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「なんですって?!」
沙羅の叫び声が、ベーカリーのキッチンに響き渡った
彼女の手にあるスマホの画面には、音々からのキッズLINEメッセージが表示されていた、画面を何度も見返し、信じられない思いで凝視する
―りきのいえでごはんたべてかえる―
その短い文面が沙羅の心に突き刺さっていた、キッチンのカウンターには焼きたてのパンの香りが漂い、いつもなら心を落ち着けるその匂いも、今はその苛立ちを抑えるには無力だった
「どうしたの?」
真由美が隣でパンをこねながら軽い調子で尋ねた
「これ見てよ!」
沙羅はスマホを突き出して声を荒げた、真由美が画面を覗き込んで目を丸くする
「まぁ!随分仲良くなっちゃったのね~、子供の習い事の送り迎えなんか、男の人にはめんどくさい事しかないのに、ご飯まで食べさせてくれるの?力、必死じゃない!」
真由美は口に手を当ててからかうように笑った、その言葉に沙羅の胸に怒りが沸き上がった
確かに、音々に父親のぬくもりを少しでも感じさせてやりたいと願っていた、力に習い事の送迎を頼んだのも、ほんの少しの家までの短い時間、音々が父親という存在を知る機会になればと思ったからだ
でも、まさか力が家に連れて行くなんてことは沙羅の想像を超えていた、次第に心に過去の傷が疼き始める
「親をやるのは楽じゃないのよ!根を上げて逃げ出す訳にもいかない!お父さんが出来たってあの子を喜ばせておいて、結局悲しむような思いをさせてまたどこかに逃げようものなら、地の果てでも追いかけて八つ裂きにしてやるっ!」
沙羅の声は震え、怒りと不安が混じり合っていた
「まだ音々ちゃんを悲しませるとは決まってないわよ?」
真由美がやんわりなだめる
「このままいけばそうなるに決まってるわよ!」
沙羅はパンッとエプロンをカウンターに投げつけ、シンクで手を洗い始めた、乱暴な動きで水が跳ねる音がキッチンに響く
「ちょっと!どこ行くのよ?」
真由美が叫んだ
「音々を取り返してくる!お店お願い!」
沙羅は振り返らずに答えるとキッチンを飛び出した、店の裏に停めた軽自動車に飛び乗り、沙羅はアクセルを強く踏んだ
タイヤが軋み、砂埃が舞い上がる、神経が昂り、怒りと恐怖が交錯する、やっぱり力に音々を任せるべきではなかった、八年前・・・力に捨てられた絶望、立ち直るまでの長い年月、泣きながら眠った夜、心の奥に凍りついた怒りがじわじわと溶け出し、ゾワゾワと沙羅を落ち着かなくさせる
音々が悲しむようなことになったら・・・力に会わせた私は一生自分を許さないだろう・・・
沙羅は唇を噛んだ、力に弄ばれて捨てられる女は自分だけで十分!でも、もう私はあの頃の無力な少女ではない、今の自分は大人の女であり、母であり、音々のためになら鬼にでもなる!
沙羅はさらにアクセルをベタ付きに踏み込んだ
力の実家に着くと、沙羅は車を急停車させてドアを勢いよく閉めた、インターホンも鳴らさずに玄関の引き戸をガラッと開ける
そこに飛び出してきたのは、力の父、健一だった
「さっ!沙羅ちゃん!」
沙羅はまるで道場破りのように玄関に仁王立ちし、健一を睨みつけた
「・・・音々が・・・おじゃましているようで・・・ご迷惑をおかけしてすいませんでした、すぐに連れて帰ります!」
健一は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに苦笑いを浮かべた
「そっそうなんだ・・・その様子じゃ力に知らされていなかったんだね・・・驚かせてすまなかったね」
「気にしないでください、もう彼に関しては、ちょっとやそっとじゃ動じなくなりましたから」
沙羅は感情を押し殺してわざと冷たく聞こえるように言った
「おっ・・・お腹は空いてないかい?ハンバーグを作ったんだが、こんなメニュー久しぶりでね、音々ちゃんはいっぱい食べてくれたんだ、沙羅ちゃんも食べないかい?」
「お腹は空いていません」
沙羅はそっけなく答えた、二人はしばらく無言で向き合い、緊張が空気を重くした、やがて沙羅が口を開いた
「力のお父さん・・・私はこんな事は望んでいません、これ以上音々に近づかないで欲しいと力にも言うつもりです、音々は何処ですか?」
健一の顔にシュンとした悲しげな影がよぎった
「二階の・・・力の隣の部屋で・・・今は二人で寝ているよ・・・」
「失礼します」
沙羅は土間を上がり、二階への階段に向かった、その時健一が彼女の右腕をそっと掴んだ
「まっ!待ってくれないか!沙羅ちゃん!」
沙羅は振り返り、なにごとか?と健一の顔をじっと見つめた
「音々ちゃんは・・・素晴らしい子だ・・・」
沙羅は眉間にしわを寄せた
「今日・・・一日・・・あの子と過ごさせてもらって・・・私は驚きと喜びの連続だったよ・・・」
健一の声は震え、深い感情が込められていた
「本当に・・・本当に幸せだった・・・あの子をあんな風にとてもしっかりと育ててくれて・・・心から感謝しているよ」
見つめる健一の瞳に喜びが溢れている・・・じわりと涙が込み上げてくるのを沙羅は驚愕の思いで目を見開いた
「ありがとう・・・沙羅ちゃん・・・君は素晴らしい母親だ」
健一の言葉があまりにも沙羅には意外で・・・不意に喉の奥に熱いものが込み上げ、沙羅は健一から目を逸らした、感情を揺さぶられたくなかった、フイッと無言で階段を上った
―これ以上、私の中の鎧を剥がそうとしないで!―
そう心の中で叫びながら階段を上りきると、沙羅の心には懐かしい高校時代の記憶が蘇った、放課後この家に毎日通い、力と笑い合った日々・・・
目を閉じても、この家の間取りは体が覚えている、階段を上りきってトイレの前を右に曲がると、力の部屋だ、さらにその奥の部屋からボソボソと声が聞こえてくる
力と音々がそこにいるのだ、音々は起きているのかもしれない、一刻も早く連れて帰らなければ
沙羅がドアに手の甲でノックしようと拳を上げた瞬間、ハッと息を飲んでその場に凍りついた
部屋の中から、音々の声がハッキリと沙羅の耳に聞こえてきた
「どうして
結婚式にママを置いて行ってしまったの?」
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