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「あ、ごめん。やっぱり中古は嫌だったかな。まだ築浅だけど、気になるなら新築の家を買う。それまではここで我慢してほしくて──」
少し沈黙しすぎたせいだろうか。潤がさらり
ととんでもないことを言うので、私は慌てて言葉を遮った。
「潤、新しい家なんて建てなくて大丈夫ですっ。私はこのガレージでも十分に住めます」
私の言葉に潤が苦笑する。
「知佳をガレージに住ませるわけにはいかないよ。じゃあ、家の中を案内しよう」
潤が歩き出し、背筋が真っ直ぐに伸びた背中を追う。
案内された家には、叔父さんの趣味だというホームシアター、バースタンド、ビリヤード、さらにはミストサウナまであった。
内装は白と黒で統一されたミニマルなデザイン。石や木といった自然素材がふんだんに使われ、都会的な空気感とモダンさが調和している。
特にリビングの大きなガラス窓とシームレスな造りは、まるでリゾート地の高級ヴィラのようだった。
一通り案内され私はラグジュアリーなホワイトレザーのソファに、思わず深く腰を沈めてしまった。
潤は飲み物を持ってくると言ってキッチンへ向かった。私は一人、その隙に一息つく。
「ひ、広い……こんな家を建てる大工さんって凄い……!」
あまりの豪邸に、普通の感想しか出てこない。
朝、潤からお金を振り込まれた際、「彼の生活は大丈夫だろうか」などと一瞬でも、案じた自分が恥ずかしくなるレベルだった。潤は間違いなく、資産家の一族なのだろう。
付き合っていた時、彼は家族のことをあまり話さなかった。当時は不自然だとは思わなかったけれど、これほど大きな家だと、周囲には話しにくかったのかもしれない。
「私、色々と気を遣わせていたのかな……」
今更なことを呟いていると、上着を脱いだ潤が、二本のミネラルウォーターとファイルを持って戻ってきた。
私は慌てて背筋を正す。
「お待たせ。家にあんまり食べ物がなくて、水くらいしかないのを忘れてた。お腹が空いているなら、何かデリバリーでも頼もうか?」
ローテーブルの上にペットボトルを置き、潤は向かいのソファに腰を下ろした。
「お水だけで大丈夫です。ありがとうございます」
受け取った水に口を付ける。冷たい喉越しが心地いい。
これほどの豪邸で、ゆっくりと落ち着いて食事を味わえる自信がなかった。
「そう。じゃあ、早速だけれど──家を見てもらってわかる通り、女性の影はない。これから生活するにあたって、知佳には不自由ない暮らしを提供できると理解してもらえたかな?」
その言葉に深く頷く。
「ここに住んだら、迷子になってしまいそうです」
「大丈夫。俺がずっとそばにいるから、迷わせないよ」
上品に微笑む潤の言葉が、本気か冗談か測りかねる。
私がリアクションを返す前に、潤はファイルから白い紙を数枚取り出し、差し出してきた。
「契約結婚とはいっても、本当に籍を入れてもらう。仮にも夫婦になるから、最初に相互理解、協力、会社への対応……夫婦の三大義務である民法七百五十二条を基にした資料を作らせてもらった」
まるで私を会社の取引き相手のように、話を進める潤。私的には仕事柄こういった、説明の方が頭に入りやすい。
潤が作ったという資料を手に取り、私は──感動してしまった。
「読みにくいところがあれば……って、かぶりつく勢いで見てくれてありがとう」
だってこの資料、とっても読みやすい……!
フォントは均一で視認性がよいゴシック体。文字サイズも的確。章ごとのコントラストも美しく、余白や行間も完璧だ。明快な資料に間違いない。素晴らしい。書式設定を知りたくなる。
「わからないことがあれば、何なりと質問してほしい」
潤の声に、こくこくと頷く。
労務部でも多くの資料を扱うが、これほど美しく整えられた書式の書類は少ない。
二度ほど目を通し、私は潤に顔を向けた。彼は静かに水を飲んでいる。
美しい書類を前にして、なんだか労務部勤めの血が騒いでしまう。
資料をきゅっと持ちながら、口を開く。
「潤、質問いいですか。二ページの夫婦別姓の項目について、SACRAは別姓を容認しています。資料には『キャリア形成優先』とありますが、これは結婚の周知を控えめにするという意味でしょうか?」
「あ、ああ……なんだか目がキラキラしてるな。……じゃなくて、そうだな。SACRAは社内恋愛を禁止していないし、報告の義務もない。契約期間も最低一年を予定しているから、戸籍変更に伴う必要最低限の手続きに留め、周知の告知も最低限という意味だ」
要するに契約結婚をしたからと言って、家庭を優先しなくてもいい。仕事を優先しても構わないと言う意味だろう。
打てば響くような返答。好ましい。
労務部での仕事は多岐にわたるが、これほどスパッと返事が返ってくる相手とのやり取りは、実に気持ちがいい。ちょっと楽しいと感じてしまう。
契約結婚の期間はまずは一年。
それから先のことは話し合いで決める。妥当だと思った。
その後もいくつか疑問を解消し、契約の形が明確になっていくのが爽快だと感じたのだった。
「潤、有益な時間をありがとうございました。不明な点はありません。妻という役割を、一年間頑張ろうと思います」
満足げに資料をまとめると、外はすっかり暗くなっていた。それほど熱中していたのだ。
そんな私を、潤は和やかな目で見つめていた。
「どうかしましたか?」
「昔、こんなふうにディベートの練習に付き合ってもらったのを思い出して、懐かしくなっただけだよ」
「そういえば、そんなこともありましたね」
小さく唇の端を上げる。
「じゃあ、これで契約に関する概ねのことに、本当に疑問はないかな?」
「はい。今のところは……」
不備はないはずだ。
あぁ、でも。潤は私の『鉄仮面』は気にはならないのだろうか。そんなことを考えかけた時、潤の声が耳を打った。
「じゃあ、俺からいいかな。そこにはあえて書かなかったけれど──セックスはどうする?」
「せ……──!?」
一気に心音が跳ね上がる。
「最低でも一年間一緒に住むんだ。人間としての三大欲求のうち、食欲と睡眠欲は俺との生活で満たせると約束するけれど、性欲だけは相手がいないと満たせない」
潤はゆっくりと身を乗り出し、片手で眼鏡の位置を整えた。
「た、確かにそうですね……」
契約という言葉にとらわれていて、夫婦としての営みを失念していた。
「俺としては、偽りでも夫婦円満に過ごしたいと思っている。だから、外で発散するつもりはないし、知佳にも外での発散はしないでほしい」
「も、もちろんです。外でなんて、考えてもいません」
「だからといって、義務的に回数を決めてセックスをするなんて、ナンセンスだ」
真剣に性を語る潤の様子に、彼が真面目に私に向き合おうとしているかが伝わってくる。
「確かにそれは……セ、セ、セフレみたいですね」
落ち着いて答えたつもりが、慣れない単語を口に出して声が裏返ってしまった。それでも潤は笑わずにいてくれた。
「じゃあどうするか、という話だけれど──知佳が嫌でなければ、籍を入れる今週末、知佳を抱きたい」
「!?」
潤のストレートな物言いに身を震わせると、ソファが微かに軋む。
「偽りでも夫婦として契りたい。俺が知佳のものだと、知ってほしいんだ」
「潤が、私のもの……」
ごくりと喉が鳴る。
コメント
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みぅ🤍🥀です。 第5話、読み終えました。 潤の「♡♡♡はどうする?」、あのタイミングでストレートに来るのずるいですね……。 それまで書類に真剣に向き合ってた知佳のギャップが可愛くて、でも潤の目は冗談じゃなくて。 「知佳が抱かれてもいいと思えたときでいい」じゃなくて「今週末、抱きたい」って言い切っちゃうの、重くて、でもすごく誠実で。 契約の裏にある独占欲、じわじわ効いてきますね。続きも静かに読みます🌙
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