スタジオへ向かう朝。若井の運転する車の助手席に、涼ちゃんが乗っていた。
車内にはラジオも音楽も流れていない。
エンジンの低い音だけが、二人の間を満たしている。
「……眠れた?」
ハンドルを握ったまま、若井が静かに聞く。
「うん、まあ」
短い返事。窓の外を見たまま、涼ちゃんはぼんやりと景色を追っている。
表情は穏やかに見えるけど、その瞳の奥はまだどこか遠かった。
信号で止まったとき、若井はちらりと涼ちゃんの手を見た。
袖口から少しだけ覗く手首。
昨夜見たあの赤い痕が頭から離れない。
(俺、どうしたらいいんだろ……)
言葉にできないまま、アクセルを踏み込んだ。
⸻
スタジオに着くと、すでに元貴が機材の準備をしていた。
二人を見た瞬間、眉をひそめる。
「お前ら……一緒に来たの?」
「うん。たまたま方向一緒だったから」
若井がさらっと答える。
元貴は少し首を傾げた。
「ふーん……珍しいな。なんかあった?」
「いや、別に」
若井は笑ってごまかした。
涼ちゃんは何も言わず、キーボードの前に座って電源を入れる。
その仕草が、妙に静かで、妙に痛かった。
元貴が背を向けてコードを整理している間、
若井は小さく息を吐いた。
涼ちゃんが試しに鳴らした一音。
その優しい響きが、スタジオの空気を少しだけ柔らかくした。
若井はその音に目を閉じた。
“この人を守りたい”――そう思いながら。
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