俺は、菊池風磨。菊池カンパニーの社長令息。
まあそう言うと、聞こえはいいでしょ?
でもさ、ただのラブホテル王なんだよね、うちの親父。最悪でしょ。
こっちは多感な時期だってのに、「お前の父ちゃんラブホ王〜!」なんてからかわれた日にゃ、目も当てられないっての。
まあそういうわけで、順調にグレた俺は、親父に言われた通りの高校に入ったにも関わらず、まだ一日も登校してない。純然たる不登校。俺なりのストライキ。あれ、ボイコット? ま、どっちでもいいや。
流石に親父もブチ切れて、俺の部屋のゲームもテレビもパソコンもスマホすらも取り上げられちった。でも、それでも俺は動かない。そんな柔な根性で不登校してないから。真剣に、ガチで不登校してるから。
今日も今日とて、自室でゴロゴロしてたら、部屋をノックされた。時計を見ると、お昼過ぎ。家政婦が昼メシでも運んできたかな、とドアを開けに行く。
あ、ちなみに、母ちゃんいないから、俺。とっくに離婚して出て行ってるから。
ね、可哀想でしょ、ボクチン。
「初めまして、風磨くん。」
ドアを開けると、俺より十センチほど背の低い、黒髪メガネに白シャツ黒パンツの、なんの面白みもない男が立っていた。
「…誰?」
「社長…風磨くんのお父様にお願いされて、風磨くんの家庭教師になりました、二宮和也です。」
「…はあ? カテキョ? いらないいらない。帰って。」
ドアを閉めようとすると、ガシッと片手で戸を止められた。なんだコイツ、ちっちぇーくせに、意外と力強ぇ。
「…離せよ。」
「そうはいきません。こちらとしても、社長命令なんで。」
一見にこやかな笑顔に見えるが、こちらに確実に圧を与えてくる。俺は舌打ちをして、ドアから手を離してベッドに身を投げ出した。
「…失礼しますね。」
会釈をしてから、扉を閉めた。ベッドで、ソイツに背を向けて横を向いて無視を決め込む。椅子に座る音がして、何かの本を開いて、ペンを取って、これは、なんか書いてるな、たぶん。ま、どーでもいいけど。
数十分経っても、なんか書いてるし、ずっと無言だし、なんもやることないし。俺は、そーっとソイツの様子を盗み見た。
ソイツは真剣に机に向かって、一心になんか書いてる。俺は、沈黙に耐えられなくなって、つい口を開いてしまった。
「…何してんの? さっきから。」
ソイツは、チラ、と俺を見て、ふ、と笑って、手招きをする。面倒くさそうに身体を起こして、ベッドに腰掛けたまま、机を覗き込む。俺の机から取った適当な方眼ノートのページに、ビッシリと迷路が描かれていた。
「…なに? 迷路?」
「そう、やらなかった? 小学生の頃とか。いたでしょ、自由帳にずーっと迷路描いてる子。俺、アレ。」
「ふーん、そういう奴バカにしていじめる奴いたでしょ。俺、アレ。」
俺がすぐさま嫌味で返すと、ソイツは、ふ、と微笑んだ。
「俺はね、いじめられなかった、大丈夫。ゲームが強かったからね。」
「…はあ?」
「ぷよぷよとか、格ゲー、マリカー、そんなのでは、負けなし。どう? すごい?」
「すごかねーよ、ガキかよ。」
「あー、久しぶりにやってみたいな、まだ腕鈍ってないと思うけど。」
「ねーよ、ゲームは。親父に取り上げられた。」
「許可もらってるからね、大丈夫。」
そう言って、あっという間に家政婦からゲーム一式を受け取って、俺の部屋に準備をした。
「よっし、まずはぷよぷよやろっと。」
ソイツは、子どもみたいな顔で、ホントにゲームを始めやがった。俺はベッドの上から見ていたが、他人のぷよぷよほどイライラするもんはない。
「おいちょっと貸してみろ。」
「え? 俺上手くない?」
「俺のがうまい。貸せ。」
その後は、なんだかんだと色んなゲームでソイツと遊んで、まあまあ楽しい時間を過ごせてしまった。
外が暗くなって、ソイツは一度、うーん、と伸びをした。
「あー…肩いてぇ…歳だな。」
「ジジイかよ。」
「失礼な、まだ28だよ。」
「げ、めっちゃ歳上…。」
「ひと回り違うからね、風磨坊ちゃん。」
「うるせージジイ。」
「じゃあ、風磨、宿題。この迷路、明日までに完成させといて。」
「…俺迷路なんか描いたことねーし。」
「面白いぞ、やってみ?」
ソイツは俺の頭をポンポンと優しく撫でてから立ち上がって、部屋を出て行った。
なんだアイツ、変な奴。まあ、ゲームはちょっと楽しかったけど、所詮は親父の回しモンだ、信用はできねーな。
俺は、割と細かく緻密に描かれた迷路をじっと眺めて、一本道をびよーんと伸ばして、『GOAL』とだけ書いておいた。
次の日からもソイツ…ニノセンは、俺の部屋に遊びにきた。ホントに、遊びにくるの。カテキョとか言ってたくせに、全然勉強しねぇ。しかも、もっと「学校行け」とか「勉強しろ」とか言うのかと思ってたら、全く言わない。何しに来てんの? コイツ。
今だって、俺はベッドでゴロついてて、ニノセンは床に座ってる。
「…なあ、勉強教えなくて、そちらさんは大丈夫なワケ? 親父になんか言われないの。」
「まあ、適当に言ってりゃバレないだろ。」
「うわ、お前も大概だな。俺もだけど。」
ニノセンは、鼻唄なんかを歌いながら、俺の本棚にある、読もうと思ったことすらない誰かの伝記を読んでる。俺は、なんとなく居心地が悪くなって、机に着いて高校の教科書をパラパラと開いてみた。うわ、わかんねぇ。数学はダメだな。英語なら、どうだ? パラパラとめくり、その文字数の多さにクラクラする。
「…おいニノセン。お前の得意な教科、何?」
「んー、国語。英語。日本史。文系かな。」
「…英語。」
「…ん。やる?」
「…まぁ。」
「おっけ。」
ニノセンは、伝記をローテーブルに置いて、俺の隣に立つ。肩越しに顔を近づけて、英文を読み始めた。
「…ふんふん、まずわからん単語に線引いて。文法わからんところに丸して。」
「…ん。」
俺は、久しぶりの勉強に、頭が疲れたけど、なんだか知識が増える楽しさが、ちょっとわかった気がする。ニノセンの教え方は面白くて、砕けた言い方で説明もわかりやすかった。
そんな感じで、数ヶ月が経ったある日。高校から課題テストの知らせが届いた。親父が何したのかは知らんが、出席日数に関しては何も言われず、とにかくこの試験をパスさえすれば、1学期の成績は付ける、とのことだった。
「いいね、やっぱ試験があると、燃えるな。」
「やだよー、もう親父のパワーで試験もなんとかしてくれたら良かったのによー。」
「なんで、風磨の頭の良さを見せつける時が来たんだぜ? オラワクワクすっぞ。」
ニノセンが、俺を見て嬉しそうに笑う。俺はその笑顔を見て、つい口が滑ってしまった。
「…ニノセンてさあ、可愛い顔してんよなぁ。」
ニノセンが、ふと真剣な顔をした。俺をじっと見つめて、そっと俺の唇に指を触れる。
「風磨はさ、唇がすげー色っぽいよな。」
俺はドキッとして、ちょっと顔を後ろに引く。ニノセンは、ふふ、と笑って、また勉強へと戻っていった。
テストの日、ニノセンは、高校に初めて出向く俺を朝から見送りに来てくれた。俺の部屋で、もそもそと準備をしている俺を、ニノセンが立って見守っている。
「迷子になんなよ。」
「なるか! 俺様にはハイヤーがあんだよ。庶民とは違うのー。」
「うわ、事故れ。」
「なんちゅーこと言うの。ホントに教師かよお前は。」
「教師じゃねーよ。」
「んじゃなんだよ。」
ニノセンはじっと俺を見つめる。なんだよ、答えろよ。
「…合格したら、なんかしてやるよ。何がいい?」
「…いいねぇ、考えとくよ。」
「人道的なことにしてね。」
「どんなだよ。」
はは、と笑い合って、俺は高校へと向かった。
試験が全て終わり、手応えとしては、全く問題なし。ニノセンの声が何度も浮かんできて、そこにいて俺に教えてくれてるかのようだった。だいぶ毒されてんな、俺。
家に、試験の結果が届いた。俺はニノセンが来るまで、封筒を開けずにソワソワと待っている。
「おぃっすぅー。」
「ちゃんと来いよ、ホントお前は…。」
ドアを開けて、ニノセンが入ってくる。俺はその軽薄な挨拶に呆れた顔で出迎え、どっちが先生なんだか、と笑った。
「お、来てるねぇ。開けずに待ってたの。イイ子だねぇ。」
ニノセンが、俺の頭を撫でる。俺は、試験結果が気になって、ドキドキしていた。
「…開けるよ?」
「…おう。」
封筒を開けて、ニノセンが中身を確認する。俺は顔の前で手を組んで、今更ながらに神に祈った。ニノセンが、溜め息をついて俺を見る。
「…お前ね、こんなにいい点取ったら、俺すごいことやってあげなきゃいけなくなるでしょ? ちょっとは手加減しろ?」
「…え!!」
ニノセンの手から紙を奪い取って、目を通す。全体的に、合格点を遥かに上回っていた。俺はつい、ニノセンに抱きついた。
「ぃよっしゃあーーー!!俺すげえ!ねえ、すごくない?!ニノ…。」
上を向いて叫んだ後、はたと前を向くと、目の前にはニノセンの顔があった。まあ、十センチ下に、だけど。少し下から、ジーッと俺を見つめている。真剣な顔。
「…何して欲しい?」
俺の腰に手を回して、ニノセンが静かに訊いてきた。
「…メガネ、ちょーだい。」
「…はあ?」
俺の要求に、顔を歪めたニノセンの眼に掛かるメガネを、そっと外す。カチャ、と音が鳴って、ニノセンのそのままの顔が、俺の前に現れた。
「…やっぱり。外したらイケメンじゃん。」
「…外さなくてもイケメンです。」
尚も俺の腰に手を回したままのニノセンのメガネを机に置いて、両手でニノセンの顔を挟む。
「…顔、ちっちゃあ…。」
「…どれ。」
ニノセンも、俺の顔を両手で挟む。
「…変わんねーじゃん。」
ニノセンがそう言うと、俺は、そのままニノセンに口付けた。あんたが色っぽいって言った俺の唇、どうよ? そんな気持ちで、薄く目を開けると、ニノセンの手に力が籠った。
え、と思う間もなく、口の中に舌が入ってくる。え、え?と困惑していると、なんだか身体から力が抜けていって、ドサッとベッドに倒れ込まされた。俺の上に跨り、またキスをくり返す。
やべぇ、めっちゃ気持ちいい…。
俺の服の裾から、ニノセンの手が入ってきて、脇腹あたりの素肌を撫でた。
「ん…。」
自分の口から、およそ自分のものとは思えないような甘い声が出て、俺はビックリした。それまで激しく俺にキスを繰り返していたニノセンの動きが、ピタッと止まった。
「…ニノ…?」
「…あっぶねー、社会的に死ぬとこだった。」
「え?」
ニノはそう言うと、俺の上からいなくなって、荷物を手に取り、俺を振り返った。
「…じゃあ、何がいいか考えといて。」
そう言って微笑むと、さっさと部屋を出て行った。俺は、ベッドに一人残されたまま、なんだかボーッとしていた。なんだ、今の…。心臓がずっとうるさい。試験の結果はもうわかったのに、まだずっとドキドキしてる。これは、もしや、まさか。
後日、またニノセンがやってきた。
「こんにちは、風磨くん。」
なんか、手を前に組んで、すごく他人行儀な挨拶をしてきた。俺はベッドに腰掛けて、ジロッと見つめる。
ふーん、そうきたか。この前のことは、無かったことにしろよって、そういう圧ね。
なら、俺はこうだ。
「…ニノセン、俺、ご褒美考えたわ。」
「はい、なんでしょう。」
「カズって呼ばせて。」
「…はい? あ、まあ、いいけど?」
「あと、もう一つ。」
「え、ズルくない?」
「ズルくねーだろ、非常に人道的だろ。」
「はいはい、なんです?」
「俺と、付き合ってよ。」
「…はいきたー、だめー。」
「はあ?! なんで。」
「俺が、いろんなところに殺されちゃうから。」
「殺されねーだろ。」
「だってお前、一回り下だよ? そんで、未成年でしょ? さらに、社長の息子。はい、俺死にます。」
「なんだよ、ふざけんなよ。ちゃんと答えろ。」
俺は、自分でも顔が赤くなってるのがわかる。それを、カズがじっと見つめてきた。クソッ、見んなや。 俺は、不機嫌そうに、下を向いた。そこに、カズが近づいて来る。俺の頬を、優しく触った。憂いを帯びた眼で、俺を見つめている。
「…でもなぁ…。もう好きなんだよなぁ…。どーしよ。」
俺は、目を見張った。え、今、俺のこと、だよな? え、好きって言った? 言ったよな?
俺は、頬にあたるカズの手を、ギュッと握る。
「…周りはカンケーねーだろ。」
「…若いねぇ。」
「うるせぇジジイ。」
「…んー、キスまでなら、セーフかな?」
「…さあ?」
俺が、待ちながら、じっと見つめていると、カズが上からそっと顔を近づけて、優しくキスをしてくれた。俺は首に腕を回して、もっと深く、と舌を求めに行くが、カズは応えることなく離れていった。
「え、もう終わり?」
「あのね、こっちの身にもなってくれる? あんなキスして我慢して帰った俺、褒めて欲しいくらいなのよ、ホント。」
「なんだよ、…別に我慢しなくてもいーじゃん。」
俺は、カズの手を握ったまま、ボソッと呟く。
「…ダメだよ。風磨が二十歳になるまでは、俺は手を出さない。」
「え! 長ぁ!」
「ケジメだよ、ケジメ。」
「強がんなよジジイ!」
「うるせえ、盛んな、ガキ。」
お互いに悪態をつきながらも、ふふ、と笑い合って、俺たちはギュッとハグをした。ま、しょーがないか。カズの立場も考えて、一緒に我慢しといてやろう。
俺が二十歳になったら、カズを抱けるんだし、それを楽しみに、勉強頑張ろっと。
「…そんな感じだったんだ…。」
大学に行く道すがら、俺は久しぶりに風磨との昔話を、目の前の学生、大森元貴くんに話して聞かせていた。
「その後はね、俺は元々修士号取ってた心理学の関係で、今の大学に声かけられて、ここにいるわけ。風磨も、俺を追いかけてこの大学に来たりしてさ。」
「…すげえなアイツ。めっちゃ好きやん。」
元貴は、あ、この学生とはなんかすごく馬が合うから、もう元貴って呼んで友達みたいに過ごしてるんだけど、元貴は風磨を揶揄うようにニヤッと笑った。
「それがなんで、今こうなってんの? 」
「…まあ、たぶん、性の不一致?」
「え?」
「アイツが二十歳になって、ようやっと、ってなった時に、アイツ、俺がネコだと思ってたらしくて。でも、俺はタチだったから、あっちをネコに堕としちゃった。」
「…あー…。」
「アイツさ、結局は喜んでくれてたんだよ? ホントに。やっとデキて嬉しい、なんて可愛いこと言ってくれちゃってさ。」
「ふーん、でも、だめだったんだ。」
「…なんか、男としてのプライド、傷つけちゃってたみたいね。」
「…で、別れたんすか? 何年も付き合ってたのに?」
「…まあ、本人が納得するまでは、そっとしとこうと思ってたんだけどね。…でもここまで人に迷惑かけるのは、許しがたいからねぇ…。」
元貴が、俺の顔を見て、なんか怯えていた。あれ、俺そんな怖い顔してたかな。
「…はあ。そこが一致しないのって、怖いっすよね…。涼ちゃんは大丈夫かなぁ。」
「ん? 元貴の想い人?」
「うん…。俺も涼ちゃん抱きたいと思ってるけど、受け入れてもらえるかなぁって。まあまだそれ以前の問題なんすけどね。」
「…まあ、ネコの良さを、ちゃんと教えられたら、大丈夫だと思うよ。」
「…どうやって?」
俺は、ニヤリと笑って、興味津々の元貴に、アレやコレやを教えてやった。
こんなこと言って、俺も風磨を堕とし切れてなかったわけだけど。
でも、俺たちは、アレだな、付き合いは長かったけど、歳の差のせいか、芯を食った話はあまりしてこなかったのかもしれない。大事なことは言葉で伝えたいと思っていても、俺も風磨もつい口を出るのは捻くれたものばかりで、二人とも正しく言葉を使えていなかった。
風磨は、もう俺が怖いのだろうか。
触れてほしくないと、思っているのだろうか。
もう俺とは、付き合いたくないと、そう思っているのだろうか。
元貴たちに呼ばれて、現在の風磨の部屋となっているホテルの一室に向かった。
「マスターキーお願い。」
フロントで見知った顔に鍵を借りて、風磨の部屋へと、三人で向かう。
「…大丈夫かな、涼ちゃん。」
「…ちょっとは痛い目に遭った方が、警戒心持つんじゃない?」
「…確かに。意外とカラオケしてるだけだったりして。」
元貴の友人の若井くんが心配そうに呟くと、元貴が少し怒りを湛えながらそう返した。
おーおー、怒ってるねぇ。そんなことを考えながら、俺は鍵を開けて、風磨への威嚇の為にドアを蹴破った。ま、蹴る必要は全くなかったんだけど、演出ね。
部屋の中へ入ると、風磨が元貴の想い人の藤澤くんを組み敷いてベッドに二人重なっていた。
想定内の場面、のはず。
だが俺は、自分が想像していたよりも、その光景を悍ましく感じた。カッと全身の血が沸騰したかと思うと、次の瞬間にはもう驚くほど冷静に、脳は風磨を捉えていた。こちらを、怯えた眼で見ている。少しばかり心が痛むが、それ以上に怯えている藤澤くんの方が心配だった。
風磨を押し退け、藤澤くんを元貴たちのところへ帰す。
母親に見捨てられ、父親には金だけ与えられるワガママ放題の可哀想なお坊ちゃんのあまりの横暴さに辟易し、俺は風磨の頬を平手で叩いた。
「お前、何が不満なの?」
「なんで俺がネコなんだよ!」
はあ? みんなの前で叫ぶとは思ってなかったが、でもまあ、やっぱりそういうことなのね。
「風磨。」
久しぶりに、その名前を呼ぶと、風磨の瞳が熱く揺れた。俺はその眼に安心して、そのまま口付けると、あの時のように、風磨の身体から力が抜けていく。
キスを拒まないということは、俺は、まだ大丈夫そうだな。
「良い子は帰りなさい。」
元貴たちに視線を送ってそう言うと、風磨は焦っていたが、アッサリと二人きりにされてしまった。
「…風磨。」
潤んだ瞳で、でも少しの不安を湛えて俺を見る。
「…俺が、怖い?」
「…怖くは…ないよ。」
頬に優しく触れる。ぴく、と瞼が動いた。
「…風磨が、そんなに嫌なら、俺は別にしなくてもいい。」
「…え?」
風磨が、顔を上げて、驚いたように俺を見た。
「あんなのは、ただの行為だから。俺は、風磨を傷つけたいわけじゃなかったんだ。ただ…好きだから、俺ができるやり方で、気持ち良くさせたいと思った。」
風磨の顔が、赤くなる。風磨の上から身体をどけて、ベッドの端に崩した正座で座る。
「…それで、風磨が俺のそばからいなくなるなら、意味ないし…。」
「カズ…。」
風磨が、身体を起こして呟いた。
「…こんなオッサンが、若い子追い回すのもどうなんだって思って、俺はもう身を引こうと思ってたよ。風磨が、自分の思う通りの付き合い方ができる奴と、出逢えたらって、思ってた。」
「ち、違う…!」
風磨が、思わず身を乗り出す。
「…違う、カズ…。俺、カズだから、悩んでたんだよ。他のヤツなら、うわ、合わねえなって、多分すぐ離れたと思う。だけど、カズは…好きだから…一緒にいたいから、だから悩んだの!」
風磨が、俯いて泣きそうな声を出す。
「だって、カズだけだよ、ずっと俺のそばにいたくれたの。あんなクソガキで、クソ生意気で、母ちゃんだって親父だって家政婦だって友達だって、みんないなくなったのに。」
風磨が、俺の手を、震える手で握ってきた。
「…だってさ、俺さ、何年もカズを抱けると思って待ってたんだぜ? それが、いざヤッてみたら、俺が…ってなって、正直、ちょっとショックだったし、パニックだったし、それで、ごめん、ちょっと…逃げた。」
「…うん…。」
「…一番、何がショックって、…全然嫌じゃなかったんだよ、カズに抱かれんのが。」
俺は、思いもよらない風磨の言葉に、顔を上げた。
「…カズ、すげー優しかったし、…う、うまかったし…まあ、…その…よかっ…たし…。」
俺は、思わずギュッと風磨の手を握り返す。
「だ、だから! 俺はカズを嫌いになったんじゃないし、怖いとも思わないし、ずっとめちゃくちゃ好きだし! ただ、自分の気持ちを整理したかったっつーか、悪あがきしてみたくなったっつーか…。 」
俺は、ぐいっと繋いだ手を引っ張って、風磨を抱きしめた。
「…俺も、風磨が大好きだよ。ごめんね、ジジイなのに。やっぱり、離したくない。」
「…ジジイじゃねーよ。………イケおじだろ。」
プッと吹き出して、身体を離す。
「結局オジサンじゃねーか。」
「あれ、カズおじさんだよ? 気付いてなかった?」
「…相変わらず…。」
風磨の顎を片手で掴む。
「口の減らないクソガキだな。」
風磨がじっと見つめる。
「…可愛いクソガキ。」
風磨が、ホッとしたように笑って、自分からキスをしてきた。俺の首に絡みついて、後ろへ引き倒す。俺が風磨を組み敷く形になって、そのままキスを深めていく。
風磨の手が、俺の服を脱がせていく。
「…いいの?」
「…当たり前だろ。」
はだけたシャツを掴んで、ぐいっと風磨に引き寄せられた。そして俺の耳元で囁く。
「…ちゃんと、気持ち良くしてね、カズ。」
眼を丸くして風磨を見ると、顔を赤くして、それでも勝ち気にニヤリと笑っている。俺は、ふ、と笑って、残りの服をガバッと脱いだ。
「イケおじに任せなさい。」
クスクスと二人で笑って、もう一度強く抱きしめ合う。何度もキスを交わして、俺は風磨を優しく抱いた。
虚勢を張らず、一線を引かず、正しい言葉で、大事なことは言葉で伝える。そんな当たり前のことを疎かにしてしまっていた俺たちは、それでもやっとお互いに歩み寄ることができた。伝え合うことができた。
世間がどうとか、立場がどうとか、そんなことじゃなく、一番大切なのは、お互いの気持ちだった。
『周りはカンケーねーだろ。』
若いな、と一笑に付したあの風磨の言葉は、本当は一番芯を食っていたのかもしれない。
「風磨が卒業したら、一緒に暮そっか。」
暖かな布団の中で風磨を腕の中に抱きしめながら、俺はボソッと言った。風磨は、俺の胸に顔を埋めたまま、静かに頷く。
風磨が不意に、俺の腕から抜け出して下着姿で荷物の方へ行き、小さな長細い箱を持ってきた。
「カズ、後ろ向いて。」
ベッドで胡座をかいて、背を向ける。首にヒヤリとチェーンが絡まって、風磨の手によってネックレスを着けられた。
「…何これ? 」
「…気付いたら、カズに似合うだろーなーって、選んでた。」
「…えぇ?」
指で摘んでみると、随分と華奢で可愛らしいデザインの、黄色い石のチャームが見えた。俺、風磨の眼にはこんなに可愛らしく写ってるわけ? ちょっとこそばゆいけど、俺を思い浮かべて選んだというその気持ちが、とにかく嬉しかった。
「…ありがとう、風磨。」
「あ…メリークリスマス。」
時計を見ると、0時を過ぎていた。
二人で、また暖かな布団に包まり、何度かキスをして、眠りについた。
そっと、首元のネックレスを握り込む。
元貴も、上手くやってるといいな、と、眼の前にいない人の幸せを思いやる余裕さえ、俺は取り戻していた。
そして、眼の前のふわふわの髪を撫でて、そこに頬を乗せる。すでに規則正しい寝息を立てている風磨を、今一度ギュッと強く抱きしめる。
ぐにゃぐにゃに入り組んだ迷路の先の、真っ直ぐに伸ばされた道を辿って、風磨の書いた『GOAL』にやっと行き着くことができたな。
そんなことを頭の中に思い浮かべながら、俺は幸せな聖夜に意識を沈めていった。
コメント
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あー!!!その迷路そうなるんだー‼️誰か七瀬さんにシャンパンタワー2個目持ってきてー‼️‼️‼️‼️‼️‼️
遠回りして、やっと結ばれて、この2人、じわじわきます🫣❣️ そして、最初にニノさん書いた迷路が最後に見事回収されて、凄いよかったです🥹✨あれは2人の恋の形だったんですね💕