私
にとってのそれは、 自分の死だった。……私が死んだら、皆の記憶から消えてなくなるのだと思っていた。
だから怖くなかった。
けれど、違った。
私が死んでも、誰も忘れないのだということが分かってしまった。
私がいなくなっても、何も変わらないのだということも分かった。
私は自分が生きていることにすら気付かずにいた。
だから死んだ後に、何かがあるなんて考えたことがなかった。
私にとっては今が全てなのに、皆は違うようだ。……私だけがおかしいのか。
それとも、そう思うことすらできないほどに、絶望的な状況なのか……? あの日からずっと、何もかもが変わってしまった。
すべてを失ったのだ。……なのにどうして、こんなにも苦しいのか。
それはきっと、自分が生きているからだ。
だから、死んでしまいたいと思うのだ。
―――
『死にたくない』
―――
誰かの声が聞こえた気がして、ふっと我に返った。
ここはどこだったろうか。いつからここにいたのだろうか。
ああそうだ、自分は今、この白い空間にいるのだと思い出した。
目の前には鏡のようなものがあって、そこに自分の姿が映し出されている。
その向こう側には、自分ではない何かがいるような気もするが、よくわからない。
ただ、鏡の向こう側の自分はこちらに向かって手を振っていて、それがひどく不快で仕方なかった。
鏡の中の自分は笑っている。
まるで、こちら側にいる自分を嘲笑うように。
ああ、憎らしい。
消えてしまえばいいのに。
―――
その時、背後で扉の開く音がした。
振り向くとそこには少女がいた。
見覚えのある姿かたちをしているけれど、知らない相手。
「おめでとうございます!あなたは選ばれました!」
突然のことに驚いていると、 少女はそっと微笑んで、言った。
「あなたの魂が望む場所へお連れいたします」
「…………」
「……どうかなさいました?」
「いや……なんでもないよ。ありがとう」
「では、参りましょう」
気がつくと、真っ暗だった。
(ここはどこなんだろう?)
見回しても何も見えない。
(まさか夢じゃないよね)
試しに頬をつねってみる。痛かった。
「ふぅ~」
安堵のため息をつく。
(それにしても、)
彼女は思う。
(いったい誰がこんな夢物語を信じるというのか?)
彼女にとってそれはあまりに荒唐無稽だった。
たとえそれが単なる悪夢であっても。
信じる者は救われるとはよく言ったものだ。
もし仮に自分がそれを知ったところで、 信じてもらえるはずがないのだ。
ましてや救いがあるとも思えない。
そもそも誰かに打ち明けたところで、 頭のおかしい人間だと笑われるだけだ。
しかしそれでも彼女は諦めない。
まだ終わっていないと信じているから。
そう、彼女は信じ続けているのだ。
「私は信じる! 必ずまた立ち上がってみせる!」
『彼女』の復活を信じて疑わない者がいる。
『彼』もまた同じ想いを抱いているはずだ。
ふたりは同じ夢を共有している。
だからこそ彼らは互いに惹かれ合い、共に戦い抜くことができた。
たとえ道半ばで倒れることになろうとも、『彼ら』の戦いはまだ終わらないだろう。
「あの子だけは……助けたいんです」
「…………」
「おい、聞いてんのか?」
「え!?あぁ、ごめんなさい!ぼーっとしていて!」
「ったくよぉ~」
「すみません……あの……」
「あんだよ」
「どうして、わたしなんかに構うんです?」
「そりゃお前が困っているからさ」
「それはそうかもしれませんけど……」
「それに俺は『なんか』じゃねぇぞ」
「……ありがとうございます」
「礼なんて要らねェよ。ただ……」
「はい」
「俺の名前は【クド】だ。覚えておけ」
「ふふっ……変な人ですね」
「ほっとけっつーんだよ! 俺様は忙しいんだよ!」
「お前は黙っとけよ!」
「うるせぇぞ!」
「ああ?」
「ああん!?」
「喧嘩売ってんのかコラァ!!」
「……」
「うぜえなぁ!」
「おい! なんとか言えよオラア!!」
「死ねボケェ!!!」
「おらあっ!! クソがッ!!!」
「テメエこそくたばれカス野郎ォオオオ!」
血まみれの拳を振りかざして男が迫る。
俺は反射的に頭を庇うように両腕を持ち上げた。
男の右腕が俺の左腕に当たる――寸前。
パァンッ! という破裂音とともに男は吹っ飛んだ。
「……あ?」
呆然と立ち尽くす俺の前に、少女が立ちふさがった。
腰まで届く長い髪。小柄な体躯に似合わぬ豊満な胸元。どこか大人びた雰囲気のある美少女だった。
彼女の名前は天宮雪乃(あまみや ゆきの)。俺の幼馴染であり、そして――
「大丈夫ですか? 怪我はないですか? 腕は動きますか?」
「え? お、おう……」
まるで医者のように矢継ぎ早に質問してくる彼女に気圧されながら、俺は小さく肩を落とした。
俺だって何もかもを知っているわけではないのだけれど。
「えっと……そうですね。まずは、あの人自身の話からしておきましょうか」
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