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あれから菊の自宅に招かれた俺は、リビングのソファに腰掛け、涙に濡れた目を拭っていた。近くのキッチンでは、コポコポ……とコーヒーメーカーの沸く音が響いている。
「そろそろ出来そうですね。淹れてきますね」
「…………ああ」
「ミルクは入れますか?」
「…………それで頼むんだぜ。あと無糖で」
「分かりました」
それから暫くして、テーブルの上には湯気の立つマグカップが二つ。菊はブラックで、俺はカフェオレ。
早速マグを手に取り、一口啜る。ほろ苦くもまろやかなその味に、少しばかり心が癒える。
「…………」
ふと、向かいの壁に飾られている、シンプルな額縁に入ったB3サイズのポスターを見る。それはツアーライブ中の俺の顔を、アップで写したものだった。しかも直筆サイン入り。俺がまだ『NAVY SKY』という、アイドルグループの一員だった時のものだ。
つい最近の最近まで、俺がいたところ。BIGBANGやBTSにはまだまだ及ばずとも、韓国国内は勿論、日本でも人気の上がりつつあったグループ。
そんなグループのメインボーカルを、俺は務めていたのだ。それにも関わらず…………
「…………菊」
「何ですか?」
「あのポスター、もう飾らなくて良いんだぜ。俺、もうアイドルじゃないからさ……」
「何言ってるんですか。あれ、貴方が『チャギヤ特権なんだぜ〜』って、直接私に送ってくれたものですよ?」
「そうだったか?」
「そうですよ。でも……外しましょうか、今の貴方のためにも」
「…………ミアネヨ」
菊は壁の方まで行き、あっさりとそのポスター入りの額縁を外した。
*
俺は向かいのソファに戻った菊に、こう言った。
「ビザが効いている、当分の間は……此処で過ごすんだぜ。勿論、将来のために日本国籍を取得するという手段も、考えてはいるけれど……まだ、色々と迷ってるからさ」
「私も其処は充分に理解していますよ。戻れるようなら戻りたいんでしょう、韓国には」
「ああ。あんなのでも、俺の祖国だから……」
そう言った、刹那。止まっていた筈の涙が、再び目からぶわりと溢れ出した。
悲しかった。ただただ悲しかった。確かに俺はあの国で、何かを盗んだわけでも、詐欺を働いたわけでも、人を殺したわけでもない。それなのに、あの国のみんなは、俺を「極悪人」と呼ぶのだ。
ほんの些細な、些細なことを……切っ掛けにして。
「…………ヨンスさん」
「菊…………ぐすっ」
いつの間にか、菊は俺の隣に座っていた。震える俺の体を、温かな腕が包み込む。
「貴方は……貴方は何も、悪くないです。誰のことも傷付けていないのは、私が一番知っていますから」
「ひぐ…………えぐっ」
俺は咽びながらも腕を伸ばし、幾分か小さいその体を抱き締め返した。