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三階層は、一階層と同じ洞窟だった。
松明の火は薄く、湿ったカビの匂いが鼻につく。天井が低い。横幅も三メートルほどしかない。両腕を広げれば壁に当たりそうだ。
ミラは小石をコツンと蹴り、肩を落とす。
「また洞窟?」
ダリウスは口角を上げた。表情が先に緩み、呼吸が落ち着く。
「だいたいのダンジョンは、ボス部屋までは似た構造なんだ」
エドガーは眼鏡を押し上げ、口元を吊り上げる。
「しかし——」
オットーも同じタイミングで口の端を上げる。
「ラッキーだぜ」
ダリウスは顎を触りながら言う。
「あぁ、この階層なら楽勝だ」
ミラは首を傾げた。
「どういうこと?」
ダリウスは肩をすくめ、ミラに指を向ける。
「見てればわかるさ」
エドガーが突然、指先を通路奥へ向けた。
「正面、十体来ますよ」
前方から、ゴブリンが十体。
弓矢、ボーガン、剣、盾、槍。武装はまちまちだ。狭い通路を埋め、ギャアアア、と鳴きながら前進してくる。鉄の擦れる音が壁で跳ね返る。
オットーが前に出た。腹が揺れ、足音が重い。
「任せろや」
通路のど真ん中へ身体を押し込む。
「——シールドバッシュ!」
光の壁が立った。通路を隙間なく塞ぐ。壁の端が岩肌に触れ、光が縁で歪む。
オットーの膝がわずかに沈み、踏ん張りが床に伝わる。
ゴブリンたちは突っ込み、斬りつけ、噛みつき、弓矢を撃ち込む。
矢が弾かれ、石が跳ね、刃が滑る。だが壁は揺れない。
オットーは口元を上げたまま言う。
「エドガー、魔法頼む。茶でも飲んでゆっくりでいいぞ」
「はいはい、少しお待ちを」
エドガーは目薬をさし、虫眼鏡を取り出し、魔導書を鼻先へ寄せた。
指先で行を押さえ、息を整える。詠唱が始まる。
「フ……ォォ……ル・イ……ンフェ……ルノ……」
ミラが小声でつぶやく。
「遅っ……」
詠唱が終わる。
エドガーが虫眼鏡をずらし、視線だけ前を向ける。
「——《業火の抱擁》!」
炎が通路いっぱいに広がった。熱が顔に当たり、髪が揺れる。
十体のゴブリンが一瞬で消し炭になる。床に黒い粉だけが残り、焦げた匂いが鼻に張りついた。
ダリウスはミラへ人差し指を立て、得意気に。
「な? 言っただろ?」
「すごい……」
その時、エドガーがわざとらしく声を上げた。
「しまった!」
ダリウスは驚いて振り返る。
「ど、どうした!?」
エドガーは虫眼鏡をくるりと回し、口元を上げる。
「火加減を調整しておけば、食料になったのに……失敗しました」
オットーは豪快に腹を抱えて笑う。
「はっはっは! 確かにな!」
ミラは目を細めたまま固まった。
「………………(なんでみんな食べる方向なんだろう)」
行軍は続く。
しばらく進むと、再び鳴き声が押し寄せる。足音と金属音が重なって、通路が震える。
だが。
「シールドバッシュ!」
「……イン……フェル……」
数分後、残るのは灰と焦げた匂いだけだった。
靴底が灰を踏んで、さらりと音を立てる。
ミラは肩をすくめ、声を落とした。
「この階層、ヤバいくらい楽なんだね……」
ダリウスは肩をすくめる。
ゴブリンを十体、二十体と薙ぎ倒し、道は灰と焦げた匂いで満ちていく。
その先にも、同じようにギャアギャア鳴きながら迫ってくるゴブリンの集団がいた。
オットーは肩を揺らして笑う。
「はっはっは! また丸焦げにされに来たぞ!」
ダリウスも苦笑し、視線を前に戻す。
「みんな、油断せずに行こう……と言いつつ、俺もちょっと油断してるな」
ミラは口元を緩めかけ、すぐ閉じた。
胸の奥がざわつき、指先が一度だけ握りしめられる。
「——シールドバッシュ!」
光壁が通路いっぱいに展開される。
ゴブリンたちが突っ込む。ドンッ、ガッ、ガンッ。
壁は今回も破れない。音だけが増えていく。
「エドガー、頼む!」
「了解で……す……」
エドガーは虫眼鏡を取り出し、詠唱の一節を口にした。
ガクン。
「エドガー!?」
身体が前のめりに崩れ、地面へ倒れ込んだ。魔導書が手から滑り、床にぶつかる音がした。
指先が開いたまま動かない。
ダリウスが駆け寄る。
「おいっ、エドガー!? まさか——魔力切れか!? こんな早くに、嘘だろ……!」
オットーは壁の向こうの音を聞きながら叫ぶ。
「ミラ! エドガーにマナポーションを!!」
シールドの向こう側で、ゴブリンたちはなおも壁を叩き続けていた。
矢が弾け、刃が滑り、棍棒の衝撃が腹の底まで響く。音の間隔が詰まっていく。
ミラはカバンからポーションを取り出し、エドガーの口元へ運ぶ。指が震えて、瓶の口が唇に当たる。
「飲んで……飲んで、エドガー……!」
エドガーの喉が動かない。
唇の隙間から液がこぼれ、顎を伝って床へ落ちた。
「だめ……飲み込めない!」
ミラの声が裏返る。手が止まり、次の瞬間にまた動く。
「どうしよう……どうすれば……っ!」
オットーはシールド越しに叫んだ。
「ミラ、何やってんだ! エドガーを起こせ! 早くしないとシールドが——!」
「やってるよ! でも……飲めないの!」
ゴブリンの攻撃音が続く。
壁を叩く衝撃が一定になり、耳が慣れそうになる。それが怖い。
ダリウスは剣を握り直した。手の甲の筋が浮く。視線が前へ戻る。
「……俺が前に出る!」
「ダリウス!?」
ミラとオットーの声が重なる。
ダリウスは一歩前へ踏み出した。狭い通路の中央に立つ。肩が壁に触れそうで、呼吸が浅くなる。
「この狭さなら……少しずつ削ればいい!」
オットーは歯を食いしばり、シールドに力を込めながら叫ぶ。
「無茶すんなよ! 前に出すなら俺が——!」
「ここで大斧は使えない! 今はお前が前を離れるな! 少しでも隙ができれば押し潰される!」
ダリウスが踏み出すたび、砂利がジャリ、と鳴る。天井が低い。剣を振る幅も限られる。
正面の一体を倒すしかない。
(だが……これなら読みやすい)
ダリウスは息を吸い、眼前のゴブリンへ踏みこんだ。
剣が水平に走る。
一体、斬り伏せる。
その瞬間。
ヒュンッ。
喉のわずか数ミリ横を矢が通り抜けた。風が皮膚を撫でる。
「ちっ……厄介だな」
奥の弓兵まで距離がある。
横に抜ける余裕がない。肩が壁に当たり、すぐ戻る。
「ガァアッ!」
棍棒が真横から振り抜かれ、こめかみを狙う。
視界の外から来た。
(まずい——!)
足元の小石につまずき、身体が崩れる。
倒れ込む形で棍棒を避けた。風圧が頭皮を撫でて抜ける。
ダリウスは地を蹴って起き上がろうとする。
「オットー! 一旦シールドに——」
ブスッ。
「……ッ!!」
左足に鋭い痛みが走った。ふくらはぎに矢が刺さっている。
熱い血が靴を濡らし、足裏が滑る。
「くっ……!」
片足を引きずり、後退を始める。
シールドまであと数歩。だが、矢が当たった瞬間に前線の圧が変わった。ゴブリンたちが一気に詰めてくる。
「オットー! 前を!」
「わかってるが——間に合わん!」
オットーはシールドを限界まで広げ、前へ押し出そうとする。
だが壁が上がる前に、刃が先に来る。
ゴブリンの刃が、ダリウスの胸元へ迫った。
「ダリウスーーーッ!!」
ミラが走り出した。細い足が砂利を蹴り、袖が翻る。
「ミラ!? 危ない、戻れ!」
ダリウスの声は届かない。
ミラは涙を滲ませた目で、一直線に飛び込んだ。
バシュッ!
刃がミラの髪をかすめる。金髪が一房、ふわりと浮いて落ちる。
「くっ……!」
ミラは滑り込みながらダリウスの腕を掴んだ。指が食い込み、爪が布を引く。
そのまま全身で押し、引きずる。
「立って! ダリウス!!」
肩が震える。足が踏ん張れず、靴が滑る。それでも離さない。
オットーのシールドが前へ持ち上がり、ゴブリンとの間に分厚い壁ができた。衝撃が止まり、音が少し遠のいた。
安全圏へ引きずり込まれた瞬間、ダリウスが叫んだ。
「——ミラ!! 無茶するな!!」
ミラは振り返り、涙に濡れた目で言い返した。
「ダリウスだって!!」
声が揺れる。喉が詰まり、息が短い。
ダリウスは言葉を失い、数秒だけ見つめた。
それから息を吐き、かすれた声で言った。
「……ごめんよ。助かった」
ミラはきゅっと唇を噛み、顔をそむけた。
肩が小刻みに震え続けている。
#魔法