に自身の方へ引き寄せる。突き飛ばされると身構えていた相手が虚をつかれて重心がズレたその隙を逃さず,セシルは胸倉を抑えて自分の体重を乗せて一息にその肩を押した。

案の定,少女は腕を取られた状態で背中から倒れ込んだ。


[勝負あり!]


教育係の声でセシルは手を離すと無言で引き下がった。

相手の少女は歯を食いしばっていたが,すぐにそのかんばせから感情を消し去ると待機の列へと戻っていった。

それを横目で見ながら,教育係が手元の書類に何かを書き込む。これでセシルの相手の少女の持ち点は確実にいくつか減り,セシルの持ち点はその分増えたのだ。


[次,18684。]

[はい!]


相手の少女の番号も呼ばれ,クローネは気を引き締め直して中央のマットの上へと移動した。

今すべきことは決して失点せず,大母様(グランマ)の評価を下げないこと。


[構え。]


クローネは相手の少女を見据えた。自分より年上だが,小柄でひょろりとした体格の子だった。

クローネは胸の内で密かに笑う。


〚この子になら,勝てそう……。〛


クローネの思考によれば,クローネはハウスに居たときから運動が得意だったらしく,腕力も兄相手でさえ負けたことがなかったそうだ。


[始めッ!]


開始の合図と共に,クローネは相手の少女に向かって突進した。

胸倉を掴んで足を払い,そのまま床に組み伏せる。それだけで試合は終わると確信していたクローネは,完全に相手を侮っていた。

相手の少女は,クローネの手が懐を掴むギリギリまで引き寄せておくと,さっと身を躱した。勢い余ったクローネは,すぐに体勢を整えようと足を踏ん張ったが,その瞬間を狙われて,逆に足を払われる。


〚くそっ…!〛


後ろへバランスを崩したクローネは,それでも腕を伸ばして相手の襟を掴んだ。倒れる自分の体重を使って相手諸共引き倒し,そのまま腕の力を頼りに横へ転がってマウントを取る。

体格差のある少女の上に馬乗りになったクローネが勝った,と思わず口元に笑みを浮かべたその時。下にいた少女が,クローネの,まだ抜糸も済まない傷跡めがけて,鋭く掌底を打ち込んだ。


[うっ…!]


クローネはかろうじて悲鳴を飲み込んだが,痛みには耐えきれず,腕の力が緩んでしまう。

その隙を突いて,少女はクローネの腕を取って身を起こし,肩関節を押さえ込んだ。

捻られた肩に激痛が走ったクローネは,息一つ吸えないまま,床に押さえつけられる。


[勝負あり!!]


少女は,クローネの上から退くと,肩を押さえているクローネを見下すように見つめた。

そして,[……フン。]と嘲笑うように,小さく鼻で嗤うと,クローネには見向きもせず身を翻した。





















[どうして負けたと思う?]


運動時間になってもまだ痛む胸の傷をさすっていたクローネに,セシルは近寄って声を落として囁いた。

クローネはぶすっとしたまま答える。


[……あいつが卑怯な手を使ってきたからよ。傷の治りきっていない胸部を狙われてなかったら,勝ててたもの。]

[その通り。あいつはあなたの弱点を考えて攻撃した。そして勝った。]


セシルは頷いてそう言うと,ちらりと横目でクローネを見た。


[正々堂々戦ってやる必要なんてないのよ。いい?クローネ。**相手の弱点を探すの。**そして,たとえ向こうより自分が優勢だったとしても,油断せず,徹底的に相手の弱点を攻撃するのよ。


そして,スッとセシルの青い瞳に暗く影ができる。


[訓練は本当の殺し合いだと思ったほうがいいわよ。負けた分だけ,私達は死に近づいていくんだから。]


セシルの言葉に,クローネはごくりと唾を飲んだ。

事実,あの少女は命懸けであの一戦に臨んでいたし,大母様(グランマ)による勝ち抜き戦が宣言されてから,ここではどんなに些細なことでも技術が足りなければ死に繋がっているのだ。


[セシル。]


クローネは顔を上げると,決意に満ちた表情で呟いた。


[今度は負けない。]


それを聞いたセシルは,ニッと口角を上げて笑った。


[そうこなくっちゃ。]
























訓練の合間にセシルと脱獄の準備を順調に進めていっていたクローネは,洗濯担当だった日に,乾燥し終えたタオルやシーツ,制服を仕分けしてそれぞれの部屋に運ぶため,ワゴンへ移していた。



(何度目かわか以下略。)イザベラによると,食事の準備はシスターである大人達がやっているらしいが,清掃,洗濯は見習い達がやっているのだという。

その食事は養成学校の区画とは別の場所に調理室があるため,そこで作られたものが運ばれてくるのだが,その分,スープも主菜も冷めていることが多かったそうだ。



クローネの隣では,別の見習いが黙々と作業をしているのを横目で見ながら,クローネはあるものを探していた。


〚どれ……あ。あった…!〛


二枚の布を見つけたクローネは,それを自分とセシルの制服に重ね,何食わぬ顔で部屋へと配達した。

夕食前,食堂でセシルを見かけたクローネは,さり気なく隣に並んで一言だけ囁いた。


[手に入れたわ。]

[了解。]






















その日の夜。部屋に戻ったクローネは,自分の制服の下に隠したものを広げていた。クローネが『手に入れた』と言っていたのは食事係の制服だったのだ。

その時。コツンッと扉が音を鳴らし,ノブが回ると,セシルが静かに入ってきた。

セシルはニッと笑いながらクローネのベッドに腰掛ける。


[うまくやったわね。]

[ええ。]


次いで,二人の声が揃う。


[[まずは制服の入手。]]



これまたイザベラによると,養成学校に通う少女達の着ている灰色の制服のまま外に出ては真っ先にバレてしまう。本来であれば,クローネ達にとっては恐らく,シスターの服が欲しかったのだろうが,14歳のセシルは兎も角としても,12歳のクローネではソッコーでバレる。

そこで,サイズの違いが目立たず,しかもマスクとキャップで素顔が殆ど出ない食事係の制服にすることにしたのだろう。

これなら,養成学校の区画から外れた場所を歩いていても違和感を与えることは無いらしい。



クローネは,一つだけある椅子を持ってくると,セシルと向かい合う形で座った。


[そっちは?]

[一週間見てみたけれど,基本的に夜間の監視は3時間ごとで,一階から時計回りに見て回っているわね。]

[部屋全体が施錠されることはないから,監視役と鉢合わさなければ,夜に出ることは可能ってことね。]

[ええ。でも,あと厄介なのは監視カメラね。養成学校の出入り口,そして,その外にもカメラがついているという情報は手に入れていたけれど……。]


そう言葉を濁すと,セシルは面倒臭そうに頭を掻いた。


[カメラがどこを映しているのかまで把握するのは無理だわ。できるだけ,死角を抜けたいけれど,最悪チップさえ無効化できていれば,映像に映っても逃げ切れると思う。夜間の監視も,席を外す時間があるはずよ。]


セシルのその言葉に頷いたクローネは,天井を仰ぎ見た。

そして,ポツリと呟く。


[また一人,減ったわね……。]


昼間,格闘訓練で負けが重なっていた見習いの少女が一人,見込みなしとされて出荷されていった。


〘あなたはもういいわ。〙

〘まだやれますッ!死にたくない!!〙


大母様(グランマ)の無慈悲な言葉に,彼女があげた断末魔に等しい叫びは,彼女を蹴落として自分が生き抜いているという罪悪感を,嫌というほどクローネに思い知らしめた。

セシルは肩にかかった髪を払い除けて,淡々と頷いた。


[そうね……。数があまり少なくならない内に,脱獄を決行しなくっちゃ。今まで分散されていた監視の目が増えるのだけは避けたいもの。]


そう言いながら,セシルは顎に手をやって目を鋭くさせた。


[それに,人数がいることイコールまだ猶予があるという判断にはならないはずよ。最後の一人になるまでシスターを決めない,ということはないはずだから。]

[一人選出された時点で,他は“出荷”ってこと?じゃあ,いつ決定するかわからない──明日決定してしまうかもしれないってことじゃない……。]


そう言った瞬間,ぞくっと,背筋に恐ろしいものが走った気がして,クローネは軽く身震いした。

俯いてしまったクローネに,ベッドから勢いよく立ったセシルは,そのクローネの肩をパシッと叩いた。


[しっかりしなさい,クローネ。私がついてるから。]


姉のその対応に,クローネは泣きそうになりながらも,ニッと歯を見せて笑った。


[別に,へこんでなんかないわよ!]

[うっそぉ。今泣きそうだったくせに〜!]


セシルがいてくれて本当に良かったと,クローネは心の底から思った。
















[ねぇ,ちょっと。]


一日の訓練を終えたクローネに,年上の見習いが話しかけた。


〚この子……。確か,格闘訓練は私と同列かそれよりも下。授業の方は私の方が成績は良かったはず…。〛

[大母様(グランマ)があなたのこと,呼んでるわよ。]

[え……。]


続いたその見習いの言葉に,クローネは言葉を失った。


[なんで……]

[知らないけど,来なさいって言っていたわ。]


クローネは表情にこそ出さないように努めていたが,頭の中は混乱状態だった。


〚まさか……バレた……?〛

[クローネ。行かなくていいわよ。]


クローネが平静を装って歩き出そうとしていたところに,セシルが背後から声をかけた。

クローネが驚いて振り返ると,セシルは大袈裟に眉を持ち上げておどけたジェスチャーをして見せながら口を開いた。


[今,大母様(グランマ)達,部屋で会議中よ。そんな中に入っていったら……ね?]

[チッ…!]


セシルという邪魔が入ったことに,見習いの少女は仕打ちをすると足早に立ち去った。

クローネは自身が嵌められかけたのを自覚し,さあ…と血の気が引いていく感覚がした。


[ありがとう,セシル。]

[クローネ。あんた,動揺してるのバレバレじゃない。]

[だって普通,作戦がバレた方を考えるでしょ。それに,なんで嘘かどうかなんてわかるのよ。]


ムッとしたクローネに,セシルは肩を竦めると,指を一本立てた。


[あのね,人間はその場に立っているだけで情報の固まりなの。]

[?…どういうこと?]

[例えば,『大母様(グランマ)が呼んでる』って言った時,彼女の声は小さかったし,視線がクローネの先の廊下を見ていた。これは,他の教育係が通りかかって聞かれるのを恐れているから。本当に頼まれたことなら,もっと自信満々に言うはずでしょ?まして呼び出しだなんて,普通,悪い方に考えるじゃない。これみよがしに言ったっていいはずなのに。]

[あ……。]


セシルに言われ,クローネは先程の少女に感じた最初の違和感の正体に気づいた。

セシルは廊下を歩きながら続ける。


[それに,彼女の目線は右上に上がりがちだった。クローネが何か聞き返してきたら,それらしく答えようと,作り話を考えている証拠よ。本当に言われたことを伝える時なら,人間って,まっすぐ相手を見るか,左上に目線が行くものだから。]


スッとセシルは右手で5本,左手で日本の指を立てると,順々に折っていった。


[態度,目線,瞬き,汗,仕草,瞳孔,脈拍──。人間には,言葉以外の無数のサインが存在するのよ。全てが相手を探るためのヒントになる。]


セシルは折った指を開き,その指越しにクローネをひたと見つめた。


[だから嘘をつく時は,本当のことやそれに近いものを混ぜるの。そうすると脳が嘘をついていると思わないから,動揺しにくいのよ。]

[成程。自分自身も騙すってわけね。]

[その通り。]


クローネはそれから,相手が何かを喋る時は言葉以外にも目を配るようにしようと固く誓った。





















数日後。クローネは,明らかにこの養成学校で生き残る術を身につけていっていた。

勉強,訓練,日常生活でさえも気を抜かない。常に周囲を警戒し,教育係の前では大人しく優等生を演じていた。

さらに,他の見習い達をよく観察し,その性格や癖を分析することでその子の弱点を突き止めていた。

因みに,クローネが来てからここに居た若い見習い達は,既に,3人も居なくなっていた。出荷されてしまったのだ。



(以下略)イザベラによると,ここでは,それはある意味,当然のことらしい。

見習いとして訓練を受けているのは12歳〜16歳の少女達。たとえハウスで優秀な成績を残し,『ママ』から推薦されて養成学校へ来たのだとしても,12歳の少女が長年戦ってきた姉達に容易く勝てるわけがないのだという。

初めに,弱いものから淘汰されていく。

新入りは真っ先に姉達の標的となり,格闘訓練中の反則ギリギリの攻撃や授業での妨害,いじめ。四六時中,気を抜かずに過ごしていかなければ何をされるかわかったものではないとのことらしい。

だが,その中でもクローネがここまで生きてこられたのは,無論,セシルの存在が大きく影響しているのだろうが,クローネ自身がこの状況に適応するのが早かったのも一つの要因だろうということだった。

だが,そんなことを言われても,無論,一ミリたりとも嬉しくなどない,とイザベラはしっかりと忠告してきたが……。

それは兎も角,この養成学校の訓練の内容には,医療技術も含まれており,飼育場(プラント)内での多少の怪我や病気は飼育監(ママ)が治療を行うこととなっている。勿論,重体となれば本部の医療施設へ搬送することになっているが,それだと本部の存在が知られてしまうので,ハウスへ送り返すことは困難となるそうだ。(因みにイザベラは,『本部(びょういん)にだけは絶対に送りたくない!!!』という固く,強い概念から,飼育監(ママ)となってから一度も本部へ子供を送ったことはないらしい。理由は聞いてもはぐらかされてしまったが……。)

そのため,見習い時代から,医療行為に関する知識や技術は必修だったとのことだ。



そして,今回,クローネ達は注射の手技テストだった。

教育係が壇上に上がって説明を始める。


[局所麻酔の注射は採血とは異なり,皮下に行います。針もそれに合わせたサイズを選ぶように。]


医療器具に恐々触れる者もいれば,慣れた手付きで作業台へ注射器や薬品を運ぶ者もいる。


[では,全員,注射に溶液を準備し,模型に指すところまでチェックします。]


教育係はそう言うと,評価を書き込むための用箋挟を手に,順々に見習い達を見て回った。



(以下略)イザベラによれば,注射針,消毒液,手袋やゴミ箱を作業台へきちんと揃えているか,麻酔薬の瓶は正しい薬品を準備できているか,注入する量は合っているかといったことを見られるらしい。



ふと,クローネは,自分の隣の席の見習いが,横のセシルの物品をチラチラと見ていることに気づいた。そして,その少女は,全員の視線が他へ逸れている隙に,セシルの作業台の上の麻酔薬の瓶を素早く奪うと,蓋を開け,用意していたゴミ箱の中へ瓶ごと捨てた。

中身が溢れていくのを見て,少女はほくそ笑んでいた。

セシルは自身の順が来る少し前に靴紐を直すかのようにしゃがみ込むんだが,すぐに直して立ち上がった。


[次,72684。]

[はい。]


返事をしたセシルは,揃えた物品を手に取り,右手で注射器を持ち上げ,左手で麻酔薬の瓶を取った。

それを見た少女は,僅かに目を見開いた。


〚は?なんであるのよ……。確かにあの瓶は捨てたはず…。〛


少女は狼狽しながらも,顔に出さぬよう,ちらりとゴミ箱を見ると,確かに瓶が捨てられてあった。

混乱して少女が思わず認識できるギリギリくらいに眉を顰めた時。教育係の[合格。いいでしょう。]という声がした。

淀みなく注射の技術を披露してみせたセシルは,教育係が次の順番に移るのを見届けてから,少女に見せつけるように薬品瓶を持ち上げた。


[ふふっ…どうかした?]


余裕の笑みを薄っすらと浮かべるセシルに,少女は悔しげに呟いた。


[………なんでよ……。]

[さぁ?親切な誰かが貸してくれたんじゃない?


セシルはそう言って瓶を置くと,指で優しく撫で,少女の作業台を見つめる。

つられて,少女が自身の作業台へ目を向けると,その光景にハッと目を見開いた。

そこに置いてあった麻酔薬の瓶は,忽然と消え失せていたのだ。

少女がひゅっと息を飲んだその時。


[次,始めなさい。]

[あ……。]


教育係の無情な声が上から響き,小さく声を漏らして震えた。

セシルの作業台を見ていたせいで,自分の横から伸びてきた手が麻酔薬の瓶を奪い去っていたことに気が付かなかったのだ。

あの時,セシルがしゃがみ込んだのは,靴紐を結ぶためではなく,床を転がってきた瓶をキャッチするためだったのだ。

少女の机を挟んで,セシルとクローネは目だけで笑い合った。
























クローネがメキメキと成績を伸ばしていったおかげで,クローネもセシルも,授業だけではなく,格闘訓練おいても共闘は有利だった。


[あいつ,左側からの攻撃が苦手よ。あと,蹴りに気をつけて。]

[オッケー。]


セシルのアドバイスに唇の中で返事をしたクローネは,マットの上に立って相手と向かい合った。


[始めッ!]


教育係の合図で,始まった格闘訓練は,すぐに決着がついた。


[フンッ!]


少女の体が大きく浮き上がると,あっさりとクローネの背負い投げを食らってしまった。

一人目を容易く倒したクローネは,初めて試合をした時の相手の少女と再び戦うこととなり,気を引き締めた。

互いに互いの今の実力はわかりきっている。どちらも絶対に油断はしない。


[始めッ!]


合図が飛んだと同時に,クローネは踏み込んで一気に相手に突進した。


〚は?こいつ,馬鹿なんじゃないの?〛


てっきりこの前の反省を活かしてクローネは慎重に来るだろうと思っていた少女は,文字通り猪突猛進なクローネに呆れてしまった。

あの時のようにもう一度軽く横に躱そうとした少女は,その方向から足が迫ってきていることに気づかず,強烈な蹴りをもろに食らってしまう。


[く……っ!]


横に吹っ飛ばされて転がった少女は,慌てて起き上がるが,時既に遅し。腕を取られて関節を極められていた。


[ぐぅッ!]


しかも,クローネの方が力があるのだ。少女の関節が外れかける一瞬前に手を離したクローネは,倒れている少女の耳に囁いた。


[……甘く見ないでよね。]


列に戻ったクローネに,セシルは視線を合わせないまま囁いた。


[上出来。]

[言ったじゃない。]


ふっとほんの少し口角を上げたクローネは,ちらりと横目でセシルを見た。


[“今度は負けない”って。]


すれ違いざま,二人は軽く拳を打ち合わせた。
























その後も,クローネとセシルの快進撃は止まらなかった。

授業の成績は姉達を抜き,訓練でも勝ち星を獲得していった。ズルをしてきていた少女達は,それをことごとく二人に見破られてしまうので,実力で戦うしかなくなってきたほどだ。

その正々堂々の戦いでこそ,二人は本領を発揮した。


[では次,18684,72684。前へ。]


二人の番号が同時に呼ばれた。ということは,二人で試合ということになる。

どちら驚愕を表情に出さないながらも,ちらりとお互いの顔を見る。


〚セシルと試合……。今まで,セシルと対戦することはなかったけど…。〛


マットの上に移動し,クローネの正面に立ったセシルは,笑み一つなく,冷ややかな眼差しでクローネを真っ直ぐに見ていた。

クローネも,それ合わせてセシルを睨み,戦意に満ちた表情を作った。


[始めッ!]


教育係の合図と共に,セシルは一気に間合いを詰める。


[ハッ!]


セシルの打撃は本気だった。

それはそうだろうとクローネは思う。もし手を抜けば,監督している教育係にも,その後ろにいる大母様(グランマ)にも,すぐに“手加減している”という事実がバレてしまう。

だから,ここは本気で戦うしかないのだ。


[……ッ!]


クローネもただやられるわけにもいかず,セシルの腕を掴み,腰をためて投げ飛ばそうとした。

だが,一瞬の隙を突き,セシルがクローネの足元を切るような速さで払う。クローネ体が宙に浮き,そのまま背中から倒れ込んだ。


[ああ,くそっ!]


歯を向いて口走りながら,笑いそうになっているクローネを見下ろしたセシルは,ほんの少し口角を上げながら衣服を正すと,列に戻っていった。



























一日を終えたクローネは,部屋に戻る途中,セシルに小さく耳打ちした。


[ねぇ。私達ならこのまま一気にママの座まで行けちゃうんじゃない?]

[バカね,クローネ。まだシスターにもなってないのに。]


呆れたように返したセシルは,でも,くくっと笑うと,楽しそうにウインクした。


[でも,かもね。]


セシルの答えに,クローネはニッと口角を上げた。




















[やっぱり,肝心なのは大母様(グランマ)の懐中時計よね。うーん……どうやったら奪えるかしら。]

[肌身離さずだもんね。]


椅子に座って腕を組んだセシルに,クローネは足を引き上げて胡座をかいた。


[バレたら出荷どころか,その場で殺されるかもしれないし……。]

[大母様(グランマ)の行動パターンの情報がいるわよね。]

[決まった時間に何をしているか,……もう少し調べないと。]


クローネは,ボスッとベッドに倒れ込むと,セシルを見上げた。


[ねぇ。セシルは外へ出たら何したい?]

[なぁに,急に。]

[よく話してたじゃん,ハウスにいた頃。里親のところに行ったら何したい?って。]


ふふっとクローネは笑うと,キラキラと目を輝かせて楽しげに捲し立てた。


[私はね,もっと色んなスポーツやってみたかった。で,色々極めて世界一になって,取材とかいっぱい受けて大富豪!それで王子様からプロポーズされて,幸せな家庭で優しいママになるの!]

[クローネ,欲張りすぎ!]


セシルはツッコみながら吹き出すと,天井を見上げた。


[私はね……。]


そう言いかけて,セシルは顔を下げて小さく首を振った。


[やっぱり言わない。]

[ちょっと言いなさいよ!ずるい,一人だけ!!]


ベッドから起き上がり,身を乗り出したクローネに急かされ,セシルは自分の髪を弄りながら,観念したように口を開いた。


[私はね,クローネみたいになりたいなぁって思ってたの。……だから,ひそかに,外へ出たら黒く髪染めてふわふわにしたいなって,思ってた。]

[えぇえっ!?]

[ちょっ…クローネ,声…!]


バッと慌てて口を塞いだクローネと,唇に人差し指を当てたセシルが黙り込むと,幸い,監視役はまだ来ていなかったのか,何事も起きなかった。

クローネは声を潜めてもう一度喋り出す。


[私,ずっとセシルみたいなまっすぐな金髪に憧れてたのに!なんで!?]

[だって,ボリュームがあってかっこいいなって。私の髪って,なんかペタッとしてて好きじゃない。]

[はぁー?贅沢!!]

[クローネに比べたらマシよ。]


クローネはベッドから立ち上がると,セシルの髪をぐしゃぐしゃに掻き混ぜた。

もうやめてよ〜!と笑いながら,セシルは椅子から立ち上がり,髪を直してから,ベッドに背中から倒れ込んだ。


[容姿じゃないってば。……ハウスにいた頃,クローネ,私がからかわれてたら,真っ先に来て一緒に戦ってくれたじゃない?味方がいて,嬉しかったんだ。


セシルに言われて,クローネはその時のことを思い出した。

当時のクローネは,負けん気の強いセシルに憧れていつもくっついていたので,そんなふうに思ってくれていたとは思わなかった。

クローネはベッドに転がり込むと,セシルに笑いかけた。


[あいつらあんなことばっか言ったのはさ,絶対セシルのこと意識してたからだよ。]

[あはは!ほんと男子ってバカよね。]


笑い合ったセシルとクローネに,男性陣はムッとした。



コナン的には,男だからといってバカだと思うのはやめてほしいと思う。

まぁ,女性陣からしてみれば,じゃあ『女は女々しい』などという偏見をやめろといったところなのだろうが。

コナンがそう思っていると,エマがノーマンとレイにニコッと微笑みかけた。


「ノーマンとレイはバカじゃないよね!すっごく頭いいもん!!とっても優しいしね!!」

「エマぁ……!!」

「……………サンキュ……。」


エマのナイスフォローに,ノーマンは感動して涙を滲ませ,レイは照れて頬を僅かに赤くすると,俯きながら,小さく感謝の言葉を絞り出した。

二人のその様子を見て,エマは目を輝かせた。


「どういたしまして!!」


エマのその言葉を合図にするかのように,映像が再生された。



思いっ切り笑ったセシルは,小さく口を開いた。


「……ねぇ。もし,養成学校なんてなくて,本当に外の世界で暮らせてたら,私達,普通の女の子になれてたかな?」


セシルはもう一度クローネの顔を見た。


「可愛い服着たり…」

「好きな人できたりとか?」


クローネのその言葉で,どちらからともなく,くすくすと笑い出す。

ただの夢物語でしかないそれは,でも,確かに,二人の心をほんの少しだけ癒やしてくれた。





















[いない?]


脱獄計画が順調に進んでいっていた中,なんの前触れもなく起こったそれは,クローネとセシルだけでなく,見習い達全員の心を掻き乱した。

朝の点呼で一人のシスター見習いが部屋から出て来ず,教育係が呼びに行ってもいなかったという。

教育係は二階の自室前で立っているクローネ達に向き直った。


[全員一階に整列。指示があるまで待機しなさい。]


その指示でクローネ達は一階に降りていったが,その途中でクローネとセシルはちらりと視線を合わせた。


〚私達より先に,誰か脱獄した……?でも,心臓のチップは?どうしたの?〛


クローネとセシル以外にも,見習い達全員が表情には出さずとも,今までかつてなかった出来事に浮足立っていた。

すると,連絡を受けて来たのだろう大母様(グランマ)が,クローネ達の居る前まで現れた。

全員,思わず息を呑む。


[夜の時点ではいたのですね。]


隣の補佐役に確認した大母様(グランマ)は,懐中時計を取り出した。

その時。もう一人の補佐役が入ってきて大母様(グランマ)に耳打ちした。


[見つかった?そう。]


ドクッと心臓が波打つ感覚がして,クローネは軽く身震いした。


〚**うそ……。早すぎる…。**不在が判明してから,殆ど時間が経ってないのに……。まるで…私達の位置が初めからわかっているみたいに──〛

[ちょうどいいわ。全員ついてきなさい。]


大母様(グランマ)はクローネ達にそう言うと,先を歩き出した。

クローネ達が慌ててついていくと,普段絶対立ち入ることのない監視室の一つに連れてこられた。

モニターが並ぶその中に,灰色の服を着た一人の少女が映っていた。養成学校を逃げ出した少女だった。


[よく見ておくのよ。]


大母様(グランマ)の静かな声が嫌に監視室に響き,全員が言われた通りにモニターき注目する。

クローネ達が固唾を呑んで見守る中,敷地と外との境界線が突如現れ,走っていた見習いの体が突然,何かに突き上げられたかのように大きく揺れ,そのまま崩れ落ちた。


[…っ!!?]



「なっ…!!!?」



動かなくなった少女を,見回りの怪物──レイ達の言葉を借りるのなら,『鬼』がゴミでも拾うようにして持って帰った。

映像の見習い達も,コナン達も,全員がその場に凍りつき,重苦しい空気が流れた。

実際,これまでも落第して出荷が決まった少女達を,クローネ達は見てきていたし,コナン達も,記憶越しとはいえ,何人も見てきていた。

だが,命が奪われるその瞬間を見たのは全員が初めてのことだった。

クローネは唐突に,今まで抱いていた希望も万能感も,全てが急速に消え失せていく感覚がした。


















その日はどの見習い達も暗い顔をしていた。

脱獄計画も進めていたクローネにとっては,“目の当たりにした同じシスター見習いの死”以上の意味があった。

他の見習い達と一緒にシャワーを浴びに行ったクローネは,セシルの隣のロッカーに自分の着替えを置き,正直に今の気持ちを伝えた。


[セシル……。ねぇ,やっぱり……無理なんじゃない?]

[…………クローネ。]


濡れた髪をタオルで拭きながら,間を開けて,セシルは静かに口を開いた。


[**もし,計画を諦めたら,二人で一緒に生き残る道はなくなるわ。**大丈夫よ。私達二人なら,きっと成功させられる。]


クローネはセシルの顔を見返した。

その表情が少しやつれているように見えて,クローネは僅かに眉を寄せる。

すると,セシルはポツポツと弱音を吐き出した。


[……正直ね,私もあの刺繍を受け取った時,何度も思ったの。脱獄なんて無謀だって。託してくれた姉もいなくなって,一人で計画を進めるなんて無理って思って,でも,引き継いだ意思を無駄にはしたくなくて……。すごく心細かった。]


セシルは俯き,表情を隠してしまったが,声色でなんとなく本当に何度も何度も思ったことなのだろうとクローネにもわかった。


[だからね,クローネ。あなたがここへやってきた時,本当に嬉しかったの。きっとハウスに残してきた子達はみんな,出荷されたんだって思っていたから。クローネが生きていてくれて,本当に嬉しかったの。]


セシルはそう言って,クローネも自身も安心させるようにニコッと笑った。


[今,ここで諦めたくない。それでもし,クローネが出荷になるようなことになったら,絶対後悔するから。]


それを聞いて,クローネは思わず小さく笑い声を漏らしてしまった。

セシルはキョトンとしてクローネを見つめる。


[クローネ?何?急に。]

[だってセシル。シスターに選ばれるの,当然自分だと思ってるんだもん。]


クローネの指摘に,セシルは先程の自身の言葉を思い返した。

二人共出荷される可能性を無視して考えたとしても,セシルの言う通り,確かにクローネが出荷されることもあるかもしれないが,逆に,セシルが出荷されてしまうこともあるかもしれないのだ。

セシルはそれに気づくと,吹き出しそうになるのを誤魔化すかのように胸を張った。


[そりゃそうでしょ?]

[うっわ。何その自信。]


お互い,軽口を叩き合う。そうしていくと,すっかり不安は消え失せていた。

セシルは自分の洗濯物を抱え込み,クローネに背を向けた。


[じゃあね,クローネ。また。]

[うん。]


クローネはその背中を見送りながら,シャツを脱ごうとし──動きを止めた。


[ねぇセシル……。私,閃いたかも。]


セシルはクローネのその声に,足を止めてくるりと振り返った。

クローネは制服を握ったまま,ニッと口角を上げてセシルに顔を近づけた。


[大母様(グランマ)から,懐中時計を盗む方法。]


クローネの自信満々なその言葉に,セシルは大きく目を見開いた。






















脱獄の決行は次の金曜日の夜と決まり,その日が来た時。クローネは洗濯当番だった。

大母様(グランマ)は,養成学校での打ち合わせの後は必ずこの時間に浴室を使うことがわかっていたらしい。

しかも,その浴室は洗濯室と廊下を隔てて隣接しているとのこと。

大母様(グランマ)が懐中時計を肌身離さず持っているのを逆手に取って,入浴中に懐中時計を盗むという作戦だった。

クローネは洗濯物を回収するふりをして,シャワールームの扉を開いて中に滑り込んだ。

他の見習い達は既に洗濯物を持って引き返,しており,中には誰も居なかった。

高鳴る心臓を無地して,クローネは脱衣所のロッカーを弄る。


〚大丈夫……。たとえ見つかっても,洗濯回収のフリをすればいいだけよ。〛


そう考えていると,目当ての物を見つけ,クローネは顔を綻ばせた。

タオルと一緒に置かれていたそれ──懐中時計を手にして,クローネは急いで部屋を出て洗濯室の中に入った。


〚これでチップを無効化できる……!〛


はやる気持ちを抑えて,クローネは懐中時計を開くと,目を見開いて言葉を失った。


[何……これ……。]


開いた懐中時計の中はスイッチなどを操作するパーツは何一つなく,その代わりに,モニターが広がっていた。そのモニターの中の点が幾つか移動している。

さっと一気に血の気が引いたクローネは慌てて洗濯室を出て懐中時計を戻そうとした。


〚は…早く,セシルに知らせないと……!計画は中止だって…!!〛


素早く身を翻し,シャワールームの扉を開けると,そこに服はもう無かった。


〚やばい……。気づかれない内に戻せないなら,バレたらアウト…!どうする?どこに捨てる?〛


じわっと吹き出た汗を拭いながら,クローネは必死に頭を働かせる。


〚とにかく,一度セシルに会うべきだわ。〛

[クローネ。]


クローネが慌てて踵を返した時。誰かが自分を声が聞こえ,クローネは肩を震わせて振り返った。

だが,次には,クローネは心の底から安心してホッと息をついた。配管が剥き出しになっている廊下に,セシルが立っていたのだ。


[セシル!]


駆け寄ったクローネは,途中でビクリと足を止めた。

廊下の角から大母様(グランマ)が出てきたのだ。


[……グラン,マ……。]


大母様(グランマ)の姿を見たクローネの頭には,自分達二人共が出荷の道を辿る運命が映し出された。────セシルの言葉を聞くまでは。


[大母様(グランマ)。あなたの懐中時計を盗んだのは,No.18684,クローネです。]


感情のない瞳で,セシルはクローネを指差してそう言った。



(やっぱりね……。)


はぁ…とイザベラは小さく息をついた。

イザベラは,自身が予想していた通りの展開になってしまったことに目を伏せつつも,クローネの方は大丈夫だと思った。

何故なら,もしここでクローネが出荷されていたのならば,GFの第3飼育場(プラント)にクローネはシスターとして来ていないからだ。無論,どうやってこの状況を打破してシスターに登り詰めたのかも,既に予測がついている。

ちらりとイザベラはレイの横顔を見た。

レイは一見,無感情に映像を見つめているように見えるが,本当は,心の中では苦しそうに顔を歪めているだろうとイザベラには容易く想像できる。

レイが感情を押し殺すようにつくったのは,イザベラ本人なのだから。

イザベラはもう一度息をついて,映像を見返した。



映像内のクローネは,驚きすぎて,意図せず小さな声が漏れ出ていた。


[え……セ,シル……?]


クローネは耳を疑った。

頭では状況を整理しようとしていても,感情がそれを邪魔する。

大母様(グランマ)は静かに口を開いた。


[No.18684,クローネ。右手を上げなさい。]


入浴した後とはとても思えない大母様(グランマ)の姿に,クローネは〚一体,いつから……。〛と混乱しながらも,のろのろと大母様(グランマ)に手に持っていたものを渡した。

大母様(グランマ)は金の懐中時計を受け取ると,クローネに見せつけるようにジャラリと鎖を鳴らして持ち上げた。


[No.72684,セシルは,これまでも見習い達の中に不穏な動きがあれば報告してきてくれていました。そして,今回は,あなたがこの養成学校から脱獄しようとしている事実を教えてくれました。そのために,私の発信器のモニターを盗むつもりだと。]

〚発信器……?セシル…最初からそのこと知って……?〛


クローネの中で色んな感情がぐちゃぐちゃに掻き回され,反射的に叫んだ。


[ち,違います!それはセシルが…やれって………!]

[馬鹿ねぇ,クローネ。]


セシルはクローネにゆっくりと近づくと,口元を残酷に持ち上げてその耳元で笑った。


[言ったじゃない。みんな,どんな手を使ってでも生き残ろうとするって。ちゃーんと忠告してあげたのに,隙を見せる方が馬鹿なのよ。]

[!…セシル……。じゃあ,初めからずっと,私を騙してたの!?]

[ふふっ…あの時のあんたの刺繍,誰が隠したと思う?]


片頬を釣り上げて嘲笑するセシルの言葉の意味を瞬時に理解し,クローネは慄いた。

セシルと再開したあの日。全てのきっかけは誰かに盗られたクローネの刺繍だった。

提出用の刺繍を拾ってくれたのは──セシルだった。


〚まさか………セシルが……?〛


さあっと血の気が引き,クローネはセシルの顔を凝視した。


[う,そ……。]


クローネから零れ出た言葉に,セシルは髪を払うと,目を細めて見下ろした。


[あんたが協力してくれたおかげで,他の見習い達を蹴落としていくのも楽だったわ。──ありがとね,クローネ。

[セシル─────ッ!!]


飛びかかろうとしたクローネを,横から出てきた教育係が取り押さえる。


[連れて行きなさい。No.18684。あなたはシスター候補から外されました。]

[待って,グランマ!この脱獄の首謀者はセシルなんです!私は騙されただけなんです…!!]


叫びながら引き摺られていくクローネを,セシルは勝ち誇ったような不気味な笑顔で見送っていった。





















〚……許せない……。〛


ギュッと,狭苦しい個室の中で,クローネは拳を握り締めた。

“落第”した,ということは,クローネに待つのは“出荷”のみである。

今はその準備をしているのだろうと予想をつけながら,クローネは壁を睨み続けていた。

あの日,再会したあの日から,セシルはクローネを騙していたのだ。セシルは助けるふりをして信頼させ,味方につけてクローネを利用していたのだろう。脱獄の話も,全て真っ赤な嘘で,大母様(グランマ)に密告するチャンスを作るためだったのだ。

入浴中なら懐中時計を盗むことは可能だと言ったのはクローネだったが,それさえもセシルに誘導されていたとしかクローネは考えられなくなってきていた。

クローネは,悔しさと腹立たしさで部屋のテーブルを思い切り蹴り倒した。


[なんでよ……。]


テーブルが倒れる音以上に,クローネのその呟きは部屋に大きく響いた。


クローネはセシルに今まで言われたことを一つ一つ思い出していった。


〘クローネは変わらないわね。〙

セシルの方こそ,あの頃と同じ,クローネにとって,頼もしい姉だったのに。


〘私はずっと,クローネみたいになりたかったの。〙

クローネだって,セシルみたいになりたかったのに。


〘あなたがここへやってきた時,本当に嬉しかったの。〙

クローネにとっても,セシルが居てくれて本当に嬉しかったのに。



クローネは涙を流しながら,ニヤリと口元を歪めた。


[ああ,そう……。わかったわよ……。]


歯を食い縛って前を向いたクローネは,ここに来てから初めて,残酷に微笑んだ。


〚この世界では,裏切り,蹴落とし,引き摺り落として,生き残っていく道しかないってことね……。生き残る,ためには──〛

[No.18684。出なさい。]


扉が開くと,そこには黒いドレスを着た大母様(グランマ)が立っていた。

大母様(グランマ)は,部屋の机が倒れているのをちらりと一瞥したが,何も言わず,クローネへと目線を戻した。

クローネは俯いたまま,呟くように大母様(グランマ)へ声をかけた。


[大母様(グランマ)……。セシルが脱獄の首謀者である証拠があります。]

[………証拠,というのは?]


大母様(グランマ)のその質問に,クローネは顔を上げると,黒い笑顔を浮かべた。


[“ガサ入れ”をしてください。]


そのクローネの顔には,もう,涙は無かった。




















翌日の朝食後,大母様(グランマ)は見習い達を整列させ,その大母様(グランマ)の横にクローネは立たされていた。

そのクローネを見たセシルは,見習い達に混ざって冷笑を浮かべていた。

大母様(グランマ)が口火を切る。


[今日は大変残念なお知らせがあります。シスター候補から,一人が居なくなります。]


並んだ見習い達は,それが誰のことを示しているのか,すぐに予想がついた。

だが,大母様(グランマ)の口から発せられたその5桁の番号は,全員の予想を裏切るものだった。


[No.72684。あなたは“落第”しました。]

[………え。]


薄ら笑いを浮かべていたセシルは,呆然と大母様(グランマ)を見返した。


[どう,して……。]


大母様(グランマ)はセシルのその問いに答えるように,後ろ手に持っていた物を掲げた。


[…っ!?]



(やっぱり……。)


イザベラはもう一度息を吐き出した。



映像内では,セシルはそれを見て息を呑んでいる。

それは,セシルが姉からもらった,代々受け継いできた刺繍だった。

大母様(グランマ)はそれを裏返して,セシルへ見せつけるようにした。


[これは本部の見取り図になっていますね。この縫い取りの糸には,かなり過去のものもある……。一ヶ月前に養成学校(ここ)へ来たNo.18684,クローネが脱獄の首謀者とは考えにくい。]


大母様(グランマ)の言葉に,セシルの視線が徐々にクローネに向けられた。

セシルは怒りで肩を震わせる。


[……クローネ。あんた……あの刺繍を………。なんてことを……ッ!]

[あんたが悪いのよ,セシル。私を裏切ったりするから……。]


セシルが絞り出した言葉に,クローネは嘲笑うかのように一笑した。


[もちろん,No.18684が私の懐中時計を盗んだ事実は変わりません。ですが,それはどうやら,あなたの指示だったようですね。よって,今回の処分はあなたとします。]

[そんなッ!どうして!嫌よ!!──クローネッ!!!]


大母様(グランマ)の無慈悲な言葉に激昂したセシルは,周りの見習い達を押し退けて逃げようとしたが,すぐに補佐役に押さえつけられてしまう。

クローネはその様子を満足気に,そして残酷に頬を釣り上げて眺めていた。


[じゃあね,セシル。]


セシルは,ひらひらと手を振ったクローネを見たのを最後に,廊下に引っ張り出されて行った。





















セシルは,シスター達に両脇を固められたまま,引き摺られるようにして歩かされていた。

先程まで全力で抵抗していたのが嘘のように,セシルはされるがままであった。

俯いた顔には,寂しそうな,でも,満足したような微笑が浮かんでいた。


〚あんたなら,気づくと思ってたわ……。これでいい,これで良かったの……。全て,うまくいった。〛


セシルはそう思いながら,クローネが養成学校に来た時のことを思い出した。


〚これはね,クローネ。あなたが養成学校(ここ)へ来た時から,ずっと考えていたことなのよ。ハウスで見たような陽気な笑顔はどこにもなかったけれど,一緒に育ったあなたを忘れるほど,私は薄情じゃない。あなたがクローネだって,すぐにわかったわ。………叶うことなら,他の見習い達を押し退けて抱き締めてあげたかった……。だって,もう,兄弟の誰とも会えないって……殺されてるって思っていたもの…。〛


セシルは込み上げてくる涙を堪えながらクローネのことを想う。


〚みんな,見殺しにしてしまった…。後悔し続けていた中で,──クローネが生きていた…。だから決めた。『今度こそ,助けよう』って。『絶対に死なせない』って。でも,そう誓っていた中で,大母様(グランマ)から言い渡された,シスターになる一人以外,全員出荷の道──。ごめんね,クローネ。実は,あなたに脱獄の話を持ち掛けた時,私はもう,生きることを諦めていた。〛


**脱獄は不可能。**と,セシルは思っていたのだ。


〚だから,あなたが,あなたの手で,私を,罪悪感なく蹴落としてシスターの座を得られるようにって思って……。それが,姉として,できる最大のことだった…。あなたなら,あの物証に気づいてくれると思っていたわ。それでも,あの刺繍を手放すのには,ちょっと葛藤したけれど……。あなたを生かす。そのためだけに,私は──〛


支配者側に立たせ続けるという残酷な道でしか無かったが,これ以上,誰一人として失いたくなかったセシルにできることは,それだけだった。


〚ごめんね,クローネ。でも,あなたは生きるのよ。〛


心中で何度もそう何度も思っていると,セシルの目の前に門で見た怪物──鬼の姿があった。

生理的に出てきた恐怖を払うように,セシルは,最期まで妹のことを想い続けた。


〚これから続く道がどんなに過酷であっても,あなたなら大丈夫よ,クローネ。私が見込んだ,妹なんだから。〛


上を見上げたセシルの目に映ったのは,青い空ではなく,無機質な白い天井だった。


〚ああ…。最期に本物の空が見たかったなぁ……──〛


目を閉じたセシルは,鬼に掴み上げられながら,脱獄に成功し,クローネと共に青空の下を駆けていく光景を思い描いていた。
















それからというもの,クローネは,“セシルに騙されて時計を盗んだ”という減点を挽回するため,どんどんと成績を上げていった。

シスターへの推薦者を決定する日,大母様(グランマ)は全員に向けてこう言った。


[外に人間はいない。──競え。]


と。

それを聞いたクローネは,ただ無感情に立ち続けていた。


〚ああ…なんだ……。やっぱり,そうなんじゃない…。〛


死を押し付けられる前に,誰かにそれを押し付ける。これが,この世界で生き残るための唯一の方法なのだ。

クローネは案の定というべきか,シスターに昇格した。

シスターともなれば,本部の区画で活動できる範囲が一気に広がる。その中で,鬼と人間のやり取りを見たのは,本当に偶然だった。

廊下を歩いていたクローネは,そこの角に見えた鬼と人間の姿に,慌てて壁に隠れて話を盗み聞いた。

人間の男は,話が終わって,立ち去る際,床にペンを落としていった。

クローネはそのペンをなんとなしに拾って〚カツンッ!て音が鳴ったから,気づきそうなものなのに…。〛と思いながらそのペンのキャップを取ってみたところで,ただの“落とし物”ではないということに気づいた。

W.Mのイニシャルと,ペンの内側に隠された“B06-32”の文字。

それが何を意味するのかはクローネには判らなかったが,それとは別に,判ったことがあった。


[**外にある……人間の世界……。**大母様(グランマ)の言葉は嘘だったのね。さすがに見抜けなかったわ…。]


ニヤリと笑って,クローネはそのペンをポケットに仕舞った。


〚いつか……支配者側(やつら)に一矢報いるために……常に,相手の弱点を探すのよ…。〛


そう誓って,クローネはペンをポケットの中で握り締めた。


























鬼に体を持ち上げられたクローネは,その走馬灯を見て,奥歯を噛み締めた。


〚大人しく殺されてなどやるものか!!勝ち目はなくても,まだ反撃の目はあるのよ…!ガキ共を逃がし,**イザベラ,お前だけでも引きずり堕とす!!**あれはただのペンじゃない…。心の底から不本意だけど,あんた達にくれてやるわ。〛


そう。イザベラから手紙を手渡された後,クローネはノーマンの部屋にこっそり入り込んで,そのサイドチェストの一番上の引き出しに,ペンと鍵型を入れたのだ。


〚絶対逃げろよ,クソガキ共!!鬼ごっこは得意でしょう?──逃げて…逃げて…生き延びて……このクソみたいな世界をブチ壊せ!!


まだつぼみの状態の植物を胸に刺され,クローネの体は鬼の手から投げ出される。

永遠の眠りへとつく直前,クローネはセシルが見れなかったものを見た。──青い空だ。


〚ああ……空がキレイ…。ああ…──〛


そう思ったのを最後に,クローネの血液は全て,植物に吸い取られ,植物が赤い花を咲かせるのと同時に,息を引き取った。











ちらりとコナンが横に立っているイザベラを見てみると,イザベラは僅かに眉を寄せて,何かに耐えるように唇を噛み締めていた。

他はというと,ユウゴは顔を伏せ,ノーマンは苦しそうに顔を歪めていた。エマに至っては静かに涙を流している。

ただ,レイは,イザベラと同じように何かに耐えるように眉を寄せていた。唇も噛んでいる辺り,よく似ているなと思う。

だが,映像は続き,今度は子供達が映し出された。逃げ道の下見をするために──



























ノーマンが,エマ,ギルダ,ドンに,改めて確認するように口を開いた。


[脱獄決行は6日以内。でも,できるなら明日決行したい。ママとシスターに動かれる前に──。発信器はもう壊せる。あとは,この『下見』を残すのみ。]


ノーマンがそう言うと,全員,各々の方向へと向かった。


[行こう。下見を終えれば,脱獄だ。]


11月2日 13:00 逃げ道の下見開始


















エマはノーマンと共に塀を目指して森の中を走りながら,頭を働かせていた。


〚塀に上って『外』を見る。『逃げ道』と,『持ち物』を決める**“下見”。**──手の内をシスターに見破られた。ママは多分疑っている。〛


急がなきゃ!!と,エマとノーマンは柵を越えた。


〚下見を終えたら脱獄する!!明日にでも──ママとシスターに動かれる前に…!!〛















エマとノーマンが柵を越えた丁度その時。ドンとギルダはハウスの2階南窓が見える位置にいた。

ドンは作戦を思い出す。


〚レイがママを引きつけて,ノーマンとエマが下見。俺達は……〛


ドンは,改めて確認するようにレイに言われたことを頭の中で復唱した。


〘万一,俺がママを引きつけられなかったら合図する。〙

〘エマ達に伝えて,ソッコーで下見中止させろ。〙


まだ幼い弟を抱えて,ギルダは不安が残る中,文字通り心の中で無事に終わることを祈る。


〚うまくいきますように…!〛















その頃。レイはイザベラのところに行っていた。


[始めようぜ。薬剤のすり替え。]


イザベラは微笑んで[ええ。]と頷くと,レイの先導について行った。

階段を登りながら,レイは僅かに眉を顰めた。


〚……おかしい。さっきからシスターの姿が見えない。気のせいか?〛


この時の子供達は,誰一人としてシスターが殺されたことを知らないのだ。

内通者であるレイでさえ知らない辺り,イザベラが本格的に動き出したとしか思えない。

レイはイザベラの様子にも気をつけつつ,シスターのことにも頭を回した。


〚部屋にいるのか?“仕事”って何だ?…どこで何してる?〛

[排除したの。]


レイの心を読んだかのように,イザベラが唐突に口を開いた。

**[え…。]**と振り返ったレイは,ゆっくりと目を見開いて,残酷に笑うイザベラを見た。

イザベラは一度閉じた瞼を持ち上げると,もう一度,今度はハッキリと,言った。


[シスター・クローネは排除した。]


“排除した”と過去形で言うということは,もう既に行われたことを意味する。

フルスコアのレイにしては珍しく,イザベラが言った言葉に対して,頭での理解がすぐには追いつかなかった。

レイは唐突に犯行声明を出したイザベラを,更に目を見開いて見つめた。イザベラは,そのレイの視線を受け,逆に目を細め,笑みを深める。

漸く言われたことを理解したレイは,歯を噛み締めて一気に駆け出した。慌てたせいで階段の段差で転びそうになったが,なんとか耐えて2階に駆け上がり,クローネの部屋の扉を突き破る勢いで開けた。

だが,そこにはクローネは居らず,既に片付けられたベッドなどの家具の骨組みが残っているだけだった。


[…っ……!!]

[要らなくなった。だから排除したの。]


絶句して暗い部屋の入口で固まるレイの両肩に優しく手を置いたイザベラは,レイの右の耳元で囁くように言った。

レイがゆっくりと振り向くと,イザベラはレイの両肩から手を離し,一度笑みを消して一言,言った。


[あなたもよ,レイ。]


と。[は?]と声を漏らして,レイは目を見開いた。


[“取り引き”は今この時をもっておしまい。]


と,言いながら,イザベラは両手を合わせた。

レイはそれに焦って思わず声を上げる。


[え……俺もクビ!?なんで……ママには俺が必要だろ!?ママは俺を使って…あくまで水面下,間接的に,穏やかに,エマ達(あいつら)を制御したいはずだ…!]

[その通りよ。]

[俺は上手くやってた。ママにとって…]

[そう……。常に使える犬だった。だから側に置いていたわ。]


スッと,イザベラは膝を曲げてレイに顔を近づけ近づけた。その表情は,何もかもを見透かしているようだった。


[たとえ,嘘つきの裏切り者でも。]

[…っ!!]


前言撤回。“見透かしているようだった”ではなく,“見透かしていた”,“見透かされていた”だった。

〚ああ…そうだ。〛と,レイは胸を右拳で思いっ切り叩いた。


[それでも…それでも,問題ないだろ!?俺が使えれば!!俺が使えれ‥うッ…!ゲホッ!ゴホッゴホッ…!]


つい感情的になってしまい,あまりにも強く胸を叩きすぎたらしく,レイは途中で咳き込んでしまった。

咳が止まると,レイは睨むようにイザベラを見上げた。その額には焦りからか,冷や汗が滲んでいた。


〚怪しまれようとバレてはいないし,たとえバレたって,問題ないんだ。俺が使えれば!!俺を含めて制御できていれば!!


レイの心を読んだかのように,イザベラは**[ええ。]**と頷いた。


[確かにあなたに落ち度はない。これは不当解雇よ。私だって残念。想定外。あなたのことは最後まで手放したくなかった。]

[だったら……!]

[でも,仕方がないの。]


本当に残念そうに息を吐き出しながら言ったイザベラに,レイは間髪入れず反論を試みるが,イザベラにそれを遮られてしまう。

イザベラは,ポケットから銀の懐中時計を取り出した。


[事情が変わったのよ。]

[…!!?]


イザベラはそう言うと,言外に御役御免とレイに告げる。


[ここからは私一人で制御する。]


イザベラは無表情で,でも申し訳なさそうに,状況についていけていないレイを見下ろした。


[ごめんね,レイ。私がこれからすることを許してね。]


数秒程呆然としていたレイだったが,くっと唇を噛み締めると,一気に踏み込んでイザベラの体に抱き着いた。


〚少しでも足止めをしなければ…!!今,絶対にエマ達(あいつら)の元へ行かせてはいけない……!!〛


イザベラは抱き着いて足止めしようとするレイを見つめて笑みを浮かべると,レイの襟首を掴んで,そのまま部屋へ放り込んだ。


[うっ……!]


ドッ…!と背中から思いっきり床に投げ飛ばされたレイは,慌てて起き上がるも,イザベラに,扉を鍵で閉められてしまった。

この家の部屋の鍵は外からしか開けられないわけではないし,レイはピッキングができるのだが,生憎,針金を常備しているわけではない。それに,綺麗に片付けられた部屋に針金などあるわけがないので,唯一鍵を持っているイザベラに開けてもらうか,ぶち破るしかないのだ。

だが,イザベラが開けてくれるとは思えない。

つまり,レイはその部屋に完全に閉じ込められてしまった。


[ママ!]

[しばらくそこにいて頂戴。戻ったらちゃんと出してあげる。]


イザベラはそう言って開いた懐中時計のモニターに映る信号を見た。


[さて。森を走る2つの信号。速さからしてエマとノーマン。一直線に柵の方へ向かっているわ。“下見”かしらね。]

〚気づかれた……!!〛

[そうだ。薬剤の件はどうでもいいわ。あなたが守ってくれるもの。]


イザベラは扉に背を預け,自信満々に,そして嬉しそうに言った。


[あなたは私を殺させない。あの子達のために。だから私を封じるなら,100%別の手を使う。]


イザベラは扉から背を離すと,労うように微笑んだ。


[じゃあね,レイ。今までお勤めご苦労様。]


タンタン…という靴音を鳴らして階段を降りていったイザベラに,レイは[ママ…!]と呼び止めようとするが,勿論立ち止まってくれるはずもなく,そのまま足音が遠ざかっていくのを聞くだけになってしまった。

[くそっ!]とレイは顔を上げ,一旦扉から少し離れた。


〚ヤバイ,どうする,最悪だ!!シスターを排除?俺も用済み!?〛


あまりのことに頭を掻き毟ったレイは,文字通り扉と対峙する。


[とにかく,ここを出なければ──]


ダンッという音を立てて,レイは扉に体を打ち付けた。









庭にいるドンとギルダは,祈るように窓を見つめていた。


〚今の所,合図はない……。〛

[このまま,うまくいきますように……。]


窓を見上げているギルダが小さく,そう呟くと,カラン…と音を立てて玄関から人が出てきた。


[!!…ねぇどういうこと!?]

[なっ…!?]


出てきたその人物に,二人共,言葉を失う。


[レイから合図がないのにママが出てきた!!]


イザベラは驚いて自身を凝視するドンとギルダを横目で愉しそうに見ながら,コンパクトの信号が示す場所へと歩いていった。

ドンとギルダはそれを見ながらヒソヒソと話し合う。


[一体どうすれば……]

[ギルダ,お前はここにいろ。]


ギルダの言葉を遮って,ドンはそう言うと,ダッ…!とハウスへ走っていった。


[ドン!?]

[ハウス見てくる!]


走りながらそう言ったドンがハウスに入ると,上階から何かを思いっきり叩くような,殴るような音が聞こえてきて,ドンは慌てて階段を駆け上がった。







[くそっ…!]


レイは力ずくで扉に打ち付けたせいで壊れた椅子を床に放り投げて悪態をついた。

もう一度体当たりで扉をぶち破ろうとするが,頑丈な扉はビクともしない。──と思いかけて,違うと感じた。

ハッとしたように扉の上方を見上げると,何度も壊そうとしたせいか,金具が外れかけていた。

レイは一歩と少しだけ下がると,蹴破ってやろうと体力を振り絞って,右足を扉に打ち付けた。


ドガァ!!!


大きな音を立てて,レイが蹴破った扉の先には,丁度部屋の前まで来てドアノブに手をかけたドンがいた。


[[………え?]]


ついでに,レイとドンの引き攣った声も合わさった。

バゴォォン!!!!という豪快な音を立てて扉が床に叩きつけられる。

条件反射で躱したドンは,もし下敷きになっていたらと考えてブツブルと震え,青褪めた。


[~~~~~~~~っ…!]

[悪ぃ!!]


綺麗に着地したレイは,慌ててドンに駆け寄って謝った。

それに,ドンはハッとしたように顔を上げる。


[それよりレイ!!]

[!…そうだ!]


今この状況でやるべきことを思い出した二人は,どちからともなく階段を駆け降りてハウスの扉をもぶち破らん勢いで開くとそのまま森に駆け出した。


[あっ!]

[ギルダ,来い!!]

[えっ…下見中止!?エマ達止めるの!?]


驚くギルダの問いに,ドンは走りながら否定した。


[下見強行だ!!ママを止めるぞ!!]

[!?…ママ!??]


ギルダの驚きの声を聞き流しながら,レイは森の中を全速力で走る。

その最中で,イザベラの言葉を思い出した。


〘ここからは私一人で制御する。〙


この言葉を言い変えるのならば,


〚これから制御する。〛


ということだ。


〚つまり,ママはまだ満期出荷を諦めていない。**『即出荷』はない!!**──でも,〛


イザベラはこうも言っていた。


〘事情が変わったのよ。〙


と。

レイにはその言葉の意味がまだ判らない。


〚**──事情!?**事情って何だ!?〛


そして,今度は自分が朝言ったことを思い出す。


〘あくまで水面下,制御可能を装うんだ。〙


くっとレイは歯を噛み締める。


〚とにかく,もうあの前提は通用しない。下見を止めても意味がない。──いや,この先に待つのは直接支配!今を逃せばもう二度と下見のチャンスはない!!ママに阻まれる前に,何が何でも下見させなければ…!!


レイがドンとギルダを引き連れてイザベラを止めるために森を走っていっていた丁度その時。

エマとノーマンは塀の前まで来ていた。

エマは塀の前にある高い木の穴に入れていたロープを取り出すと,木から飛び降りて実行しようと頷きあう。

だが,そこで二人は森の入口側を振り返った。


[…………]

[エマ。]

[うん。]


ビュッとエマは手にしていたロープを袋ごと右横の草むらに投げて隠した。

それと同時に,木の陰から人が出て来る。


イザベラだ。


発信器の信号を確認するコンパクトを開いた状態でその手にも持っているイザベラが出てきたことに,エマは驚いて僅かに目を見張ると,[何で……。]と小さく呟いた。

イザベラがエマ達の前で立ち止まり,コンパクトを閉じてニコリと微笑むと,エマ達もニコリと微笑んだ。


[ママ…?どうしたの?]


笑顔でイザベラに話しかけたエマと,それに合わせて微笑むノーマンの思考は,笑顔とは裏腹で,冷や汗を浮かべていた。


〚**どういうことだ!?**なぜママがここに!?〛

〚レイは?ドンは?ギルダは?〛


エマはレイに朝言われたことを思い出す。


〘『制御できない』と思われたら終わりだ。〙


ノーマンも顔にこそ出さないよう努めているが,少しでも気を抜くと表情が引きつってしまいそうだった。


〚目的は何だ?何しに来た?──まさか,“即出荷”!!?


エマもその結論に至ってしまったのか,ちらっと不安そうにノーマンを見た。



レイは風を切る勢いでノーマンとエマのいるところを目指して走る。


〚気づけ,エマ!ノーマン!!ママに構わず,下見を続行しろ!!〛


普段は滅多に体を動かさないレイにさえも,運動神経で敵わないドンとギルダは,レイに少しの遅れを取りつつもイザベラの元へ走っていく。



ニコリとした笑みを崩さないエマとノーマンに,イザベラは目を閉じて思い出すように呟いた。


[10年。]

[えっ?]

[10年,一緒に暮らしたけれど,お芝居抜きでお話するのはこれが初めてね。]


笑顔で聞き返したエマに,イザベラは飼育監の表情で微笑んで胸に手を当てた。


[はじめまして,エマ。はじめまして,ノーマン。]

[[………]]


イザベラのその様子に思わず眉を顰めて黙り込んでしまった二人に,イザベラは[フフフ…ウフフフ…。]と口元に右手を当てて笑い声を漏らした。


[ほら,あなた達も楽にして。大丈夫よ。私達だけ。周りには誰もいない。何も知らないイイ子のフリなんてしなくていいの。今ここでは,ただの飼育監と食用児。


ドクンッと,二人の心臓が嫌な音を立てて跳ね上がった。同時に,表情も強張ってしまう。

イザベラは両手を胸に合わせて続けた。


[でも誤解しないでね。私はあなた達を愛している。大好きなの,本当に……。我が子のように愛しているわ。だからこそ,諦めてほしくてここへ来たのよ。]

[諦める……?]

[……何を?]


最後は笑みを消して言ったイザベラに,エマとノーマンは頭の中で鳴り響く警鐘を隠すように呟いた。

エマの頭の中には可能性のあるものが浮かび上がっていた。


〚脱走?大人になること?……命?〛


だが,イザベラの答えはエマ達の予想を裏切った。


[抗うことを。]


と。

二人は,再び微笑んだイザベラを凝視するように見つめる。


[大好きだから苦しんでほしくない。私はあなた達を苦しませたくないの。幸福な一生じゃない?あたたかなお家でおいしいごはんと愛情いっぱい。飢えも寒さも真実も知らず,満たされた気持ちで死んでゆく。]


**[一体それのどこが不幸だというの?]**と言ったイザベラに,エマはコニーの姿を思い出して顔を歪めた。


[逃げるなんて不可能(ムリ)。お外も危ないわ。絶望がいっぱいよ。ね?お家の中でみんなで一緒に幸せに暮らそう。


イザベラの言葉に,とうとう耐えきれなくなったエマは,唇を噛み締めて歯向かった。


[偽りの幸せなんて要らない!たとえ苦しんだとしても私は自由に生きる!何が幸せかは自分で決める!!]


くっと歯を噛み締め,まだ何かを言おうとしたエマに,ノーマンは[エマ。]と呼びかけて制止する。

左手にコンパクトを持ち変えたイザベラは,対して気にした様子もなく,スッと笑顔で二人に右手を差し出した。


[決められた時間,最期まで。あなた達5人にも幸せでいてほしいの。]

[5人…?3人じゃなくて……?]


イザベラのその言葉で,ポツリとノーマンが呟いたことで,エマはあることに気がつき,〚………………これ……。〛と心の中で漏らした。

頭の中でだけ,ノーマンと目がかち合う。


〚気づいた?エマ。〛

〚これ……即出荷じゃない!!〛

〚ああ。〛


頭の中で頷いたノーマンは,イザベラを見透かすように見つめた。


〚“即出荷”じゃない。ママはまだ“制御”したい。でなければ,こんな“説得”必要ない。問題は……〛

〚今までと明らかに,やり口が違うこと。〛


ノーマンの思考を引き継ぐように,エマもイザベラを見据える。

ノーマンは眉を寄せた。


〚レイは?……まさか切ったのか?──だとしたら,〛

〚この先はママの**直接支配。**〛


そして,二人の心の声が一致する。


〚〚となれば,下見のチャンスは今しかない!!〛〛


でも……と,エマは冷や汗を浮かべながら考えた。


〚だからってどう動く?今,ここで下見を強行したら,それこそ,『制御不能』で『即出荷』。──どうする?強行すれば即出荷?でも,下見のチャンスは今しかない!!〛


何もかもを読んでいるようなイザベラの笑みに,ノーマンは眉間の皺を深くした。


〚そうだ。ママはわかっている。僕らが絶対に迷うことを。そう育て(つくっ)たのはいママだから。──考えろ。リスクを無視して強行はできない。大人しく諦めてひざまずく?〛



柵を越えて柵から離れている塀に向かって走っているレイは,何度も祈り続けていた。


〚気づけ,エマ!!ノーマン!!〛


そしてその時。

ノーマンはレイの祈りが届いたように**〚いや違う!!〛**と気づいて確信した。


〚ママはドンとギルダを引き入れたことに気づいている。恐らく,レイの裏切りにも……。なのにここへきてなお“制御”。それがママのとった手。**ママは下見ごときで“即出荷”しない!!きっと,それほどに僕らは“特別”**なんだ。迂闊に“摘め”ない,最高級品!!


負けない……ひるまない……。と,二人は改めて決意する。


〚外がどんな世界でも,僕は生きたい。〛


そして,二人の心の声が再び合わさる。


〚〚皆と一緒に。〛〛


と。

すると,ノーマンは,眉を下げてエマを見た。エマも,それを受けて悔しそうに眉を下げる。

そして,二人共俯いてしまった。


[わかったよ,ママ……。]


ノーマンその言葉を聞き,イザベラは嬉しそうにニコリと微笑んだ。

だが,次の言葉で,ノーマンは顔を上げてこちらも嬉しそうに微笑む。


[もう,いい子は辞める。]


キョトンと小首を傾げたイザベラに,エマはノーマンの言葉を合図にしてイザベラに突っ込んでいった。同時に,ノーマンはエマがロープを投げた方へ走る。


[行って!ノーマン!!]


エマはドッとイザベラにその勢いのまま抱き着いた。イザベラはその反動で少し後ろに後退する。


〚**下見強行!!私がママを足止めする…!時間を稼ぐ!5秒でも,10秒でも!!**その上で……〛


エマはイザベラが左手に持つコンパクトに手を伸ばした。


〚上手く,コンパクトを奪えば………ノーマンなら,姿を消せる…!!〛


ノーマンがロープを回収し,草むらから出てきた丁度その時。




バキッ!!!!!!




と,骨が折れるような鈍い音が響いた。



「えっ!??」

「なっ…!!」



〚え?〛


ノーマンが思わず,足を止めて振り返った。

そこでは,イザベラがエマに馬乗りになり,エマの右足を持ち上げていた。…………いや,“持ち上げていた”ではなく,“あらぬ方向に曲げていた”。

ノーマンはその意味を理解して目を見開く。

エマも倒れた状態で,鋭い痛みに顔を歪めた。


[───ぁ……あ…っあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ!!!!!]


もう少しで塀き辿り着くという所まで来たレイ達は,そのエマの叫び声に,思わず顔を歪めた。


[!?…エマ!!]


レイはそう小さく呟くと,体力を振り絞って速度を上げた。



イザベラはエマの体を抱き寄せて**[Shhh…。]**と囁いた。


[よしよし,大丈夫よ。痛くない,痛くない。]


おまじないのようにそう繰り返して,苦しむエマの額に自信の額をコツンッと当てた。


[ああ,かわいそうに。私の可愛いエマ。だから『諦めて』と言ったのよ。でも,久々のハグは嬉しかった♡]


生理的に震えるエマの頭を撫でながら,イザベラは,ロープを入れた袋を持って呆然としているノーマンに目を移した。


[ノーマンも,よく気づいたわね。素晴らしいわ!]


**そうよ。**と頷きながら,イザベラはポケットから用意しておいた包帯を取り出した。


[**私はあくまで“制御”する。**あなた達はそれほどまでに“特別”なのよ。特別なお方しか食べられない特別な食用児(ごはん)。私が育てた,最上の食料(こどもたち)なの。


頭にレイの姿も浮かべたイザベラに,ノーマンは漸く口を開いた。


[だったら……]

[だからこそ,守らねばならない。何としてでも。]


イザベラがノーマンの声を遮ってそう言った瞬間,ザッとレイ達3人が息を切らしてイザベラの横に立った。

イザベラはレイの姿を見て笑みを深める。


[あら,レイ。よく部屋から出てこられたわね。えらいわ。]

[…っ!!!]


くっと唇を噛み締めて屈辱に顔を歪めたレイから視線を外し,イザベラは,再び寝転んでしまったエマの頬に手を当てた。


[諦めてくれないならこうするしかなかった。“許してね”,レイ。]

〚っ…誰が……!!〛


再びレイに微笑んだイザベラは,心底愉しそうだった。

再びエマに顔を向けたイザベラは,これでしばらくは動けない,と安心したように言った。


[無事,明日を迎えられるわ。]

[『明日』?]

[そう。明日。]


脂汗を浮かべ,震える声でそう復唱したエマに,イザベラは,[大人しくお祝いしてね,エマ。]と言うと,スッとノーマンに,飼育監の残酷な笑みを向けた。



[──本部(うえ)から通達があった。]


嬉しそうに微笑んだイザベラの口から発せられた言葉は,とても信じがたいものだった。


[おめでとう,ノーマン。あなたの出荷が決まったわ。]


エマもレイもドンもギルダも目を見開いて言葉を失う。

ノーマンは,信じられない思いで,イザベラに言われた言葉を,珍しく処理できずに,4人と同じように目を見開いてその場に凍りついた。























いつもなら,ここで小五郎がイザベラに噛みつき,それを何故かエマ達が止め,再生された映像を見せられるのだが,今回はそうもいかなかった。

“脅しをかけられた”というのもあるが,記憶越しにだが,出荷宣告をされたノーマンが,両手を突き上げて,声高々に叫んだからだ。


「やった──!!やっと脱獄だ──!!!」


と。

コナン達は勿論,あのユウゴやイザベラでさえも放心してノーマンを呆然と見つめて固まった。

すかさず,全員を代表して,レイとエマがツッコむ。


「いやいやいや,お前,何言ってんだ!!?何が『やった──!!やっと脱獄だ──!!!』だよ!!いくら記憶とはいえ,お前,出荷宣告されてんだぞ!!!?」

「そうだよ!!この時,私,足の骨以上にその言葉にものっっすごく心抉られたんだからね!!?」


二人のツッコミに,ノーマンはえへへ…と頬をかいて笑った。


「いいじゃない。結果として僕は生きているんだから。」

「よくない!!!」「よかねぇ!!!」


落ち着いて対応するノーマンと,ギャーギャーとツッコむエマとレイ。

それに漸く我に返ったユウゴが仲裁に入り,なんとか落ち着いたところでノーマンが物珍しそうにコナン達を見た。


「あれ,どうしたの?今回は何も言わないんだ。珍しいね〜。」


挑発したとしか言いようがないノーマンのその言葉に,漸くコナン達も我に返ると,イザベラに詰め寄ろうとした。

だが,そこで映像が再生され,ノーマン達に押さえられてしまう。

この農園からの脱獄計画最後の記憶を見せるために。(ノーマンは見るため,だが……。)

幾度目かの鬼ごっこそして譲れない駆け引き

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