テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
ベルシュタイン軍、最前線。
若い騎士は、剣を握る手に力を込めながら、前方の背中を見つめていた。
赤黒い魔力を帯びた大剣。それを握るのは、ベルシュタイン公爵様だ。
昨日、あの方は複数の自爆魔石の同時爆発を、真正面から受け止めた。普通なら、命があっただけでも奇跡だ。
それなのに、もう前線に立っている。
剣筋は鋭い。判断も速い。命令の声にも、迷いはない。
けれど、同じ戦場に立つ騎士だからこそ分かる。
踏み込みが、ほんの少し浅い。大剣を構え直す間が、いつもより半拍だけ長い。誰も気づかないほどの違いだ。
……やはり、まだ完全ではないのだ。
その時だった。
「報告!」
偵察兵が、息を切らして駆け込んでくる。
「北西街道に、ギルフォード伯爵家の軍勢を確認!」
騎士たちの間に、緊張が走った。
「数は」
「およそ三千! こちらへ向かっています!」
三千。その数字に、前線の空気が重く沈んだ。
ウィステリア軍だけでも厳しい。こちらの兵は消耗している。神殿の治療班も限界に近い。フローラ様は、いまだ目を覚まさない。
真正面から受ければ、前線はもたない。誰もがそう思った。
「正面では受けるな」
騎士たちが一斉に顔を上げる。
「街道の橋を落とし、進軍を塞げ。敵を谷へ誘導する」
淡々とした命令だった。
けれど、その一言で、絶望しかけていた前線の空気が引き締まる。
「はっ!」
騎士たちは、すぐさま動き出した。
***
一方、アイリス領主邸。執務室の扉が、慌ただしく叩かれた。
「バイオレッタ様」
入ってきたフレッドの顔は、青ざめていた。
「何があったの?」
「ギルフォード伯爵家より、出兵通告が届きました」
差し出された封書には、見覚えのある紋章が刻まれていた。
王妃派、ギルフォード伯爵家。魔獣暴走事件後の保護者説明会で、私を責め立てた家門。そして、ハーレー商会の出資者でもある。
封を切り、文面に目を走らせた。
――アイリス領による王国秩序の破壊を看過できず、正義のため出兵する。
「……よく言うわね」
王妃派は、ウィステリア軍だけでは足りないと判断したのだ。
「フレッド。前線へ伝令を。ギルフォード軍の動きは、アレクも把握しているはずだけど」
「かしこまりました」
フレッドが一礼し、出ていこうとした、そのとき。廊下の向こうから、使用人が駆け込んできた。
「フレッド様! バイオレッタ様!」
「今度は何?」
使用人は息を切らしながら、叫ぶように言った。
「領主邸の前に……領民たちが集まっております!」
領民たちが、この状況で。
(まさか――暴動?)
避難所の配給に不満が出た?それとも、戦争が長引くことへの抗議?
当然だ。戦が続けば、民は疲弊する。畑は荒れ、不安は膨らむ。
すぐに、椅子から立ち上がった。
「案内して」
「危険です」
フレッドが前へ出る。
「まずは状況を確認いたします。バイオレッタ様はお部屋に――」
「領主が行かなくてどうするのよ」
フレッドは一瞬だけ目を伏せた。けれど、すぐに道を開ける。
「……承知いたしました」
玄関ホールを抜け、重い扉を開ける。外へ出ると、門の向こうから、大勢のざわめきが聞こえた。
領主邸の前に集まっていたのは、怒った民ではなかった。鍬や荷車を持った農民。鍋を抱えた女性たち。
その目にあったのは、怒りではない。決意だった。
一人の農夫が帽子を取り、前へ出る。
「バイオレッタ様は、俺たちを見捨てなかった」
別の男が、強く頷いた。
「飯を食わせてくれた。怪我人も病人も助けてくれた。畑も、家族も、守ろうとしてくれた」
鍋を抱えた女性が続ける。
「だから……私たちにも、何か手伝わせてください!」
「炊き出しならできます!」
「荷運びもします!」
「きっと、何かお役に立てるはずです!」
言葉を失った。領民たちを守れているのか、ずっと分からなかった。
私の選択は正しかったのか。誰かを傷つけてまで進む価値があるのか。
ずっと、分からなかった。
けれど今、彼らはここに立ってくれている。この領地を、一緒に守るために。
胸の奥が熱くなった。泣きそうになるのをこらえ、背筋を伸ばす。
「分かったわ」
ざわめきが止まった。
「あなたたちの力、少し貸してちょうだい。この領地を、みんなの力で守るのよ」
集まった人々が一斉に頭を下げた。
「はい、バイオレッタ様!」
その声が、空へまっすぐ響く。
私は、彼らの手にある農具と荷車を見つめた。頭の中で、ばらばらだったものが一気につながった。
――いける。
その時、ひとつの作戦が形になった。
Jasmine
716
コメント
1件
第74話、読ませていただきました……。最初は「暴動かも」ってヒヤッとしたんですけど、まさか領民たちが味方になるなんて。軍隊じゃなくて、鍬とか鍋とか持って「何か手伝わせてください」って言ってくる光景がもう、胸がじんわり熱くなりました。バイオレッタはずっと「これで合ってるのか」迷ってたのに、領民たちが彼女の覚悟をちゃんと受け止めてたんだなって思えて。最後の「いける」、声に出して一緒に言いたくなりました。次が気になります……!