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翌朝月曜日。
いつもより早く起きた私は、食事を用意して身支度を済ませ奏多と一緒に朝食をとった。
「うまいね」
あり合わせのお野菜と冷凍庫にあった油揚げで作ったお味噌汁を喜んで食べてくれる奏多。
ソーセージと卵焼きとほうれん草のおひたし。
珍しくもないおかずだけれど、2人で食べる朝食はとてもおいしかった。
「じゃあ行ってきます」
「はあ?」
私の声に、食後のコーヒーを飲みながら渋い顔をした奏多。
まあ、この反応は想定内。
「私は電車で行くから」
「なんでだよ。同じ所に行くのに、無駄だろ」
「早めに行って準備もしたいし」
奏多が来る前にしておきたい仕事だってある。
それに、奏多と一緒に行けば目立ってしょうがない。
きっと奏多は気に入らないだろうけれど、ここは譲らないぞと計画的に準備した。
「とにかく、行ってきまーす」
奏多がまだ身支度を終えていないのを承知の上で、私はマンション飛び出した。
***
奏多のマンションから会社までは電車で15分。
今までよりだいぶ近くなって、会社へも早く着くことができた。
パソコンを立ち上げ、デスク周りの掃除をし、休んでしまった金曜日から今日までのメールに目を通す。急いで奏多に伝えないといけないことをリストアップして、今日のスケジュールを確認。
そうこうしているうちに奏多が出社し、
「おはようございます」
「ああ」
私のあいさつに不機嫌そうな返事。
「コーヒーをお持ちしますか?」
出社してすぐのコーヒーは朝の日課。
「いい。三十分前に飲んだ」
「はあ」
確かにそうだけれど。
「では、こちらが週末届いた」
メールです。と書類を差し出そうとする私の手を奏多がつかんだ。
思わずキャッと言いそうになるのと何とかこらえて顔を上げる。
「どうなさったんですか?」
「どうもなさってないけどさ、こんなことは勤務時間が始まってからすればいいだろう?」
「それは・・・」
「朝早く来て、他は何をするんだ?」
「掃除をしたり、コーヒーの準備をしたり、スケジュールの確認を」
「無駄だ」
はあ、もう。
副社長も秘書も勤務時間は同じ。そんなことはわかっている。
でも、サポートする側の秘書が同じ時間に来たんでは仕事にならない。
「雄平を呼んでくれ」
「呼んでどうされるんですか?」
なんだかすごく嫌な予感がする。
「説明する必要があるのか?」
「それは・・・」
秘書である以上は何も言えず、私は田代秘書課長に電話をした。
***
「おはようございます。お呼びですか?」
電話から五分後には課長が登場。
「ああ、秘書達の勤務時間だが」
「副社長っ」
やはり私のことを言いたかったのかと、思わず声が出た。
「何だ、俺は雄平に話しがあるんだ」
「しかし・・・」
私のことを言うつもりなのは間違いない。
何とか止めないとと私は前へと進み出たが、奏多はやめてくれそうにない。
「一体何ですか?」
私と奏多を交互に見つめる課長。
こうなったら私には打つ手がない。
「秘書が勤務時間前に業務を行っていることについて雄平は把握しているのか?」
私が黙ったのを見て、奏多がもう一度口を開いた。
「勤務時間前って・・・」
チラッと課長が私の方を見る。
「違うんです。副社長がおいでになる十分ほど前に業務の準備をしていただけで」
「十分?」
ここぞとばかり奏多が突っ込んでくる。
「今日はたまたま三十分くらい前で・・・」
奏多のマンションが近いからいつもより早く着いた。金曜日お休みしたせいで溜まった仕事もあったから、せっかくだからと片づけた。ただそれだけなのに。
「こういう働き方は感心しない。課長として勤務時間を守るように指導してくれ」
「・・・わかりました」
田代課長は何も聞き返すことなく返事をして、副社長室を出ていった。
その後、奏多はいつも通り机に向かって仕事を始めた。
「ったく、もう」
不機嫌なのは私だけ。
副社長室に続く秘書室で悶々と過ごすしかなかった。
***
「プライベートに口を出すつもりはありません。ただし、仕事に影響するようでは困ります」
「はい。すみません」
午後、奏多が会議で席を外したタイミングで私は田代課長に呼ばれた。
朝のことがあったからきっと何か言われるとは思っていたけれど、面と向かとうとさすがに怯む。
「あの人はああ見えて結構剛腕だし、上手に自分を押し通すところがあるから、そこを上手くやってください」
「はい」
さすが親友、奏多のことをよく把握している。
「それで、付き合っているんですか?」
「え?」
プライベートには口を出さないなんて言っておきながら直球を投げてきた課長に、即答できなかった。
「昨日のパーティーに女性を同伴していたとの噂が色々なところから聞こえてきていますが、あなたですか?」
さすがに答えられない。
どうやら御曹司の行動は筒抜けらしい。
そう思うと奏多が少しかわいそう。
「小倉さん」
「はい」
課長に名前を呼ばれ、私は顔を上げた。
そこにはいつも以上に厳しい表情の田代課長がいた。
***
「これは上司としてではなく、奏多の友人としての言葉だと思ってください」
「はい」
私は少しだけ姿勢を正した。
「私はあなたをいい人だと認識しています。勤務態度もそうだし、初めて会った時も掃除のスタッフをかばいに行こうとして脚立から落ちそうになっていた」
「あぁ、あの時は・・・」
やはり気づかれていたんだ。
「でも、木曜日のようなことがあると行動に問題ありと評価するしかない」
木曜日って・・・ああ、蓮斗のことか。
でも、それは、
「あなたに責任がないのはわかっています。でも、あなたがいなければ起きなかった」
それは、そうだけれど。
「私は、秘書として友人として奏多の障害になるものはできるだけ排除したいんです」
排除。
その言葉がとても冷たく聞こえた。
「あの後、ネット上で奏多が騒がれたのを知っていますか?」
「はい」
藍さんから聞いて知っているし、自分でも調べてみた。
金曜日はかなり書かれていたけれど、土曜日にはすっかり消えていて騒動は収まったんだと思った。
「誰も何もしないのに、自然に消えたと思っていますか?」
「それは・・・」
きっと誰かが手を回して、
「そのことで奏多が何もダメージを受けないとでも思っていますか?」
「・・・」
課長の挑んでくるような口調に、私は何も言えなくなった。
***
「平石の力があれば、あんな書き込みを消すことなんて簡単なことです。でも、そのためには奏多もいくらかの譲歩を迫られた」
「譲歩?」
蓮斗とのことは奏多に一切の責任はない。
責められるとすれば蓮斗。もしくは巻き込んでしまった私だろう。
それなのに、奏多が何の譲歩をするって言うんだろうか。
「今回の件はすべて平石家の方で対処する。その代わり平石社長の勧める縁談を受けること。それが条件でした」
ここで言う平石社長って言うのは奏多のお父様のことだと思う。
お父様がどこまで事情を把握しているかわからないけれど、お怒りなのは間違いないようだ。
「そして、奏多はその条件を飲みました。でなければあなたにまで火の粉が降りかかるかもしれないんですから」
「何でそんなことを」
人の噂なんて放っておけばすぐに消えるのに。
「あなたは平石奏多の置かれている立場が分かっていませんね」
呆れたように、課長が一つため息をついた。
「あいつは平石財閥の直系なんです。その分注目もされるし、足をすくいたいと思っている人間も少なくはない。それが分かっていたから学生時代から海外に逃げ出していた。きっとあのまま海外にいたいと思っていたはずです」
「ええ」
それは私にもわかる。
奏多はシンガポールに残りたいと言っていたもの。
「それでも、帰ってきた以上は完璧な姿を見せるしかない。だから、日本に帰ってきて副社長に就任して早々暴力沙汰の噂が立つのは困るんです。あいつもそのことを理解していたから、社長の条件を飲んだんでしょう」
ああ、なるほど。
結局悪いのは私ってことらしい。
***
「とはいえ、あなたに責任がないのもわかっています。あのままことが収まるなら何も言うつもりはありませんでした。しかし」
そこで言葉を切って、課長は私をじっと見据えた。
「昨日の平石家のパーティーに同行したのはあなたですね?」
「はい」
嘘は付けなくて素直に答えた。
「先ほどの奏多の様子から、一緒に住んでいるように聞こえましたが?」
「はい」
一時的にとは言え間違ってはいない。
「正直に言います。あなたのことを知らない人間が今のあなたの行動のみを見れば、お金に執着して男性の間を渡り歩いているように見えるでしょうね」
「そんなあ」
ひどい。
でも、自分ではその気はなくても、周りから見れば私は奏多に群がる女の1人なんだ。
金持ちにたかるビッチにでも見えているのだろう。
「きつい言い方ですが、これが現実です。だからこそ、自分の立ち位置をはっきりしてください。奏多との関係を続けていきたいのなら身辺整理をすること。その気がないのなら秘書としての立場に徹すること。どちらかしかありません。わかっていただけますか?」
「はい」
悔しくて涙が出そうになるのをグッとこらえた。
この時になって、私はとんでもない人に恋をしてしまったんだとやっと気が付いた。