フラウリージェでは食後もなお過酷な戦いが繰り広げられていた。
「おひげー」
『ブーッ!』
アリエッタは『おひげ』を覚えた。
「おぅるあああああ! ナニおしえとんじゃバカおうひイィィィィ!!」
どごっ
「おうふっ」
『雲塊』2つで両脇をどつかれ、たまらず倒れてのた打ち回る王妃フレア。その傍らには、鼻の下にくるんと曲線を描く黒いカイゼル髭を描いたアリエッタがいた。
来賓達は1人残らず一時退場。すぐにお尻を抑えながら戻ってきたが、それを見たアリエッタは勘違いを加速する。
(……ウケなかったのかな? これは本気を出さねば)
フレアの悪影響で、お客様を笑わせる方向に考えがシフトしていた。来賓達にとっては最悪の状況である。
そんな自分のとんでもない行動には気づかないまま、アリエッタは次なる攻撃の手順を整えようとする。
「ニオっ」
「ははははいっ!」
アリエッタに対して心の奥深くで恐怖を抱くニオは、アリエッタには本能的に逆らえない。目を合わせるのも怖いようで、涙目でちょっと俯きながらアリエッタに近づいた。
がしっと肩を掴まれ、完全に硬直したニオは、なぜか艶っぽい表情をしたアリエッタに顎をクイッと持ち上げられる。そのせいで恐怖のあまり表情を無くし、目から光を失った。
真剣な顔で何かを考えているアリエッタは、そんな事は全く気にせず、手に持ったハンカチで顔の汗と涙を拭き、手に持った筆をニオの顔に滑らせた。
来賓達のいる方向からはその作業が見えず、何をしているのかと眉をひそめる。そしてあっという間にアリエッタの作業が終わった。
『っ……』
声を詰まらせ、その場の全員が体を大きく震わせた。ニオのそんな姿を見て、笑うのは失礼極まりないと思ったのだろう。
ニオの顔にはハッキリと落書きがされていた。目の輪郭を付け足され、頬にはおかしな頬紅、口はよく分からない笑みの形を大きく描かれ、明らかに変な顔に見えるようになっている。
自分でヒゲを描いたアリエッタならともかく、強制的に顔に落書きをされたニオを笑うのは、王族として品のある行為ではない。しかも、女の子の顔を笑うなどもってのほか。その意識によって一瞬笑いを耐える事が出来た。
……しかし、アリエッタがそれを許さない。ニオの背後から両手を持ち、腕で大きく丸を描くようにして、頭上にある指の先を頭の方に向けた。そして変な声で一鳴き。
「うっきー♪」
『ごぼはぁっ!』
全員爆発しながら出口の方に転がっていった。ノエラ達フラウリージェ店員もフレアも蹲って大笑い。これまで笑わないようにしていたピアーニャですら、落書き顔と謎の鳴き声には耐えられなかったようで、店の隅で壁に抱き着きながら震えている。
「ひぃ、はぁ、さ、さすがアリエッタちゃん。意味が分からな過ぎて面白い……」
ポーズも鳴き声もアリエッタの前世のネタだが、落書きによる変顔との合わせ技のせいで、とりあえず大ウケした。これにはアリエッタも大満足。
外からは笑いが止まらない来賓達が、笑いながら「笑いが止まるまでやってくれ」と兵士に懇願し、何度も何度も乾いた音を響かせていた。
しばらくして来賓達が戻り、ニオとアリエッタを直視しないように、笑っているフラウリージェ店員を捕まえ、恐るべき笑いの小悪魔から逃避する為に服選びを再開。
フレアもなんとか復活し、アリエッタの頭を撫でた。
「アリエッタちゃん凄いわね。その笑いのセンスは王族にふさわしいかもしれないわ」
「ちょっとフレア様!?」
「そんな王族のイメージをつけないでください!」
こんな行動が王族であってたまるかと、王妃達が猛反発。アリエッタはその意味を理解していないが、ここには子供が多い。
「なるほど、王族たるもの、笑顔を大事に」
「たしかに……」
「ほらぁ! 影響受けやすい年頃なんですから!」
うっかりミデア王子とユオーラ王女の妹の方が真に受けてしまった。必死に説得にかかる王妃達。王女は母の説得に耳を傾けるも、どうやって目の前の母を笑顔にするべきか考えていた。
「人を笑顔にするってそーゆー事じゃないからね!? フレア様も仲間を見つけたような顔しないでください!」
声を荒げるユオーラ王妃だが、サンクエット王妃に『外交中だから』と説得され、しぶしぶ大人しくなった。本気の説得は夜に王城で行うしかなさそうだ。
しかしそんな説得行為をただ見逃すフレアではない。フラウリージェの出口を開け、周囲を見渡す。そして手招きをした。
「はっ、何か御用がおありでしょうか」
呼びつけたのは、サンクエットの兵士長。来賓達が何事かと店内から見守っている。
「失礼」
そう言うと、フレアはサンクエット兵士長の兜の紐を解き、持ち上げる。流れるように髪の毛の束を取り外し、頭頂部がツルリと輝いた頭に兜を被せ直した。
『ん゛っ』
突然の光景に、王族達が全員呻き、蹲る。同じサンクエットから来た宰相は慌てて物陰に隠れ、肩を震わせた。命の危険を感じた気がしたメイド長と執事も隠れてしまった。
「ごめんなさいね。少々お借りします」
「ぇ、はぃ……はい?」
なんだか慣れた手つきで兜の中身を取られた兵士長は、一連の流れについていけず、目を点にしながら返事をし、ボーっとしながら元の配置に戻っていった。
兵士長の部下達は肩を震わせながら青い顔で『知ってた?』『知らない』というやり取りを目線だけで行った。どうやら秘密にしていた事だったようだ。そんな兵士長が怖くて笑えないのだ。
他国の兵士達も部下達の反応を見て察していた。友好国の相手を無暗に笑えない。何より護衛任務中に笑うなどありえない。
こうしてフレアの手によって、笑う事が許されない王族達の試練は、見事に兵士達にも伝染したのだった。
なお、一連の流れの片隅で、王族達はしっかりとお尻を押さえてフラウリージェの中に戻っていった。
「なんでヅラなんか取ったんですか!」
サンクエット王子の言い分はもっともである。しかしその理由を真面目に聞くことは、悪手である。
「ほら、剛毛の胸毛を表現してみました」
「ぐふっ、ちょっとまってえええええええええ!!」
着飾ったフレアの胸元に輝く兵士長のカツラ。突拍子もない行動に、再び連れ出される王子達。
さらにアリエッタがカツラをカラーリング。メッシュの入った胸毛となり、変な目立ち方をするようになった。
「いやなんのオシャレだよ!」
ピアーニャがツッコミをいれると、再び外に出る来賓達。感情が決壊しているのか、些細な刺激でも笑いが漏れるようになっている。
「まぁまぁ。はいどうぞ」
「かぶせんな!」
バシーン
何故かフレアがピアーニャにカツラを被せ、数名が笑い、怒ったピアーニャがカツラを窓に叩きつければ、また数名が笑う。窓に叩きつけられたカツラを見て兵士長が情けない声を漏らし、その声が聞こえてしまった兵士達は頑張って耐えようとする。
投げられたカツラはアリエッタによって拾われた。そしてジーッと見つめている。
「あの……」
それは早く返してもらった方がいいと考えたサンクエット王妃が声をかけようとした。しかし、
「のえらー」
「あっ」
ある程度しか言葉を理解していない子供をどう説得するか悩んでいる隙に、アリエッタはノエラに糸と針を借りに行ってしまった。
「えと、はい」
前に刺繍を教わった事もあり、何をするのか期待しながら素直に糸と針を渡すノエラ。
するとアリエッタは手近にあったコルアットの顔の形をした可愛い刺繍バッジを手に取り、糸を使ってカツラとバッジを繋いでいく。
(バッジとかボタンってこうやってつけるんだったなー)
このバッジ、実は最近ルイルイの刺繍作業を見て存在を思い出し、絵で提案してみた結果である。厚い布と糸だけでできた、服などにつけるちょっとしたアクセントなのだ。メタモルバッジはその後に作られた合作だった。
いつの間にか量産されたバッジをカツラと繋ぎ終わり、糸を引っ張ると、バッジはしっかりとカツラにくっついた。
「うんうん♪」(お客様もこれで喜ぶかな)
アリエッタが完成したそれを見て、満足げに頷く。そのまま満面の笑顔でフレアに渡した。
「……というわけで、コレをあの方に渡してくださいね」
『できるかああああ!!』
ついに外交であることを忘れ、全力でツッコむサンクエット王妃と王子。そのツッコミで笑ってしまう他の来賓達。
この後厳つい兵士長が可愛くなったカツラを被る所をうっかり想像してしまい、全員が吹き出していた。
「やっと終わった……」
「はやく、はやく城に戻りましょう」
フレアとアリエッタの猛攻の中、必死に服を選び、オーダーメイドし、ようやくすべての用事が終了した来賓達は、憧れのフラウリージェから早く逃げたかった。
身も心もボロボロになりながら外に出ると、帽子を被ったネフテリアが迎えてくれた。
「本日はお越しくださり、誠にありがとうございました」
その言葉に安心し、本来の優しい笑顔を取り戻す来賓達。
「先程はゆっくり味わえなかったと思いますので、後ほど王城の方に料理人を2人派遣します」
それはありがたい申し出だった。ちなみに2人の料理人とは、パフィとクリムの事である。
真面目なネフテリアとちゃんとした挨拶をして、魔動機へと向かった。
そこへフレアが笑顔で声をかける。
「本当に、大変でしたね」
『アンタのせいだよ!』
最後の最後で、気の弛んだ来賓達が、全力でフレアにツッコミをいれた。
しまったと思い、慌てて弁明しようとしたが、フレアはニコニコしながら先程の兵士長の所に向かった。
「お返ししますね」
と言いながら、兜を取り、可愛いバッジのついたカツラを被せ、あえて兜を被せないまま、兵士長を後ろ向きに回した。
部下達どころか、全兵士に一部始終と可愛くなった頭を見られ、フルフルと震えだす。全兵士もそれにつられ、プルプルと震え出した。
来賓達も同じく震えだす。そこへ最後の追い打ちがかかった。
「それでは、ごきげんよう」
ネフテリアが帽子を取って、締めの挨拶をしたのだ。頭の花はなぜか色っぽく踊っている。
この後エルトフェリアに、堪え切れなかった笑いと悲鳴が長い間響き渡った。
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