テラーノベル
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#ハッピーエンド
26
洞窟の奥へ進むと、空気が切り替わった。
湿った冷気が薄れ、かわりに乾いた暖かさが頬に当たる。照明の色も違う。目が先に楽になった。
カーペット。ソファ。磨かれたテーブル。
壁には本棚がぎっしり並び、羊皮紙の束は棚ごとに分かれている。
小さな暖炉には火が入っていた。薪が爆ぜ、赤が増える。
ミラが足を止め、口を開けたまま息を吸う。
「……すごい」
オットーも肩を落とし、部屋を見回す。
「まるで宮廷みたいだな」
コンラートは紅茶のポットを持ち、慣れた手つきでカップに注いだ。湯気が細く立つ。袖は汚れているのに、指先だけが妙に丁寧だった。
「さて——モンスターの分布だったな」
コンラートはソファに腰掛ける。腰をかばうように一度だけ背筋を固め、落ち着いた姿勢を作った。紅茶の湯気を鼻先で一度吸い込み、淡々と続ける。
「基本的に二足歩行型だ。ホブ、オーガ、トロールなど……人型に近い連中が多い。
ボス部屋もオーソドックスな大型の魔物だ。ドラゴンが出ることもある」
「ドラゴン、か……」
ダリウスは顎に手を添え、指先で擦った。視線が天井ではなく床の一点に落ちる。
「速度で攻められない分、動きにクセがあるのは助かるな。読みが利く」
エドガーは紅茶を一口飲み、口元を拭ってから本題を切り出した。
「それよりも儀式の方はどうです? 精神を『食べる』という話でしたが」
コンラートはカップを置く。陶器の底が木に当たり、小さく鳴る。
視線が上がった。
「ボス部屋の後に続く試練室……挑戦者は一人だ。
課題はランダムだが、精神的なものが多い。過去、後悔、恐怖……そういった類だな」
「失敗すれば記憶を取られる……だったな」
オットーが紅茶をぐびっと飲み干し、大きく息をついた。喉仏が上下し、胸が一度沈む。
「じいさんは……何か取られたのか?」
コンラートは少しだけ目を細めた。カップの縁を指で撫で、遠くを見るように言った。
「……おそらく兄弟がいたと思う」
「兄弟?」エドガーが眉を上げる。
「あぁ。名前も、顔も、何も思い出せん。だが……
“いた”という確信だけ、霧の底に残っている。
妙な感覚だよ。何かが欠けたまま何十年も過ごし続けてきた。
家の記憶を辿ると、いつも椅子が一脚余る。
そこに誰が座っていたのかだけ、どうしても思い出せん」
言葉は整っているのに、最後の一文で舌がわずかに遅れた。
コンラートは咳払いをせずに飲み込み、カップを持ち直した。
ミラは俯き、カップを両手で包み込んだ。指先が白い。
「……さびしいね」
声が落ちた。
「もし……もし、ダリウスのこと忘れちゃったら……
私……私じゃなくなっちゃう気がする」
ミラの視線が揺れる。暖炉の火が映った湯気の向こうを見て、まばたきが増える。指がカップの縁を探り、同じ場所を何度も撫でた。
ダリウスが驚いて彼女を見る。
ミラは笑わない。肩が上がったまま下りない。
エドガーは目を伏せる。眼鏡の位置を直しても、視線は上がらない。
オットーは紅茶のカップを握る手に力を入れ、指の関節が浮いた。
コンラートはしばらくミラを見つめていた。
暖炉の火がぱちぱちとはぜる音だけが続く。
やがて、わざとらしいほど大きく息を吐くと、冷めかけた紅茶をひと口あおった。
「よし、湿っぽい話はここまでだ」
口元が歪む。笑いの形だけが先に出る。
「それとな、このダンジョンにはもう一人、滞在者がおる」
「本当か!?」
ダリウスが背筋を起こし、手帳をばっと開いた。紙が擦れる音がやけに大きい。
「記録では……五十年前、あんた以外——」
「ふふん、記録なんぞ当てにならんよ」
コンラートは意地悪く笑った。
「まぁ会ったときのお楽しみだ。
もし遭遇したら、“コンラートが貸しを返せと言っていた”と伝えろ。
そうすれば手を貸してくれるはずだ」
ミラはぱっと顔を上げ、大真面目に頷いて言った。
「その人……住民票ここに移してる?」
部屋が止まった。
エドガーがゆっくりとミラを見る。紅茶を飲みかけた手が止まった。
「……さっき食べたマシュマロ、まだ頭に残ってるんですか?」
「えっ、違うの?」
ミラは本気で驚いている。
オットーは口元を押さえ、紅茶を吹きそうになって咳き込んだ。
ダリウスは額を押さえる。指がこめかみまで滑った。
コンラートだけが腹を抱えて笑った。
「はっはっは! いやいや、面白い娘だ!」
笑い終えると、コンラートは机の引き出しを開け、小袋を取り出した。
「それとな。これを持っていけ」
じゃら、と七色の光が溢れる。
袋の中には宝石にも似た硬貨がぎっしり詰まっていた。光が指の間から漏れる。
ミラの目が一気に輝く。
「なにこれ!? きれい!!」
「このダンジョン内の通貨だよ」
コンラートは軽く手を左右に振る。
「わしにはもう使い切れん。
昔はこれで調査を続けていたが……
老いぼれが使い切れなかった“未練の残りかす”だ。好きにしろ」
ダリウスは袋を手に取り、重さを確かめるように揺らした。硬貨が軽く鳴る。
「……本来なら、受け取るべきじゃないんだろうけど」
ダリウスはコンラートの目を見る。逸らさない。
「ありがたく、使わせてもらうよ」
コンラートは小さくうなずき、紅茶を口にした。喉が鳴る。
置いたカップの角度だけがわずかに変わった。
「行け。
若いお前たちが進む道の先に、わしらの忘れた何かがある。
そして——失くしたものを取り返すかどうかは、お前たち次第だ」
暖炉の火がぱちりと音を立てた。
*
コンラート宅を出ると、薄暗い通路の奥にぽつんと灯る看板が見えた。
「オーク料理屋・肉の穴蔵」と墨で書かれている。字が太く、端が滲んでいた。
中へ入った途端、焼けた脂の匂いと香辛料の香りが押し寄せた。熱気が肌にまとわりつく。
鉄に似た匂いが混じり、喉の奥が鳴った。唾を飲み込む音が自分で分かる。
天井は低く、テーブルは粗削り。
それでも店は賑わっていた。椅子が鳴り、皿がぶつかり、笑い声が飛ぶ。
オークが肉を焼き、リザードマンが魚を捌き、スライムが皿を洗っている。
火の前では汗がにじみ、通路側は冷える。匂いの層がはっきり分かれていた。
四人は空いた丸テーブルに腰を下ろした。
ダリウスは肉らしきものにフォークを突き刺しながら言った。
「まずはパーティの役割を調整したいと思う」
ミラは皿を見つめたまま固まっている。
指が膝の上で小刻みに動いて止まる。
オットーは骨についた肉をしゃぶりつつ頷いた。
「現役の時と違って、誰かが途中で動けなくなる可能性がある」
エドガーはフォークとナイフで“何かの肉塊”を切り分けながら言う。刃が皿を擦って、甲高く鳴った。
「なので、柔軟性を持って役割を入れ替えられるようにしておくべきでしょう」
ミラはまだ動かない。
目だけが左右に動き、皿の中心で止まる。
ダリウスは腕を組み、少し考えてから結論を出した。
「となると——オットーだな」
「オットーですね」
「俺だな」
三人の声が重なった。
その横で、ミラだけがガタガタと震えている。
「……」
ダリウスは気づき、ミラの皿を覗き込む。
「どうしたミラ? 全然食べてないじゃないか?」
ミラはゆっくり顔を上げた。真っ青だ。唇が震えている。
「……ダリウス……これ……食べ物なの?」
オットーは当たり前のように答えた。
「??? どうした。ゴブリンの丸焼きは初めてか?」
「ッ!!」
ミラの呼吸が止まる。
ダリウスはゴブリンの“目玉”をフォークで串刺しにしながら言う。
「ダンジョン初めてだもんな? うまいぞ。俺は特に目玉が好きだ」
エドガーは落ち着いた手つきで、ゴブリンの頭蓋を開きながら微笑む。
「やはり脳みそですね。クリーミーで——いや、たまりません」
「——ひっ」
オットーは耳を切り落としながら自慢げに言う。
「いや、まず初心者は耳だ。カリカリしてて香ばしい」
ミラは机に額を何度もぶつけた。木が鳴る。
「いやぁあああああああああ!!」
三人が同時に固まる。
「……?」
ミラは涙目で叫び散らす。
「みんなおかしいよ!!
だってコレ、ゴブリンだよ!?
こっち見てるよ!?
“こんにちは”って言いそうだよぉ!!」
ダリウスはオットーとエドガーへ視線を向けた。
「おい……俺たちがおかしいのか?
それとも……ミラがおかしいのか?」
オットーは爪楊枝で歯の隙間の肉片を取ってから言う。
「十六歳、そういう年頃なんだ」
エドガーは目を閉じ、微かに微笑んだ。
「えぇ。私もあの頃は反発したものです」
ダリウスは腕を組んで、真剣な顔で頷いた。
「そうか……難しい年頃なんだな。
でもミラ、好き嫌いは良くないぞ」
「いやぁあああああああ!!!!」
料理屋中のモンスターが、一斉にこちらを振り向いた。串が止まり、包丁が止まり、皿洗いの音が途切れた。
ミラは泣き叫び続ける。肩が震え、息が乱れる。
三人のおっさんは顔を見合わせて、同時に頷いた。頷き方だけが妙に真剣だった。
*
ダリウス一行が市場へ足を踏み入れると、天井の低い洞窟の奥まで灯りが続いていた。
防具屋、薬屋、道具屋、食材屋。通路の両脇に屋台が並び、品物を手に取る音が絶えない。
ミラの手には“巨大パフェ”があった。
ダリウスはそれを見て息を吐く。
「パフェばかり食うと太るぞ、ミラ?」
ミラはスプーンを持つ手に力が入らない。返事が遅れ、声が落ちた。
「……いいの……別腹だから……」
目の焦点が合っていない。
スプーンが一度止まり、また動く。
オットーが声を上げた。
「おいダリウス、これなんかどうだ?」
手にしているのは大斧だ。肩で重さを受け、軽く振ってバランスを確かめる。動きが大きいのに、刃先がぶれない。
エドガーも腕を組んで見つめ、頷いた。
「良さそうですね。斧の重心が綺麗です」
ミラはパフェを抱えたまま首を傾げた。
「オットーが……バリアのおじさまを辞めるの?」
ダリウスはミラの横にしゃがみ込み、顔の高さを合わせた。
「いや、盾は続けてもらうよ。
ただ、本来の戦闘スタイルというのがあってな」
ミラは素直にメモ帳を取り出し、ペンを走らせる。
「教えて教えて!」
ダリウスは市場の喧騒の中で言った。声は落ち着いている。
「本来の基本は——
前衛の剣士が敵を押さえている間に、盾役が後衛を守り
後衛の魔法使いが攻撃する、これがセオリーだ」
ミラがこくこくと大きくうなずく。髪が揺れる。
ダリウスの視線が、ゆっくりとエドガーへ向いた。
「だが……エドガーの魔法は強力だ。
強力だが……老眼で詠唱まで時間がかかりすぎる」
エドガーは目を閉じ、口元に薄い笑みを浮かべて答えた。
「情緒があっていいでしょう?」
「情緒で押し切られたら死ぬぞ」
ダリウスは頭を抱える。指が髪の生え際に食い込む。
「物量で押し込まれる状況なら、俺一人じゃ捌けない。
オットーの盾は巨大だが、側面に回られたらそこで全滅だ」
ミラはパフェのスプーンを止め、真剣にメモを取った。
「……確かに。側面が弱点なんだね」
オットーは大斧を肩に乗せ、口元だけで笑った。
ダリウスはオットーを見据える。
「だからオットーには、盾と攻撃を柔軟に動いてもらう」
オットーは胸を張り、腹を揺らしながら大斧を肩に乗せる。
「普通の盾職は後衛の近くで盾を張るが、俺は違う。
かなり広範囲に展開できる。前線で盾を張れるってわけだ」
言い終えたあと、肩が少し上がる。息が弾む。
ダリウスは露店の盾を一つ手に取った。軽い、小ぶりな盾だ。
構えた瞬間、腕が自動で前へ出る。
「シールドバッシュ」
小さく光が広がる。空気が一瞬だけ押し返される感触。
ミラの目が丸くなる。
「ダリウス、剣士なのにシールドバッシュできるの?」
エドガーは鼻で笑い、言った。
「ダリウスは器用なんですよ。
簡単な戦闘系スキルなら一通りできます。
昔、前線と後衛の潤滑油として動いていたのは、この特技のおかげです」
ダリウスは後頭部をかき、目線を逸らした。
「まぁ器用貧乏だがな。
気休め程度だが……ないよりはマシだ」
ミラは何度も頷き、メモ帳に「ダリウス=器用貧乏(でもすごい)」と書き込んだ。
その後、一行は市場を歩き、ポーション、道具、食料(もちろん“モンスター食”は除外)を買い込んだ。
袋が膨らみ、紐が指に食い込む。背負い直すと肩が沈む。
ダリウスはひとつ深呼吸した。
「よし——行こう。次の階層へ」
ミラのパフェのスプーンが止まる。
オットーが大斧を振って肩の力を抜く。
エドガーは虫眼鏡ケースを丁寧に閉じた。
ダリウスは腰を押さえ、息を吐いた。苦笑が漏れる。
そのまま、仲間の背中を一人ずつ見た。
市場のざわめきが遠のく。
足音が揃い、暗い通路へ吸い込まれていった。
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