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私はずっと泣いていた。
だから、どうやって帰ったのか記憶がない。
気が付いたらソファーに寝かされていた。
それも見たことない部屋の高級そうなソファー。
「ここはどこ?」
まずそれが疑問だった。
パッと見た感じリビングに見える。
フローリングに毛足の長いラグ、広いソファーと大きなテレビ。
インテリアは白で統一されていて、ゴミ一つ落ちていない。
随分と生活感のない部屋だな。それが第一印象。
一瞬ホテルかなとも思ったけれど、テーブルの上の雑誌やサイドボードにしまわれたお酒やグラスが個人の部屋だと思わせる。
「お、目が覚めたな?」
え?
「どうした、驚いた顔をして」
「えっと・・・」
なぜ、今目の前に副社長が
「大丈夫か?しっかりしろ」
ちょっと待って、私は蓮斗と話をつけようと彼のマンションに行って、そこから逃げ出して、
あああ、そうだ。
迎えに来てくれて、
「思い出したか?」
「はい」
ってことは、ここは奏多の家。
うわー、すごい。さすがセレブ。
***
「ほら、カフェオレだ」
ゆっくりと起き上がった私に大きめのマグカップが差し出された。
「ありがとうございます」
受け取ろうと手を出すと、スッとよけられる。
ん?
「敬語はやめろ。会社みたいで落ち着かない」
「はあ」
じゃあ、
「ありがとう」
もう一度手を伸ばすと、カップを渡された。
うぅん、美味しい。
甘くて暖かくて、優しい味が体に染み渡る。
「ゆっくり飲めよ」
「うん」
いつも会社で見るときとは別人のような優しい顔の奏多。
シンガポールで会った時と同じだ。
フフフ。
つい懐かしくて笑ってしまった。
「何だよ」
「別に」
「訳もなく笑われたら気持悪いだろうが」
「ごめん。でも、本当に何でもないの。奏多の笑顔を見るのシンガポール以来だなって思って」
「そうか?」
「うん。会社ではいつも厳しい顔しているもの」
「仕事だからな。ヘラヘラはしていられない」
そうだよね、この若さで副社長だものね。
それだけのものを背をっているってことだね。
「まあ、俺の放置プレーもまんざらじゃなかったってことだな」
「はあ?」
私はカップを持ったまま奏多を見上げた。
***
「ずっと、芽衣のこと気が付かないふりしてたからな」
ああ、そうだった。
「やっぱりわざと無視していたんだよね?」
「ああ。メールしても電話しても一切返事をよこさないから、放置プレーに出てみた」
放置プレーって言い方が、卑猥だな。
まあ、結構効果はあったけれど。
「それにしても加田蓮斗って、最悪だな」
「うん・・・ごめん」
「何で芽衣が謝るんだよ」
「だって、蓮斗のせいで奏多が困っているって」
すべて私のせいなのに。
「大丈夫だ。こんなことで潰されるほどやわじゃない」
「でも、ごめん」
「もう謝るな。芽衣は悪くない」
「でも・・・」
私がいなかったらこんなことにはならなかった。
そう思うと、苦しい。
***
「なあ、芽衣」
まじめな声で、奏多が私を呼んだ。
「はい」
私も少しだけ姿勢を正した。
「俺はこんな風に何かを欲しいと思ったことがなくて誰とも何とも比べようがないけれど、どんなことをしても芽衣を手放したくないと思う。その気持ちに嘘はない。きっと、芽衣も同じ気持ちでいてくれると信じている」
コクンと、私もうなずいた。
「じゃあ、約束してくれ」
「約束?」
「今日みたいに、一人で勝手に突っ走らないこと。何でも一人でやろうとしないこと。どんなことでもまず俺に相談すること」
「・・・奏多」
心配してくるているのが分かって、つい口元が緩んだ。
「バカ。怒られてるのに、そんなうれしそうな顔をするな」
コツンとおでこを小突かれた。
それからしばらくお説教されて、二度と今日みたいなことはしないと約束させられた。
奏多が用意してくれた夜食を食べて、シャワーを浴び、着替えのない私は奏多のスウェットを借りた。
「ブカブカだな」
嬉しそうな奏多。
「うん、おっきいね」
これだったらズボンをはかなくても、お尻まですっぽり隠れる。
「明日は土曜日だから、ゆっくりと休めばいい」
「ありがとう」
その後一緒のベットに寝るかどうかで少しもめた。
ソファーでいいって言う私に奏多は譲らなくて、結局押し切られて同じベットに入った。
そっと私の頭をなで、優しく抱きしめてくれる奏多。
私はその温もりの中で眠りに落ちた。
***
翌朝。
私は奏多とアパートへ戻った。
「ここか?」
アパートの前まで行き、唖然として口を開けたままの奏多。
「あの、ちょっと古いけれど、」
「ちょっと?」
あれ、奏多がイラッとしている。
「確かに古いけれど、その分家賃も安いのよ」
じゃなかったらここに決めなかった。
「部屋は?」
本当はアパートの前まで送ってもらうはずだったのに、建物を見たとたん奏多の顔が険しくなって私より先を歩いて部屋へと向かって行く。
「一階の一番端の」
「はあ?」
ドンッ。
急に振り返るから、私は奏多にぶつかった。
「痛いなあ、急に止まらないでよ」
ぶつけてしまった鼻をさすりながら私は顔を上げる。
「なあ芽衣」
「何?」
「一階の角部屋が空き巣に狙われる確率って、知っているか?」
「それは・・・」
私だって、アパート一階の角部屋が危険なことは知っている。
だから、田舎から出てくるときには五階建てのマンションの三階に部屋を借りた。
オートロックで、防犯もきちんとしていた。
でも、仕方ないじゃない。今の私にはここが精一杯だったんだから。
「もういいでしょ。蓮斗もいないみたいだし、ここでいいよ」
これ以上一緒にいたら喧嘩をしそう。
私は奏多の横を通り抜け、部屋の前まで行くと鍵を差し込んだ。
「お、おいっ、芽衣」
「何?」
「まさかその鍵1つってことはないよな?」
「そう、だけど・・・」
あああー、もう。
私は奏多をアパートに連れてきたことを後悔した。
***
「チェーンもないのか?」
木製で開閉のたびに音の鳴るドアを見ながら奏多は言う。
でもね、現実的にこのドアにチェーンをつける意味ってないと思う。
その気になればドアそのものが簡単に破壊できるんだもの。
「お茶、いれようか?」
「いや、いい。それより、風呂はあるのか?」
「もちろんあるよ」
シャワーだけで湯舟はないけれど。
「これじゃあ隣の部屋の音が丸聞こえだろうな」
トントンと壁を叩きながら奏多はため息をついた。
悪かったわね、おんぼろアパートで。
壁が薄くて、セキュリティーもなってなくて、シャワーしかないお風呂で、それでもここが私の家。
「芽衣、荷物をまとめろ」
「はあ?」
「俺のマンションへ行こう」
「え、ちょっと、待って」
「何を待つって言うんだ。これ以上ここに芽衣を置いてはおけない」
「そんなあ」
それからしばらく、私は動かなかった。
話が急展開すぎてついていけないのが一番の理由だったけれど、一方的に決めてしまう奏多に反発心を持ったのも事実。
「ここに芽衣を置いておくのが心配だから俺のマンションに連れていきたい。でも、理由はそれだけじゃない。ここにいたら、お前はいつあいつに襲われるかわからないぞ。その気になれば簡単に部屋に入れそうだからな」
うっ。
痛いところをついてくる。
「芽衣、いい子だから言うことを聞け。あいつのことが落ち着くまで、家に来い」
蓮斗のことが落ち着くまで。
そう言われると、断れない。
「いいな、家に来るな?」
「うん」
私はうなずくしかなかった。
***
優柔不断で、流されやすくて、最終的には押し切られてしまう都合のいい女。
きっと私はそんな人間だ。
蓮斗のことも奏多との関係も、2人に翻弄されてばかりで自分の信念なんて何もない。
「芽衣、お揃いのカップを買おうか?」
「え?」
アパートからの帰りに有名スーパーで食料品を買い込んで、近くの雑貨屋さんでお茶碗や箸もそろえた。
あれだけ不満そうにしていたくせに、ウキウキ買い物をする自分に驚いてしまう。
私はほんとにバカな女だ。
「歯ブラシや、枕もいるよな」
「うん」
いつの間にかかごの中は日用品でいっぱい。
中でもお揃いのマグカップがとってもかわいい。
「奏多って、コーヒー好きだよね」
「ああ、そうだな」
シンガポールでも、会社でも、よく飲んでいるもの。
「芽衣は、甘いのが好きだよな」
「うん」
コーヒーならカフェオレ。紅茶はミルクティー。でも一番好きなのはココア。
蓮斗はそのことに気づいてもくれなかった。
「明日の朝は俺がフレンチトーストを作ってやる」
「奏多が?」
「ああ。アメリカ留学時代に習ったんだ。旨いぞ」
「へー」
父さんも台所に入らなかったし、蓮斗も料理なんてしなかった。
でも、奏多は料理をするのね。意外だな。
店を出て、大きな買い物袋をいくつも抱えた私たちは奏多のマンションへと向かった。
***
奏多のマンションに帰り、荷物を整理して、土曜日はあっという間に終わってしまった。
翌日、日曜日。
天気も晴天でお出かけ日和。
約束通り奏多特性のフレンチトーストを食べて、お揃いで買ったカップにコーヒーとカフェオレを注いだ。
「今日は一日デートしようか?」
「デート?」
「ああ。せっかくの休みだし、いいだろ?」
「うん、そうね」
これから奏多はますます忙しくなる。
大きなプロジェクトも準備中だし、副社長としての付き合いだって増えてくるはず。
ゆっくりと連休を楽しめるのは今だけなのかもしれない。
ブブブ。
奏多の携帯に着信。
見た瞬間表情を硬くした奏多。
「どうしたの?」
「うん、兄さんからだ」
「あぁ」
HIRAISIの副社長。
しばらく携帯を見つめた後、奏多は通話ボタンを押した。
「ああ、ああ、うぅーん」
少し考えこんだ顔。
「わかった、顔を出すよ」
電話を切っても奏多は無言のまま。
私も声をかけず黙って見ていた。
「じいさんが誕生日なんだ」
「ふーん」
「ホテルでお祝いをするらしい」
「へー」
ホテルで誕生日のお祝いなんて、さすがお金持ち。スケールが違うわねと、私は思った。
「日本にいる以上知らん顔はできなくてさ」
「うん」
そりゃあ孫だもの。ちゃんとお祝いしてあげなくちゃ。
「ちょっと顔だけ出すから」
「ダメよ、せっかくのお誕生日なのに。ちゃんとお祝いしてあげて」
「じゃあ、芽衣も一緒に行こう」
「え、私?」
「芽衣が一緒なら適当な頃に次の予定があるって出られるだろ」
自分のおじいさまの誕生会なのに、どうしてそんなに行きたくないんだろう。
奏多らしくないなとも思ったけれど、連れて行かれたホテルで理由が分かった。
***
ホテルで誕生日のお祝い。
そう聞いた私は家族の食事会を想像していた。
でも、違った。
会場はよくテレビで見るホテルでも一番広い大広間。
正面にはステージがあり、「平石勝正米寿の祝い」と大きく書かれている。
お誕生日だって言うから普通の誕生祝いだと思っていたのに、八十八歳のお祝いなんて聞いていない。
それに、会場に集まった数百人のお客様。
みんな奇麗に着飾って、楽しそうに談笑している。
「ねえ、話が違うけれど」
あまりに盛大なパーティーに、思わず愚痴が出た。
「何が?」
「これは誕生祝って言わない。パーティーでしょう?」
「そうかなあ」
「もうっ」
食事会だと思うからシンプルなワンピースで来た私は、会場スタッフより地味に見える。
奏多は何を着ても似合うからパンツとジャケットでもオシャレに見えるけれど、私はダメ。
ここにいるだけで、恥ずかしい。
「私、外に出ているからおじいさまにご挨拶してきて」
「なんでだよ、一緒に行くぞ」
奏多はギュッと私の手を握った。
「えぇー」
私が抗議の声を上げようとした瞬間、
「奏多」
中年男性が声をかけてきた。
「あぁ、|陸仁《りくと》おじさんご無沙汰してます」
「久しぶりだなあ」
「ええ」
ゆっくりと近づき、奏多と挨拶をした男性の視線が私の方を向く。
「確か、奏多の秘書さんだったかな?」
「ああ、はい」
私を知っているということは仕事関係者。
私は男性の顔をじっと見つめた。
「ぁ、平石建設の平石社長」
「正解。でも、ここには平石社長がいっぱいいるから、陸仁でいいよ」
「はあ」
***
奏多がおじいさまに挨拶に行っている間、私は平石社長と話をしていた。
奏多は私を連れていこうとしたけれど、「目立つからお前ひとりで行ってこい」と平石社長が止めてくれた。
「奏多が女の子を連れてくるとはね」
「ただの秘書です。今日はこの後仕事の予定がありまして」
「日曜日に?」
「ええ、まあ」
本当は仕事なんてないけれど、そう言っておいた方がいいと判断した。
「あら、陸仁さん。かわいいお客様と一緒ね」
平石社長と話していた私のもとに、着物を着た女性がやってきた。
歳は50歳くらいかな。
小柄で色白で、綺麗な女性。
着物もすごく豪華なのに、派手過ぎず品がいい。
いかにもいいところの奥様って感じ。
「初めまして、平石琴子です」
「小倉芽衣です」
先に名乗られてしまった以上名乗らないわけにもいかず、私は挨拶をした。
それにしても、この会場は平石性の人で埋め尽くされているらしい。
「彼女、奏多の連れだよ」
「そう」
平石社長が説明すると、女性の表情が変わった。
「あの、ただの秘書ですので」
言い訳せずにはいられなかった。
***
「さあ、どうぞ」
平石社長に勧められ、シャンパンをいただいた。
先ほどから奏多はお客様に囲まれている。
「奏多、モテモテだね」
「そうですね」
奏多があれだけ来たがらなかった理由が分かった気がする。
「親戚たちの中には奏多こそが平石の後継者だって思っている連中もいるから、近づいてくる人間も多いし、適齢期の娘を持った親は何とかして縁談をまとめたいって必死だ」
「ふぅーん」
「他人事かい?」
「ええ」
私は奏多という人間が好きだ。
優しくて、大人で、少し意地悪で、趣味趣向が似ているところも大好きな理由。
一緒にいると安らげる人。出来ればずっと一緒にいたいと思うときもある。
でも、相手が平石財閥の御曹司となるとそうも言っていられない。
「油断していると、誰かに取られちゃうぞ」
「ですから、私はただの秘書でして」
「そうは見えないがね」
「・・・」
全てを見透かされているようで、答えられなかった。
「おじさん。芽衣を泣かせたら怒りますよ」
私が下を向いたところで、奏多が帰ってきた。
「泣かせてないよ」
「そうですか?意地悪言っているように見えましたが?」
「濡れ衣だ」
奏多が私の肩に腕を回し、そっと引き寄せた。
「大丈夫か?」
「ええ」
距離をとりたくて離れようとする私を抱えたまま、奏多はパーティー会場の外へと出た。
***
ホテルを出た私たちは少し歩いたところにあるカフェに入った。
ここは私のお勧めの場所。
公園に隣接しているせいで窓からは緑が見えて、近くに大使館が多い土地柄か外国人のお客さんが多い。
店内を飛び交う異国の言葉も心地よくて、のんびりできるとっておきの場所。
たまたま大学が近くて偶然入ったのがきっかけで、一人になりたいときにはいつも利用していた。
「なんだか落ち着くな」
「私の秘密の場所なの」
コーヒーとレモンティーを注文し二階の窓際の席に座った。
「あいつとも来たの?」
え?
あいつって、蓮斗のことね。
「蓮斗はこういうところ嫌いだから」
にぎやかで人が多い場所が好きだった蓮斗は、いつも大人数で騒いでいた。
私はその後ろをついて歩く存在だった。
今思えば何がよくて一緒にいたんだろう。まったく正反対な人間なのに。
「珍しいな」
「え?」
「レモンティー。すっぱいの嫌いだろ?」
「違うよ。嫌いじゃない。ただ、ミルクティーの方が好きなだけで。でも今日はレモンな気分なの」
「ふーん」
奏多は私のことをよくわかってくれる。
小さな変化にも気づいてくれるし、ちゃんと気遣ってもくれる。
ヤバイな。私の中で奏多の存在が大きくなっていく。
止めなきゃいけないとわかっているのに気持ちが走り出しそうで、私は少し怖くなっていた。
***
せっかくの日曜日なのに、カフェでお茶をしたあと本屋さんを回って買い物をして帰った。
夕食は私の作ったオムライス。
奏多のリクエストで決まった。
「オムライス好きなの?」
何だか、意外だな。
「好きってわけじゃないけれど、海外にはないし食事に出た先で三十前の男がオムライスって頼みにくいじゃないか」
「まあ、そうね」
レストランで奏多がオムライスを食べている図って、想像すると面白い。
「それより、今日はどこにも行けなくて悪かったな」
ブラブラして終わってしまった一日を奏多は謝ってくれるけれど、
「いいの。のんびりしたいい休日だった」
これは嘘じゃない。
こうやって二人で普通の食事をしているだけで気持ちが落ち着くし、幸せだなあとも思える。
それはきっと、相手が奏多だからだろうな。
「お風呂に入っておいて」
「うん、奏多は?」
「少し仕事を持って帰ってるんだ」
奏多が忙しいのは私が1番よく知っている。本当ならもっとゆっくりさせてあげたい。
「コーヒー入れようか?」
「ありがとう」
「後で書斎にもっていくわ」
お金持ちの家に生まれたからというだけで幸せとは限らない。与えられるもの以上に煩わしさがある。今日のパーティーで奏多を見ていてそう思った。
がんばっている奏多のために何かしてあげたい、私はそんな気持ちでいっぱいになった。